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赤ちゃんとテレビ Baby and Television
小林登 Child Research Net 所長 JAPAN

■情報テクノロジーと子どものくらし

 わが国にはテレビのない家庭はもうほとんどない。しかも不幸にして住宅事情は決して豊かではないため、部屋数も少なく、特に都会、東京等の多くの家庭の赤ちゃんは、うまれた途端からテレビと一緒に生活していると言っても過言ではない。したがって、人生の出発点から、人間はテレビに曝露されていることになり、赤ちゃんに対してテレビがどう影響するかを考えるのは、子どもの成長と発達にとって非常に重要なことである。
 1953年と思うが、日本でテレビ放送が始まった。当時テレビは子どもたちの心の発達に良くないのではないかと色々言われたが、現在、テレビが子ども達にとって、大きな問題があると考える人は非常に少なくなっている。確かに、暴力や性的なものに関するテレビの番組が、子どもの影響に関係する指摘は古く、現在も続いているが、むしろ、今はインターネットやゲームなどの方が、色々な意味で影響があると考えられている。一般に、新しく出たメディア機器には問題があるとする傾向があるようである。
 情報機器は進化し、テレビはハイビジョンに、電話は携帯電話にと、情報を伝える機器は常に変わり、その性能はますます良くなってきている。社会はそれなしには生活することができなくなっている。最近はそれらに加えて、インターネットも生活の一部に入り、メールのやりとりばかりでなく、買い物も、金銭のやり取りも、全てインターネットで済ませられるような時代になると言われている。こういった情報機器のテクノロジーの発達というものがわれわれ人間の生き方を大きく変えているのである。
 このような問題を分析するには、生活環境と生物との関係を生物学的に捉える「生態学(ecology・エコロジー)」との考え方が必要である。子どもについて考える場合には、「チャイルドエコロジー(child ecology・小児生態学)」という考え方が、また、メディアによる情報の影響を見るには「メディアエコロジー(media ecology・メディア生態学)」という理念で考える必要がある。さらに広く考えれば、文化そのもののあり方が、人間の営みにどういう影響を与えるかという風に考える大きなテーマになり、「文化生態学(culturalecology・カルチュラルエコロジー)」という考えも出てくる。したがって「テレビと赤ちゃん」という問題は、こういった人間の生き方のエコロジーを考える一つのプロトタイプとして、非常に重要な問題である。
 すでに生活の一部となってしまった、メディアの代表といえるテレビが、実際にはどのように赤ちゃん、つまり人生の出発点で影響を与え、さらには、後々の大人になってからの生き方にどう影響するかということを、チャイルドエコロジーの立場から分析するにはどうしたらよいであろうか。考えるにあたって筆者は、医学、特に小児科の立場から、換言すれば生物学的の観点から、テレビに関して赤ちゃんがどのような力を持っているのかという点から話を始めたい。


