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Post-playshop Dialog

  1. イントロダクション
  2. マイムによるウォーミングアップ
  3. 和紙づくり
  4. 人工的な場+自然の場
  5. 風船を使った表現
  6. フェイスペインティング
  7. 閉じた場
  8. 気持ちの中での「縁側」
  9. メディアとメディアの境界
  10. キーワードミックス
  11. 自由ときまりのバランス
  12. 適切な場における適切なメディア
  13. 自由や余白をつくる
  14. ピープルセンシティブになれる場
  15. PLAYスペースのデザイン

1. イントロダクション
プレイショップ実施から2週間後、企画メンバーが集まり、振り返りのミーティングをしました。

参加者(敬称略・順不同)
●上田信行(甲南女子大学教授/Ed.D.)
●大森美弥(小児心理カウンセラー/Ed.D.)
●ヒレル・ワイントラウブ(同志社国際中学・高等学校コミュニケーション部主任/教諭)
●宮田義郎(中京大学教授/Ph.D.)
●カンジヤマ・マイム(パントマイムパフォーマー)
●古堅真彦(グラフィック・デザイナー)

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2. マイムによるウォーミングアップ
上田:
当日のプログラムから紹介しましょう。今回は、吉野のネオミュージアムというところで1日かけて行いました。朝の9時に全員が集まりました。今回は6ファミリーに来ていただきました。5〜7歳の子とその家族、中学生、高校生も混じっていました。最初カンジヤマさんにウォーミングアップをしてもらったんですけど、どういう風にやったんでしたっけ?

カンジヤマ:
トランスフォーメーション(変身)ということをテーマに考えていて、たまたまそこに紙粘土があったんです。今回は一番最初からの企画ディスカッションに加われなかったので、僕自身何が起こるかわからないという不安がありました。僕は、舞台の芸人として、その状況状況で即興を演じて、みんなが今何を見ていて、どういう素材があって、ということをうまくアクティビティーに組み入れていこうと思ったんですよ。たまたま粘土があったのでそれを利用しようと。これで、トランスフォーメーションできる。トランスフォーメーションというのを主題にみんなでもうちょっとウォーミングアップした後に、この粘土があなたの体ですという風にして、これをひっぱってみたり、たたいてみたり、平らにしてみたり、丸めてみたり、それを家族のみんなで体で粘土を表現してみようということをやりました。

上田:
だから、カンジヤマさんにガっ!とたたかれたら、自分がたたかれている感じがしましたよね。

カンジヤマ:
そうですね。紙粘土が平べったく伸ばされたら自分の体も同じようにグォーって伸ばされている。そういうことを子どもたちもけっこうやっていたんですよ。すごく楽しんで。いろいろやった後に、「この次はこの和紙になってみよう」ということをやりました。君たちの体が粘土として、いろいろ変形したように、今度この紙自体がどういうプロセスで、どう変身するのかというのを見てみよう、という風につなげていきました。

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3. 和紙づくり
上田:
そこで、次に和紙を作っているアトリエに行きました。

ヒレル:
そこには82歳のおばあちゃんがいました。彼女は、子どもたちに和紙づくりを教えるとき、子どもを後ろから抱え込むように彼らの学びをサポートしていました。子どもたちが、とっても真剣に和紙作りに取り組んでいるのにびっくりしました。それはおそらく、子どもたちを取りまくものすべてが本物であったからだと思います。

宮田:
大人もね、みんなそういう風に感じて真剣でした。「なんか今日、お父さん違うぞ」と子ども達も感じたと思います。

大森:
おばあちゃんとのふれあいもあったし、吉野の伝統とのふれあいもあったし、本物の道具とのふれあいもあったし、全てのふれあいが身にしみたという感じで子どもたちがこの体験を自分のどこかにしまっておけるようになった。美術館に行ってもロープが張ってあって、作品に触ってはいけないこととかありますよね。できるかどうかというのは見ただけではわからないことってあるじゃないですか。だから、実際に体を通してのふれあいがすごく大事だと思います。

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4. 人工的な場+自然の場
宮田:
僕は5歳の娘といっしょに参加をしたのだけど、紙すきの工房についたら、娘がちょうど車の中で寝てて起きたばっかりでちょっとぐったりしていたんです。そしたらそれを見て工房のおばさんが、「ここで休んだら」って言って、縁側に座布団とか並べてくれて寝かしてくれたんです。そこからの景色がよくて、吉野川の谷間のね…。

