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ゲストコメンテーターへのインタビュー

プレイショップ終了直後、会場に海外ゲストコメンテーターと参加者の親子1組に残ってもらい、一日の経験を語り合っていただきました。

出席者
ゲストコメンテーター エディス・アッカーマン、ミルトン・チェン、
ルース・コックス、ジョギ・パンガール
参加者 沢井佳子さん(母親)、沢井雅幸君(小5)
プレイショップ
デザイナー
宮田義郎、上田信行、ヒレル・ワイントラウブ

1. とてもたのしい一日でした
2. マルチメディアと教育
3. 家族的雰囲気を形成するPlayshop
4. 遊び心いっぱいの子どもたちの存在
5. 学ぶことと教えることのパラドックス
6. 遊びとは物語(ナラティブ)をつくること
7. 「面白い」はことばでは伝えにくい
8. 学校教育に期待すること
9. 心底楽しむことが大事
10. 恒久的な学びのスペースがあると素晴らしい
11. 学校をいかにしてPlayfulにするか
12. 根本的には遊びの要素が必要

1. とてもたのしい一日でした
上田: ちょうど今ワークショップが終わって30分くらい経ったところで、まだ空気がむんむんとしているのですが、まず今日1日の印象を聞いていきたいのですが、いかがでしょうか?
ルース: とても楽しかったです。皆で身につけるブレスレットを一番始めに作ったところから楽しませていただきました。ベストも作りました。ミルトン・チェンさんがそのベストを着ていらっしゃいますよね。まさに最初から参加していく形ということで、私が今までに経験したどのワークショップからみても、これは非常に珍しいことです。感覚を全部使ったわけですね。触ってみたり、昼食の時には味覚があり、嗅覚がありました。本当にたくさんの動きがあって、とても面白かったです。子どもも大人も、非常に熱心に取り組んでいました。
ミルトン: このベストはとてもいいですよ。いくつかのものはなくなってしまいましたけれど。どこかへ行ってしまったようですが、最初はもっとたくさんのものがついていました。こちらにありますのは、「食べて、飲んで、遊んで」と書いてあります。
エディス: 非常に驚かされました。今、2つの事を考えています。まず最初に、子どもと大人の双方に興味を抱かせるようなプログラムを運営するのは大変難しいということです。今日はうまくいったのではないでしょうか。と申しますのは、大概の場合、受動的な側と主体的な側ができてしまうわけですが、今回は、子どもも大人も深く関わっていました。これが一点です。二点目に、大変印象深かったのは、私は多くの創造的なワークショップに参加してきましたが、ガイダンスの進め方です。通常とはかなり異なっていました。最初はとても指導的な要素が強かったのですが、終わりの方では、いろいろなグループが実際に舞台に立ちました。長いガイダンスが終わるころには、参加者が実際に舞台に上がったということ。この点も非常に印象的でした。
ジョギ: プレイショップに先立ち、私の求めるもの、何を期待しているのか、についてお尋ねがありました。実は、プログラムがあまりにもきちんとしすぎていると、遊びが非常に形式的となり、うちとけた場が形成されないのではないか、と心配していました。しかし、堅苦しさ、形式的な要素はすぐに解きほぐされていくことがわかり、大変よかったです。これもおそらく、期待していたことでしょう。ですから、この懸念も広く理解されていたのだと思います。
沢井君: 今日は大変面白かったです。そして、つまらないという事はなくて、いろいろな言葉を表現するというので、それがとても難しかったり、それでその表現力が必要でかなり難しかったり、ケーキを作ったり、他にも最後にビデオを編集して見せてくれたのも印象に残りました。
上田: 今日来る前に持っていた「今日どんな事が始まるかな」というイメージと、実際来てみてだいぶ違いましたか?
沢井君: はい。かなり違って感じました。
上田: 初めどういうイメージでした? この招待状もらったときは?
沢井君: 最初はイメージというより、どういうことかあまり分からなくて・・・。
上田: 「プレイフル」っていう言葉、ピンと来なかったかな?
沢井君: 確かに「プレイフル」といわれてピンと来なくて、「プレイフル」とはどういうことかな、と考えたり。楽しい事らしい、ということは分かりました。
上田: なるほどね。「プレイフル」っていう事は今日なんか体で感じられましたか?
