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crn設立10周年記念国際シンポジウム
子ども学から見た少子化社会−東アジアの子どもたち−
   
2007年2月3日(土)10:00〜16:30
会場 ウ・タント国際会議場(国連大学ビル)
主催 チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)
共催 (株)ベネッセ次世代育成研究所、 (株)ベネッセコーポレーション
後援 厚生労働省、中国大使館、韓国大使館、日本子ども学会、日本赤ちゃん学会
 
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講演録
中国の「 脳科学と教育」― 子どもの認知発達に関する研究
韋 ト(Wei Yu)



東南大学学習科学研究センター名誉所長。1940年生まれ。工学博士。中国科学協会副主席、中国電子学会副理事長、元中国教育部副部長。長年電子学の研究に従事し、生命工学、バイオエレクトロニクスの分野では国際的にも早く研究に着手し、論文発表は300編を超える。近年は中国式の「実践により学ぶ(learning by doing)」 を提唱し、東南大学学習科学研究センターを設立。脳科学の研究成果を教育の実践に取り入れることについて研究をしている。


 はじめに、小林登先生、及び共に歩んで来られた方々、そして小林登先生が提唱なさっている“子ども学”研究とCRNのこの10年間のご発展の中で得られた素晴らしい成果に対し、心よりお祝いを申し上げます。また、小林登先生には、今日のこの国際シンポジウムにお招きいただき、こうして皆様と一緒に討論し交流する機会を与えてくださったこと、感謝いたします。

 さて、先ほどは大江先生のお話を伺い、その深遠な思考に啓発されました。今日はこの場をお借りして、子どもの教育と発達の研究において、私たちがどのように脳科学と教育を結合させてきたのか、この分野で行ってきた試みについてご紹介したいと思います。未来というものについて、誰もが非常に関心を持っています。未来を予測することはとても難しく危険なことでしょう。しかし、ある分野ではすでに見通しがついています。例えば、科学技術はかなりのスピードで進歩し、多くの人がもっと良い生活を送れるでしょう。一方、人口は増加し続け、40年後の世界人口は90億に達するであろうことも、私たちは知っています。昨日(2007年2月2日)、パリで科学者たちが会議を開き、ヒトの活動による地球温暖化が原因で未来の資源が不足し、環境悪化の脅威にさらされていると発表したばかりです。私たちの未来は希望に満ちていると同時に、厳しい戦いにも直面しているのです。多分、私たち自身は、未来にはもう生きていないでしょう。しかし、大江先生が言われたように、私たちは未来の為に準備をしなくてはなりません。未来は教育にかかっています。教育こそが、子どもたちにしてやれることであり、そうすれば子どもたちも未来を創造してくれるでしょう。だから、教育は、子どもや家庭や民族、そして世界の為に未来の準備をしているわけです。但し、未来が教育にかかっている以上、今日の教育は未来に対して責任を負わなければならないというなら、それはとても難しい問題です。何故なら、私たちは未来がどういうものか全くわからないので、どんな教育を提供すれば、子どもたちが未来でより良い生活を送れるのか、楽に過ごせるのかがわからないからです。教育は出来るだけ科学的に研究すべきだと思っています。研究こそ、私たちにより良い道を選択する助けになるからです。感覚に頼るのみではいけません。感覚というのは、過去の経験の総括に過ぎず、言葉による演繹的推理に頼るのはなおさらいけません。私は、中国では実証的な教育科学の研究を強化するべきだと考えています。私たちが脳科学に支持を求めていく理由はここにあるのです。


 では、科学的な教育研究とは何でしょうか?科学とは、実証と定量研究が必要であることを意味します。ここに私は、教育科学研究の6つの原則を挙げております。中国に於いて教育の科学的研究を提唱し実施する為に、2002年、母校でもあり、かつて8年間学長を務めたこともある東南大学の百周年にあたる年でしたが、私はその大学内に「学習科学研究センター」という研究センターを設立しました。このセンターを設立した目的ですが、まず脳科学の研究を中国の教育に応用したいという希望がありました。さらに中国で、<実践により学ぶ>科学教育実験プロジェクトという、科学教育プロジェクトを提唱しようと考えました。そして3番目の目的として、一般の人々の脳科学と学習科学に対する知識を高めたいという思いがありました。20年前同じ大学内に生物医学エンジニアリング学部を設立しました。当時、私たちの科学者グループは、現東京工業大学学長の相澤先生を含め、生物分子を用いて生物コンピューターを作るという研究プロジェクトを進めていたので、東南大学に、「分子と生物分子電子学実験室」を開設し、生物とエンジニアリングの融合科学研究を行いました。20年が過ぎた今、私たちが進めているのは生物と教育の融合科学研究です。これは、技術の進歩と科学の発展が新しい可能性を提供してくれたお蔭です。生物と教育の融合科学研究は、20年前の生物とエンジニアリングの融合研究よりずっと難しいです。私たちのセンターは、現在、「中国教育部子どもの発展と学習科学重点実験室」でもあります。その中には、3つの部分があります。第1の要素は科学教育、第2は脳科学に関する研究ですが、私たちは主に脳科学に関する基礎研究をするのではなく、脳科学の有用な知識を教育にどのように応用していくかを研究しています。第3の要素は子どもの発達の研究です。私たちは出来る限り脳科学と関連させて子どもの成長を研究しなければなりません。

