自然科学・一般書科学の入り口をたたく小さなきっかけ 塩野米松 作家 |
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科学や自然に興味を持つきっかけというのはささいなものである。ぼくの場合でいえば、鉱物に関心を持ったのは、先生が教室に持ってきて見せてくれた水晶の結晶だった。あの結晶が欲しいばかりに、ぼくは近所の川原や山をほっつき歩いた。探す場所が悪かったから、水晶の結晶を手に入れることができたのは、35歳を過ぎてからだった。 あの時、身近に鉱物のことを教えてくれるか、そうした趣味の人がいれば、ぼくはそっちの分野へ進んだかもしれない。 昆虫採集や貝殻集め、化石探し、土器のかけらの採集…さまざまなことをした。どれも科学の入り口をたたくきっかけになり得たのだが、結局は遊びの門をくぐり、のぞいてみただけで終わった。 大学は、科学者になろうという思いがあって、理学部に進んだ。しかし、そこから先は道が険し過ぎ、ぼくには頂上も見えなかったし、登り口さえわからず、あたりをうろうろしただけであった。今もそのあたりを徘徊している。 悔しいから言うのではないが、お陰で科学や自然を身近なできごととして楽しめるし、科学書を興味本位でおもしろがって読めると思っている。科学や自然に対する態度は、今も子どもの頃とそう変わりはないのだ。 自分が自然や科学に触れた頃のことや大人になって自然に親しもうとしながら、なかなか社会の束縛から解放されずにいる人たちのことを『たぬきの掌』という本にまとめた。24の掌編からなる小さな物語である。どんな物事にも、小さなきっかけがある。それをどう育てるか、それが問題なのである。 『動物たちの子育て』の著者は、自分の家で飼っていた雌羊が出産した後に、仔羊の面倒をみないという事態に立ち会うはめになった。出産したのは、まだ成熟しているとは言いがたい一年子だった。著者は生まれたばかりの子どもを親の鼻先に突きつけ母性本能をかきたてようとするのだが、幼い母羊は関心を示さなかった。 このことから、著者は「子育て」とはなんなのだろうか、といういささか科学らしくない問題に取り組む。ほかの巣に卵を預けるカッコウや5000匹もの子どものなかから自分の子どもを見つける母コウモリ、母乳をやらなくなった人間の母親の問題にまで、さまざまな問題を掘り下げていく。この追究の仕方が科学なのである。科学や自然が難しく見えるのは、入り口が見えないからである。なんのことはない、科学の入り口は日常の疑問である。 「子育て博物館」と銘うたれたこの本には、驚きと発見がある。 |
「たぬきの掌」 | ||
塩野米松 著 | 小学館 | \1,500 (本体価格) |
「動物たちの子育て」 | ||
スーザン・オールポート 著 久保儀明 訳 |
青土社 | \2,400 (本体価格) |