沢井君: それらしいことは感じられました。
上田: これからジュワーっといろいろ感じてくるかもしれませんね。どうもありがとう。お母さんも今日は一緒に来てくださいましたが、いかがでしたか?
沢井さん: 私も最初は何があるかわからないで、入ってからこういうものか、とジュワーっとわかってきました。まず、ベストを作りましょうと自由に作れるユニフォームのようなものを作る時に「ハサミを貸してください」とか、「紐をどうしたらいいですか」とかそういう作業から挨拶が始まるんですね。体から入っていくと挨拶が自然とでき、初めてそこでお会いするお母様や子どもさん方と自然と会話ができる。その後のセッションでもまず体を動かしてからそれに言葉を与えるということで体から入って言葉へ、という順序があったのかな、と思います。今振り返りますと、それが大変印象深うございました。
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2. マルチメディアと教育
上田: ミルトンさん、今新しい教育のイメージというとすぐにインターネットとかコンピューターであるとかマルチメディアが出てくるんですけど、今日は全くコンピューターを使わないで体の動きとか、それこそハサミであるとか、服をメディアとして考えるとか、キッチン用具をいっぱい使って楽器を作ったりして、そのような物での表現を体験してもらう事を考えていました。ミルトンさんはずっとアメリカの教育とテクノロジーの事をいろいろと調査してビデオを作っておられますが、それらと比べて今日のワークショップはどういう感じをお持ちになりましたでしょうか?
ミルトン: そうですね、確かに今日は、私たちのまわりにあらゆるテクノロジーがありました。テクノロジーの定義はツールです。たくさんのツールがありました。洋服や楽器などの作品作りに使われたわけですね。写真を撮ったり、ウェブサイトやビデオを作るためのデジタル技術もありました。ですから、これらのツールがテクノロジー、電子、デジタルなのか、あるいは、紙や鉛筆、ハサミなのか、ということにそれほど重きを置かなかった点はよかったと思います。大切なのは、自分たちを表現する方法です。学習をより楽しく、プレイフルにする方法です。男の子が言った「楽しい」という言葉はよいですね。学習をより楽しくするために我々がやらなくてはならないのは、この点だと思います。また、全く面識のない親子たちが、グループの中でのコミュニケーションを図っていることに大変感動しました。なかなかできないことです。どの子どもさんがどの親御さんの子どもなのかわからない時もあったほどです。グループでエネルギーがパアーっと生まれた感じで、とてもわくわくしました。
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3. 家族的雰囲気を形成するPlayshop
Hillel: 私も時々グループを覗いたりして、「ああ、あれはあの子のお父さん、お母さんだなあ」と思ったりしていました。本当に親しげに、ごく自然にやりとりをしていて、とても印象的でした。きちんとした考えとふさわしい環境さえあれば、子どもと大人はとてもすばらしい形でお互いに関わりあうことができるのだと、そしてこれが非常に大切なことだと、改めて強く感じました。
上田: 沢井さんファミリーは今日は別々なチームで別々にやられたと思います。沢井君、他の子どものお母さんとかお父さんがおられたと思うんですけど、どうでしたか? お父さんとかお母さんはグループに何人くらいおられました?
沢井君: お父さんとお母さん方は、2人か3人・・・。
上田: 初めは話ししにくかった?
沢井君: 最初はちょっと話しにくくて、だんだん時間がたつにつれて結構話しができるようになりました。
上田: お母さんはいかがですか? グループには他のお子さんもおられましたか?
沢井さん: はい。お子さんが2人。5年生と6年生のお子さんと、それから後はお母さんが2人、お父さんが1人。小さいグループだったんですけど。最後は劇をいたしましたけれども、その打ち合わせも本当に家族みたいな感じでしていましたので、本当に1日かけてすごく密着したというか、心が近づいたような感じがいたしました。
宮田: 1日の最後のほうは、家族団らんの雰囲気がするなと感じたし、チームごとのパネルがあってそこにいくと落ちつくような雰囲気ができているなとも感じました。どうしてああいう風になったのかなってすごく不思議で、それをこれから皆でどんどん解き明かして行きたいな、と思っています。例えばお母さんが雅幸君を遠くから見たりなさいました?