 教育は一番最初に哲学からの影響が大きいです。例えば中国の孔子は、その多くの言葉が今日の教育の中でもなお使われています。心理学は、哲学から分かれて出来たもので、後に心理学が心理科学となり、認知科学と認知神経学に発展しました。脳科学と分子生物学は、過去数十年の間に画期的な進展をみせました。教育は、その対象がヒトであるからこそ、いま述べた科学の発展に伴って発展していくに違いありません。そこで、私たちは、脳科学の進歩を基礎として、哲学から心理学へ、心理科学から認知科学へと引き継がれてきた教育についての研究を、徐々にまた脳科学の研究に関連させていけるのではないかと考えています。これは、教育に大きな変化が起きようとしているもので、すでに夢ではなく、現実に少しずつ変わってきているのです。私は、今日ここに小泉英明先生がおいで下さったことに非常に感謝しております。というのも、先生は、まさにこのような流れを世界的に推し進めておられる先駆者のひとりでいらっしゃるからです。

 それでは、私たちが科学教育改革の実験において、どのように脳科学からヒントを受けたのか、そして教育政策と戦略の選択や検証を行う上で、脳科学がどう役立ち、利益をもたらしてくれるのかについてお話ししたいと思います。2001年、中国教育部と中国科学技術協会は、共同で科学教育改革を起こしました。この科学教育改革は「実践により学ぶ」といい、正式名称は「幼稚園と小学校において行う、自発的な行動に基づく探求型科学学習と教育」です。その目的は、21世紀にふさわしい公民に育って欲しいというものです。この科学教育改革プロジェクトは、世界の科学者が共同で進めるもので、現在、国際科学アカデミーが共同で組織して歩調を合わせ、30数カ国でこの科学教育改革が展開されています。「実践により学ぶ」プロジェクトには、フランス科学アカデミーとアメリカ科学アカデミーの多大な協力を得ました。実際には、私たちは、このプロジェクトについて1994年から関心を寄せ、国際的な研究活動に参加して世界の進展状況を常に把握して来ました。そして2001年、中国での開始に踏み切ったのです。2001年から2003年にかけて、私たちは、中国の4つの先進都市の先進的地域を選んで実験を始めました。また、2002年に学習科学研究センターとウェブサイト「漢博網」を開設しました。ご興味のある方は、どうぞネット上で進捗をご覧ください。常に国際的交流を続けており、中でもフランス科学アカデミーにはとても感謝しております。同じく、「実践により学ぶ」という意味の、La main à la pâteというプロジェクトがありまして、その資料を全て無料で翻訳してくださったのです。そしていまでは、70名の教師がフランスに行って研修し、100名以上の教師がフランス科学アカデミーより派遣された教師の研修を受けました。第一段階は、とても順調に進みました。第二段階に入ると、多くの問題点をはっきりさせなければならなくなり、たくさんの議論を呼ぶことにもなりました。もし、それらをはっきりさせていなければ、「実践により学ぶ」科学教育は正しい方向に進めませんでした。このとき、私たちは科学的実証に助けを求めることを決め、昨年の10月まで模索段階が続きました。この間に、脳科学に対する理解と研究を基盤として、中国「実践により学ぶ」科学教育実験プロジェクトの“内容基準”を作成し、国内外の専門家による研究討論も経た上で、教育部の批准を受け、この「実践により学ぶ」教育を国家レベルで推し広めることが出来るようになりました。この段階において、幾つもの選択をする場面で、しかも原則的な問題の選択も幾つかあった中で、科学研究が選択の助けになったと私自身感じております。