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■生物学の立場から

 赤ちゃんは生まれると直ちに「オギャー」と泣く。その産声は、赤ちゃんがお産に驚くとともに、またお母さんから離れるので、不安に思って泣くのである。その証拠になかなか泣きやまない新生児は、お母さん、助産婦さんあるいは看護婦さんに抱っこされると泣きやむ。生まれた時点で、驚愕とか不安を感じる基本的な力があることは重要であり、同時に触覚が充分に発達していることも示しているといえる。すなわち、脳の中にそれができる神経細胞のネットワークが存在するのである。
 その産声が収まると、赤ちゃんは首を回して、じっと周囲を見回し始める。この行動は産科ではよく知られた事実である。これはどういうことを私達に教えているのであろうか。赤ちゃんは生まれながらにして、好奇心の原型を持っているということである。もちろん大人が考えているような、好奇心とは違うかもしれない。しかし、少なくとも、積極的に情報を受け止める、視覚情報を処理する脳の神経細胞ネットワークのセットアップは、もうすでに脳の中に作って持っていると考えられるのである。
 それでは、赤ちゃんは見えるのかというと、従来は、見えるか見えないかということを考えることすらしなかったが、最近の新生児の視覚生理学の研究によって、生まれたばかりの赤ちゃんでも、大人が見るほどはっきりしないが、近い距離、だいたい30cmくらいのものなら、相当程度のパターン認識が出来ることが明らかになってきた。そして、3ヶ月位、6ヶ月位になると、ある距離があっても相当見えるようになるのである。
 目で見て視覚情報をキャッチする力を、赤ちゃんは生まれながらにして持っていることはこれで明らかであるが、さらに、健康で生まれた子どもは、聴覚はもちろんのこと、味覚・嗅覚でも情報を収集する力を持っていることは、多くの研究で証明されている。妊娠中期を過ぎれば、外の音楽に反応して、胎児の心拍数も変化することから、聴覚は生下時に充分発達していることが示されている。
 嗅覚に関しては、お母さんと他の人との、体や母乳のにおいの違いを識別できること、また味覚では甘み・苦みがわかることが報告され、甘い味には特に敏感だといわれている。
 このように、五感の能力は充分に持って生まれてくるわけである。少なくとも、情報をきちんとキャッチすることだけは出来ると断言できるわけである。もっとも、受け取った情報を「これは何々だ」と判断するのには、まだその力もなく、脳の発達を待たなければならないと考えられる。
 Fantz というアメリカの心理学者が、1961年に発表した論文で、赤い丸、黄色い丸、白い丸、新聞紙の丸、同心円の丸、人間の顔を書いた丸と、みんな同じ大きさの丸を、生後5日くらいの赤ちゃん、ならびに2〜6ヶ月の間の赤ちゃんがどのくらいじっと見つめるか、その比率を観察時間の何%であるか調べて報告した。それによると、いずれの赤ちゃんも、赤い丸、黄色い丸、白い丸ではほとんど差がないが、新聞紙の丸になるとじっと見つめる時間が長くなり、同心円の丸になるとさらに長く、そして人間の顔になるともっと長くなるという結果になった。
 この事実が何を意味するかというと、情報量が増えるにしたがって、見つめる時間も長くなるということを示している。赤い丸、黄色い丸、白い丸では情報量は変わらず、新聞紙、同心円になると少しずつ情報量が増え、お母さんの顔のように人間の顔が入ってくると、著しく情報量が増えるわけである。そして情報量の増加に伴って、赤ちゃんがじっと見つめる時間も増える。
 また、ここで重要なことは、生後5日以内と2〜6ヶ月の赤ちゃんとでは、ほとんど差がないことである。もちろん、2〜6ヶ月位の赤ちゃんになると、人間の顔が描いてある丸、新聞紙の丸を生後5日以内の赤ちゃんより長く見るという傾向は示されている。しかし、その差があまり大きくないことは重要である。
 簡単に言えば、生後まもない赤ちゃんも、2〜6ヵ月の赤ちゃんも、同じように、情報量が多ければ多いほどじっと見つめるということが、Fantzの論文によって示されているのである。したがって、子どもは情報を求める存在である、新しいものに強い好奇心を示す存在である、すなわち「インフォメーション・シーカー」と呼べるといえる。
 赤ちゃんばかりでなく、成人もそうであって、例えば隣人が赤い洋服を着ているような場合、そういう情報に関心を持つものである。そのように情報を求める「インフォメーション・シーカー」であるからこそ、人間はその歴史の中で、素晴らしい情報機器を開発してきたといえるのではないだろうか。