上田:
20メートルくらいかな、だいぶ高いところにありますよね。

宮田:
そこで、ちょっとのんびりしていたんですけどね。ただ、紙を作る場所っていうだけじゃなくてね、自然にもてなしてくれて、気を遣ってくれる、そういう中で、和紙が作られていくんだなっていう感じがすごくするね。奥の方でみんなが紙すきをやっているという気配が気になるのね。

上田:
気配がするのね。

宮田:
そう。外から来た人が自然に腰を掛けてみようかなって思っていると、中のほうでなんかおもしろそうな気配がして、入ってみようかなって思って入る、そういうね…。

カンジヤマ:
大人自身も緊張しているっていうことが、すごく大切だと思うんですよ。例えば、子どもミュージアムなどは、さあ子どものために見せてあげるよ、というような誘導があるじゃないですか。これがプロのミュージカルだと、大人ですらやっぱり、なにか感じるわけじゃないですか。大人自身が本当に楽しんでいるのかなっていうことを見ながら、子どもって学ぶと思うんですよ。その雰囲気がとても違うと思いました。

大森:
やっぱりすべてが自然じゃないとね。あのとき、おばあさんたちが、受け入れてくださった態度もすごく自然で、大人にはお茶、子どもにはカルピスやジュースが用意してあって、お菓子も甘いのもしょっぱいのもあって、縁側があって、扇風機があって、座布団があって、自分たちの生活の空間に招き入れてくださるような感じがあったんですよ。それがすごく自然だったんですね。その自然さを象徴するのは、子どもたちが紙すきを終わってから、縁側で寝っ転がっていて、ジュースを飲んだりしながら、すごい楽しかったねとか、そこでの経験を話していたり、暑いねとか、子どもの感情が自然に出されていたんですね。それは大人たちの受け入れ体制が自然だったからだと思うんです。

上田:
ミュージアムっていうのは、全て人工的に作られた1つの場所で、その中で起こる全てのことはとても人工的になるわけです。せっかく自然や歴史にふれあえる吉野に来たのに、それではもったいないので、吉野のいろいろな文脈を感じて、そういうものを取り込んで、その体験をもとにしてやってみようと考えたんです。だからワークショップ自体も、全て人工的に仕組まれたもので、特に1日だけのワークショップの場合は、非常に人工的に考えてしまうんだけど、できるだけ日常の生活に触れるような場面を作ろうということで、行ってみたんですよ。

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5. 風船を使った表現
上田:
9時半くらいに出発して紙すき工房へ行って、帰ってきたのは11時前だったと思うんだけれども、その頃、実は僕はいなかったのだけど、そこで学生スタッフのみなさんが風船を持って立っていて、どんなことが行われたのですか?

ヒレル:
和紙工房でどんなことを感じたかを参加してくれた家族に風船に描いてもらうために、いろいろな色の風船からひとつを選んでもらいました。

大森:
フェイスペインティングの前、つまり、紙すきの後ですね。それぞれの家族が、1つずつヘリウムガスの入った風船を持ち、なにを感じたのかを話し合い、風船に描いていきました。

ヒレル:
その話し合いの様子は、普段の家族の会話とはちょっと違っていたのではないかと思います。

上田:
あのね、その作業の途中に帰ってきた僕はミュージアムの上からビデオを撮っていたんですけど、とってもいい感じでした。家族ちょうど4人ぐらいで、ヘリウムの入った風船を中心に囲んで、みんなでここにどう描こうかとあれこれ話し合っていたのね。家族みんなで1つの意見を作っていた。このときの風船というのは表現のメディアでもあるし、ネゴシエイション(交渉)のメディアでもあるし、とてもダイナミックないろいろな特徴を持ったメディアだと思うんですよね。

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6. フェイスペインティング
上田:
今回は、いろいろなメディアを感じようということで、今回行なったプログラムで考えたのは、例えば顔の表情ですね。表情というものが、メディアなんだっていうこと。表情を作るときに、自分たちでフェイスペイントをすることによって、そこを注目してよく見る。そうすると、自分はどういう表情をしているんだろうといつもとは違った意識で注目するし、表情が自分の気持ちを相手に伝えるメディアになっていることに気づくだろうし、それから、普段だったら誰かの表情をじっと見ようとすることは不自然ですよね。だけど、このフェイスペイントをお互いしながら、何か作りながら、表情を作りながら見ることによって、普段意識していない部分に注目して感じていくこともできる。今回のテーマの1つはメディアセンシティブって言いますかね、いろいろなメディアにもう少しセンシティブになってみよう、もっと感度をあげてみようといったことで、その感度をあげるために、フェイスペイントというものが、どういう役割をするんだろうということだったんです。