 「実践により学ぶ」科学教育では、3つの側面からの研究が必要です。1つは、教えることと学ぶことの効果的な方法。2つ目に、科学の概念とモデル。3つ目は、子どもの発達で、いつ、何を、どのように学ぶのかを研究することです。一つの例を挙げましょう。私たちは、子どもに探求という方法で科学を学ばせようとします。つまり、子どもが自発的に問題提起出来るようにして、それから問題に取り組むことを身につけさせたいのです。何故なら、これが子どもたちの、将来あるべき生活態度だからです。批判的思考を常に持ち、多くの問題に何故?と尋ねなければならない、こうした生活態度や、仕事への取り組み方があって初めて未来の複雑な情況に対処できるのです。当時2つの主張がありました。1つは、ピアジェ(Piaget)の理論に基づくもので、教育に携わる方ならよくご存じでしょうが、彼は、子どもの発達の過程は自然な過程であるので干渉してはならないと強調しています。だからピアジェの実験結果と一致しなければ、この教育の失敗が明らかになると考える人たちもいます。そして、子ども自身が自ら探求し、学習するようにさせれば、閉じこもって一人で学んでもよい、その子が楽しければよい、教室では何を学んでもよいと言い出しました。実際には、諸外国ではすでに経験から教訓を得ていて、アメリカでは1970年代に実践した学校がありましたが、後に間違っていると気づき、現在の科学教育界では探求式科学教育を行うときは、主にヴィゴツキー(Vygotsky)の社会構成主義理論を受け入れています。今や構成主義理論は数多くありますが、何かの構成主義を選んで、また、どれか一つを掴んで中国に持ち込んで広めるとしても、こんなにも多くの子どもたちの方向を変えるとしたら、それこそ一大事でしょうね。社会構成主義の理論では、子どもの発達過程に於ける教師や大人の導きがとても重要で、教師や大人がその子に合った“足場”を作り、カリキュラム計画や学習指導と評価の上で、“発達の最近接領域”を考慮しなければなりません。論争の中で、脳科学の知識を基に、脳科学の観点から学習とは何かを考えました。ヒトが情報を得たら、それを脳に貯蔵しておいて、必要なときに取り出す、且つそれはヒトの行動に影響を与える、この過程が即ち学習です。そして、この全過程で、自発的なのか受動的なのか、積極的か消極的かといった感情による影響を受けます。学習の全過程は、遺伝子からシナプスへ、経路へ、系統へ、最後に行動レベルへと研究することができ、各レベルに於いて学習過程を研究することが可能です。学習科学はまさに、各レベルに於いて、心理科学と認知科学の発展を基礎にして、研究をさらに進めていこうとしています。この道筋に沿ってそれぞれの問題を研究していくことが出来るのです。例えば、私たちの脳はどのようにして情報を覚えておくのでしょうか?記憶している情報は何種類あるのでしょう?それは脳のどの場所に蓄えてあるのでしょうか?長期記憶、または比較的長く留まる記憶とは、一般に言う“習得した”知識ですが、どうやってその“習得した”知識を記憶出来るのでしょうか?どんな要素が私たちの長期記憶能力に影響を与えているのでしょうか?これらの問題の答えの中から教育はどんな啓示を受けることが出来るのでしょうか?


 脳に関する基本的知識について、皆さんお詳しいかもしれませんが、あまりなじみのない方の為に少しお話ししましょう。ヒトが独特であり、複雑であり、優れているのは、その手がとても力があるからでも、その足でとても速く走れるからでもありません。それは脳が非常に独特で、複雑で、優れているからなのです。進化の過程で、ヒトの脳の変化は最も大きく、体積が増大しただけでなく、脳の皮質の皺も一番多いのです。私たちの大脳皮質の部分を平らに広げてみると、コピー用紙4枚分の大きさにまで広がります。しかし、多くの動物は、その脳がヒトの脳よりずっと小さく、私たちのような複雑な構造を持っていないのです。私たちの脳は1000億ものニューロンを持っています。銀河の星の数よりも多いくらいです。ニューロンとは脳内の機能単位で、その形状はヒトの手に似ています。手のひらは、細胞体に似ていますね、伸びた指が樹状突起のようです。この樹状突起は、たくさんの信号を受け取って細胞体に伝達する任務を負っています。ニューロンには太い軸索突起があり、腕に似ていて、信号を送り出します。一つのニューロンの樹状突起ともう一つのニューロンの軸索突起の間には多くのつなぎ目があるのですが、それをシナプスと呼びます。私たちの脳の中には1000億のニューロンがありますが、ニューロン同士のつなぎ目は幾つくらい出来るのでしょうか?数百、数千、さらにもっと多い数にもなります。これらのつなぎ目はとても珍しいもので、ほとんどの部分のつなぎ目は直接接触しているのではなく、ほんの小さな隙間があり、その隙間には百以上の異なる化学物質を含むことができますが、重要な物質が十数種類あります。この百種類以上の成分は、一定の時間内に必ず一定の濃度が保たれなければならず、私たちの脳はそれでやっと正常に働きます。たとえ脳のシナプスの連結に変化がなくても、シナプスの隙間の中の化学成分が変化したなら、脳の機能も変化してしまいます。確かにヒトの脳が世界で最も複雑で、最も優れた機械であり、現在のコンピューターよりももっと複雑であることは間違いありません。

 さて、ヒトは、どのように記憶を形成するのでしょうか?情報を短時間しか覚えていられないという場合があります。例えば、電話をかけるとして、新しい電話番号を記憶しなければなりませんが、普通は7桁から9桁までしか覚えられません。その数字を繰り返しつぶやいて、かけ終わったらもう忘れています。しかし、情報によっては、数日、数ヶ月、数年、果ては一生というように長期間覚えていられます。そこで、心理学者は、私たちの記憶を短期記憶と長期記憶に分類することを始めました。では短期記憶をどうやって長期記憶に変化させるのでしょうか?何度も読み、何度も暗唱すると覚えますね。後に、心理学者たちはさらに分析を進め、このモデルだけでは不完全で、私たちが思索するときは、外部から情報を受け取るだけでなく、脳内に保持してある情報を引き出すことも出来ると考えました。認知心理学者は、そこを踏み込んで作業記憶というモデルを提出しました。ちょうど今、私は講演を行っておりますが、私はこの作業記憶を総動員しなければなりません。皆さんが私の話を聞いて下さっているか、つまり聴衆の反応を見ながら、時間をチェックする方を見て「時間です」と言われないか注意を払いつつ、脳の中にすでに蓄えている知識をちゃんと動員して仕事を行わなければならない、ですから、私の長期記憶と作業記憶は相互に通信し合っているのです。作業記憶の中には、異なった種類の情報を入れることが出来ます。例えば空間記憶、また文字や言語表現を用いることが可能な記憶などは、脳の異なった区域に蓄えられています。

