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−対 談−
未来のアトムは子どもを超えるのか?
小林 登×田近伸和

2  理性の情報と感性の情報がある
田近 私はつい先日、筑波大学の村上和雄さんという生命科学の研究者とお話をしていて、これはあくまでもひとつの仮説にすぎないんですけれど、遺伝子というのはやっぱり気の持ちようでオンになったりオフになったりする可能性があるのではないかということを聞いたんです。そういうのは唯物論的な話とはちょっとずれますから、科学者としては結構勇気がいる発言だとは思うんですけどね。
 人間は他人から自分が評価されると目が生き生きしてくるとか、環境とか気の持ち方ひとつでそれまで眠っていた遺伝子がオンになるということはあるんじゃないか。つまり、遺伝子が最初からその人の宿命とか運命を決定づけているものであれば、運命論になってしまいますが、そうではなくて、気の持ち方とか環境の設定の仕方によって、眠っていたもの――自分の潜在能力が引き出されるという可能性があるというわけです。
小林 それは否定できないと思うし、そうでもないと、人間ねえ、生きがいがないから(笑)。だけど、それはそういう心の状態によって脳から出るホルモンが関係して、遺伝子の動きを操作すると考えればいいんじゃないかとも思うんです。人間は生きるための基本的なプログラムはもともと持っていますからね。
 例えばね、赤ちゃんがお母さんのお腹の中にいるときに子宮の出っ張りがあったっていうんですね。そこに頭がひっかかった。赤ちゃんは手を突っ張り足を突っ張り外そうとする。それで、どうしても外れなかったものだから、横に顔を向けてするっと外したっていうんですよ。つまり、少なくとも手足を突っ張ったときの情報を集約して、それを脳で処理して生存のための方法を見つけるという仕組みだけは、胎児でも持っていると考えるべきです。なぜかというと、進化の流れの中で考えれば、昆虫だって、そういう逃げる仕組みは持っているわけですから……。
田近 バクテリアだって何か基本的な動きはありますね。
小林 ねえ。そう考えると、それこそ胎児の脳の中には考えるプログラムと言ってもいいものがあると見た方がいいと思うんですよ。つまり情報を集約して処理して生存に向けてそれを活用するプログラムです。それがだんだん、生まれてから大脳皮質、さらに前頭葉のコントロールに入ってきて、うまくある目的に合わせて考えるプログラムとして使われているんだと。
田近 ふーむ。なるほど。
小林 だから私は全部生まれつき、もともとあるという発想なんです。言語の翻訳機のプログラムだって、たしか初めのうちは文法を全部覚えさせて、そして処理して翻訳するというようにしたけれど、どうしてもうまくいかなかった。そうではなくて、こういう文章のときはこういう翻訳にというように想像できる答えの文章をたくさん作っておいて、その中で選ばせるシステムに変えたら、途端に効率がよくなったっていうんでしょう。
田近 ええ。その効率の仕組みは、IBMのディープブルーというコンピュータがチェスの試合で人間のチャンピオンに勝ったのと同じようなものだと思います。あらかじめ全部データを入れておいて、それで選択するというやり方ですね。
 ただ、原理的な問題で言うと、そのようなアルゴリズム的な考え方だけでは、人間が日常的にやり取りする自然言語さえ実現できないと言えるのではないでしょうか。それは言語の規則と意味とを分離できないからです。
 例えば、「バカ」という言葉ひとつとってもそうです。子どもが計算問題で、1+1=3と書いたら、家庭教師が「バカ」と言いますね。でも、子どもがお母さんからもらった小遣いをためて、何かを買って、母の日にプレゼントした。それをお母さんが「バカね」と言うときにはほめていますよね。「バカ」という言葉は一義的に定義できなくて、文脈の中でいかようにも意味が変わってくる。
小林 それは感性の情報と考えられませんか。つまりね、「バカ」という言葉に含まれたリズムやピッチを感じて、これはほめてもらっている「バカ」か、本当の「バカ」かがわかる。例えば、お母さんが赤ちゃんに向かって「いい子ねえ」と言うときは、どんな女性でも、独特のピッチとリズムと抑揚になっちゃうんです。
田近 ああ、ありますね、それは。
小林 「いい子ねえ」というのは理性の情報でしょ? それが乗っかっているリズムとピッチは感性の情報です。それを子どもは感知するから、文脈ももちろんありますけど、お互いのやりとりの場の中でほめられているのかどうかがわかる。私はそういう感性の情報というのも考えないといけないと思うんです。ロボットも感性情報をいかに取り込むか、あるいはいかに表現するかというシステムができ上がると、大分違うんじゃないかな。ソニーの開発したアイボという犬型のロボットなどは、感性の情報も含めて考えているみたいですよね。
田近 私が先生の『育つ育てるふれあいの子育て』を読んで大変興味深かったのは、母親が子どもに母乳を与えることによって、両方の関係が生じてくるというご指摘です。知能発現における情動の重要性は『未来のアトム』でも追究したことです。子どもがものを考えるときに、単に論理回路だけで思考するのではなくて、母子間で醸成された情緒などが総合されて思考が生じているのではないか。知能というものと情動というものは簡単に水と油のようには分離できない。そういう認識を持つことが一番大切だという気がするんです。
小林 それはコミュニケーションの最も重要なツールである言語も感性情報を組み合わせているということですね。つまり、デジタルに処理できる理性の情報とアナログでしか処理できないような感性の情報とを組み合わせているということであって、それが生き物のシステムなんじゃないかなあ。
田近 結局、人間並みの知能を持たせようとすると、お手本になっているのは人間ですから、人間がどういう形で知能なり感情なりを獲得しているかを見ていく必要がありますね。
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