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言語ゲーム、デジタル筆記、新しい識字能力:
語り手や記録者としての子どもの天賦の才能を育む

Edith K. Ackermann (マサチューセッツ工科大学)
Edith@media.mit.edu

要旨

子どもは「百の言語」で自らを表現する(Malaguzzi他, 1987)。身振りや言葉、形で話し、他人を理解する方法として、ある言語の中で知っているものなら何でも利用する。子どもはまた、絵や字を書くこと、そして行動などの、表現メディアをうまく組み合わせる。本論文では、成長過程の子どもがどのように識字能力を身に付けるのか、話し手から記録者へ、聞き手から読み手へとなる、その過程に焦点を絞る。これはすばらしい道のりである一方、多くの子どもたちに立ちはだかる障害ともなる。本稿の論点は、デジタル技術がもつ、子どものオーラルコミュニケーションと筆記コミュニケーションのギャップを埋める手助けとして、また新しい表現手法の仲介物としての有用性にある。デジタルメディアと語りをベースにした環境は、文章を組み変えたり、文脈を付け加えたり、音声とことば、作者と聞き手を結びつける上で、新たな基盤を提供する。「プログラム可能な」ストーリーの断片をつなぎあわせて物語の筋を作り上げる(スピーチの編集)一方、遠方の友人、あるいは架空の対話者と書き言葉で会話を行う(対話のための筆記)など、有用と思われる形態について探究していく。(1)


キーワード:
言語ゲーム、デジタル筆記、識字能力、語りの能力、文脈、テキスト


序論

3歳児にとって、ある場面を演じたり、キャラクターの真似をしたり、お話をするといったことは、さして変わったことではない。ごっこ遊びの中で場面を設定したり、小道具を作りながら、子どもは恐怖やあこがれといった場面を再現したり、役割を変えたりして、演じきるのである。子どもはお話をしたり聞いたりするのも好きで、読み書きを覚える前に、自分たちがあとに残しておく痕跡やまわりのサインに夢中になる。学校に入らないうちから落書きや暗誦をするし、初めて読んだ本には自分だけが知っている秘密のお話があるとして、その本を大事にする(Ackermann & Ardnnto 2001)。

話をするということは、明らかにごっこ遊びやロールプレイ以上の意味がある。また、識字能力を身に付けるということは、石に言葉を刻んだり紙の上で語り手の声を暗号化する以上に意味がある(Bruner, 1984)。聞き手をわくわくさせるような語り手が作家としては月並みであったり、話術の最も巧みな人間が、必ずしも読み書きに最も熱心とは限らない。我々は皆、このことを直感的に知っている(Teale & Sulzby, 1989)。特に、ザッピング、ネットサーフィン、デジタル編集などが識字能力という概念に立ち向かうとき、これがまさにあてはまる。

児童心理学者や言語学者は長年にわたり、子どもが話し言葉や書き言葉についてどう考えているのか、またそれらを自然に使うようになることについて研究を重ねてきた(Bettelheim & Zelan, 1982; Bruner, 1984; Ferreiro & Teberosky, 1982; Ferreiro, 1988; Karmiloff-Smith, 1992; Sinclair, 1988)。また、多くの優れた教育専門家が、子どもが「百の言語」で話すと同時に、読み書きができるという恩恵を「内側から」評価することを学べるよう、手助けするような場を開いてきた(Freynet, 1969; Malaguzzi他 1987, 1989; Strickland & Mandel Morrow.Eds., 1989)。

そこで提案するアプローチとして、さまざまな文脈や言語ゲームの中で、子ども独自の見方、話し言葉や書き言葉の使い方に足を踏み入れ、遊びの要素を取り入れた言語ゲームや話を中心とした環境が、子どもが「百の言語」で話す自然の能力を育み(Malaguzzi, 1987)、同時に、意味のある出来事を目に見える形で残したいという強い嗜好にも答えられるような方法を、いくつか議論してみたい(Sinclair, 1988)。Ongによる「二次的口述」の概念(Ong, 1982)をもとに、「活字を超えた識字能力」を支えるデジタル技術の潜在能力を評価する(Olson, 1994)。ネット作業、MUD、対話型ストーリー/お話作り、電子人形劇など、デジタルメディアによる言葉のやりとりは、さもなくば途方にくれるであろう多くの子どもたちにとって、話が得意だという長所をてこに、書くのが苦手だという恐れを克服するため、対話調で書く、あるいは文章で話すという作業に夢中になれるような、新たな機会を提供することができる(Lankshear, 1997)。

