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一般書

中流日本に
思い巡らせるうちに


あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト

 戦後の目覚ましい経済発展とともに、私たちは総中流化した。そこには、「われも中産階級」と認めてはばからない当時の日本の安心感、安定感があった。

 だが、今、私たちがこうして抱え込んでいるどうしようもない焦燥感、危機感はなんだろう。バブルがはじけただけという、単なる経済問題ではない。中産階級そのものの危機、いや内側からの崩壊ともいえる厳しい現実に起因するのではないか…。日頃、あれこれ考え巡らしていたところに、この2冊である。

 佐藤俊樹著『不平等社会日本』の副題は「さよなら総中流」。わかりやすいタイトルで、骨子は以下のごとく。

 戦後の高度成長期の日本は努力すればなんとかなる開かれた社会だったが、近年、その選抜システム(学歴や職業、地位を得る競争システム)が飽和し、むしろ閉じた社会、つまり多くの人にとって努力する気になれない社会になってしまった。上層エリートたちは「高貴な義務」さえ持たず、実績の名の下に責任は虚無化し、社会を空洞にしている、と。

 これを統計データを駆使し明らかにしながら、最終章では、将来に向かって機会の均等を進め、それを重要視できる社会をつくるための若い学者なりの提案を行っている。

 川上源太郎著『ミドル・クラス』は、知的向上心を支えに社会の階梯を昇る中産階級の肖像を描く研究書。常にクラス論議が華やかに繰り広げられる英国社会の階級意識を精密に考察し、皇室から学生まで日英比較も試み、日本にさまざまな思いを巡らす。

 日本の階級社会調査に心細い思いを抱く著者は、データをカギとする研究とはまったく趣を異にする。ここでは旅、書物、知の経験、過去の失敗談などが縦横に語られ、著者独特の考察、視点、哲学が浮き彫りにされる。この意味で本書は、英国で意味するところの「エッセイ」である。

 平たんな平等主義を嫌い、「意見と主張は偏見から始まる」「偏見を偏見として自分の名においてあからさまにするのが、フェアなやり方」とする。その物言いの魅力に、好みのいかんにかかわらず、読者は読書の味を占めるに違いない。

 中産階級が生の不安に取りつかれやすいこと、現代社会の健康度はその生命力いかんに因ることを指摘する著者は、あとがきで「この本が、一つの『読書階級宣言』でもある」と述べている。「豊かな生命的接触にもっとも確実に導いてくれるのは読書であろう」「書物を捨てた中産階級は、とかく所得格差にうろたえて神経質になる。もっと堂々と生きたい」と言う。本書は英国を語りながら、“モノとカネ”の日本への痛烈な批判と警告の書なのである。



不平等社会日本 ミドル・クラス

『不平等社会日本―さよなら総中流』
佐藤俊樹 著 中公新書 \660
(本体価格)

『ミドル・クラス―英国にみる知的階級宣言』
川上源太郎 著 中央公論新社 \1,400
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第259号 2000年(平成12年)12月1日 掲載


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