子そだてクリニック Q&A
題 名 | : アドバイス:(続)不登校に対するカウンセラーに不信感 |
投稿者 | : まりあ |
日 付 | : 1999年 03月25日(木) 19:35:26 |
そうですね、私の方こそ書き方が悪くて、いけなかったかもしれません。不愉快な思いをされていたら、深くおわびいたします。 一回目の投稿を読んだ限りでは、おせっかいさんが、実際にその ご両親からご相談を受け、実際にそのカウンセラーとお会いになって いらっしゃること、また「決断できないと悩む人達になんとアドバイスすればいいのか」というのがお尋ねの趣旨である、ということは、私には理解できませんでした。またどういうお立場で、子供達やその親御さんと接しておられるのか、それもわかりませんので、さらに知らない まま書き続けてしまうわけですが、 少し弁護させていただくと、私自身も「日本に住む日本人」では ありませんし、「第3者」という言葉を、けして観念的に使用した わけではありません。カウンセリングという場において、カウンセラーをAとし、カウンセリングを受ける人間をBとした場合、それがどんなにBに近い人間であっても、その場に実際一緒にカウンセリングを 受けていないCという人間は、第3者と考えられるべきではないか、 という意味で「第3者」という言葉を使ったのです。 従って公けの場で状況を判断する立場にいる裁判官にはもちろん あてはまるはずもなく、また秘密厳守の場であるカウンセリング においても、(少なくともアメリカでは)犯罪、幼児虐待に関する 情報は、カウンセラー側が警察その他に届ける義務が課されています。 犯罪や虐待は、通り掛かりの人だって通告する義務が、当然あります。 問題になさっている、児童福祉のカウンセラーを信用できない場合、 または信用できないとわかっていながら、決断できない人達に どうアドバイスすればいいのか、ということですが、実利的なアドバイスとしては、例えばこのクリニックの相談員の方に別の機関を紹介してもらう、とか、リサーチや人の紹介、口コミなど、私も専門でないので、それぐらいしか思い付きません。 しかし、私がコメントしたかったのは、心の面のことなんです。 「どうしてこんなひどいお医者さんにかかっているのか」「こんな いい加減なカウンセラーは、変えた方が」という場合(また実際に、 よく見かけるのですが)、たとえばおせっかいさんのように、心から 心配していらっしゃるまわりの人達がどんなに説得したとしても、 その本人が「自分は治りたい、別の医者に変えてみよう」とか、 「市の相談所だからといって遠慮することより、自分の子供が大切だ」という気持ちにならないと、他の人間にはどうしてあげることも できないし、「こういう、いい相談所がありますよ」というような、 実利的なアドバイスも、実を結ばないわけです。 いろいろな病気がひとつの薬で治るわけがないように、不登校にも さまざまな理由があるのに、パターン化した解決法でうまくいくわけ が、もちろんありませんよね。ただ、子供の問題に悩む親が(わたし もそうです)相談先のカウンセラーの指示に従い、それがあきらかに 適切なアドバイスではないと、本人もまわりも感じているに かかわらず、何らかの理由によって(その本当の理由は外からは わからないけれど)、別の人に変えることができずにいる。 でも、「自分の子はちがう。もっとちがったアドバイスをしてくれる人、子供を実際に見てくれる人、もっと親切な人を、この子の親 である私が、捜してみるんだ」という気持ちにその親御さん自身が なった時、また何かが少し、変わっているのではないかな、と思う のです。 おっしゃるように、たしかに私が他国で受けている治療的なセラピーと、日本の児童相談所でのカウンセリングはちがうと思います。 実際、ちがうんです。しかし、「変えるとカウンセラーに悪い」とか、「せっかく相談してもらっているのに・・・」という感情は、 非常に共通するものがあるんです。私自身の経験からいうと、 「変えると相手を傷付けるのでは、怒らせるのでは」という気持ち です。しかし、なぜ相手の気持ちばかりが、大切なのでしょうか? 先生や市に対する遠慮や、その他のいろいろな理由、でもそういった ものと、子供の精神的な健康をくらべた場合、どっちがより大切か、 それを判断する勇気を「第3者」ではない、自分が持った時に、 それこそ様々なタイプのカウンセラーやお医者さんがいることで しょうから、自分にあったいい人にめぐりあう可能性も、また 出てくるのではないでしょうか? これは結局おせっかいさんへの返答というより、自分への問いかけ なんですが。いろいろな問題を抱える今の子供達に、真剣に 接していらっしゃる態度にふと胸をつかれたので、最初の投稿を しました。おせっかいさんが責任を感じられることはない、という 趣旨のことを言いたかったのですが。 病院めぐりをすることも、けしていいことではないですけれど(笑)。 |