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ポストプレイショップ対話集

V. ポストディナーミーティング
1. 未来のプレイショップ:時期と期間の設定
2. 公教育の中での役割
3. 何をどのようにやるのか
4. ミュージアムで瞑想
5. 道具と学校
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X.ポストディナーミーティング
1999年11月29日 午後9時30分


 全員が懐石料理と会話を楽しんだ後、参加者は2グループに分けられた。グループ1(グループ「!」)は、ルース、ジョギ、ヒレル、藤倉、宮田、島内、譲原。グループ2(グループ「?」)は、ミルトン、エディス、上田、小林、小泉、大森、河村、鈴木。大森氏は、自分たちだったら、どのような「プレイショップU」を企画するか、また、どのようなリサーチ方法を採用するかについて話し合うようグループに求めた。


1.未来のプレイショップ:時期と期間の設定

 グループ1は、プレイショップの時期や期間の設定あるいは、今後のプレイショップの長さについて話し始めた。

ジョギ: 3という数字の概念が好きなので、プレイショップは3日間にしてはどうか。

藤倉、ルース: 私は、2日間のプレイショップがいいと思う。

ヒレル: 代替案として1年間、フォローアップのプレイショップを月に1度開催し、1つのプレイショップに参加したグループが次のグループの計画作りを助けてはどうか。しかし、証書や学位なしで1年間続けるというのは大きなコミットメントであり、トレーナーをどのように育成できるかなどが問題になる。完璧なモデルを求めないことも大切だと思う。そのかわりに、プレイショップはCRNを中心に発展・普及させていくことができると考えたい。

ルース: 対象となる観客は誰か。一般人か、それとも親子か。今現在、一番重要なのは誰か。誰がこのような技能を持つべきか。

ヒレル: 専門技術に頼る必要があるだろうか。

ルース: 教師に何らかのテクニックを教えてもらうのは役に立つ。それによって、習得した技術の範囲内で自由にできる。

ジョギ: たとえば大学生は、3年という期間で種を蒔くために畑を耕すようなトレーナーになれる。

藤倉: このモデルには疑問が残る。

ルース: 人々がプレイショップの参加費を払うだろうか。

ヒレル: 一昨日のプレイショップは無料だった。

島内: 参加者数は場所により限られるが、希望すれば誰でも参加できる。元々、ベネッセは100人を対象とするプレイショップを開催したかったが、実際のところ150人になった。参加者は、近所の子どもたちや、ベネッセの顧客リスト、ダイレクトメールを通じて集まった人たちだった。プレイショップを、東京をはじめとして日本各地、アメリカ、世界に広めていくことはできるだろうか。

藤倉: それは成功の定義による。つまり、成功が内容によって定義されるのか、あるいは商業的な結果によって定義されるのかということだ。

島内: ベネッセはこのプレイショップに、2000万円を費やしている。もし拡大することになるのなら、商業的な成否が問題になるだろう。

ルース: ベネッセがそれだけの金額を1日のイベントに使う覚悟があるのなら、プレイショップは長く影響を与えていくものでなくてはならない。

ヒレル: 世界的な規模で考えるよりも、まず、地元での活動について考える方がいいと考える。

藤倉: テレビで取り上げられることは可能だろうか。


2.公教育の中での役割

ルース: 島内氏に聞きたいが、日本社会におけるプレイショップの価値をどこに見いだすか。

島内: ベネッセでは、まず大人向けのプログラムの候補として、次に公立の小中学校のカリキュラムに加わる「総合的な学習の時間」という新科目で扱われるコンテンツの候補としてプレイショップを考えた。この科目の内容は、文部省が決定するのではなく、各学校の裁量に委ねられることになる。プレイショップはこの時間を使って行なうことができるのではないか。アメリカで前例はないのか。

ルース: ミルトン氏は、幼稚園から高校での芸術と科学におけるプロジェクトベースの学びについて語ったが、アメリカでは小学校以降親が学校での学びに関わるということはあまり見られない。

