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教育書

子どもの悪に
生成の可能性を見る


田中 智志 東京学芸大学助教授

 本書『子どもと悪の人間学』は、はやりの学力低下論争とは無縁の本である。著者の亀山佳明氏は龍谷大学の教授で、教育社会学・文化社会学の研究者である。

 現代社会を生きる子どもたちはさまざまな社会的矛盾に直面しているが、彼(彼女)らはそうした社会的矛盾に満ちた状況に適応するために、一般に「悪」と呼ばれる問題行動(性愛行動、うそ行動、秘密、暴力行為、自殺)をとらざるを得ない――これが本書の基本的なテーゼである。

 しかし本書は、精密な理論による問題行動の解析という体裁をとりながらも、そこにとどまろうとしていない。本書は、子どもたちの問題行動のなかにベルクソンのいう「生命の躍動」、すなわち既存の社会秩序を超える契機を見いだしている。著者は、既存の社会秩序を再生産する営みを社会化と呼び、この社会化を超える脱近代の営みを超社会化と呼んでいる。近代的な社会化を語る社会学的な視線と、脱近代の超社会化を語る人間学的な視線――この複眼的な視線が、議論にただならぬ深みを与えている。

 例えば著者は、勉強にいそしむでもなく、スポーツに励むでもなく、やる気のないまま、ただセックスにおぼれているように見える若者の心に、自律性を拒否する意志、傲慢な自尊心を生み出し他者を承認しようとしない現代社会に対するラディカルな拒否の意志を見いだしている。

 著者はまた、うそばかりついている子どもに、虚栄心に還元できないような状況、うそをつかざるを得ない必然性を見いだしている。「うそなくしては自らの存在と世界を形成・維持できない」ような子どもたちは、絶えずうそをつくことによって、耐えがたい現実世界を超える虚構世界を構築し、自己保存を図っている。うそが生命維持装置であるようなこうした子どもたちのなかに見いだせるのは、世界を拒否せず他者と共に生きたいという、切実で存在論的(全体論的)な衝迫である。

 端的にいえば、著者が子どもたちの問題行動のなかに見いだしている超社会化は、自律的個人という近代的な生き方を超える人間存在の生成性であり、それは自律性・有用性を絶対視している大人たちが忘れてしまいがちな他者・世界との「溶解」体験につながるものである。

 本書で取り上げられている悪は「底のある悪」ではないか、動機なき殺人のような「底のない悪」にも生成の可能性を見いだせるか、といった疑問もあるかもしれないが、私は、本書が論じている生成は、学力低下論争をする前に私たちがよく考えなければならない緊要な事柄であると思う。



子どもと悪の人間学――子どもの再発見のために

『子どもと悪の人間学――子どもの再発見のために』
亀山 佳明 著 以文社 \3,400
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第276号 2002年(平成14年)9月1日 掲載


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