大森:
感度をあげるというよりも、無の状態で、何かを感じるということ。無の状態に戻ることで1つのキャンバスになっていくような感じかな。

上田:
なるほど、感度を上げるというのではないんだね。そうすると、どう考えたらいいんだろう…。

カンジヤマ:
集中かな?無になることは集中じゃないですか。普段は、あまりにもメディアが多様化してしまっている。テレビのリズムもそうなんですけど、とにかく秒刻みでパパパパパンって状況が展開していく。だから、紙すきなら紙すきのように、1つのことに集中するってことが日常の中にあまりないんですよね。たぶん、紙すきをやっていると、1〜2時間無意識に過ぎてしまうんですよ。無になるっていうのは、つまり、自分が没頭してしまっているってことですよね。フェイスペイントもそうなんですけど、けっこうみんな、入りこんでましたよね。

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7. 閉じた場
古堅:
私は入りこめなかったんですよ、フェイスペイントで。何か入りこむ機会を逸してしまっていて。下に降りたときに、もうみんなやっていて、みんなの集中力すごかったから。後から来た人は、みんなが集中力が高まっている状況の中に、なかなか入りこめなかったんじゃないかと。

上田:
それ、いつもワークショップするときに感じることなんだけど、既に状況ができているところに、ちょっと入りにくいっていうかな、そういうのあるよね。

大森:
実際に、ワークショップを行なっていたネオミュージアムに外から何人かいらしてくださっていたんですけど、「門まで行ったけど、入れなかった。」、「入れない雰囲気だったから、失礼いたしました」っておっしゃっていた。それって、知らず知らずのうち私たちが「閉じた場」を作ってしまって、他の人は入りにくかったってことなんですね。教育の場合は、それじゃいけないんですよね。誰でも、ちょっとやってみたいな、ちょっと入ってみたらおもしろいかな、っていうアプローチで入ってこれるような空間を作ってあげたいですね。

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8. 気持ちの中の縁側
宮田:
フェイスペインティングやったときに、すごく面白いことがあったんですけど、娘の顔にペインティングしようとしたら、いやがったのね。結局泣いて、逃げ出してしまった。よくあることなんだよね、日常生活では。3階に行ってしまったんで見に行ったら、窓のそばに1人でいて、そばに座ってみていたら、僕がいるのに気付いて「あっち行って」と。でもみんながやっていたのを2人で窓から見ていた。「すごい顔だね」とかやりとりをして。結局彼女の顔にペイントできなかったんだけど、そのときに起こったのは、彼女に何が必要なのか、ということをどれだけ感じているか、そういうことだと思う。そういうことがあっちこっちで起こっていたと思う。いろいろな家族で。それはその家族のスタイルというか、僕の場合では僕と娘の今までの関係が現れてきて、それがハプニングになって、ワークショップはそういう場所なのかな、と。一応、こういうことをやりましょう、ということはあるんだけど、いろいろなことが起こっている。それをどういう風に乗り切っていくか、今までの親子の歴史とワークショップの場というのが出会うわけでしょ。そこでうまくワークショップではデザインからはずれるという部分があるが、それも「縁側的な部分」だと思う。そういう気持ちの中での「縁側」というか遊び、そういう意味があったと思う。今回のワークショップは。

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9. メディアとメディアの境界
大森:
今の家族でもそうですし、学校内でもそうですけど、異世代間のコミュニケーションというのはすごく難しくなっていて、内と外をつなぐ「縁側」みたいな場があれば自然な教え合い・学び合いができるのになあって思います。