本論文は二部構成になっている。第一部では、語り手や記録者としての子どもの素質にふれ、子どもの視点に立った口述能力と識字能力の交換を論ずる。子どもが就学し、時として「厳しいやり方」で読み書きを学ぶ方向に導かれるとき、Melaguzziの主張(「子どもは百の言語で話す」)はどうなるのか。話し言葉と書き言葉という相反する世界を、子どもはどのように一致させていくのか。一方から他方へどのように移行していくのか。

第二部では、子どもが遊びながら話を作り、物語を記録し、デジタルメディアを試す手助けをするための、デジタル技術が持つ潜在能力について言及する。ここに示したようなテキストをベースとしたバーチャルな社会環境、電子人形劇、目に見える話し手、物語作りといったデジタルメディアや物語環境は、Ongが述べるところの「二次的口述」、あるいは対話型の書き言葉、すなわち、口述と記述、テキストと文脈、音声とことばの隙間をいく継ぎ目のない、―そして楽しくあってほしい、―そうした道のりを手助けするものだ。


文字に先行する記述(Writing before the letter)(2)

子どもは自分を聞き入れてもらおうと、書き言葉であれ話し言葉であれ、まず言葉を使う。聞いてくれる相手に自分たちの話を聞かせ、受け入れてもらえず、言葉がうつろに響くだけではすぐに黙りこんでしまう。子どもはまた、遠方や想像上の出来事を引き出したり、意見を聞きたい人から望みの答えを導いたり、命令を下したりやりとりをしたりするためにも、言葉を使う。

就学前に、ほとんどの子どもは「語り手」としての能力にはかなりすぐれ、熱心にものを「書きたがる」ようになる。これらの能力はともに結びつきながら進化する。子どもは一方で、ものごととの結びつきをもち、人々とふれあいたがる。帰属感がほしいのである。他方、遠く離れたところから何かをやっておいてあとで使おうといった刺激も、また熱心に求める。未就学児は字の書き方を覚える前に落書きを始めるし、字が読める前に暗誦することができる。なぞり書きや痕跡に夢中になり、自分の書いた痕を記録できるものは、何にでも印をつけたがる。早い時期から、どのような痕跡が文字や画像や数字に相当するのかという自分たちの論理を作り出すのである(Ferreiro, 1988)。

要するに、百の言語で話すということは、子どもが人やものにふれ、あるいは調和する、つまり、今の位置で話したり行動するという行為と、遠方から、あるいはあとで使おうと物事を行うという行為という、明らかに相対する行動をうまくバランスさせる、ということである。

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言語ゲーム

子どもが対話のやりとりをするのは、打ち解けた夕食時の食卓を囲んだ会話から想像上の仲間に自分だけで話し掛ける、またお休み前の物語の読み聞かせ、人形や他の子どもたちとのごっこ遊びやロールプレイなど、多彩である。

それぞれの文脈には独特の決まりや約束事があり、話す力を掘り起こす独自の機会を提供する。話し言葉であれ書き言葉であれ、それらを聞いてもらい、対話の相手から聞きたいと思う実際の、また架空の反応を引き出すだけの注力と信頼面において、それぞれのレベルが必要になる。以下にいくつかの短い場面設定例を示す。

場面1: 夕食時の食卓での会話に加わるには、誰が話の中心となるか、話題を提供するのは誰か、使ってよい、あるいはいけないジェスチャーは何か、誰が誰の会話をさえぎることができるか、一番発言権を持つのは誰か、スラングを使ってよい場合は、といったことに関する、一連の決まりが必要になる。

場面2: 一方、他の子どもと遊んだり、人形遊びをする場合には、夕食時の食卓での会話の決まりや約束事をすべて曲げ、言葉のもつ「遂行的な」力を掘り起こすこともあろう。死んだといえば地面に倒れるとか、出した命令には絶対服従で、奴隷のように従うよう、遊び友達に頼んだりする。

