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一般書

小説家の家族の不条理


あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト

 さしたる理由もなく、本を買ってしまうことがある。題名がなんとなく気になっていたというだけで、『鎌倉のおばさん』を買った。帰りの電車で読み始めたら、“おばさん”にこれほど遠いストーリーもなく、中身どころか本の帯さえ読まずに本を買ってしまった自分を深く恥じた。

 鎌倉のおばさんとは、著者の戸籍上の父、村松梢風(小説家)が最後に連れ添った絹枝という女性のこと。虚言の癖を持ち、彼女が実年齢より9歳ほど年上に偽っていたことも、亡くなって初めて明らかになる。梢風に家族があることも知らずに20歳で同棲生活を始めた絹枝は、現実が否応なしにその姿を現した時から、自らをフィクションのうえに成立させようとしたのかもしれなかった。一方、正妻の村松そうは、梢風のみならずほかの村松家の人々からも遠く離れた田舎で著者を育てるのだが、ある夏を境に、当時、小学4年生だった著者が「鎌倉のおばさん」宅にも出入りすることになる。

 より複雑なのは、実際には梢風が著者の祖父であり、そうが祖母にあたること。実父(梢風の息子)は若くして亡くなり、同じく死んだと聞かされていた実母は他家に嫁いでおり、二人の子どもがいた。著者・友視は諸事情から、祖父母の養子として籍に入れられたのだった。が、梢風は放蕩三昧の文人。わが子にだけでなく、絶えて人の世話をしたこともなく、「生涯、人の世話になり、それに対して報恩も奉仕もせず、師もなく弟子もなく真の友もない」孤独な男。それを、「なんともいえぬ薄情さがいい」と言い放つ絹枝。そして、正妻でありながら、日陰の身のように暮らすそう。およそ普通とはかけ離れた家族を、絹枝を基軸にしながら描く。本書は、絹枝の死をめぐるイマジナリーな小説仕立てになっているものの、実は著者の心に映し出された強烈なノンフィクションである。

 『小石川の家』は、著者9歳の時に、母・幸田文が彼女を連れ小石川の祖父・幸田露伴の家に出戻ってからの幸田家の物語である。「口数の多きは卑し」という祖父と上手な話し手の文との間で、著者はさまざまな家族の情景に出合う。

 二つの本はどちらも、「特殊」で「不条理な」小説家の家庭、しかも少し前の日本の家族を写し出している。アダルト・チルドレン云々など、ごく現代的家族問題の渦のなかで暮らしていると、かつて子どもだった著者たちが彼らの家族の不条理をどう把握していったのかが知りたくなる。取り巻く人々に自らを照らし合わせる力が人一倍強いはずの物書き二世たちの描いた鮮烈な記録ならなおさら・・・。


鎌倉のおばさん 小石川の家

「鎌倉のおばさん」
村松友視 著 新潮社 \1,700
(本体価格)

「小石川の家」
青木 玉 著 講談社 \1,456
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第226号 1998年(平成10年)2月1日 掲載


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