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教育・一般書

日本の教育の鏡として、
すぐれた外国教育の分析を読む


永井聖二 群馬県立女子大学教授

 日本の教育については、「大学は見劣りするが、初・中等教育、つまり小・中・高は優秀だ」と言われてきた。ところが、昨今では高校以下の学校についても、批判的な言説が多い。教育問題の多発につれて、学校への信頼が低下したということもあろうし、経済成長の鈍化につれて、それを支えてきたとされる日本の教育への信仰が揺らいだ、という事情もあろう。

 かくして教育改革論議は百家争鳴の状況だが、論議の中身は、まったく理念的空想的なものや戦前の制度への郷愁としか思えないものを別とすれば、外国の教育制度、特に欧米のそれを断片的にモデルにしていると思われるものが多い。

 外国の教育事情については、興味深い体験談も少なくないが、どこまで一般化してよいかは疑問が残る。制度の説明を主としたもの(『世界の学校』二宮皓編著、福村出版など)もあり、各国の学年度の開始時期一つをとっても、さまざまなバリエーションがあることを知らせてくれる。ただ、制度を支え、制度と結びついた社会的条件についての洞察に欠けるきらいがあることは、残念である。

 竹内洋氏の『パブリック・スクール 英国式受験とエリート』は、イギリスでは学歴の規定力が日本以上といえるのに、なぜ受験競争は激しくなく、問題視されることが少ないのか、という疑問に答えてくれる。受験競争のあり方を背後から規定する日英両国の社会の分析はシャープで、外国を鏡として「日本の教育の『みえない部分』を」解明しようとする著者の意図は、見事に成功している。もちろん、パブリック・スクールや英国の受験のようすも興味深い。

 恒吉僚子氏の『人間形成の日米比較 かくれたカリキュラム』は、この欄の夏休み特集(1995年8月号)で簡単に紹介したことがあるが、日米の子ども観、親子関係の比較、学校と教師・生徒関係の特質の検討を通して、日米の異なった集団への同調行動のタイプを明らかにする。学校のありようの比較とともに、比較文化的な検討に用いられるモノサシの偏りについての指摘も、貴重なものといえる。

 日本の学校の長所のうち、何をこれからも守っていくべきなのか、また守っていくことができるのか。その行方を考えるよき素材として、外国の教育についてのすぐれた分析が手がかりとなろう。


パブリック・スクール 英国式受験とエリート 人間形成の日米比較 かくれたカリキュラム

「パブリック・スクール 英国式受験とエリート」
竹内 洋 著 講談社現代新書 \631
(本体価格)

「人間形成の日米比較 かくれたカリキュラム」
恒吉僚子 著 中公新書 \660
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第219号 1997年(平成9年)7月1日 掲載


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