場面3: 物語の読み聞かせでは別の対話状況も可能である:子どもたちが気持ちよさそうに母親の膝にのり、音声や母親の声、ページが織り成す世界、イメージを組み合わせて想像上の世界に導かれる、特別な時間だ。読むことを覚える前から文章を暗誦したり、自分だけが知っている秘密のお話のために大切な役割を果たすべく、本にある言葉やイメージを使ったりする。この段階になると、まだ3歳ぐらいのうちから、読んであげるといって、指でページのしるしをなぞりながら物語を作り上げる。読んでいるふりをするのに夢中になるのだ。

場面4: 同じ頃、多くの子どもが書くふりをするのに没頭する。前述のように、何か痕跡を残すことに夢中になる。いつでもどこでも落書きをする。彼らが作り出したものは、曲がったりねじれたりした線の束に見えるが、本人にとっては文字や単語、数字、あるいは文章なのである。「ほらね、ネコって書いてあるの」と子どもは言うだろう。猫の絵、ではなく、猫と書いてあるのだ(Karmiloff-Smith, 1992)。子どもは愚かではなく、単語と絵の違いを理解している。だからといって、我々大人にはその違いがわかるとか、子どもが表現力を補うために、単語とイメージを一緒に使うことはない、ということではない。

場面5: 4歳ごろになると、子どもは落書きをつなげて書いた擬音語を通じて、買い物リストや友達への手紙を書くようになる。Ferreiro及びTeberoskyの研究では、このような「文字に先行する記述」は、それらを解読できる者にとっては非常に理にかなったものなのである(Ferreiro & Teberosky, 1982)。さらに6歳からは、「つづり字の発明」段階に入る。繰り返しになるが、訓練を受けていない大人がこれを解読するのは難しいかもしれないが、対象とする「読者」という中で理解されうる限り、これは論理的な慣習を作り上げる。子どもがより幅広い人々にメッセージを伝えることに本当に興味を持ってこそ、ルール決めのゲームを熱心にやりたがるようになるという点に注目されたい(Freinet)。(3)

話し言葉や書き言葉のもつ力を、多くの場において楽しみながら経験するということがなければ、単に物言わぬ紙に書いてある、謎めいた図表をすべて解読するという、大変な作業に対するインセンティブは、後になってもほとんど湧いてこない(Ackermann, 2001, Archinto, 2002)。


学校での識字能力

それでは、いかなる対話のある状況からも離れて、感覚的なことばや楽しい落書きを、音のない不活性な形である活字の世界に「苦労して」入り込ませられてしまうと、多くの子どもたちはどうなるのであろうか。この道筋は唐突に起こりうるし、広く考えられているのとは正反対に、話し好きにとってこれは特に困難なことである。話や動作により言葉の基礎を楽しく学び、聞き手によって話を使い分けてきた子どもは、その多くが突如、途方に暮れてしまう。自分たちの考えをもっともよく表す媒体を選んで、「百の言語」で表現する能力だけでは不十分だ。Stevensonの言葉を借りれば、「文学作品を耳で聞くことから読むことへ移行するのは、偉大ではあるが危険なステップである...子供時代の本を大きな声で読み聞かせしていた者は、自分たちの調子にあわせて歌っていたわけだ。ところがひとたび自分で字が読めるようになると、表現に乏しい物言わぬ活字だけに接しなくてはならないのだ。」(Donaldson, 1984)

子どもの視点に立てば、活字を生み出したり判読するという困難に直面したとき、迷いの生ずるのはまったく理にかなったことである。口で言えるものを、何で書かなくてはならないのだろう。話してもらえばわかるのに、なぜ読むの?大人の観点から見れば、明らかに違う。識字能力を身に付けるということが人間的社会的成長を育むものであり、言葉を紙に書くという能力が従来不可能だった全く新しい論法への道を開いてきたのだと、大人は知っている(Olson, 1994)。だから子どもが大人の本への情熱に疑問を呈したり、活字の世界がもたらす便益に違った意見をぶつけてくると、多くの大人や親、保護者が動揺するのである。

