子そだてクリニック Q&A
題 名 | : アドバイス:(続)不登校に対するカウンセラーに不信感 |
投稿者 | : 井戸端会議 |
日 付 | : 1999年 03月30日(火) 08:47:47 |
カウンセラーについて話題になっていますが、カウンセラーは残念ながら神様でも占い師でもありません。 問題を感じている、また問題のある状況にいる本人や周囲の人に対して、問題の本質に気づき、改善していくための手助けをする存在にすぎません。 カウンセラーが面接で問題と感じていても、クライアントがそう思っていない場合には、基本的に「あなたのここが問題です。こうすれば絶対よくなります」といういいかたはしないはずです。 同じ人間の苦しみに対して、そういう断定的で高圧的ないいかたができる人はそれはそれで問題ありと思います。一部そういう立場でカウンセラーを名乗る人もいますが、うまく行けばいいけれど、そうでない時は人一人廃人にしてしまうくらいの怖さも伴うはずです。その自覚がありながらそこまで断言してしまうには、宗教的なものなど、かなりのバックボーンがいるはずです。また、その人自身の人間性をかけてのクライアントとの戦いになるでしょう。 これは一般的なカウンセラーのあり方とは決定的に違います。 神戸の少年の場合についても、まずは本人と家族の面接によってしか成立しないので、本人や家族が事件のことについて問題にしていない状況で、それを察して指摘するというのは不可能かと思います。 本人さえ自覚していない、または人に話せない水面下にある問題を、信頼関係で少しずつ水面上に出し、共通理解を持って解決に臨むというのがまっとうな筋道だと思うのです。 明らかに尋常ではない、ここが変と思うことについても、高圧的な指摘ではなく、共通理解ができるまで対話をつづける、また否定すること無くしっかり受け止めていくというのが、理想的なカウンセラーのあり方だと思います。 おせっかいさんのように、第三者として周囲で見ている人は、本人がこんがらがった糸だと思い、解くのに難渋している時に、「こうしたらどうかな」というアイデアや近道が見えたりするものですが、それを教えてあげることは必ずしも解決への最短距離ではないでしょう。相手がそれを受け止められる状況になっていなければ、響かないはずです。 当事者がどう解くかを必死で追い求めるようになるまで、また、なってからのプロセスこそが、こういうメンタルな問題を根本的に改善する唯一の方法だと思うのです。 私自身も、家庭内のことでカウンセラーのお世話になったことがありますが、第三者から見たらきっとくだらないだろうところで引っかかり、 自分で自分をがんじがらめにして余計辛くなっていた時期もありました。 その時に、周囲の友人たちは黙って見守っていてくれました。 きっと彼らにも結論は分かっていたのでしょうが、私が自分の力で そこにたどり着くまで辛抱強く見守ってくれたのです。 おせっかいさんがその方にしてあげられることも、こういう事ではないでしょうか。 そのかた自身が本当にカウンセラーに不信感を持つようになれば、次のアクションを起こすでしょう。それまでの間の試行錯誤を、いらいらせず、見守ってあげるというのはどうですか お子さんをめぐる問題にこだわらず、友人としていっしょに笑ったり,泣いたり、汗を流したりする中で生まれてくる信頼関係を大切に、この問題については相手の方から求めがあったら援助するというくらいに考えて付き合ってあげるといいのではないでしょうか。そこがカウンセラーと友人の違いでしょう。カウンセラーはクライアントとそこまで密接に付き合うことはできません。また、そういう時間の共有もしません。 人間というのは本当にわがまま勝手なもので、明らかに自分が変われば改善される状況でも、人のせいにして乗り切ろうとしたりするものです。明らかに力不足のカウンセラーにこだわっているときには、適切な人と巡り合ってしまったら自己変革にすごくしんどい思いをしなければならないことか予測されるため、無意識にカウンセラーのせいにして自分が問題と直面することを回避しているなんて言う複雑な場合もあるのです。 数式のように明確な答えが無いところが人間のおもしろさ、よさだと思います。 |