教育書「総合的な学習の時間」を考える 永井 聖二 群馬県立女子大学教授 |
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「総合的な学習の時間」の具体化が求められている。内容的にも方法的にも新しい活動だけに、具体化の過程でさまざまな疑問が生じるのは当然であろう。 私は、今回の「ともかくも風穴をあける」式の導入の帰結には危惧を禁じえないのだが、読者の関心が高いこの問題を避けて通ることはできない。そういう意味で、今回は総合的学習を考える2冊を紹介したい。 山極隆・田中博之両氏の対談『中学校新教育課程「総合的な学習」をどう創るか』は、「総合的な学習の時間」を生かすためには学校教育全体の改革が必要だとする視点から、カリキュラムの位置づけ、校内の体制づくり、評価のあり方など、関心が深い問題を論じている。 「教科学習と技能面での連携を図る」「教科・選択・総合の関連をつける」「教科学習を組み入れた大単元を構想する」「教科間のクロスカリキュラムを設定する」「三ヵ年系統カリキュラムをつくる」などの具体的な提案は、寄せ集め、お遊びに流れる危険性のある総合的な学習の時間の構想に、おおいに資するものがあるといえよう。 もっとも、私の立場からすれば、田中氏がしばしば紹介するイギリスで、総合的学習がむしろ下火だといわれるのはなぜなのか、実施のための学校や教師の条件はどう異なるのかについても、より多くの紙幅を割いてほしかった。学校や教師の創意工夫が求められるのはよいとしても、それを支える条件にも目を向けてほしいと思うからである。 一方、イギリスのクロスカリキュラムやアメリカのミドルスクールの実践ではなく、日本で実施されてきた「総合的学習」に学べと説くことから始まるのは、奈須正裕氏の『総合学習を指導できる“教師の力量”』である。 総合的学習と教科学習については、加藤幸次氏のように両者をかなり対立的にとらえる見方もあるが、本書は、両者を相互補完的にとらえる立場から、総合的学習に必要な教師の役割、教師の力量について論じている。各国の事情や背後にある思想、実践の質を検討すべきだとする主張はもっともで、特に第V章の「教師の意図性・指導性と子どもの求め」は、教師のあり方を考えるうえで参考になろう。 概念的な整理も行われないままに具体化が模索される「総合的な学習の時間」だが、これからの検討の質を高める手がかりとして、この2冊の(ときに批判的な)一読を勧めたい。 |
『中学校新教育課程 「総合的な学習」をどう創るか』 | ||
山極 隆・ 田中博之 対談 |
明治図書 | \1,260 (本体価格) |
『総合学習を指導できる“教師の力量”』 | ||
奈須正裕 著 | 明治図書 | \1,260 (本体価格) |