口頭による伝達から記述による伝達への道はきわめて貴重な利益と同時に、大きな損失ももたらすのだが、このことは教育学者や研究者、親がしばしば見落としがちだ(Ackermann, 1990)。記述は作者と読者を切り離し、読者は話の現場から離れたところにおり、単語と音声は別物である。活字は物を言わず、冷たいものだ。石に言葉を刻むようなものである。一方、話し言葉は人間の行為に絶対必要なものであり、言葉が発せられることで語り手の行為を強調する。話し言葉は話の内容と発言者を結びつけ、発言者と話し方の橋渡しをする。話し言葉では、語り手は自分の調子でことばを口ずさむことができ、相手に答え、対話を演ずることができる(Ong, 1982)。

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活字を超えた識字能力

話し言葉から書き言葉への道筋は、口語文化が支配的な伝統のもとで育った子どもだけでなく、特筆すべきは、ザッピングやネットサーフィン、電話の会話、また、地理的に離れたバーチャルなネットの友人とオンラインでチャットをする、「デジタル・キッズ」にも難しいものとなりうるということだ。以下に、子どもたちが自然発生的に興味を持ち、言葉が流暢になるにつれて現れてくるであろう、デジタル技術による新たな識字形態をいくつか明らかにしていきたい。記述式の話し言葉、あるいは対話型の記述と呼ばれるこうした識字能力は、いわば「混成物」である。文章を文脈に、発話を話すという行為に、言葉を音声に、作者を読者へとつなげていく。

狭い意味において、文章は印刷の一形態、あるいは時間と空間が静止した、たいていは使用形態から切り離された言葉の一片ともいえる。しかしより広い意味では、文章は常に対話型の文脈に埋め込まれている。したがって、識字能力を身に付けるということは、誰が誰になぜ「話しかけるのか」、といった実際的な問題を認識する必要がある。また、構文法や意味論を超えて、識字能力があるということは、「文章」を状況からはずして理解したり、再び脈絡にあわせたりする作業をともに含むことになるのである。

特にこの問題において重要なのが、Ongのいう「二次的口述」という概念である。そこでは、「電話やラジオ、テレビ、また活字や印刷にその存在や機能を依存しているその他の電子メディアにより、新たな口述形態が維持される。」(Ong, 1982)


対話型記述のデジタル・ツール

以下の章では、「二次的口述」を活用して、活字を超えた識字能力を育む手段としての、デジタル技術の潜在力に言及する。この文脈で特に関連するのは、文章から音声への切り替えを可能にしたり(例:単語をタイプすると音声が出る)、文章をコマンドとして利用できる(例:ストーリーの編集)環境、文章型の物語やロールプレイングの環境である。いずれも話し言葉と書き言葉を統合し、口述と読み書きの間を行き来するための新たな方法を提供する(Ong, 1982)。作者と読者や対話者を再び結びつけ、読者を話の現場に引き戻すのである。

実例として、二種類のデジタル「プレイペン」を示す。これらのペンは記述に文脈を持たせ、同時に話を記録・登録(トラッキング)して、話し言葉や書き言葉による物語の要素を編集する(組替え可能な物語の断片を直線的に並べる)。Bruckman (1999), Umaschi (1986), Umaschi, Ackermann他(1998), Annany (2001), Montemayor, Druin & Hendler (2000)らの研究によると、これらのプレイペンは子どもたちに魅力的であるのみならず、遠距離チャットやストーリーテリング、ロールプレイング用のテキストもしくは音声をベースとした環境が、対話型の記述を通じていかに筆記活動を促進するかという点に光を当ててくれる。

有形玩具:ストーリーテラー、ストーリービルダー、ストーリーライター、ストーリーリーダー
話し言葉であれ書き言葉であれ、コミュニケーションをうまくはかるには、子どもたちが連続的に一貫した形でストーリーの要素を順番に並べる能力を取得せねばならない(Ananny, 2001)。そのためには、ストーリーの要素が意味のある構成(あるいは配列)を形成するまで、子どもたちがこれらの要素をあれこれいじって、組み合わせたり組み替えたりすることのできる作業スペース(遊び場)が必要になる。幼い子どもにとって、使いうるストーリーの断片は、注意を喚起できるよう組み替えがしやすく、"操作が容易"目に見えること、また反応速度という点で"信頼できるフィードバックが即時に得られる"からデジタルであることが望ましい。有形のストーリーテラー/ビルダー/リスナー/リーダーは3歳以上の子どもに対し、デジタルタイルやイメージ、カードなど、目に見える積み木に示された話を作り上げ、体系づけるのを手助けする上で有用である。子供向けお話玩具の好例として、Tell-Tale (Annany, 2001)と PETS(パーソナル電子ストーリーテラー)[Robots for Kids. Allison Druin and James Hendler. P.73-107参照]の2つがあげられる。