沢井さん: 見つけようと思ったんですけども、もう溶け込んじゃっていて、どこにいるか分からないくらいでした。もう本当に親も子も別々に、みんな子どもになって、私が子どもになっちゃったんでしょうか、気にしないで楽しんでいたような感じがいたします。でも、ちょっと見たところではすごくのって、いろんなダンスみたいに動いたり、自分が好きなように宇宙飛行士になったりという場面をチラッとみましたけど、大変熱中していたのでその様子にちょっと驚きました。家の中で見ていると親を意識していると思うんですけども、今日は全然意識していなかったみたいで、とても自然に楽しそうにしていました。
宮田: 雅幸君、どうでした?
沢井君: 本当に自分のお母さんのことはあんまり考えていなくて自分の事で精一杯っていうか。
沢井さん: 忘れちゃった?
沢井君: 考える必要がなかった。
ルース: 本日は何人かのご両親とお話をすることができました。あるお母さんは、自分の子どもから離れることができてとてもうれしいと話していました。いつも子どもが「お母さん、今は何をすればいいの」とか「これはどうやるの」とか言うので、今日はそのようにたよることもないから、というのです。子どもが自立して、親から離れて遊ぶことができたことについても、喜んでいました。ですから、母子ともに独立していたわけですね。また、本日はお父さんも大勢いらっしゃいます。日曜日ということで、たくさんのお父さんが子どもたちと一緒に遊ぶことができてよかったと思います。
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4. 遊び心いっぱいの子どもたちの存在
上田: 今日はですね、小学校5、6年生の子どもたちが40人くらい来てたんですけども、その他にも実は幼稚園の子どもたちとかかなり小さな子どもたちが入っていたのですが、それがワークショップのスピリットや雰囲気を変えたと思います。ジョギさんは小さい子どもたちが動き回っていたことに、どのような雰囲気を感じましたか?
ジョギ: 実は、私はとてもよかったと思います。小さい子どもたちがいることで、より遊びの要素が強く出せたと思うんですね。子どもたちは本当に、私たちが全く考えられないようなことをいろいろと思い付きます。身体の動くままに実際、行動しているわけです。こうしたことを見ることができ、大変よかったです。本当の遊びとは何か、思い出させてくれました。
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5. 学ぶことと教えることのパラドックス
上田: エディスさんにちょっとお聞きします。エディスさんは子どもたちが「学び」に取り組む刺激的な環境をいかにデザインするかということをずっと研究なさっていらっしゃいます。今回のようなプレイショップは事前に私達デザイナーがきちっとデザインする事ができないわけです。いろいろな人が来て、いろいろなハプニングも起こります。そういうイマージェントな環境をいかにデザインすればいいか、というのが私達の挑戦だったわけです。このようなopen endedな、従来の何か知識を伝える形の学びではない、非常に開かれた、何が起こるか分からない中ににスリルを感じながら、教師も真剣に一緒に何かをつくっていこうとすることについて、何かお考えがあれば教えていただきたいと思います。
エディス: 難しいご質問ですね。これは学ぶことと教えることのパラドックスだと思います。いつも話しているのですが、学習者に真剣に学んでほしい、自分たちで実際にものを発見してほしいのであれば、彼らから質問される前に答えを教えてはいけないのです。そうしますと、学習者が自分でものを学ぶ、その環境をどのように作り上げていくかという問題になります。私がデザインを試みてきた環境というのは、道標を提供するものだと思います。ただ、その間で、人々が実際に自分たち自身のストーリーを作り上げていくのです。カギとなるのは、時折道標を見ることができるよう、十分なガイダンスを与えて、それでいながら、何もない空間を埋めて行ける余地がもはやない、というところまでガイダンスを与えすぎてもいけないということだ思います。人々が自分たちで学習する環境を作り上げることと、子どもたちに提供するカリキュラムを単に与えるのとでは、大きな違いがあります。