ジョギ: コミュニティーを新たに作り直し、主導権を取り戻して価値を高め、コミュニティーを復活させたいという強い気持ちがある。

島内: 大切なのは、教師と子どもを中心に、教育システム改善のためにどのようにして学校、親、教師、子どもを一つにまとめるかということだ。

ルース: アメリカの学校はコミュニティー内で非常に孤立しているため、一つにまとめるというアイデアはすでに職場では具体化されている。その1つの例が「娘を職場に連れてくる日」である。

島内: アメリカでプレイショップを開催できるだろうか。

ルース: 受け入れられ易いだろう。藤倉氏のようなビジュアルアーティストや、町から町、学校から学校へ移動するために必要な快適なバンがあればよいのではないか。

藤倉: 移動可能なプレイショップは実現できるかもしれない。

島内: 文部省では、コミュニティーと教育システムを再活性化するために、学校とコミュニティーを近づけ、藤倉氏のような外部の専門家を招き入れ、企業と一緒に取り組んでいきたいと考えている。

ルース: この「総合的な学習」のアイデアは、アメリカの芸術教育で取り入れられている。

ジョギ: 覚えておくべきは、アートスクールには興味深い教育のアイデアがあることが多いが、そうしたアイデアは芸術科目に限られ、他の教科に影響を与えることがめったにないことだ。芸術専攻の学生だけでなく、すべての学生が目覚める必要がある。芸術学部の学生は、好きなことをやっても認められることが多いが、その他の学生は、通常のカリキュラムを踏襲し従来の方法で勉強しなければならない。プレイショップは万人のためのものだ。

ヒレル: どうしたら周りを圧倒しないような形でビジュアルアーティストを中心に据えていけるか。

ルース: アメリカには、詩人、ビジュアルあるいはムーブメントアーティストが学校スタッフの一員になる、「アーティスト・イン・レジデンス」プログラムを行っている学校がある。

島内: 今後もこうしたワークショップを継続するために、3つの可能性がある。
(1)学校
(2)国レベルの教育関連機関と地域の教育委員会
(3)料金を課すベネッセのような民間企業
これらのどれかでワークショップを開催できるのではと考えられる。

藤倉: 塾やキャンプも別の可能性として考えられる。

ルース: なぜベネッセはプレイショップに費用を投じたいのか。

島内: 研究開発のためだ。プレイショップはベネッセにとって投資であり、プレイフルな学びはベネッセの企業使命である。なぜなら、日本の教育はあまりにもプレイフルでなさ過ぎるからだ。

ルース: プレイショップは上述の3組織の集合体を超えて成長できるだろうか。ファシリテーター(まとめ役:大学生)は、インターネットへアクセスできるか。インターネットにプレイショップのアイデアを毎月掲載するのも一つの可能性である。10〜15人の親からなるグループが必要になるかもしれない。問題は、どうやって親の興味を持続させるかである。これは、新しい種であり、インターネットにインスピレーションを起こさせるようなページがあってもよい。

島内: マクドナルドが自分の描くモデルである。つまり、プレイショップを日本中で立ち上げることができるだろうか。

ルース: できるだろう。

ヒレル: スターバックスは別のモデルである。

ジョギ: CRNはブランドになれるし、CRNワークショップは、付加価値のあるブランドになれるだろう。

ルース: プレイショップが大衆文化の影響を受けていないところが好きだ。島内氏に対して聞きたいが、プレイショップを一般化し、広めていく目的は何か。

島内: 一昨日のプレイショップの参加者はおよそ150人だったが、究極的な目標は日本の教育システムを変えることにある。そのためには、もっと多くの人に影響を与える必要がある。

ルース: インターネットは貴重な道具になる。

島内: プレイショップのアイデアが普遍的なものになり得るだろうか。中国やアメリカ、インドに移し換えることはできるだろうか。

ルース: アメリカのミュージアムは同様の1日のワークショップを行なっている。

島内: それは商業的に成功しているのか。

ルース: 成功しているし、精神的な面でも成功している。しかし、ミュージアムは、教育システムを変えようとしているわけではない。島内氏はより大きな目標を抱いているようだ。