上田:
体験して紙に描いたり、触ったりする世界と、それから、もう少し最近のメディアを使って、それをビデオに撮ったりしたものと、メディア間の境界をいかにクロスさせるかという問題。メディアリテラシーの問題を考えるとき、コンピュータとかビデオは、粘土とか紙の世界とは別の世界で考えている。本来、それらのメディアは繋がっているはずです。今回、フェイスペイントをしましたが、実はそれをビデオに撮っていったんですよ。ビデオに撮ったものを並べると、ビデオのフェイスペイントのパラパラマンガになる。そうすると、例えば、鏡に映る自分とか、相手の顔を見ている世界が、今度はビデオに撮ることによって、ものすごく拡大・増幅されて、また違った体験になる。それを少し離れて、自分でああいう表情していたんだということを見ることもできるだろうしっていうことで。だから、いろいろな自分の経験をいろいろなアングルで見るためにも、ビデオで撮ったり書いたりしたことが、今回とてもおもしろかったと思うんですね。それから、普通は音を採集するときに、テープレコーダーとかで録ったりするんだけれど、今回は音をいったん絵とか文字に置き換えて、その後コンピュータに取り込もうとしたんですね。最後は、いろいろ自分が作ったり集めたりした素材で、それこそ、ビジュアルジョッキーみたいなことをしました。素材をミックスしていたときに感じたんですけど、今までビデオに撮ったものを単に見るだけじゃなくて、自分がとった素材をミックスしながら見ることによって、自分の1日の体験がもう1回再構成されるような気がしたんです。

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10. キーワードミックス
上田:
たとえば古堅さんが担当したキーワードジョッキーね。外で感じたキーワードを持ちかえってきて、そして…。ちょっと説明してもらえますか?どんな感じでやろうとしたのか。

古堅:
あのときはとにかく時間がなかったので、ミュージアム到着後、会場の雰囲気を見ながら、ソフトを作ろうと思いました。画面はこのくらいの大きさだとか、何人くらいいるかなとか、こういうことをしたらおもしろいだろうなとか。内容は、例えば参加したご家族のみなさんが、「ピトピト」ということばを考えたとします。コンピュータにその「ピトピト」ということばを入れて、今度はその文字をマウスで触ると、プロジェクターで映し出された壁面いっぱいに「ピトピト」ということばが、ワアーっと広がる。そしてそのとき感じたことを、マウスを使って演じてもらう、そういう感じです。

上田:
見ていて、文字の動きというのがとっても良かったんですよ。今日1日のできごと、例えば、フェイスペイントをした顔の映像にかぶさって、こういうことばのアニメーションがヒューという音と共にスクリーン一杯に出てくる。

古堅:
同じヒューでも、動かし方によって、上がるときは「ヒュッ」だし、下がるときは「ヒュウウ〜」だし全然違う。表現の仕方が違ってくる。

上田:
今キーワードジョッキーとおっしゃったけど、誰かがビデオを撮ったのをもう1回じっと振り返るのではなくて、自分でつくったり集めた素材を自分が動かしながら、リアルタイムで作品をつくることによって体験を振り返るということがおもしろかったなぁと思う。

古堅:
楽器のメタファーが良いと思う。楽器っていうのは音を出すもの。例えば、音楽を聞いて感じたことを自らの音にして、自分で演奏する。それは自分がその音楽を感じたときとは違う感じで演奏することもできる。同じように感じたことを言葉にしてそれを他の人に見せる場合、感じたときと演じるときの気持ち次第で内容がいろいろと変わっていく。リアルタイムのライブというかそういう楽器を作ると考えればわかりやすいかもしれない。

上田:
なるほど。楽器のメタファーはいいかもしれないね。自分で演奏するっていう感じだね。そこで入れた文字っていうのが、音源になるのかメロディになるのかわからないけどね。おもしろかったよね。

ヒレル:
それは「メディアを感じる」ということを考える上で、とてもよい例だと思う。プレイショップで得たかったことのひとつが「Feel the media」であり、五感を使って感じようということでした。

宮田:
「話を聞く」っていうのを1つ例にすると、音が聞こえるっていうのと声が聞こえるっていうのと気持ちが聞こえるっていうのと、その人の人となりというか、その人の歴史が見えるというか聞こえ方がいろいろあると思うんです。同じものを見たり聞いたりして、「感度を上げて」と言っていたけれども、どういうところまで、その歴史が感じられるかですね。紙すきも、その背後にどういうものがあるか、それをどこまで感じることができるかなんですね。