上田: とってもすばらしいコメントありがとうございました。こういう事が今私達教育に関わっている人達が今一生懸命に考えようとしている方向性なんですけども、これから実際にこういうプレイショップをたくさんして、その中でどういう風な事がデザイナーとしてできるか、どういう事が起こるか、という事を一つ一つ建設的に考えて行く事は大切だと思っております。
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6. 遊びとは物語(ナラティブ)をつくること
上田: ジョギさん、今日は子どもだけでなく大人にもいろんなことを経験してもらうだけじゃなくて、自分の経験を言葉とか、身振りとか、あるいはいろんなメディアを使ってコミュニケーションをしていく、つまり自分の思いを感じたことを語っていく、その経験を語るプロセスを通してまた自分が何を語っているかを振り返る、ということを行ないました。ジョギさんはナラティブ(物語)についていろいろと考えがあると思いますが、経験を語る、語り合う、そして振り返るというナラティブについてお考えがありましたらお話ください。
ジョギ: 以前は「遊び」とは与えられた物語(ナラティブ)でやるものだと考えていました。自分のストーリーは、まだこの時点では存在しません。ですから、物語を使って自分のストーリーを組み立てるわけです。組み立てられたその瞬間に、ストーリーは本当の物語となっていくのです。つまり、この意味において、私はこれら2つの存在を区別しようとしているわけです。すでに起こった、あるいは存在したものに、我々が作り上げるものをどのように関連付けていくか。この創造行為が、「遊び」ということです。すでに存在するものに対して、何らかの方法で我々が自分たちの心を開いて、身体を目覚めさせない限り、新しいストーリーを作り上げることはできないということです。ですから、プレイフルに、身体を目覚めさせなくてはなりません。こうした解放があって、はじめて新しいストーリーを作ることができるのです。ですから、これはとても大切なステップです。何か存在するものがあり、我々は自分たちを解放する。遊びという行為を通じて、新しいストーリーを創造する。したがいまして、何か新しいものを作るには、プレイフルであることが大切なのです。
宮田: 今のジョギさんのコメントだけど、今日のプレイショップの中で起こったことの中に今の話を入れていただくと、どんな事があったのでしょうか。
ジョギ: 沢井さんが手に持っていらっしゃるようなものです。こちら(ボール)とか、こちら(泡だて器)とかは、その存在自体が、たくさんの物語でいっぱいの入れ物です。プレイフルな心で、これらをまとめて新しい楽器を作ったわけです。これが〔沢井さん〕のストーリーですね。ものができましたので、私はこれを使うことができます。これがまた、物語の構成要素になります。ただ次の段階ですが、こうして作り上げた形、まとめた形でこれを使うには、またプレイフルにならねばなりません。
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7. 「面白い」はことばでは伝えにくい
上田: 雅幸君ね、今日いろいろな事を経験したよね。明日、友達とやってみたい?
沢井君: はい、やってみたいです。
上田: 雅幸君、「昨日、どこに行ってきたの?」と聞かれた時に「プレイショップに行ってきたんだ」って友達に話すると思うんだけど、君の経験を一言で友だちにどう話したい?
沢井君: それで話すのはとても難しい事だと思うんで、今言われてもちょっとわからないです。
上田: ちょっと実際に動いてみたり、してみたい?
