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−対 談−
子どもは「心と体」で遊ぶ
小林 登×麻生 武×斎藤 孝

4  限られた都会の自然を奥行き感のある環境に
小林 今の子どもたちはとにかく情報に囲まれていますね。それも実感のないバーチャルなものばかり。私なんか子どもの頃、杉並のはずれに住んでいたのですが、善福寺川という川が流れていて、そこで泳ぐタナゴを見て、胸をときめかせていたのだけれど、そんなもの今はなくなっている。子どもは自然のなかで遊ぶということが非常に重要です。しかし、奈良あたりだったらまだスペースがあるかもしれないけれども、東京にはない。住宅が過密している環境ではそういうものがだんだんなくなってしまっているわけだから、そういう時代に子どもたちにどのようにして遊びを提供するかということですよね。
麻生 今でも幼稚園で一番いい遊び場所は砂場なんですよ。砂場は、子どもが解放される場所なんです。砂場では、みんなひたむきに穴を掘っていますよね。それで山をつくったり、トンネルを掘ったりする。子どもはだんご遊びも本当に好きで、あれをやると、みんな顔つきがよくなる(笑)。砂場というのは、非常に単純なんだけれども、土の奥行きと素材の可能性みたいなものを味わっていけるし、また、そのなかに自分のスキルの発見もあるというふうに、いろんな遊びや学びがあるんです。やはり、奥行き感のある環境をどういうぐあいにして子どもに与えていけるかということですよね。ところが、そういう空間がそもそもなくなっていますよね。団地の砂場なんかは、犬や猫のおしっこの病原菌があって汚いから、触ったらだめだということになってきている。
斎藤 現代は自然があれば、無邪気に遊ぶという時代でさえないのかもしれない。むしろ砂場のようなコンセプトがあった方が、遊ぶことができる。環境設定を考える時には、それにどう関わるかということも含めて考えていくべきだと思います。そのときに手がかりになる感覚が、これは僕の趣味ですが、ギリシャ時代の元素みたいな考え方――地水火風という四つの要素だと思うんです。「地」は、地面とか、硬いものです。あと、「水」の要素や「火」の要素、「風」の要素ですね。そういう要素が喚起するイマジネーションには非常に強いものがあって、僕はそれが人間の生命力にかなり影響を与えていると思っているんですね。幼い頃に地水火風に関わるようなことをしていますと、後年というか、大人になってからも、かなりそれが持続的に栄養素になると思うんです。砂場はなぜ人気が落ちないかというと、あれも、泥の感覚というか、素材である地と水の持つ感覚が手ざわりとして深く体にしみ込んでいって、それが自分の生命力に必要なんだという感じを直観的に起こさせるからだと思いますね。
麻生 大人の側に遊び精神があると、子どもにうつるんですね。自分たちの関心の所在を子どもたちに言うものだから、子どもの方もそっちの方に引っ張られていく。大人が「泥だんごできた?お母さんはまだよ」とか、そういうことを言うものだから、その遊び精神が子どもにも広がっていく。大人の遊び心が子どもの遊び心を生むんですよね。身近な自然にも大人の知らない世界があるのだから、大人の方にそれを探索しようとする姿勢、喜んで見ようとする姿勢があれば、子どもは必ず一緒にのぞきに来ます。大人がキャーと言って嫌がっていると、子どもも必ず怖がりますけれどね。だから、そういう身近な自然の奥行きを、大人がもっとエンジョイできるようになったらいいだろうなと思います。
小林 私はやっぱり、遊びの場をどういうふうにつくるかということを、大人は真剣に考えないといけないのではないかと思うんですね。例えば集合住宅のなかでも、小さなスペースでもいいから子どもたちが遊べるような場をつくってあげるという考え方を大人が持つ。その時には、思いつきではなくて、学問として遊びの場をデザインするような研究をしないといけないでしょうね。それからもう一つ、遊びの方法についてもデザインするという発想を持たないといけないと思います。CRNでは廃校になった小学校を使って、子どもたちを集めて遊ばせるプレイショップというワークショップをやっていますが、そういうことを通じて遊びの場と遊びの方法の両方をデザインする必要がありますね。
斎藤 僕は子どもというのは異年齢――同じ学年の子じゃなくて、ちょっと上の子がやっていることにあこがれると思うんです。ですから、兄弟ではない異年齢の子たちが一緒にいられる時間と空間をつくっていくことが大切だと思います。ただ、現実的には兄弟が少ないので、それをやれと言っても無理なんですけど、擬似大家族をつくるのは可能です。親同士が、もちろん親戚ならいいんですが、親戚でなくてもある程度仲がいい場合には、子どもも放して遊ばせておくわけですね。そういうふうに、親の遊びに子どもを連れ回して擬似大家族にするわけです。そこで年上の子どもたちにあこがれながら遊んで欲しいですね。
小林 我々が小学校の廃校でやっているプレイショップもそれなんです。親子で来るけれども、それをばらばらにシャッフルして組分けする。そうすると、擬似家族ができちゃう。
麻生 小さい子どもと親の関係について考えると、単純に関われなくなってきているというか、親が子どもに対して遊べなくなってきていると思います。親の方もいろいろ情報が入ってきて、違う意味での遊びがあるから、子どもと遊ばなくてもすむんでしょう。家のなかにさまざまな仕事があった大家族の時代には、大人は子どもをおもしろがっていたのではないかと思うんですね。子どもたちも家族にからかわれながら結構楽しんでいたと思うのです。そういう体験が今の子どもたちには少なくなっているのではないか。そしてそれは子どもの遊ぶ力を弱めているのではないかとも思います。
斎藤 あえて子どもに仕事を頼むという手もありますね。もちろん、子どもができるような仕事ではないかもしれないけれど、そのうちのある部分について子どもに相談を持ちかけるわけですね。「これはどうやったらいいかな」と聞いて、子どもがいろいろ言ってきたら「あ、それはいいアイデアだね」といって子どもの提案を受け入れてあげる。要するに、遊びを一緒にやるのもいいんだけれども、親が子どもの世界に降りていくのではなくて、自分の仕事の世界という、一番ハイレベルな親の関心領域に子どもを引き入れてしまう。そういうのも子どもは喜びますよね。
小林 いずれにしても、自然環境だけではなく人間関係も含めて、今のまま放っておいたら子どもの遊ぶ力はどんどん弱くなってしまう。何らかの形で子どもたちがいきいきと遊ぶためのデザインを考えていかなければならない。それはハイテク玩具のテクノロジーの開発などとは違った、もっと生物学に根ざしたデザインだと思います。心と体のプログラムをどうやって高揚させるか、フル回転させるかという生命力のデザインと言ってもいいかもしれない。そのようなソフトの部分で今後もぜひ力を貸していただきたいと思います。本日はどうもありがとうございました。

2002年2月19日東京・山の上ホテルにて
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