上田:
あのときも、おばあちゃんだけでなく家族全員でもてなしてくださいましたよね。そういうことがとても大切です。どうしても1日のワークショップというのは、それを通して僕たちのビジョンしか伝わらないんですよね。僕たちがなにか感じて欲しかったことを、1日のワークショップを通して、人に伝えていくということはできても、やっぱり、それが日常的に本当に活動そのものがオーセンティック(本物)になっていくように育てていかなければいけない。だからいろいろな人が交流できるようなそういう場を作っていくことが、1つのメディアに対するアプローチかなって、思っています。

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11. 自由ときまりのバランス
上田:
午後は、川原に行って川の音やその他の自然の音、また、感じられるものを和紙にスケッチしよう、ということを行ないました。
参加してくれた小学校1年生と高校生の兄弟の話なんですが、高校生の兄として、アクティビティーのガイドに沿って、1年生の弟にもちゃんと川に入って聴診器を当てて、石の音や川の音を聞こうとして欲しい、やっぱりワークショップはそういう風にデザインされているからそうしなきゃ、って思っていたんだけど、川を見た弟のほうはワーッと飛び込んでいって、もう聴診器なんてどうでもいい。それよりも川に入って自由に遊んだ方が面白いといった弟を見たときに、高校生の彼の立場としてどうしようかと悩んだというアンケートをもらいました。これは、ワークショップをやっていく上でいつも感じることなんだけど、強制しすぎるんじゃないだろうか。次はこうだ。次はこうだと。で、結局は自由にクリエイティブなことをやっているように見えて、もしかしてやらせているんじゃないだろうか?ということがいつもあるんですよ。だから、僕たちが意図したことを押し付けすぎてもいけないし、かといって勝手にしても…というところがすごく難しいところなんですけど…。

ヒレル:
ミュージアムをデザインしようとするとき、それはとても重要なポイントですね。ミュージアムには壁があり、その中で活動が行われます。でも、人は外で遊ぶことが好きです。どれくらい人々をコントロールすればよいのか?
先ほど、紙すきのおばあちゃんが子どもの背後から子どもを抱え込むように指導していた、という話がありましたが、それは「ダンス」に似ていると思います。私は「ダンス」という言葉が好きです。おばあさんは、決して子どもたちを「リード」していたわけではありません。子どもとともに「ダンス」をしていたのだと思います。

大森:
今回はすべてのアクティビティーが、すべて計画されたものであり、子どもが川で遊んでしまうことは想定していなかったけど、本当はもっと即興的にその場の雰囲気に応じてスケジュールを変えていけると良いと思います。

カンジヤマ:
そのために、子どもたちが選択できるたくさんのツールやオプションを用意しておかないと。

大森:
できるだけね。

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12. 適切な場における適切なメディア
カンジヤマ:
やはり自然の偉大さには勝てないですよね。それには何か大人にはわからない、圧倒する力があると思うんですよ。誰かが話していたんですけど、動物園に行ったらものすごい大きな象がいて、それを親御さんが子供に見せようと思って小屋に入った。子どもは象よりも柵の上を歩いていたありんこが気になってそっちを見ていた。大人は象を見せたい。この象ってすごく大きいんだよ、って見せたいんだけど、でも子どもにしてみたら、その前の柵の上を歩いている1匹のありんこが気になってしょうがない。そういうことってすごくありえることなんですよね。特に、今まで部屋の中でご飯食べたり何か作ったりしていて、そこから急に吉野の川というオープンエリアに行って、川が流れているのを目にしたら、そこでいろいろなものを与えたとしてももう目に入らない。それを圧倒するくらいに自然ってものすごい強いものがあるじゃないですか。そこでそうなってしまったとき、いろいろな材料やプログラムを与えてもダメかな?と。これからデザインしていくワークショップ、ミュージアムにそういうものがいつもあるとは限らないですけど。

大森:
そうすると、普通の自然体験ってあるじゃないですか。それとどう違うのかな?

