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一般書

読者を「越境」と「思考」に
巻き込む書


あわやのぶこ 異文化ジャーナリスト

 リービ英雄の文章をどう説明したらいいのだろうか。

 ある担当編集者によれば、彼は自らを「ミスター越境」と呼んでいるとか。このキャッチフレーズを拝借するのも一策かもしれぬが、彼の「物書き」ぶりは相当な重構造になっていて、ひと言で表現するのはもったいない。

 最新刊『国民のうた』を読んでつくづく感じるのは、外国を舞台にした小説の嘘っぽさが微塵もないこと。日本の作家が日本以外の場所を描く時に必ず漂わせる、あるいは意識的に醸し出すエキゾチシズムとは無縁だ。自己の真ん中の深いところに異文化体験を持つ作家の真摯なストーリーである。日本にも、アメリカにも、中国にもその身を置き、歩き考え、そして書き続ける。そのようすがおもしろく、作品と一緒に読者も、つい「越境」してしまうのだ。

 文章を読む時、最初の数行で電光石火のごとく心奪われてしまうことがある。だが、リービの本は、最初も読後も脳にジーンときて、早すぎないテンポでその感覚が心にも浸透、定着してしまう。人は行動しながら、考えながら書くはずである。物書きとして本来あるべきその経緯を、彼の物書きぶりはまざまざと見せてくれる。ローカロリーな文章が多い現代ではなおさら、彼のそれは良質なるたん白質なのだ。

 随筆『アイデンティティーズ』では、例えば東北への旅を書く。

 「…感じたことの一つは、地方都市を離れれば離れるほど、こちらの人種が問題にされなくなる、ということだった。より『客観的』に言い換えれば、もしかすると東京以上に強い地方都市の『民族』神話―異人種に関する近代の極端なこだわりが、かえって漁村の、明治生まれや大正生まれの老漁師たちといっしょになると、感じられなくなる、ということだった。よそ者に対する劣等感と優越感と排他主義から成るあの『コンプレックス』は、日本人の土着的な気質ではない、むしろ近代の都市社会から生まれたものである」

 こんな洞察に、読者は妙に近視眼的になってしまった現代日本を振り返る。

 リービは、10代のころから意識的に習得した日本語で書く。それは語学力や語彙力うんぬんの問題などではなく、言葉というものが思考する意志のある自己から生まれる、という本質的な言語の誕生物語を想起させる。そのすごさが彼の「日本語力」のからくりだ。

 異文化をクロスする時の意識の動き、心情を、筆は執拗に記録する。この「日本作家」の文才に大きく魅了されながらも、読む側は、およそ自らも同じ「思考する者」として大きく勇気づけられるのだ。


国民のうた アイデンティティーズ

『国民のうた』
リービ英雄 著 講談社 \1,600
(本体価格)

『アイデンティティーズ』
リービ英雄 著 講談社 \1,700
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第240号 1999年(平成11年)4月1日 掲載


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