ヤングアダルト江國香織の美術館増田 喜昭 子どもの本屋 「メリーゴーランド」店主 |
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一枚の絵を読む…というのも読書である。絵本や画集をしみじみ眺め、その読後感を話したり聞いたりするのは、結構楽しい。 『日のあたる白い壁』は、画家24人の作品を一つずつ丁寧にしみじみ眺めた作家・江國香織が、どんなにその絵に憧れているかを文章にした一冊である。 おそらく今までにこんなタイプの美術評論はなかったであろう。というより、これを美術評論と言ってはいけないのだろう。 ゴッホの「夜のカフェテラス」に描かれたその星空の青と黄色いカフェの明るさや、マティスの描くバイオリンのケースの裏地の青を、それこそ江國香織はうっとりと眺めている。 彼女は美術館の白い壁が好きなのだ。白い壁に囲まれた部屋の中で、不思議の国のアリスのように自分の入るべき穴を見つける。そこに掛けられた一枚の絵の中の物や人の後ろにある空間にその穴を見つけ、吸い込まれていくのだ。 驚いたのはホッパーの「海辺の部屋」、開いているドアの向こうに海が広がっている絵だが、江國香織は、「体の奥がざわめくなつかしさ」と書いているのだ。まったくその通り、ぼくが初めてこの絵を見たときに感じたドキドキしたちょっと恐ろしい孤独感は、なるほどそんなふうに自分の内側からやってきたのかと納得してしまう。いや、納得してはいけないのかもしれない。 一枚の絵との出合いは、とても個人的なことだ。自分の感じたことや想像したことがすべてだから、もっと力を抜いて、ただぼんやりその絵を、その日のそのときの気分で眺める。その楽しみはぼく自身のものだから…。 それにしても、ゴーギャンもユトリロもマネもムンクも、そうかこの一枚があったのかと、知らなかったけれど妙に懐かしい《この一作》に出合えた喜びは大きい。 「うんうん、なるほどそうだったのか、そうそう、この色がいいんだよねー」と、読み進むうちに、知らず知らず江國的絵画の世界に引き込まれてしまっている。 これはまぎれもなく、江國香織の選んだ絵のある美術館である。それも色と光を織り込んだ白い壁の美術館である。 そして、出口の近くにある、オキーフのまっ赤な桃の絵を眺めながら、そうかここの館長は果物が好きなんだ、と気づいたころに、お客はようやくアリスの穴からはい出した気分になれるのかもしれない。 こんなふうに一枚の絵を楽しんだ文章に、今まで出合ったことがない。まったく新しい世界である。これからも、こんな江國香織的世界をどんどん書いてほしいと思うのは、ぼくが本屋だからだろうか。 |
『日のあたる白い壁』 | ||
江國香織 著 | 白泉社 | \1,500 (本体価格) |