 1973年になって、若い神経科学者ブリス(Bliss)とレモ(Lomo)が海馬の中で、ニューロンの連結部分にある種の電気信号が長期存在を助けることを発見し、長時増強効果(LTP)と名付けましたが、これは、記憶がどのように形成されるかを研究していく上でとても重要な発見でした。現在、科学者はヒトがどのように物事を記憶出来るか知っています。即ちそれは、シナプス間にLTPが存在するときで、LTPは一定の強さや頻度の刺激が起こるとニューロンの細胞核の中のCREBという蛋白を刺激することが出来ます。CREBは、細胞核内部に存在し、選択的に遺伝子を活性化して、伝達を開始させ、さらにシナプスを増強する蛋白を作り出します。これら新生の蛋白質はとても不思議で、増強するべきシナプスのつなぎ目に素早く移動して、その場所の連結強度と蛋白構造を変化させることが出来るのです。このようにして長期記憶が形成されるのです。この長期記憶のメカニズムが更に一歩進んで確認され、『サイエンス(Science)』誌上で2006年科学的進歩ベスト10に選ばれました。先月の『サイエンス』誌の発表内容をご覧になれば、この研究成果の確認がどんなに重要かおわかりいただけるでしょう。それは、ヒトが物事を記憶出来るのは、脳内の或る幾つかのシナプス間の連結が変化するからで、そこに本当に新しい蛋白質が生成されるのだということを解明してくれます。


 ですから、子どもが知識を構築する過程はとても重要です。その子が学習過程で形成した記憶は、すでに次の学習を進める基礎となっており、簡単に消せるものではありません。だから早期教育も重要になってくるわけですね。生徒を学習に導き、最も効果的な学習環境と方法を提供していかなければなりません。この研究結果からはまた、子どもが形作る行為は、実際には2つの要素の影響を受けていることがわかります。1つは遺伝子で、先天的な要素です。先天的要素は、いささかの傾向や大まかな発達の青写真を提供し、後天的要素は発達の為に条件を提供してくれるもので、遺伝子の表現に至っては、後天的な刺激があって初めて現れるのです。長期記憶の形成に関する研究結果は次のことを示しています。それは、子どもの脳は社会活動や教育の中で形成されるものであり、この形成過程は、先天的な遺伝子と後天的な環境が共同で作用しており、先天的な遺伝子と後天的な環境が子どもの脳を形成し変化させて初めて、その行動に影響を与えるということです。こうした外部環境でこの上なく重要なのは教育の環境で、特に私たちの教育システムや親たちが与える環境なのです。以前私たちは、直感的にこんなふうに感じていたと思います。その子が天分に恵まれていようが、少しくらい欠点があろうが、もし幸運にも良い先生に出会えたなら、その子にとって一生の幸せであると。それが今、少し根拠のあることだとわかったのです。子どもが天分に恵まれているとしても、後天的要素である教育者が与える影響は大きく、教育することで子どもの脳が構築されていき、子どもが記憶した事柄は、先天的なものと後天的なものが作用し合った結果であるということを、根拠として見つけられたのです。だから私たちは、子ども自身で自己を発見させるとか、むやみ勝手に何でもさせてみるというようなことは主張しません。子どもが楽しんでいるからこの教育改革は成功だ、楽しければいいのだ、というのではなく、子どもが教師の指導のもと、どうすれば最も効果的に学べるか、最も効果的に何を構築していけるのかが求められるのです。人類が築き上げた知識の歴史は数千年のときを経てきました。人類の文明史は1万年になろうとしていますが、17世紀になってやっと、ガリレイが落体の運動法則をはっきりさせました。それを子どもに自分で探させるのは、何千年も生きられる訳ではないのに無理でしょう。教育には、人類が積み上げてきた多くの知識と知恵を一代一代受け継ぎ、先輩が築いた基礎の上にさらに発展させ、新しい文明を創造していくよう後輩を導くことが求められています。その為に、私たちは、子どもがどうすればもっと効果的に学べるか、教師はどう指導すればいいのか研究しなければなりません。もちろん、子どもに自発的に学んでもらわなければなりません。学びたくなければ、頭に入らず、効率も悪いですから。