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■赤ちゃんはどれくらいテレビを見ているのか

 数万年前の洞窟絵画から始まって、文字の発明とともに数千年前から始まった羊皮紙、木簡、そして1400年代にはグーテンベルグの活字印刷が始まった。さらに、電話や無線通信の始まりとともに、20世紀に入ってラジオ、テレビ、そして最近のインターネットと、情報をやり取りする機器の開発はとどまるところがない。そして、どんな情報機器も決して消えることはない。機械はますますよくなって、できた当時以上に使われるようになるのである。それは、全て人間の「インフォメーション・シーカー」としての力による。
 現在の社会では、「インフォメーション・シーカー」としてうまれた赤ちゃんは、家庭の中でテレビをどのくらいの時間見ているのか、NHKの放送文化基金による研究を行なった。
 アンケート調査による結果であるが、当然のことながら、だいたい3ヶ月くらいだと50%くらいの赤ちゃんはテレビを見ていない。しかし、1時間以上見ている赤ちゃんが15%程いて、1時間以下が20%くらい、1時間というのが10%くらいいるというようなデータが出ている。もちろん、関心を持って本当にじっと見ている時間かということになると判断は難しいが、少なくとも、お母さんや家族からみると、テレビに関心を持っているようにみえるというのである。しかし、これは我々が言う視聴時間というよりも、むしろ住宅条件などによるテレビに曝露されている時間という風に考えた方がよいかもしれない。生後1年の赤ちゃんでは、おおよそ1時間見ている子どもが約25%程で、2時間、3時間というのは35%程というように、次第に時間が延びている。もちろん、この年齢になれば、赤ちゃんはテレビを見ているといえるであろう。
 このように、赤ちゃんは思いのほかテレビに曝露されていることは事実で、赤ちゃんも当然のことながらテレビに「インフォメーション・シーカー」としての関心をもって、月齢とともに見ているといえるのである。その赤ちゃんがテレビに対してどういう行動をとるのかということについても調べてみた。
 結果は、生まれて間もない始めのうちはテレビに無関心であるが、しかし1ヶ月も経つと、音楽が聞こえたときに、テレビの方向をチラッと見るようになり、さらにテレビがチラチラするので、やがて赤ちゃんはそちらを見るようになる。たとえテレビから離れていても、音楽は耳に入るので、聴覚によってまず赤ちゃんはテレビに関心を持つようになると考えられる。そして、お座りするようになるとテレビをじっと見るようになり、そのうち音楽に合わせて体を動かし始める。番組内容がそれなりに理解できるようになるのである。続いてハイハイをするようになると、テレビに近づいていくようになり、そして、つかまり立ちしてテレビのスイッチを触るようになるのである。
 ひとり立ちが出来るようになると登場人物に声をかけるようにもなり、1歳前後には、好きなテレビ番組が割合にはっきりしてくる。1歳半くらいになると、テレビの中の登場人物の真似をするようになる。そして、2歳位になれば、お母さんに「あれなあに?」と聞くようにさえなるということが、この調査でわかった。
 これは、誰も赤ちゃんにテレビの見方を教えていないにもかかわらず、お兄ちゃんやお姉ちゃん、お父さんやお母さんがテレビを見ている姿を見ていて、生活の環境にあるテレビという情報の機械の使い方を自然にマスターし、「インフォメーション・シーカー」として自分の好きな番組を選ぶようになるのである。
 この行動発達のパターンは、テレビばかりではなく、インターネットにしろゲームにしろ、あらゆる情報機器に関して同じであって、子どもは特別に教えなくても、不思議なことに自然にマスターする力を持っているのである。我々大人は、使い方を読んで、まずこのボタンを、次にこのボタンを押して、というやり方で学んでゆくが、子どもは情報機器をいじっているうちに、どういうわけか自然に覚えていく。あたかも言葉を覚えるのと同じように自然にマスターしているのである。
 筆者は、言葉を覚えるのと同じような仕組みが、この情報機器と子どもとのやり取りの中にあるのではないかという風に考えている。これは、模倣行動にはミラー・ニューロンシステムという脳の中にある特別な神経細胞系が関係し、それは言語中枢でコントロールされることからもいうことができる。
 テレビの画像と本物とどちらに赤ちゃんは関心を持つか、すなわちテレビに映ったお母さんと本当のお母さんを、どちらを赤ちゃんがどのくらい見るか、その違いを生後11週から29週までの子どもについて調べた。テレビに映ったお母さんと実際のお母さんが並んでいる場合、少なくとも生後11週くらいまでの間は、どちらかというとテレビに映ったお母さんの方をじっと見る。しかし、20週を過ぎる頃からは、実際のお母さんを見る傾向のあることがわかった。
 テレビには走査線があるので、走査線による画像の刺激が強く、またそれによる情報量も多いので、11週くらいまではその方に関心を持つのだろうといえる。しかし生後10週を過ぎれば、お母さんとの間に基本的なアタッチメントが出来るので、お母さんの方をじっと見るようになるのではないかと考えられた。これは、その後の研究がなく、この行動現象をどういう風に解釈したらよいかという点は未解決であるが、生まれて間もない赤ちゃんがテレビに関心を持ち始めることには関係しよう。
 一般論として人間では、脳の視覚情報に関係する部分は後頭葉にあり、それは非常に大きく、生まれた時にはすでにもう相当に発達している。そういうことから考えると、テレビに関心を持ち始めるには視覚情報の果たす意義は大きいと考えるべきである。