ヒレル: 深いレベルで日本の文化を変えたいと考えているのか、表面的に変えることを考えているのか。

島内: 明確な答えを出せない。

ルース: 「総合的な学習の時間」とは何か。

島内: 2002年に公立学校で導入が予定されている科目だ。現在、生徒は隔週の土曜日が休みだが、将来的には、土曜日はすべて休みになる。これが学業能力の衰退につながると思う人たちもいる。

ルース: 教師は「総合的な学習の時間」を教えるための研修を受けているのか。

島内: 受けている人もいれば、受けていない人もいる。

ヒレル: 教師は何をすべきか教えてほしいと強く思っており、子どもの興味を追求するのは重要だ。「総合的な学習の時間」では、子どもの興味を取り上げて、テーマや内容は、柔軟で、提案に対してオープンにすべきだ。

ルース: ベネッセは「総合的な学習の時間」をチャンスととらえるべきだ。

ジョギ: これは、プレイフルに行ないさえすれば何を教えてもいいということだと解釈した。言い替えると、この科目は、内容というよりは、むしろ方法で定義される。内容はテーマに基づいており、学校が実際の内容を決定し、文部省の指示は受けない。

島内: 教師はこういう方法での授業、つまり、内容を自分で選ぶことには慣れていない。

ルース: 教師対象にプレイショップを開催したらよいだろう。

ヒレル: 当初は教師を対象にしていたのだが、プレイショップの重要性を理解しているようには見えず、また、休日にワークショップに参加するのに手当て支給の対象にもならない。

島内: これは将来的には変わるかもしれない。

ジョギ: アプローチを一つに絞るべきではないが、人々やファシリテーター同士のコミュニケーションを利用するのはよいだろう。

島内: プレイショップが広がっていくにつれ、様々なバリエーションが生まれるだろうが、基本的なシステムは重要なので、オペレーティング・システムのようなものを考案したい。その際には、プレイフルなアプローチに基づくべきだ。「プレイショップU」では違う活動をすべきか、それとも、常時目玉としてパントマイムを行なうのがいいか。

藤倉: マイムにはいろいろな種類がある。カンジヤママイムは語りを多く入れているいが、ほとんどのマイムは、観客との交流が上手ではない。

ルース: 芸術教育のなかに多くの素材があるだろう。

ジョギ: マッドパイのインプットに興味を持った。

ルース: 発見を目的としたミュージアムや展示やイベントが絶えず変わるミュージアムなど、恒久的な場やデザインを考えてみるとよいだろう。

ジョギ: 教師はファシリテーターとして、プレイショップのアイデアを学校で広めることができる。また、参加した数人から、家へ帰ったら友達とぜひやってみたい、という声を聞いた。IBMは、計算に関する芸術品や品物を集めた計算博物館を持っている。IBMのような企業は、企業価値を高めるために、こうした博物館を利用する。ベネッセは、プレイフルな学びをブランドとして利用できる。

 本ミーティングは、このコメントで終了した。


3. 何をどのようにやるのか

 グループ2(グループ「!」)では「どのように次のプレイショップをデザインするか」についての話し合いで始まった。まず、遊びと学びの関係は、個人にとってはそれぞれのレベルで重要であり、他者にとっては、教育システムを通じて社会を変える力があるので重要である。プレイショップにおいて重要な要素は、場所、形式、観客、目的である。即興をどのように導いていくべきであろうか。大森氏がまず口火を切った。