 先に述べた、脳科学研究が私たちに与えてくれた知識によって、効果的な学習とは、閉じこもって学ばせるのではなく、子ども同士や教師と子どもの間の相互作用が重要な学習環境であると気づかされました。嬉しいことに、先ほど大江先生は、お嬢さんが息子さんの一番の先生であるとおっしゃいました。お二人が互いに影響し合うことで、お互いにどんどん成長し賢くなっていけるのではないでしょうか?まさに一つの例ですね。人は新しいことを学んでいるとき、それぞれ既存の知識や技術、経験の上に構築していきます。教師が子どもに、或いは母親が子どもに教える前に、子どもは元々どう考えていたのか、何を基礎にして教えるのが効果的なのかを知らなければなりません。私たちは、「実践により学ぶ」科学教育の実験プログラムの中に、探求の過程で必ず子どもの前概念を理解しなければならないと提案しています。私たちは、プランを提供し、教師が或る概念を教えるとき、まず先にその問題について子どもは元々どう考えていたのかを知っておくことを要求しています。子どもは、白紙のままで教室に入ってくるのではなく、すでに社会の中で、この概念についての考え方を得ているのです。探求の過程は、問題を提起し、予測し、計画を立て、最後に必ず実践しなければなりません。実践する過程こそ、この年代の子どもにとって、記憶がより深まり、確実に学べたことになるからです。私たちは特に、プランの中心である、教師と子ども、子どもと子どもの間で必ず意見交換する、自分の言葉を記録させる、読むことと観察することを学ばせることを強く主張しています。言葉での交流は、子どもにとって特に有効な学習であり、十分な環境の刺激がなければ、子どもはその長期記憶を築き上げることが出来ないと思います。そこで、私たちはこういった基礎の上に、教師養成用教材を書き上げました。勿論、まだ多くの問題を研究していかねばなりませんが。

 さて、学習をどのように効果的に進めていくかという面から、今一つお話しいたしました。要するに、少なくとも社会構成主義の理論に基づいて子どもに「足場」を作ってやり、子どもの前概念を理解しなければならないし、効果的な学習として一連のプロセス、相互作用のプロセスが必要です。それ以外にまた、私は、効果的な学習には子どもの自発的な参加が必要だと考えています。つまり、学習過程で概念の推理モデルを造ることが必要です。そして、発展的評価の応用が必要になってきます。英語で formative assessment (形成的評価)と言いますが、学習過程で評価ポイントを幾つも設置していきます。こうして、徐々に子どものメタ認知能力を築いていき、子どもに、自分がこの問題をどのように認識しているかをわからせることが必要です。これらは、理論を語るだけでなく、カリキュラム計画と教材作成の中で徹底し、研修に取り入れて教師にしっかり把握してもらい、実践の中で発展させていかなければなりません。


 過去数年間において、もう一つ、科学を学習する時期がいつならよいか、また、いつしなければならないかという問題についても議論してきました。中国では、小学校の自然を学ぶ授業は1年生で設置されていましたが、このたび新授業の標準に従って幼稚園で科学の内容が取り入れられました。ところが、小学校1−2年ではこの科学教育課程がなくなって“道徳と社会”授業に変わり、3年生で科学課として再開するというのです。私たちは、このような改定は間違っていると考えています。5歳から12歳までは続けて科学教育を実施すべきであり、中断してはならないのです。3年生の子どもに5歳向けの内容を学ばせても興味を覚えないでしょう。子どもは、一定の時期に一定の概念を築くべきなのです。先進国の中では、例えばアメリカやフランスが、3歳から始める科学教育を研究していますが、私たちにはまだ条件が整っておりません。せめて5歳から12歳までの連続学習を実施するべきです。私たちは、すでに何百校で実践していますが、これは、5歳から12歳の児童に対して科学教育を行うことは全く問題ないという証拠であり、この提案はすでに教育部にも受け入れられております。

 今日は、皆さんと全ての研究過程について意見交換する時間がないのですが、私たちが説得力を持って、幾つかの良い選択を行えた根拠は、現在の心理科学、認知科学、特に脳科学が進歩する中で吸収した、有用な知識にあるのだと思っています。これらの知識は、さて今日具体的にどう教えるのかという問題を解決するものではないかも知れませんが、方向性を選択する助けになります。私たちにとっては、かなりの助けになると思います。この基礎の上に、私たちは「実践により学ぶ」科学教育の内容標準を作成しました。去年の9月、中国教育部と中国科学協会、中国科学院が共同でアカデミーの会員や専門家を招いてシンポジウムを開きました。その会でこの“標準”は認められ、多くの貴重な意見も出されました。そして、この“標準”をフランスに持って行きました。というのも、フランス科学アカデミーの友人たち、小林先生が昨日言及された、日本でも報告をなさったことのある世界科学アカデミー会議共同議長イブ・ケレ(Quéré)先生もそのお一人なのですが、皆さんがずっと力になって下さっているからなのです。“内容標準”をフランスに持って行き、それについて検討していただきました。フランスの3名の総視学官も会議に参加され、後に会議紀要という形になり、この“標準”は認められました。こうした基盤があればこそ、私たちは実験を拡大していくことが出来たのです。この“標準”の中には知識に関する内容も含まれています。“内容標準”には、物質と物理科学、生命科学、地球と環境科学、設計と技術の4つの分野を立てました。各分野にはそれぞれの主要概念があり、その下に段階別に概念があります。私たちは関係する概念を最下層まで分化しています。何故なら、教師はそんなに細かいところまで考える時間が無いので、研究者が科学者と一緒にこれらの概念を正確に説明し、いつどんな概念を子どもに教えるべきなのか研究していく必要があるのです。効果的な学習条件を提供し、これは大事な知識だと認められるものを学ばせれば、子どもは先人の基礎の上に新しい何かを発見し、未来に向かって挑戦することが出来るのです。この“標準”の中には学習能力に対する要求もあります。学習能力の到達目標も教師の指導レベルと子どもの探求能力と並んで、範囲が変化するものです。私たちは、子どもに対して、いつどのような観察と能力の測定を行うかについても一つの標準を示しました。私たちは、表現能力はとても重要だと考えています。表現とはつまり思考することです。討論して自分の考えを相手に告げる、これはひとつの交流のみならず、私たちの知力を伸ばし、社会的能力を高めることでもあるのです。


