ルース: |
島内氏に聞きたいが、日本社会におけるプレイショップの価値をどこに見いだすか。 |
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島内: |
ベネッセでは、まず大人向けのプログラムの候補として、次に公立の小中学校のカリキュラムに加わる「総合的な学習の時間」という新科目で扱われるコンテンツの候補としてプレイショップを考えた。この科目の内容は、文部省が決定するのではなく、各学校の裁量に委ねられることになる。プレイショップはこの時間を使って行なうことができるのではないか。アメリカで前例はないのか。 |
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ルース: |
ミルトン氏は、幼稚園から高校での芸術と科学におけるプロジェクトベースの学びについて語ったが、アメリカでは小学校以降親が学校での学びに関わるということはあまり見られない。 |
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ジョギ: |
コミュニティーを新たに作り直し、主導権を取り戻して価値を高め、コミュニティーを復活させたいという強い気持ちがある。 |
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島内: |
大切なのは、教師と子どもを中心に、教育システム改善のためにどのようにして学校、親、教師、子どもを一つにまとめるかということだ。 |
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ルース: |
アメリカの学校はコミュニティー内で非常に孤立しているため、一つにまとめるというアイデアはすでに職場では具体化されている。その1つの例が「娘を職場に連れてくる日」である。 |
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島内: |
アメリカでプレイショップを開催できるだろうか。 |
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ルース: |
受け入れられ易いだろう。藤倉氏のようなビジュアルアーティストや、町から町、学校から学校へ移動するために必要な快適なバンがあればよいのではないか。 |
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藤倉: |
移動可能なプレイショップは実現できるかもしれない。 |
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島内: |
文部省では、コミュニティーと教育システムを再活性化するために、学校とコミュニティーを近づけ、藤倉氏のような外部の専門家を招き入れ、企業と一緒に取り組んでいきたいと考えている。 |
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ルース: |
この「総合的な学習」のアイデアは、アメリカの芸術教育で取り入れられている。 |
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ジョギ: |
覚えておくべきは、アートスクールには興味深い教育のアイデアがあることが多いが、そうしたアイデアは芸術科目に限られ、他の教科に影響を与えることがめったにないことだ。芸術専攻の学生だけでなく、すべての学生が目覚める必要がある。芸術学部の学生は、好きなことをやっても認められることが多いが、その他の学生は、通常のカリキュラムを踏襲し従来の方法で勉強しなければならない。プレイショップは万人のためのものだ。 |
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ヒレル: |
どうしたら周りを圧倒しないような形でビジュアルアーティストを中心に据えていけるか。 |
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ルース: |
アメリカには、詩人、ビジュアルあるいはムーブメントアーティストが学校スタッフの一員になる、「アーティスト・イン・レジデンス」プログラムを行っている学校がある。 |
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島内: |
今後もこうしたワークショップを継続するために、3つの可能性がある。 (1)学校 (2)国レベルの教育関連機関と地域の教育委員会 (3)料金を課すベネッセのような民間企業 これらのどれかでワークショップを開催できるのではと考えられる。
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藤倉: |
塾やキャンプも別の可能性として考えられる。
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ルース: |
なぜベネッセはプレイショップに費用を投じたいのか。
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島内: |
研究開発のためだ。プレイショップはベネッセにとって投資であり、プレイフルな学びはベネッセの企業使命である。なぜなら、日本の教育はあまりにもプレイフルでなさ過ぎるからだ。 |
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ルース: |
プレイショップは上述の3組織の集合体を超えて成長できるだろうか。ファシリテーター(まとめ役:大学生)は、インターネットへアクセスできるか。インターネットにプレイショップのアイデアを毎月掲載するのも一つの可能性である。10〜15人の親からなるグループが必要になるかもしれない。問題は、どうやって親の興味を持続させるかである。これは、新しい種であり、インターネットにインスピレーションを起こさせるようなページがあってもよい。 |
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島内: |
マクドナルドが自分の描くモデルである。つまり、プレイショップを日本中で立ち上げることができるだろうか。 |
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ルース: |
できるだろう。 |
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ヒレル: |
スターバックスは別のモデルである。 |
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ジョギ: |
CRNはブランドになれるし、CRNワークショップは、付加価値のあるブランドになれるだろう。 |
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ルース: |
プレイショップが大衆文化の影響を受けていないところが好きだ。島内氏に対して聞きたいが、プレイショップを一般化し、広めていく目的は何か。 |