大森: 目標は新たなプレイショップを開催することだ。次のステップは何だろうか。

ミルトン: プレイショップはもっともわかりやすく、簡単ではあるが、大変効果的なステップだ。しかし、一方でこれが大きな影響を与えられるだろうか。遊びの重要性と学びとのつながり、遊びの変化を起こしていくパワーを人々に伝えるために、遊びと想像力についての本かホームページを作るというのはどうだろう。教育は、伝統にあまりにも縛られてはいるものの、今、転換点にある。プレイショップは、どのような影響を与えられるだろうか。


4. ミュージアムで瞑想

譲原: 「プレイショップU」をどこで開催するのか。同じ人たちを招待するのか、それとも、新しい参加者を募るのか。どの季節がもっとも適しているだろうか。

上田: 「プレイショップU」のために、guided improvisationをさらに発展させたいと思う。guided improvisationの実践について、何か具体的なアイデアはないか。

エディス: 遊びと学びのつながりについて考えあぐねていた。環境や科学的な探求などの領域で、プレイショップの強力な手法が適用できるかどうか検討するにあたって、当面は「プレイショップ」ではなく、「アクティビティデザイン」という言葉を使いたいと考えている。具体的には、たとえば、配慮のなされた作業を取り入れたロールプレイやサービス指向のプロジェクトを通じて、通常とは違ったやり方で、子どもたちにある種の問題を検証させることなどである。「プレイショップU」から議論を拡大し、学びとプレイフルのつながりをさらに際立たせるような活動を考えよう。私は、ヨーロッパで「時間と空間の中の子どもたち」というプロジェクトに関わった。これは、新しい技術を使って環境作りをし、そこで子どもたちは空間での動き、空間での表現、グラフの描き方などを学べる。ミルトン氏が言及した「エクスプロラトリアム」と「ボストン科学博物館」の例を出したい。プレイショップが実体験型のアクティビティとどのように違うかについて考えたい。これにはおそらく、guided improvisationという考えが役に立つだろう。これは、従来の科学博物館とはやや異なる形で、実体験、ガイドされて行う儀式、よく考えさせることを統合させていく方法である。科学博物館で成功したテーマを取り上げ、プレイショップの手法を使って取り組むというのはどうだろうか。

ミルトン: ブロックと楊枝で橋を作るという例もある。これには、数学と科学が必要になる。そして子どもたちはすぐに、プレイフルに物理・科学的な観点から疑問点を話しはじめる。どんなアクティビティでも、挑戦を与えるものでなければならない。

譲原: 実体験型プロジェクトは美術館でも見られるが、プレイショップはこれとは違うと理解しており、そのために混乱している。プレイショップとミュージアムのプログラムとの違いは何だろうか。プレイショップは、1つの活動ではなく、さまざまな活動を組み合わせている。

エディス: 橋作りは具体的すぎるかもしれない。都市作りの方がより詩的だろうし、より制約が少ないだろう。また、科学と想像という2つの要素を備えられる。

鈴木: プレイショップは、「プレイフルとは何か」と問いかけているのだと思う。プレイフルは具体的なものではなく、目的も持たない。橋作りは明確であり、実体験活動には具体的な目的がある。プレイフルは、何にでも適用できる。

小林: 日本の授業にはプレイフルの概念が取り入れられていない。私たちには、各科目ごとのプレイショップが必要だ。

ミルトン: プレイフルであることは各人の姿勢の問題だ。

大森: プレイショップを現実の教室やカリキュラムに応用する方法を見つけたいのか、それとも教室でプレイフルを奨励する新しい方法を見つけたいのか。


5.道具と学校

譲原: ミルトン氏に伺いたいが、「Learn and Live」を普及させる目的は公教育を変えることなのか、それともミュージアムでのプロジェクトに関係があるのか。

ミルトン: ジョージ・ルーカス教育財団では、学校には変化が必要だと信じており、型にはまらない教育に興味を持っている。また、ミネソタ州の「Zoo School」を例にとると、生徒は教室に座らず、植物学者や科学者と一緒に動物園で働く。学びはプロジェクトベースになっており、生徒は研究を行なう若い科学者、見習い科学者として行動する。アメリカでは、このような「チャータースクール」が新しく動いている。