カンジヤマ:
そこを整理しないとね。だったら、家族で自然の中に居なさいってことになってしまうじゃないですか。そことは違う価値をもたないと意味がなくなってしまう。

宮田:
娘は最初川原で和紙に絵を描くつもりだったのだけど、みんなが遊んでいるのをみたら、同じように石や砂で遊び初めてしまってね。そこではこういうメディア(和紙)というのは、子どもを全然惹きつけないですね。だけど、ネオミュージアムに戻ってみると、みんなすごく集中して描いていたのでビックリしました。

カンジヤマ:
メディアの種類によって適切な場所があると思うんです。だから、その適切な場所を認識して使ってあげないと、意味が無いものになってしまう。大人は理性があるから、こういう和紙があって、何かやらなきゃいけないと思うと、山の中でも川の中でもできるじゃないですか。大人ってかなりの理性で必死に自分を押さえ込んでいると思うんですよ。でも、子どもの場合はそうではないから、もし場を提供するときは、そういうことをちゃんと認識して、どのメディアをどんな場所に置けば適切に利用されるかっていうことは、あらかじめかなりリサーチしないといけないと思う。

大森さん:
子どもたちの意欲がこれだけ沸いてくるからそのメディアを使おう、というように意欲を触発しないといけないんですね。

カンジヤマ:
その環境を利用しながら。

大森:
子どもが「ノー」と言える、そのメディアは適切ではないという選択肢を与えてあげる。

カンジヤマ:
僕はへそ曲がりだから、面白いとも思うんですよ。ぜったいこんな所でこんな事できないようなものも、やると何か生まれてくるような気がするんですけどね。

大森:
私たちのプランにはなかったんですけど、川原で1人の子どもが和紙に描かないで、石をたくさん集めて、石にクレヨンで描き始めたんですよ。で、これは車だ…だとか。彼は我々が与えたメディアじゃなくて、自分で探してきた石を自分でメディア化したわけですよね。クレヨンを使って。そういうのがすごく貴重だと思いました。

カンジヤマ:
そうだね。その子にとってはその石がベストなメディアだったんですね。

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13. 自由や余白をつくる
大森:
今回は最初から最後までかなり細かくスケジュールされていたから、自由に自分でメディア化できる時間と場所をつくるのはすごく難しかったけど、そういうアクティビティも必要かもしれないですね。

上田:
プレイショップが終わってからまさに自由時間ですよね。ある家族のみなさんは、子どもさん同士でもう1回川原に遊びに行ったようでした。そこでまたいろいろと体験していたんだと思う。それは1日のある程度制約のある活動が終わったときにパッとはじけて、そこで何か自分たちがし残したこと、本当にしたかったことが出てくる感じ。だから、私たちもプレイショップをやった後で、リフレクションがあるということは、プレイショップを振り返るということもあるけれど、プレイショップである程度プログラムされたことをやった後のね、なんかパッとはじける感じ、例えば、学会でもそうですけど、シンポジウムが終わった後のパーティーでたくさん意見が出る…あの感じですね。小さい子というのは、我々がテーマとした「Feel the media」も何も関係ないと思うんですよ。別に僕たちがもっとメディアを感じて欲しいと思っていても。もうとにかく、川を感じたら、もうまさにそれが彼らにとって、「Feel the media」。今日は川に飛びこんで川を感じた、石をつかんで描きたかった、そういう風に何かがひとつでも残ればいいと思うんですよ。ですから、デザインする側は、今日はこんなことを感じて欲しいなとか、こんな経験をして欲しいなとかこんな事をして欲しいなとか、いくつかその思いを出していけばいいんだけど、子どもは必ずしもその思い通りじゃなくて違う方に行く。それはまさしく「縁側」の役割をしていて、縁側でちょっと休んでみたり、またもどって来たりできる。僕も不自然だと思ったんです。川原に行ってみんな泳いでるのに、感じたことを紙に描いてくれというのは。で、やっぱりこれはうまくいかなかったなと。だけど、ミュージアムに帰ってきてからみんなとても集中して描いていたよね。見ていて、ちょっと感動したの。それは、たぶん川原で思いっきり体験したからいっぱい描く事ができたんだと思う。そしてこのワークショップが家族で遊びに行くのとどこが違うのかというと、ミュージアムに戻ってきてみんなでなにか感じたことを描いていく、というセッションをつくるということだね。これは家族で川に遊びに行った体験と違うと思う。その雰囲気にまたみんながのめりこんでいって、そういえばこういうこともあったよね…とか、だから、いろいろなことを仕掛けて、面白いことをしながら、一応全体のリズムを考えるというのが、僕たちデザイナーの役割だと思う。そこに、自由度、余白をたくさん作っておいて、出てくるものをうまくブレンドしながら、みんなで作っていくことが大切なんだと思う。