沢井君: はい。こんな事をしたんだと実演して。
上田: ああ、それはおもしろいよね。実際にあったことを自分で「こんな事をやってきたんだよ」ってことだったらすごく話しやすいよね。
沢井君: はい。そういうことだったら友達話しやすいんで・・・。それに何故か面白いことの方が話しにくかったり、なんと言えば分からなかったりするんで・・・。
上田: おもしろいことって説明しにくいよね。
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8. 学校教育に期待すること
上田: お母さんにちょっとお聞きします。文部省が2002年から「総合的な学習の時間」というのを作りまして、子どもたちが自ら主体的に、いろんな人達と関わり合いながら、問題を作って発見して、そしていろんな人と協力しながら、問題を解決していくような事を目指した教育を始めようとしています。そういうような事をご覧になって、これから教育に対してイメージが変わられたり、こうなったら良いな、というようなことがあれば教えてください。
沢井さん: 今日は本当にとにかく私自身が楽しかったということで、それがとても強い印象ですね。様子を拝見していますとすごくよく準備されていて、十分にいろんな道具があったり、スタッフの方々の連携プレイがおありだったんですね。こういう風に楽しむためには、やはりなにか備えというか環境作りが必要なんだな、というのを感じました。ですから私がこういうことを真似するにもよくプランしなくちゃいけないのかしら、と思ったんですね。将来学校教育がこういう風になっていくにしても、おそらく先生方はかなりの準備をなさるのかしら、と思ったんですが、全ての学校がそうできるかどうか、そこは私にも分からない事なので、先生方に知恵を絞っていただきたいな、と思いました。
上田: どうもありがとうございました。では最後に、外国からのゲストの皆さんに一言だけいただきたいと思います。子どもを取りまく環境を私達大人はどの様に作っていけば良いか、ということに対して何か簡単なコメントがございましたらお伺いしたいと思います。
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9. 心底楽しむことが大事
エディス: これもまた、難しいご質問ですね。親ができる最大の貢献は、何であれ、子どもと一緒に活動する、自分たちが心底取り組んで、楽しむということだと思います。心の持ち方ですね。どんな素材が使えるかという問題ではありません。両親が子どもと一緒になって、本当にプレイフルになる時間がない、大好きなことに取り組む時間がないこともあるでしょう。でも、もしこれができれば、効果があると思います。
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10. 恒久的な学びのスペースがあると素晴らしい
ルース: 学校の外でこのようなワークショップ・プレイショップをやるというのは、とてもすばらしいことだと思います。日本のミュージアムとか、あるいはエクスポラトリアム(探検館)と私たちは呼んでおりますが、そうしたところに恒久的なスペースを設けて、このようなプレイフルな学習を毎日行うことができたらすばらしいですね。両親が子どもたちを連れてきて、自分たちも参加し学習する。そして、学習環境は行政や学校、企業、親たちが一緒になって、子どもたちのために恒久スペースを作り上げることができると良いと思います。
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11. 学校をいかにしてPlayfulにするか
ミルトン: 本日行われた活動の一つに、子どもと大人が生活の中のプレイフルな、あるいは幸せな瞬間の写真を持ってくる、というのがありました。子どもたちと親御さんがいっしょに旅行をしている写真がたくさん見られました。山登り、ハイキング、水泳、ディズニーランド、家族の集まり。私も似たような試みをしたことがあります。最もエキサイティングな学習活動や経験について、子どもや大人に話してもらうのです。でもその場合、よく話されるのは、学校外活動です。おそらく、ミュージアムや家庭で、何かを学んだのでしょう。テレビや映画から何かを教わる、仕事から教わる、という話が出ることもあります。これからの課題は、学校をいかにしてもっとプレイフルなものにするか、ということです。学習をもっと楽しくするには? プレイフルな学習とはまさにグループ学習であること、グループには多くのエネルギー、パワーがある。学習は集団的なものであり、個人が教科書を読んで身につけるものではなく、グループでものを作る、芸術作品を作ることから生まれる、ということを、本日教わりました。学校がもっとミュージアムのように、また、本日見てきたような環境をそなえるとよいと思います。
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12. 根本的には遊びの要素が必要
ジョギ: 学校のもつ根本的な意味は実は遊びにあるとわかりました。そうした意味合いを含んでいるのです。短い言葉で話そうと思います。私はインドからやってまいりましたが、大切な見方で遊びを考えています。と申しますのは、遊びは子どもがするもの、学習は我々が子どもに課すものと思うからです。2つの性質、2つのニーズをひとつにまとめるのは非常に大変なことです。遊びという本質上、身体を目覚めさせる、自己を主張するという必要性、それから、学習の必要性があるわけです。この2つをどうやって合わせていくか。というのも、遊びと学習に共通の領域が心にあって、考えが固まらないと、実際、身体が遊びという行為に動いていかないのではないでしょうか。ここに学習が関わってきますと、問題が出てきます。すべてが形式ばり、人前を意識した、組織性の強いものとなるからです。ですから、基本的には多くの注意を払って、遊びという領域全体を完全に組織化し、実際に子どもを管理できない状態にまで持っていってはならないのです。遊びは子どもが管理できるところに置かれるべき分野なのです。
上田: これから私達は新しい教育に向かってがんばっていきたいと思い、とても勇気づけられました。今回の機会がプレイフル・ビギニングになる事を確信しております。今日は本当にありがとうございました。
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