バーチャルワールド:ネット作業、MUD(4)、電子人形劇
eメールその他のオンライン「メッセージング」サービスにより、年長の子ども(7歳以上)はバーチャル・コミュニティに参加することができる。参加者はテキスト・エディターを使ってメッセージの送受信ができ、画面上で作成/編集をしたり、テキストの切り取り・貼り付けを利用して移動、またテキストも組み替え、再編集をすることができる。子どもたちはまた、画像や音声を送信し、合成物を作り上げることもできる。ネット作業は、書くという作業を通じて「つながり」を持ちたがる子どもの手助けとして、しばしば学校で利用されている。社会的バーチャル環境すなわちMUDでは、参加者が匿名のロールプレイに参加し、さまざまな仮面をつけて複数のキャラクターを演じることで、通常では知りえなかった自分自身を発見していく。MUDが他のロールプレイングゲームと異なるのは、ユーザーとその化身、つまりバーチャル・リアリティの住人の間に、複雑なつながりがあるということだ。また、バーチャルの化身に対する他のプレーヤーの反応は即時に返ってくるし、予想のつかないものである。操り人形をあやつる人形使いのように化身に密着する形で、プレーヤーは人形を通じて行動し、ものを感じる。化身を作り、これに生命を注ぎ込むのは人形使いである。プレーヤーは複数の登場人物を演じて、同時にそれらを違った環境下に住まわせることができる。複数の人格を演じ分けるという人間の能力そのものは新しいものではなく、ネットを離れたところでは大人の心理ドラマや1対1のロールプレイに見られる。バーチャル環境で違う点は、自己表現の偏在性である。同時に2つの「仮面舞踏会」に出たり、複数の会話の流れを維持していくようなものだ。Turkleと同様、テキストをベースとした社会的バーチャル環境、MUDを拡充したようなものは、年長の子どもたちが楽しく、遠方の変装したプレーヤーと対話型の筆記に取り組む手助けとなる、と筆者は考える。

例1: ムース・クロシングはAmy Bruckmanが考案した、文章をベースとしたMUDである。子どもはリアルタイムで、会話やジェスチャーのやりとりをしながら感情を表現したり、単語を並べて場所について述べる。身振りや顔の表情に代わって、エモトロンのような活字のきまりを使用し、擬声語で補足することもある。つづり字の誤りはあまり気にしない。ムース・クロシングでは、単語やプログラムが密接につながっている。単語は物を表現するため、興味のある事象を引き出すコマンドとして活用される。ここでの単語は、行為や事象を引き出すキーとして使われるのである。ムース・クロシング(5)は、社会関係のウェブ上で体験できる。記述には一時的に複数の著者によってなされ、世界が変わるような口語のコマンドをつなげられている。すべてが自然体で行われる。

例2: SAGE(電子人形劇ストーリーライター/テラー)。メディア・ラボのMarina Umaschi Bers並びにJustine Casselが設計。SAGEはデジタル人形劇のようなもので、子どもたちがユーザーであると同時に、物語の設計者でもある。テキストを音声に変換する会話を通じて、ストーリーをもった既存のキャラクターとやりとりをしたり、自分たちでキャラクターを作ることもできる。語り手の話に信憑性をもたせるためには、子どもは状況に応じたキャラクター設定をする必要がある。どんな発言をするのか考え、性格について予備情報を与え、基礎となる会話の仕組みを作り上げ、ストーリーのやりとりができるような状況を作り出す。SAGEのキャラクターのひとつであるやさしいウサギは、画面の外で暮らしている。