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島内: |
一昨日のプレイショップの参加者はおよそ150人だったが、究極的な目標は日本の教育システムを変えることにある。そのためには、もっと多くの人に影響を与える必要がある。 |
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ルース: |
インターネットは貴重な道具になる。 |
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島内: |
プレイショップのアイデアが普遍的なものになり得るだろうか。中国やアメリカ、インドに移し換えることはできるだろうか。 |
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ルース: |
アメリカのミュージアムは同様の1日のワークショップを行なっている。 |
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島内: |
それは商業的に成功しているのか。 |
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ルース: |
成功しているし、精神的な面でも成功している。しかし、ミュージアムは、教育システムを変えようとしているわけではない。島内氏はより大きな目標を抱いているようだ。 |
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ヒレル: |
深いレベルで日本の文化を変えたいと考えているのか、表面的に変えることを考えているのか。 |
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島内: |
明確な答えを出せない。 |
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ルース: |
「総合的な学習の時間」とは何か。 |
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島内: |
2002年に公立学校で導入が予定されている科目だ。現在、生徒は隔週の土曜日が休みだが、将来的には、土曜日はすべて休みになる。これが学業能力の衰退につながると思う人たちもいる。 |
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ルース: |
教師は「総合的な学習の時間」を教えるための研修を受けているのか。 |
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島内: |
受けている人もいれば、受けていない人もいる。 |
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ヒレル: |
教師は何をすべきか教えてほしいと強く思っており、子どもの興味を追求するのは重要だ。「総合的な学習の時間」では、子どもの興味を取り上げて、テーマや内容は、柔軟で、提案に対してオープンにすべきだ。 |
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ルース: |
ベネッセは「総合的な学習の時間」をチャンスととらえるべきだ。 |
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ジョギ: |
これは、プレイフルに行ないさえすれば何を教えてもいいということだと解釈した。言い替えると、この科目は、内容というよりは、むしろ方法で定義される。内容はテーマに基づいており、学校が実際の内容を決定し、文部省の指示は受けない。 |
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島内: |
教師はこういう方法での授業、つまり、内容を自分で選ぶことには慣れていない。 |
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ルース: |
教師対象にプレイショップを開催したらよいだろう。 |
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ヒレル: |
当初は教師を対象にしていたのだが、プレイショップの重要性を理解しているようには見えず、また、休日にワークショップに参加するのに手当て支給の対象にもならない。 |
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島内: |
これは将来的には変わるかもしれない。 |
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ジョギ: |
アプローチを一つに絞るべきではないが、人々やファシリテーター同士のコミュニケーションを利用するのはよいだろう。 |
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島内: |
プレイショップが広がっていくにつれ、様々なバリエーションが生まれるだろうが、基本的なシステムは重要なので、オペレーティング・システムのようなものを考案したい。その際には、プレイフルなアプローチに基づくべきだ。「プレイショップU」では違う活動をすべきか、それとも、常時目玉としてパントマイムを行なうのがいいか。 |
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藤倉: |
マイムにはいろいろな種類がある。カンジヤママイムは語りを多く入れているいが、ほとんどのマイムは、観客との交流が上手ではない。 |
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ルース: |
芸術教育のなかに多くの素材があるだろう。 |
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ジョギ: |
マッドパイのインプットに興味を持った。 |
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ルース: |
発見を目的としたミュージアムや展示やイベントが絶えず変わるミュージアムなど、恒久的な場やデザインを考えてみるとよいだろう。 |
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ジョギ: |
教師はファシリテーターとして、プレイショップのアイデアを学校で広めることができる。また、参加した数人から、家へ帰ったら友達とぜひやってみたい、という声を聞いた。IBMは、計算に関する芸術品や品物を集めた計算博物館を持っている。IBMのような企業は、企業価値を高めるために、こうした博物館を利用する。ベネッセは、プレイフルな学びをブランドとして利用できる。 |
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