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14. ピープルセンシティブになれる場
カンジヤマ:
主催者側がある方向にプランをしていくとき、子どもたちの気持ちが別の方向へある程度いっていたら、2つの矢印の方向によって新しい矢印の方向ができますよね。そういう風に即興的にアクティビティーをつくりだしていかないと…。

上田:
やっぱり、当日何が起こるかわからないという面白さがあるし、それでそのときにいかにお互いを聞きあいながら、そしてみんなで活動を作っていけるか、ということがポイントですね。参加するすべての人がアクティビティに優しくなる必要があると思うんです。優しさと言うのは僕はとても大事な言葉だと思うんですけど、いろいろなものに敏感に状況を感じながら、みんなで作っていくものだと思う。私たちがまず、それを可能にするような環境を計画して、絶えずそこで起こっている状況をそれぞれがそれぞれに、「優しく」なりながら、つくっていくということ。人との関係に「優しく」なったり、いろいろなものを感じたり、そういう場を日常的にどれだけ経験できるかが大切だと思います。なかなか家庭だけでは難しいし、学校だけでも難しい。そうしたときにミュージアムみたいな場があって、そこに行くと、すごくメディアセンシティブになり、アクティブセンシティブになり、ピープルセンシティブになれる。自分を解放して、そういう場をたくさん経験することが、これからの子どもたちにとってとっても大切なのです。だけど1日ワークショップの場だけでは限界がある。となると、まさにこういうような場をたくさん家庭と学校の間に作っていくことがものすごく大切だと思う。いろいろなところで行われているそういう活動を持ち寄って、ひとつの、なんていうか…お祭りかな、コンテストではないんだけど、こんな面白いことをやっている…というのを見せ合ったりできるような場、北海道の子どもと九州の子どもと、それが世界に広がったりするような、そういう場作りを僕は絶対にやっていかなければいけないと思っている。

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15. PLAYスペースのデザイン
カンジヤマ:
上田さんのネオミュージアムの、あの空間、いろいろな意味で面白い。

上田:
あの空間、いろいろな隅っこっていうか、界隈っていうか、いろいろなコーナーで少人数で、考えていたり、やったりできるんですよね。隠れるところをいろいろ作れるわけだし、そういうような空間の中に、いろいろな活動ができる空間を作れると面白いと思うね。今回も、ミュージアムの中は一応物を作ったり発表したりする場所で、外のテラスがフェイスペインティングしたりいろいろなコミュニケーションをとる場で、そして川原がまさに原っぱになっていた。だから、少人数で物を作る空間があったり、いろいろ話し合う空間があったり、発表しあう空間があったり、面白い組み合わせがどれだけたくさんできるか。で、組み合わせとか空間とか時間とかを編集するのは、参加者の子どもたちとか家族自身だから、そういう編集ができるような空間を考えたんですよね。今回吉野でやった理由の1つは、今までワークショップでは空間をあまり意識されていなかったからなんですよ。どういう空間を作っていくか、ということがものすごく大切です。

カンジヤマ:
僕、講演などで地方行くでしょ、すごいハードはいっぱいあるんですよ。でもソフトがないんですね。ハードばっかりなんです。割とその地方に全く関係ない人が、そこに来て建ててしまうんですよ。目的もなしに。本来はソフトが始めにありきなんですよ、本当は。今の日本は逆でハードだらけなんですよ。その方が名前を残せるわけじゃないですか。私はあそこを建てたと。本当は、ソフトありき。そのソフトに根ざしたハードを作るということはとっても大切ですね。今、それが逆行してますよね。

上田:
早速、明日から始めましょう。実際におもしろいことがいっぱいあるんですよ。今までだったら、教育にアートを取り入れようとか、パフォーマンスを取り入れようとした場合に、例えば、カンジヤマさんさんに来ていただいて、はい、ワークショップをやりますって全部まかせてしまうんですよね。そういうやり方が多いんですよ。コンサートするから音楽家を呼んできて、音楽をやる。それで何か教育的な授業ができたと皆さん思っている。そうじゃなくて、やっぱり、その道のプロフェッショナルな人と、それから、教育のことをいろいろ考えている人が一緒になって、教育者だけでもできない、パフォーマーだけでもできない新しいものを作っていくということが大事です。今回もそういう試みであったと思うんですよ。だからたぶん、マイムを教えるワークショップと今回の「Feel the Media」は違うと思うんですよね。
そして、こういうことを常時話し合っていける場っていうのが必要なんじゃないですかね。

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