●HOME●
●図書館へ戻る●
●一覧へ戻る●

一般書

慈しんで読む。
本の原形が感じられる本


あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト

 佐伯義郎の絵には虹のような透明感がある。一度見たらその余韻が瞼に強く残る。

 1979年にその生涯を閉じた彼の絵のことは、どうしてか、これまであまり語られずにきた。今、それらを再発見するかのように画集『風の肖像』が編まれ、彼の絵で縁取られた宮澤賢治の初期動物童話集『二十六夜』や『貝の火』が、上等な、しかも手頃な販価で完全復刻版としてよみがえった。

 何も持たずに生まれてきたのですから
 何も持たずに死んでゆくのです
 そのあいだのことは
 語りつくせないほどいろいろありますが
 花や小鳥をうたった詩人が
 貧乏で死んでいったことも
 忘れられない一つです
 裸で何も持たず
 孤独では生きられないとしったときに
 人は他の動物たちより
 すぐれているとは思えません
 (『風の肖像』に収録された詩「何も持たずに」の一節)

 数限りない絵作品の間に、こうした彼の言葉もたたずんでいる。

 どれを見ても「きれい」だ。きれいだという意味は、心の美しさを表すことだと彼の絵を眺めながら思い当たった。

 誤解を恐れずに言うならば、現代っ子にとってテレビが楽しみの道具であるのと同様、かつての子どもたちにとって、本は現代におけるテレビ、つまり「楽しみ玉手箱」だったのではないか。その本という媒体への愛情があふれんばかりの佐伯の作品群である。

 彼は、『広辞苑』や教科書の挿し絵も描いた。そのほか、詩集、豆本、版画、水彩、素描、立体など多彩な仕事を残しており、アトリエに残されただけでも600余点あるという。

 今、活字離れが心配されている日本の私たち。もし彼の作った本を開けば、その本の楽しさ、美しさをまざまざと見て取り、感じられるはずだ。

 慈しんで読む。ただの活字ではなく、ページを開いた時に感じる、お話や文章から広がる世界。立ちのぼるイマジネーションの世界。そこにはメディアとしての本の大事な原形がある。

 「わたくしたちは、氷砂糖をほしいくらゐ持たないでも、きれいにすきとほつた風を食べ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。」

 これは童話集に宮澤賢治自身が記した前書きの文であるが、挿し絵を描いた佐伯とはまるで一対をなすプリズムのようだ。

 画集も童話集も、ほぼ個人の力で発行されたので、興味のある方は書店を通すか、直接に注文されたし。

☆佐伯義郎美術館設立委員会
TEL&FAX 0749-42-6087


風の肖像 貝の火

『風の肖像――佐伯義郎画集』
  シグロ \4,661
(本体価格)

『貝の火――宮澤賢治復刻版初期動物童話集(1)』
宮澤賢治 著
佐伯義郎 装画
シグロ \874
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第238号 1999年(平成11年)2月1日 掲載


Copyright (c) 1996- ,Child Research Net,All rights reserved.