 今日の会議のテーマは、少子化社会が子どもに与える影響についてですので、午後には、多くの専門家の方々のご意見を拝聴したいと存じます。さて、中国の人口政策の実施は極めて成功しておりますが、これは中国の世界への一種の貢献ともいえましょう。何故なら、もし、人口の増加を抑えなければ、40年後の世界人口は、現在予測されている90億には留まらないでしょうから。私たちは、一人っ子家庭が子どもの成長に及ぼす影響を調べ、教育に何を準備してかかればいいのか研究しなければなりません。私は、教育の“認知”面での準備は大して難しくないと思っています。一つの家庭に子どもが一人ですから、家族みんなでよく勉強させるからです。なんとも大勢でその子一人を気遣うのです。たいていは、父親・母親・母方と父方の両方の祖父母がいて、最適な環境を作って勉強させようとするでしょう。そこで、私たちが特に関心を寄せているのは、子どもの社会感情能力の変化であり、一人っ子または兄弟のある子の家庭に於ける成長の様子の違い、また何に注意して教育していけばいいのかということです。私たちの研究からみれば、2つの面を重視して、子どもの社会感情能力を育成していくべきであり、そのために教師が特に注意を払うべき行動表現として、社会感情能力の学習を私たちの学習標準の中に加えました。主に2つの面ですが、1つは、自分に対する理解で、自分の情緒を理解しコントロール出来る、自分の長所をわかり、絶えず自分自身を励まして課題をやり遂げるということです。心理学での自尊感情(self-esteem)に近く、つまり自尊心ですが、その中に自分に自信を持つという意味を含めるべきで、そうすればさらに適切になると私は思っております。もう1つの面は、他人に対する理解にかかわることです。自己を理解するだけでなく他人も理解しなければなりません。これが私たちの言うエンパシー(Empathy)、共感能力というものです。私たちはこの2つは、とても大事な社会感情能力に関係していると考えております。もちろん、教育の過程で重視するべきことはたくさんありますが、今述べた2つの面は基礎であり、この基礎の上に子どもは徐々に生活することを覚え、社会の規則を守れるようになり、出会った人や出来事に対して合理的な行動を取れるようになるのです。

 では、何故、「実践により学ぶ」科学教育プロジェクトで特に子どもの共感能力と自尊心の育成に重点を置いているのでしょうか?感情の定義については一致した意見がなく、学術界では論争が続いています。私がここで用いた定義は著名な神経科学者のダマシオ(Damasio)博士の定義ですが、彼自身も後に少し修正を加えています。定義は、「情感」、「感情」、「心情」とは何かということを含んでいます。どうして英語から翻訳したのかというと、科学は連続しているので、ここで自分の定義を創り出すことは出来ませんし、必ず既存の科学理論と研究に関連させる必要があるからです。一人一人が行っている研究は科学研究の長い流れの中の小さな要素に過ぎません。社会感情能力の定義と内容は文化的背景と関係があって、アメリカ、中国、日本では、それぞれ違っているでしょうから、ここに掲げているのは比較的広く認められている基本的な内容です。例えば、正しく自己を律し、自分の感情をコントロール出来るようにすること。そうすれば、そんなに脆くならないで、課題をやり遂げる持続力をつけることが出来ます。それから、同様に他人の考えや感情を理解すること。そうすれば、思いやりを持って、他人を助けて良い協力関係を築く事が出来るようになるでしょう。私たちは、こうした社会感情能力は、子どもにとっては基本であり、極めて重要で、少なくとも知識を記憶することや技能を習得することと同等に重要なものだと考えています。現在、多くの保護者や教育界の方々は、子どもが今日幾つ字を覚えたか、どんな計算方法をマスターしたかということにばかり心を奪われがちです。今日は社会感情能力がどの位進歩しただろうかと気に掛ける先生や保護者は多分少ないでしょうね。

 実際には、私たちの脳には一種類の情報だけが貯蔵されている訳ではなく、少なくとも2種類のタイプがあります。まず、ヒトの脳の機能区分について理解しておきましょう。19世紀のドイツの神経解剖学者ブロードマン(Brodmann)は、顕微鏡でヒトの脳内の細胞の形態を観察し、細胞の形態に基づいて脳を52区に区分けしました。いわば脳の番地のようなものです。現在ではもう、科学者は大概さまざまな機能が脳区のどのあたりに関係しているのかわかっていますが、だいたいのところと言うしかありません。神経科学が驚異的な進歩を遂げているとはいえ、ヒトの脳はあまりに複雑なので、少しずつ知っていくしかないのです。話すことを司るのは何処か?次に、言語を理解するのはどの区の担当か?では、どの区が視覚に関係していて、どの区が行動をコントロールしているのかというようにです。

