●HOME●
●図書館へ戻る●
●一覧へ戻る●

一般書

よみがえれ ちびくろさんぼ


あわやのぶこ
 異文化ジャーナリスト

 最近、放送や活字メディアでは差別用語の規制がかなりゆきわたっている。弱者の立場から言葉の表現を考えようという原点は理解できる。だが、実際の例としては疑問に感じるものも多いのではないだろうか。床屋は理髪店、八百屋は青果商と言うべきだという時、その基準はなんだろう?

 特に大衆メディアとされるテレビでは徹底している。例えば、歌舞伎ファンの友人がNHKテレビの大河ドラマ「元禄繚乱」に当惑しているのは、毎回「かたおち」という言葉が連発されるからだ。ご存知「忠臣蔵」のドラマは、吉良上野介に切りかかった浅野内匠頭が切腹の刑となる。浅野側は、「本来なら喧嘩両成敗のところを、これでは片手落ちではないか」と主張するのだが、差別用語回避のために「かたおち」「かたおち」と繰り返す。ドラマのカギになる言葉だけに、もともとの言葉遣いで把握している視聴者には、不自然で奇妙な引っかかりを覚える。この種の例は多々あるが、メディアの即効性と大衆性のためか、制作現場では論議をする余裕はないようだ。

 さて、日本での差別用語問題は、1970年代にさかのぼる。そして1988年には、世界の子どもたちに親しまれていたヘレン・バナーマン作『ちびくろさんぼのおはなし』が、この流れのなかで人種差別の書だという判断がなされ、岩波書店をはじめ各バージョンを発刊していた日本の出版社は、ある時を境に次々と絶版にした。

 『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』では、日本での『ちびくろさんぼのおはなし』の絶版決定を、膨大な資料から調査し、さまざまな角度から再考察している。著者はこの問題を「絶版によって終わったのではなく、むしろ始まった」とし、「差別表現ーそれといかに向き合うか」というテーマで「ちびくろさんぼ」を現代に検証している。

 もともとは差別用語に大変な神経を使っていた著者が、今、それをやめてしまったのは、差別用語の規制が理解の範囲を超え迅速膨大に広まり「そのことが差別問題の解決に、むしろ逆行し始めていると感じるようになったから」。差別問題は近寄らないに限ると、警戒心で自主規制してしまう。この「礼儀正しい差別」の実践こそが差別を助長させている、と著者は指摘する。

 また、一般化に対して具体化を対置するのが差別克服の原則だが、「ちびくろさんぼ」の例は一般化にもう一方の一般化(ステレオタイプはすべてだめという)を対置している、との竹田青嗣氏の指摘が印象深い。

 あなたはどう考えるだろう。復刻版『ちびくろさんぼのおはなし』を手に論議してみてはいかがだろう。


ちびくろさんぼのおはなし ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ

『ちびくろさんぼのおはなし』
ヘレン・バナーマン 作・絵
なだもとまさひさ 訳
径書房 \1,000
(本体価格)

『ちびくろサンボよ すこやかによみがえれ』
灘本昌久 著 径書房 \2,400
(本体価格)

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第246号 1999年(平成11年)10月1日 掲載


Copyright (c) 1996- ,Child Research Net,All rights reserved.