一般書だから翻訳書はおもしろい!あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト |
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たまたまこの原稿をニューヨークで書いているので、アメリカでの日本の本の翻訳書について考えてしまう。 例えば、吉本ばななの『キッチン』を英訳で読んでみよう。洋書を扱ってくれる本屋さんに頼めば、日本でも簡単に手に入る本である。「英語はちょっと苦手でね」という人も、中学英語を覚えているなら、きっと楽しく読めるはず。いや、よく知らない言語で読むことで、かえってくっきりと小説のイメージが浮かんだりすることもある。外国語であると、初めから言葉に意識的になるからだ。 冒頭の「私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う」というなんでもない文章の新鮮さと大切さを、英語で再び痛感することだろう。 翻訳書のおもしろさは、他の言語での読書の味を楽しむことだけではない。他言語、他の国で出版される時に、その国で受け取られるその作品のイメージにも思いを馳せることができる。 例えば、『キッチン』の表紙は何種類かあるが、まるで浮世絵のような日本髪の女性のうなじを見せた表紙は、およそ私たちには咀嚼しかねるものだろう。若い著者の描く現代日本での孤独と優しさ。それと浮世絵がどうかかわるのか、と。 日本の作品だからというだけで日本髪の表紙にしてしまうのは、英語国の日本に対する根強いステレオ・タイプを如実に表しているのではないか。幸い、この種の表紙ではない『キッチン』もごく一般的に出回っているし、フランス語版は少なくとも浮世絵ではない。だが、日本語のオリジナル本のような、模様だけのグラフィックなブックカバーは海外版では見当たらない。 表紙を含めて、本をどのように世の中にアピールしていくか、その作品をどうとらえるかが、すでに一つの文化のなかの概念である。 つまり、訳本の表紙だけを考察しても、それは興味深い異文化考察になる。だから訳本はおもしろい! ついこの間、村上春樹の翻訳者のアルフレッド・バーンバウムにニューヨークで会った。彼は日本で育ったアメリカ人である。彼のような人材のおかげで、今や日本文学の翻訳書の幅が広がりつつある。 もちろんステレオ・タイプも強力で、ちなみに、現在アメリカでは『メモアール・オブ・ゲイシャ』という本がベストセラーに躍り出ている。十分なリサーチのうえで書かれたフィクションではあるが、一般のアメリカ人の日本趣味も反映してか反響は大きく、すでにスピルバーグが映画化を決定しているという。 |
『キッチン』 | ||
吉本ばなな 著 | 福武文庫 | \369 (本体価格) |