 カナダに、H.M.という患者がおり、重い癲癇病に罹っていました。当時、医者は外科手術による治療を行いました。医者が手術で切除したのは海馬と海馬辺縁と呼ばれる区域でした。この患者は、手術後、手術の2〜3年前の記憶は保てたものの、新しい長期記憶を形成することが出来なくなってしまったのです。例えば、カウンセラーの医師が毎日診察し、長時間話をしたにもかかわらず、医師がしばらく席を外して戻って来ると、「どなたですか?」と尋ねるのです。もうその医師がわからなくなってしまったのです。彼は、新しい長期記憶を形成出来なくなりましたが、タイプライターを打つとか、自転車に乗るとか、幾つかの技能を習得することは出来ました。このことから、ヒトが脳内で覚えたものがある区域に貯蔵されていて、その区域を切除されてしまうと、もう二度と出来事の内容や筋とか名前などの記憶を新しく形成することは出来なくなるが、新しい動作を学ぶことは出来るということが明らかになったわけです。一つの例をお話ししました。

 もう一人別の患者でゲイジ(Gage)という人は、アメリカの鉄道工事の作業員でした。あるとき、作業中の事故で突然爆発が起き、鉄の棒が彼の頭に貫通してしまったのです。幸運にも即死ではありませんでした。急いで宿泊所に行き、医者に数針縫ってもらい、命が助かったのです。ハンナ・ダマシオ(Hanna Damasio)博士と同僚たちは最新画像技術を用いてゲイジの死後の頭部を画像で復元しました。現在その頭蓋骨がハーバード大学の医学院の博物館に収められています。ゲイジは、傷が治った後、IQは決して低くなかったのですが、適切に人間関係を処理したり、正しい意志決定をすることが出来なくなり、何をすればいいのかわからず、ぶらぶら遊びまわり、結局比較的若いうちに亡くなりました。この病例は、脳には意志決定を担当する区域があって、そこが価値基準を担っていたのだという事実をはっきり示しています。以後、神経科学者が研究を重ね、少なくとも現在比較的主流となっているのが、脳には2種類の記憶があるという見方です。その1つは、陳述性記憶と呼ばれ、認知科学でいう顕在学習に対応するものです。それは、毎日私たちが子どもに教えている知識であり、覚えさせている色々な法則であり、算数であり、つまり、意識的で、思い出すことが出来て、言葉と文字で表すことが出来る知識ですが、ではどこにしまってあるのでしょう?それは、海馬と海馬傍回に貯蔵されているのです。しかし、感情については、特に子どもが小さい頃に大人が傷つけたり、或いは虐待やネグレクトといった行為、幼児期の子どもをかまってやらないこと自体子どもを傷つけることになりますが、こうした情報ははっきりと表現することが出来なくても、子どもの感情記憶に入り込んでいて、性格の一部に変化しています。この他、私たちの行動や習慣、母語の文法も含めて、これらの技能や習慣は考えることなく行動しているもので、一般に潜在学習と呼ばれており、知らず知らずのうちに習得したものです。これらは非陳述性記憶と呼ばれています。そして扁桃体という部位が、感情記憶の主要な区域です。尾状核、被殻を含む基底核と小脳は、手続き記憶の区域です。海馬とその周辺の区域は、明確に話せる知識を記憶するところで、私たちが子どもに毎日、もう習ったかい?などと尋ねていることは、そこで記憶されている情報なのですが、もちろんそれも大事なものですよね。でも、非陳述性記憶もとても重要で、感情記憶は性格に影響するだけでなく、認知と意志決定にも影響を与えます。運動記憶も重要です。優秀なスポーツ選手になるには小さい頃から訓練を始めるべきで、小さい頃から訓練するから高いレベルに上れる、それは何故でしょう?もし今、ピンポン球が飛んできたとして、卓球選手がこれからどの方向から受けようか考えたりしたら、負けるに決まっていますよね。優秀な選手は考えることなく球に反応しています。これが、非陳述性記憶のお蔭なのです。ですから、ヒトの記憶系統は決して一種類だけではないのです。

 ここで、私は特に感情記憶についてお話ししたいと思います。扁桃体は感情の発動機と呼ばれており、恐れの感情に対する反応と記憶の区域です。恐れは、体内のホルモン系統に影響を与え、体の状態に影響を及ぼす可能性があります。例えば、私たちの体は、脳とその外部とはHPA軸というもので繋がっています。簡単に言えば、もし、子どもが長期に渡って慢性的な圧力と脅しを受けていたとしたら、コルチゾンの分泌が正常でなくなるでしょう。現在の医学ではすでに知られていますが、長期に緊張状態が続いて、コルチゾンの分泌が一日中正常レベルでないとしたら、海馬は萎縮して、学習能力も下がると思われます。

