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ヤングアダルト

心のなかの王様


酒寄進一  和光大学助教授

ちいさなちいさな王様  「大きくなると小さくなる」「眠っているときに起きている」「存在しないものが存在する」

 妙に逆説めいた言葉を羅列したが、これは全体が5つの話からなっているアクセル・ハッケの「ちいさなちいさな王様」という物語の章のタイトルだ。実際、1つひとつの話がシニカルで逆説めいている。

 えっ、何に対しての逆説かって?それはもう、ぼくらが何の疑いも持たず受け入れている<常識>に対して。

 語り手の「僕」はどこにでもいそうなサラリーマン。しょっちゅう悲しみにとらわれていて、気を滅入らせている。物には事欠かないが、何か満たされない思いを内に抱え込みながら暮らす現代人の象徴だといえる。

 そんな「僕」のところにある日、ふらりと”12月王2世”を名乗る小さな王様が現れる。

 王様の世界では、どうやら人生の終りに子ども時代がくるらしく、人生経験が豊富な晩年にいろいろなことから解放されて「頭の中には、真っ白な自由な空間」ができるという。そしてその空間を遊びや空想で埋めるというのだ。

 子どものころは想像力が豊かだが、それを実現するための経済的裏づけがなく、経済的にゆとりができる大人になってしまうと、自由に空想を膨らませる時間も空間も乏しくなってしまう。それがぼくらの世の常だろう。そんな立場からしてみれば、王様の世界はかなりうらやましい。作中の「僕」も、王様との出会いがきっかけで、忘れかけていた想像の楽しさを思い出していく。

 王様はもちろんぼくらの現実に存在しているわけではなく、いわば心の声といった類のものだ。「僕」はそんな王様との出会いを果たすが、そんな2人の出会いを見ていれば、ぼくら読者だって、ただの傍観者ではいたくなくなるだろう。そこで今回はもう1つ、ちょっとおもしろい「自由な空間」にみなさまをご案内したい。

 場所はシリアの僻村マルーラ。アラブ人に迫害されてきた少数民族アラム人が、自由の最後の砦にした小さな村だ。その村の出身者を祖父に持つシリア人作家のラフィク・シャミが、その土地の精神をたっぷり詰め込んだ昔話を再話してまとめたのが「マルーラ村の物語」。

 この短編集には、1遍だけシャミの創作が入っている。王女だったタクラが、「わたしは自分の道を行きたい」といって、父王の意に背きマルーラに身を寄せる話だ。村は王の軍隊に蹂躪されるが、それでも自由のためにタクラを守る。そんな気概を、ぼくらも日頃持っていたいものだ。

マルーラの村の物語

「ちいさなちいさな王様」
アクセル・ハッケ 作
ミヒャエル・ゾーヴァ 絵
那須田 順/木本 栄 共訳
購読社 \1,300

「ゴミにまみれて」
ラフィク・シャミ 著
泉 千穂子 訳
西村書店 \1,600

掲載書籍の価格は、平成9年3月31日現在のものです。
4月からの消費税アップにともない価格が変わる場合があります。

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版]  第217号 1997年(平成9年)5月1日 掲載

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