社会科学・一般書現代人の心に潜む狂気を見つめる書あわやのぶこ
異文化ジャーナリスト |
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だれでも、とはいわないが、狂気という「物語」に興味をそそられる人は相当多いのではないか。 ときどき、生きている自分たちを一歩引いて眺め、考えると、誰もが狂う権利さえあるように思える。 豊かで、便利で、そしてストレスの多い時代。うら悲しさとつかみどころのない不安と、妙なケバケバしさ。こんな時代に実感を込めて「幸せ」と感じられる人は、本当に稀なのではいか。 春日武彦氏は、自分が精神科医になった理由を思う。 「・・・おそらくは狂気の持つ奇形的なトーン、隠喩に満ちた言動、凡庸な社会への面当てのようなラジカルさ、そして不気味さ。そういったものを総合した『物語としての精神異常』、つまり異端文学にも似た性格づけをされた狂気に魅了されたからなので」あり、彼にとって狂気とは、「世の中に蔓延する精神的な怠惰とか傲慢さ、狭量、ステロタイプな価値観といったのもへのアンチテーゼのような色彩を帯びていた。それならば私は狂気と親和性が高い筈である。そう思った。にもかかわらず、私はこうして月並みな生活を続けている。」 それならば、と彼は考える。 「私には狂気となる権利があるのではないか」 そして、次に重要な問いが発せられる。「私はなぜ狂わずにいるのか」 |
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問いをそのまま題名にした本書は、精神科医の独白である。狂気をテーマにした独白。それは、自分の仕事と自分、自分と患者、患者とその家族を、親密性と客観性との両方から理解しようとするプロセスでの独白である。 現代病とさえとらえられる精神分裂病を中心に、具体的には、患者とその狂気を巡り、家族や医者、そして直接に患者とは接触のない者たちが持ちやすい誤解や偏見を、一つずつ解こうと試みる。その語りは淡々としていて、なんだか、羊羹を切り一口ずつ口に運びながら、ゆっくりお茶を飲んでいるような気分にさせられる。そして気がつくと、狂気の物語に魅了されるのでもなく、恐れるのでもなく、自らの心の中に分け入ってしまっている。 「我々の心はにぎやかである。その内部には、癌も狂気も不条理も潜んでいる。まるでボッシュの絵のようなにぎやかさなのである。」 |
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さて、町沢静夫著『絶望がやがて癒されるまで』は、現代人の心の問題を一般的にわかりやすく解説した本 だが、『私はなぜ狂わずにいるのか』を読んだあとでは、同著の一般的な内容よりもみしろ、第3章の高村光太郎と知恵子の分析や、巻末の著者と吉本ばななの対談など、一歩踏み込んだもののほうがより興味深かった。 |
「私はなぜ狂わずにいるのか」 | ||
春日武彦 著 | 大和書房 | \1,700 |
「絶望がやがて癒されるまで」 | ||
町沢静夫 著 | PHP研究所 | \1,350 |