教育書卒業生のその後橋本 美保 東京学芸大学助教授 |
|
今日、「学力とは何か」をめぐる議論が再燃している。この問題を「教育実践の成果としての学力」という側面からとらえるとどんなことが言えるだろうか。教育実践の成果とは何か、それをどう評価すればいいのかについて考えさせられる2冊を紹介したい。 佐野眞一著『遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年』は、戦前から戦後にかけて、日本が世界に誇る教育遺産といわれている生活綴り方の金字塔『山びこ学校』の卒業生が、その後どのような人生を歩んだのか、その稀有な軌跡を丹念にたどる点が圧巻である。子どもたちの当時の生活と、その後の高度経済成長の荒波を受け、流転を続けた卒業生一人ひとりの人間ドラマを見事に描いている。 本書が著されたのは1992年、『山びこ学校』の出版から40年以上経っている。著者は、卒業生一人ひとりを探し当て、直接会い、取材している。その物語は、当然、日本人の戦後そのものを描き出している。しかし、本書が優れている点は、一人ひとりのその後の人生が、有名な『山びこ学校』の卒業生であるが「ゆえの」人生であるのか、あるいは、「それにもかかわらず」自分が自分の主人でいられるかという人生の葛藤を見事に浮かび上がらせていることにある。逆説めいているが、卒業生のこれらの自分史の奪還への意欲こそが、『山びこ学校』の実践が本当に優れていたことを証明しているのである。 一方、小笠原和彦著『学校はパラダイス』は、貧しい生活そのものが優れた学習環境であった昔の学校生活の話ではない。本書は、生活単元や経験主義に基づくという点では山びこ学校と系譜を同じくするカリキュラム実践を展開している現代のある小学校の話からなる。オープン・タイム、週間プログラムというようなカタカナ言葉で語られるカリキュラムの枠組みは、モダンであるとはいえ、その基本的な哲学は、「学習を子ども自身に返す」ことにある。卒業生の証言がこの学校の実践の成果を生き生きと見事に表現している。なかでも、「自分自身が考えなければ何も答えは出てこないという生き方を教えられた」という卒業生の言葉は、人の顔色ばかりをうかがって、自分自身を見失っている現代人を生み出している多くの学校の実践に対する根本的な挑戦として響いている。近代教育が目指してきた真の基礎・基本とは、このことを指していたのではなかったか。私たちが行った教育活動の成果が、子どもたちにどのように定着しているのかを考える手がかりがここにある。 |
『遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年』 | ||
佐野眞一 著 | 文藝春秋 | \1,456 (本体価格) |
『学校はパラダイス―愛知県緒川小学校オープン教育の実践』 | ||
小笠原和彦 著 | 現代書館 | \2,000 (本体価格) |