小林: 「Zoo School」は、いつ始まったのか。

ミルトン: ミネソタ州のこのスクールは3年目で、ノースカロライナ州にあるもう一校は、ミュージアムに併設されている。私たちには新しい学校教育モデルが必要だ。

上田: 今ある学校はせいぜいここ100年の間に作られたものだが、現在ではそのニーズも変わってきている。

ミルトン: 公教育にはほんの50〜70年の歴史しかない。

上田: 日本の江戸時代に寺子屋という教育システムがあった。寺子屋は、学び中心あるいは学び手を中心とした学習環境であった。年長の子どもが年少の子どもを教えたり、とてもパーソナルな学びであった。寺子屋では一斉授業のような講義はあまりなく、それぞれが自分のペースで学んでいった。もちろん必要な時には先生の助けを求めることができた。これに比べ現在の教育は、専門家や教師によって体系づけられた知識を、いかに効率的に生徒に伝達するかに主眼がおかれている。私たちは21世紀に向け、寺子屋が持っていた学びの文化をもう一度見直しつつ、情報化時代にふさわしい新しい学びを創っていきたいと思う。

エディス: 人々は、知識は情報だと思いがちだが、これは明らかな間違いであり、知識がこれだけ豊富な時代にはその対極を取るのが良い。寺子屋モデルは、知識の共有に戻る一つの方法である。もっと深く理解しようとするならば、自分自身の経験を使って、自分がわかる範囲で学ぼうとすることがまず大事であり、それがミクロレベルで達成できると、より大きな課題に挑戦できるようになる。現在の、単なる情報量に基づくモデルの正当化は馬鹿げている。というのは、人間の脳は単純にすべてを消化できないからだ。寺小屋に戻るのではなく、これを新たに作り出してはどうだろうか。

小林: 日本は西洋の技術に追いついた唯一の西洋以外の国という点で例外的だ。明治天皇は、西洋風の教育を日本に導入した。このとき寺子屋は、西洋の教育を導入できる既存のインフラだった。

エディス: 日本人の師範のもとで空手を学んだ同僚がいる。彼が空手を学んだ方法は、カナダでの運動教授法よりもはるかに効率的だったと感じた。彼と私は空手教室のビデオを研究し、論文を共同執筆した。西洋の人々がこうした学習スタイルの豊かさに興味を持ちはじめているというのは興味深い。寺子屋が日本人に西洋型学習法を吸収することを可能にしたように、日本の持っているモデルを利用することを望みたい。教員研修に参加する教師は、時間を気にせず、時間のことは忘れなさいと言われる。これは、教育においてもっとも重要なことであり、プレイフルへのカギだ。ポイントは、何かに精神を集中し、時間を意識せずに熱中させるということだ。このアプローチは芸術でも使われている。プロセスを減速するのだ。

上田: 学校では覚えることが多過ぎる。子どもたちは、学んだことを自分のものにする時間がない。

ミルトン: これは「記憶カリキュラム」と呼ばれる。プレイショップは、フローの状況を作り出し、参加者に振り返る時間を与えた。人々は参加し、流れに乗り、そして振り返った。

エディス: 今やCDの仮想博物館があるが、ユーザーがストーリーを作ったり、自分の経験について語ったりすることはできない。館内を見た後で、私たちは売店に行き、絵はがきを買う。これは、自分自身にこの経験を伝え、記憶する一つの方法である。CD-ROMにはユーザーが経験を抽出し、アレンジし直す場所がない。私たちがある経験について覚えておくためには生産的なプロセスが必要であり、これがなければ同化できないということだ。この意味では、問題は単に振り返りの問題だけではない。同様に、読書は書く行為と同じような精神的行為ではない。意識してゆっくり考えたり振り返る時間は大切である。これは、無差別的に減速すべきでないことを意味する。今や子どもたちは、時間がかかりすぎるために、シンボルを使った活動は行なわないのである。

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