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■テレビの果たす役割

 テレビと赤ちゃんというものは、上述のようにその発達と切っても離せないような深い関係にあるといえる。それ故にこそ、この問題は私どもが今後情報化がさらに進む21世紀を考える上で、非常に重要なテーマになってくる。テレビというのは、ある意味で革命的な機械で、視覚情報と聴覚情報(音声や音楽)などを、同時に子どもに与えるわけで、現時点でメディアの代表といえる。したがって、赤ちゃんにはどのような番組を与えるべきかを真剣に考え直さなければならない。
 赤ちゃんが好きなテレビ番組について調べてみると、「パンダ」、「子どもの場面」、「赤ちゃんの場面」、それから「乗り物」、「リズミカルな番組」などがあげられる。そういうものに赤ちゃんは明らかに興味を持つ。嫌いな番組も調べてみたところ、「選挙演説」と「放送大学の講義」ということが明らかになった。赤ちゃんがテレビに関心を持つには、「音楽」や「動き」は明らかに重要なファクターである。
 考えてみると、子どもの場面にしろ、乗り物の場面にしろ、パンダの場面にしろ、子どもの好きなテレビの番組というのは確かに共通しているものがある。ただ、こういう場合、赤ちゃんがじっと見てはいるが、本当に興味を持って見ているのか、それとも単なる視覚情報によって刺激を受けているだけか、本当のところはわからない。本当にじっと、知性や意識と関係して「何だろう?」と考えながら見ているのかどうかを証明することは非常に難しい。我々は「P300」という脳波を取って調べる方法を利用して調べてみた。
 例えば、若い男性に美しい女性の写真を見せると、当然のことながら関心があるので、P300がきれいに出る。これと同じ方法で、赤ちゃんについて何を見せるとP300が出るか調べてみた。その結果、8ヶ月の赤ちゃんの脳波にP300が出てくるのは「ドラえもん」であった。
 これは相当重要な所見で、赤ちゃんも大体8ヶ月位になるとP300が出ることがわかる。このことから、遅くとも8ヶ月位になるとテレビ番組の内容に関心を持ち、意味あるものとして見ているという風に考えられる。したがって、視覚情報を含めて、他の情報を受け取るシステムも利用して、赤ちゃんは脳の中で処理して意識して見ているようになるといえるのである。
 本来赤ちゃんが持っている大脳の機能はバラバラになって脳の中にあると考えられ、それが脳の発達とともに、大脳、特に前頭葉の高度な精神機能とリンクが出来、視覚情報を意味あるものとして解釈するようになるのである。そういう見方が出来るまでには、生後数ヶ月かかると解釈すべきである。少なくとも、ドラえもんがわかるまでには、生後8ヶ月くらいまでかかるという風に考えればよいのではないだろうか。これはある意味で、人間の心の発達というのは、一般的に同じなのである。他人のフリなどを見て、その人の心を読み取ることが出来るようになった時、「心の理論」ができるというが、それは一般的に3〜4歳といわれているのと対比される。
 上述のことを少し違った考え方で見ると、赤ちゃんには、遺伝子によって作られた心の力を発揮させるさまざまな基本的プログラムがあって、そういうものを、乳幼児期の子育ての中で、より高度な精神機能のプログラムと組み合わせるのである。我々大人は、その組み合わされたプログラムを使って、人間としてうまく生きることが出来るようになるのである。
 赤ちゃんの時期の子育てのあり方は、その時期にバラバラな心のプログラムが統合されるという意味で、重要ではないかと思う。テレビもある意味でその役割を果たしているのではなかろうか。もちろん、テレビを見せれば赤ちゃんにどういう悪影響があるかという問題も考えなければならないし、逆に、「インフォメーション・シーカー」である赤ちゃんのためには、良い番組を作ることも考えなければならない。さらに同時に、テレビのみに時間を取られるのでなく、お母さんとのふれあいばかりでなく、自然とのふれあいも大切にすべきである。
 テレビと赤ちゃんの関係を考える上で、心配の一つは目にどのような影響があるだろうかということである。これは、国立小児病院の眼科で上述の調査研究の中で細かく調べた結果、テレビを長い時間見ている子どもと見ない子どもを比べても、長時間にわたって見ているからといって、3〜4歳までの時点では、目に直接悪い影響を与えることはほとんどなく、むしろ、視力が早く発達するというデータが報告されている。もちろん、さらに長期にわたる調査の必要があることは否定できない。
 テレビと赤ちゃんの関係についての研究は、教育に関心のある私たちに、ある意味で重要なヒントを与えてくれる。テレビで与えられる情報が、赤ちゃんや幼児の教育というものに、相当程度意味ある重要な役割を果たすことは明らかで、良い番組を作るなどして、上手に使うことが重要なのである。さらに、小学校教育・中学校教育でも、テレビさらにはビデオによる視聴覚教育のあり方を考える上でも役立つ情報であるとともに、テレビと違って相互にやり取りが出来るインターネットなどを教育に利用する場合の問題分析にとっても有用である。それは、教育学者、発達心理学者、小児科学者と教育工学者がチームを組んで取り組むべきテーマであり、子ども学のテーマの大きな柱であるといえる。


参考図書:「テレビがある時代の赤ちゃん、赤ちゃんも見ている聞いている」
編・放送文化基金、監修・小林 登


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「赤ちゃんとテレビ」甲南女子大学国際子ども学研究センター『子ども学』第3号(2001年3月)に掲載された内容を編集・転載いたしました。



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