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教育書

感情の復権に向けて


橋本 美保
東京学芸大学助教授

 教育哲学者の教育論はわかりにくいと思い込んでいたが、最近実践者との架け橋を志向する書に出合った。田中智志著『他者の喪失から感受へ――近代の教育装置を超えて』は、現代教育の脱構築への試みとして特徴づけることができる。著者の意図は、現代教育におけるあらゆる権威、秩序化への異議申し立てにあると考えられる。現代の教育システムが、個人の努力や心性を個々人の感性から離れたところで極めて機械的に、官僚的に支配していることを著者は憂えている。学力低下を喧伝するマスコミをはじめ、教育に関する理論の枠組みは、教育デマゴーグによって支配されてしまっているという告発の書でもある。

 教育哲学を生業とする教育学者は多くいる。彼らは、西洋の哲学者の解説者であったり、文献の解釈者である場合が多い。教育哲学におけるこの支配的な傾向に対して、本書の試みは異色である。教育哲学者の多くは、西洋人の言葉をそのまま日本語に翻訳することはできても、日本人の生活世界での文脈に置き換えてそれらの言葉がどのような意味を持つのかを説明していない。しかし本書は、著者独特の解釈を交えながら、西洋人の言葉を日本人の生活用語に翻訳するために、彼岸と此岸を行き来することをためらわず試みている。「自立した個人」の説明に、「うまいトンカツをあげるおやじのすごさを感じる」感性を持ち出したり、漫画『天才柳沢教授の生活』などを使う手法には、思わず笑いを誘われた。

 「どうすれば子どもや学校はよくなるのか」、という従来型の「教育方法」は、もはや問題解決に役立たないと切り込む著者が提示したキーワード、「生の悲劇性」「他者の個体性」「関係の冗長性」「悲劇の感覚」「驚異の感覚」は、単なる翻訳ではない教育哲学を目指す著者の意気込みの表現でもある。「存在を感受する」という著者の教育の理念は、悲劇を悲劇として感じること、そして驚異の感覚を持ち得ること、という二つの教育目標によって方向づけられる。著者は、日常における根元的な感覚そのものが喪失している現在、現代教育は学力論争以前に、人間的な感覚を育むことを教育の目的として設定せざるを得ないと指摘する。子どもそれぞれの「すごい!」という「驚異の感覚」に根ざした学びが生み出されるために、教師には、子どもと学問・情報・技能とを結びつけるコーディネーターという重要な役割を担うことが期待されている。



他者の喪失から感受へ−近代の教育装置を超えて−教育思想双書1

『他者の喪失から感受へ−近代の教育装置を超えて−教育思想双書1』
田中智志 著 勁草書房 \2,400
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第279号 2003年(平成15)年3月1日 掲載


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