Marinaと私がSAGEを使って小児病院で行った実地調査では、「話し手がどの登場人物になりたいか、または他のキャラクターで表現したいか」、すなわち「話し手がその世界でどのような立場をとるか」によって、子どもの作品を3つのカテゴリーに分類することができた。子どもの心のありようや健康状態により、これらの特徴は異なっていたようだ。
  • 直接モードでは、子どもは第一人称を用い、子ども自身の声でうさぎに答えてもらいたがる。うさぎが子どもに代わって世界に話をするわけだ。

  • 仲介モードでは、子どもは自身のもつ側面を別のキャラクターで表現する。第二人称を用いて、作者がわからないよう、コンピューター音声に語らせることを好み、キャラクターとやり取りを行う。

  • 識別モードでは、子どもたちは2つのキャラクターのやりとりに、脚色・振付を行う。自身の持つ側面を示すであろうキャラクターを作り上げ、自分自身でないかのようにこれを支配しようとする。
...音声の重要性:
子どもたちは概して、テキストから変換されたさまざまなコンピューター音声によってストーリーが読まれるのを好んだ。しかし、第一人称で語ろうとする入院患者は学童以上に、自分たちの声でストーリーを録音したがった。

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結論

紙に書かれたことばと異なり、デジタル・テキストは組み替えやリサイクルが可能だが、副作用として古典的な読者と作者の区別を劇的に打ちこわしてしまう。読者や作者は、追加や削除、またテキストの一部に書き込みを容易に行うことができ、再編集や段落の組み替えもできる。この意味において、デジタル・テキストはパッチワークあるいはモンタージュ写真のようなものである:ゼロから始める必要はなく、既存の断片や切れ端を集めることができる。Lanhamが的確に指摘しているように、「電子の世界における読者のもつ双方向性により、非常に多くの読者から反応が返ってくる、という状況が具体化される」(Lanham)。デジタル・テキストではまた、単語や画像を同時に加工することが可能で、子どもが自分たちの百の言語で自己表現をする手助けになる...さらに重要なことは、デジタル・テキストはまったく新しい記述分野の出現を可能にするということである。記述がよりくだけた形で、複数の作者による、多くの糸がからみあったものとなる。ユーザーが複数の音声を再生できるようになり、電子記述は複数による会話の可能性を再び構築する。とはいえ、デジタルだけで子どもの創造的、批判的な読み書きの能力や思考を育むという保証はない。しかし、話し言葉や書き言葉から通じている多難な道のりを切り開く上で新たな機会を提供し、テキストと文脈、作者と読者、単語、画像、音声の橋渡しを新しい方法で行うことができる。



参考文献

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Reference of this paper is:

Ackermann, E. (2002). In (Dimitracopoulou, A., Ed.) "Information and Communication Technologies in Education". Proceedings of 3rd Hellenic Conference, with international participation, 26-29/9/2002, University of Aegean, Rhodes, Greece, Kastaniotis /Interactive, Volume 1, pp. 31-38.



用語解説

(1) 本稿の補追として、Ackermann E.(2001). Bambini Digitali, Strumenti narrativi, scrittura dialogica. In TD. Tecnologie Didattiche, n.24, numero 3, 2001, pp.24-48.がある。 本論文は、ロードのHICTE学会(テーマ:教育におけるITC)でも発表された。参考文献:"ICT in Education", Volume 1 HICTE, 26-29/9/2002. Kastaniotis Editions. Inter@active. 31-38.
(2) "Writing before the letter"(文字に先行する記述)は、Ferreiro論文の表題である(フランス語ではl'ecriture avant la lettre)。
(3) 子どもの記述能力や語りに関する自発的な適用、使用にいたる由来の詳細は、Ackermann (1990, 1992, 1993, 2001)のより詳細な発表論文を参照されたい。
(4) MUD: Multi - User - Dungeons (ダンジョンズアンドドラゴンズという1970-80年代に若者に人気だったファンタジーロールプレイングゲームから)
(5) ほとんどの大人が青少年のスペルミスに対する無頓着さを嘆くが、現代の子どもは新しいつづり方を学んでいる。我々の多くと同様、ワープロのスペルチェッカーを「シグナル」モードにして、書き進めながら下線のつけられた単語を修正していく。自分たちで正しいつづりを見つけることもあれば、辞書で調べることもある。たいてい、スペルチェッカーを利用することで、苦労することなく多くを学べる。
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