 私はさらに、この場で強く申し上げたいのですが、子どもの先天的な遺伝子と後天的な教養は、共に子どもの感情能力と性格の形成に影響を与えているのです。一つの例を挙げることが出来ます。ハーバード大学のケイガン(Kagan)教授とメリーランド大学のフォックス(Fox)教授が、子どもの気質についての研究を行っています。フォックス教授は去年私どもの実験室においでになり、その研究を紹介してくださいました。彼らは、子どもが生後4ヶ月の頃、ある実験によって気質を分類できることを発見しました。それは大まかに2種類に分けられ、1つは比較的内向的、もう1つはあまり内向的でないというものです。その子どもたちが20歳を過ぎた頃、もう一度その内の22名に対し、MRIを用いて脳部の画像検査を行いました。その結果、幼年時に異なる気質を持っていた子どもたちは、大きくなった後でも、未知の出来事に対する脳内の扁桃体の反応はやはりそれぞれ違っていることがわかりました。元々内向的気質に属する子どもの扁桃体は、未知の出来事に対する反応が依然として比較的大きかったということは、先天的なものが或る程度影響していることになります。しかし、同じく内向的気質の人でも、大人になってから変わった人もおり、違う類型に分けられました。また、性格と感情能力ともに正常の人もあれば、少し劣る人もあり、さらには精神疾患の症状が出ている人もありましたが、恐らく早期の教育に関係があると思われます。ですから、早期教育の方法も子どものそれぞれの気質を考慮しなければなりません。同じ教育方法でも、この子には合うが、あの子には合わないということになりましょう。成人してからの学生も、同じ出来事について耐える力に違いがあることがわかります。叱責されても、それに耐えられる子どももいますし、少しでもきつい叱り方だと、もう耐えられないかもしれない子ども、果ては自殺してしまう子どももいるかもしれません。


 ここでもう一つ、アメリカのウィスコンシン(Wisconsin)大学の科学者の研究結果をご紹介しましょう。この研究とは、どういうものでしょうか?私たちはMAO−A遺伝子と呼ばれるものを持っています。まず科学者によって、オランダのある家族について、MAO−A遺伝子が始動する区域に変異があり、その家族の男性の子孫に凶悪犯罪を起こす者が明らかに多いことが発見されました。後に、ウィスコンシン大学の科学者がニュージーランドの子どもの追跡調査の状況について研究しました。この研究は、MAO−A遺伝子に変異が認められる子どもは、早期の教育環境に、より敏感に反応することをはっきりと表しています。遺伝子変異の子どもが早期教育においてネグレクトや虐待行為を受けていた場合、成人してから凶悪犯罪を起こす確率が高くなっています。それに対し、MAO−A遺伝子に変異がない子どもは、大人になってからの行動は、早期教育環境についてそれほど敏感ではありません。

 要するに、社会感情能力は人の一生にとって重要なものであり、実際には、社会感情能力が人の一生の成功と満足を決定づけます。知力は自分がどのレベルにおいて、どんな分野で成功出来るかを決定するだけです。例えばエンジニアは、総じて科学者や文学者ほど賢くありません。私がまさに技術系なのですが、大江先生は智慧のある方なので、優れた文学者になられたという訳なのです。そうではありませんか?しかし、職業は違っても、人はみな楽しくて成功した人生を送ることが出来ます。ところが、社会感情能力に問題が起きると、人の一生は、楽しくないばかりか、成功することも難しく、ひいては一気に崩れることだってあるのです。

 現在、多くの親、中国での統計でわかったのは、80%位の親が重視しているのが、子どもがどんな知識を学んだか、教科書の内容や、新しい漢字をどれだけ覚えたか、算数はどれだけ問題が解けるかというようなことで、子どもの感情能力の育成にはあまり関心が払われていません。中国のある調査結果によれば、子どもの方は今、親や先生に否定されるばかりなのはいやだ、親や先生に自分の考えを理解し、関心をもってもらいたいと思っているのです。現在、少子家庭の社会でも、一人っ子家庭の社会でも、子どもの発育を支える4つの環境すべてに変化が起きています。特に家庭と友達をめぐる環境に大きな変化が起きています。現在中国は社会の転換期にあり、子どもはそれぞれ異なるグループに分かれています。だから子どもたちの社会感情能力の育成を特に重視しなければなりません。

 例えば、社会感情能力の育成では、共感する力を養うことを主張しています。共感する力は、神経学が基礎となるもので、共感出来る力はミラーニューロンの発育に関係があります。ミラーニューロンは、出生後に育てることが出来るもので、早期の教育を行う者の態度に深く関係しています。私たちはすでに「漢博」サイト上で、ワシントン州で発表された0歳から60ヶ月の子どもの各段階で必要とされる共感能力の表し方、及び養育者への提案を編集して載せております。中国の教師や保護者の方たちに是非この基準を見ていただきたいと思っています。また、「実践により学ぶ」教育標準にも、社会感情能力の内容を加えております。科学教育は、社会感情能力を養うための大変良い方法です。


 教育を行う上で、子どもの感情能力の育成に気を配るだけでなく、その評価方法も向上させなければなりません。ペーパーテストも一つの方法でしょうが、それだけに頼ってはいけません。私たちの実験室では生物医学プロジェクトの検査方法を進めています。例えば、Baby Lab(赤ちゃん研究室)を開設しました。Baby Labには、ブルートゥースシステムを使って皮膚電流や心電図、呼吸、心拍数、子どもの表情と動作などを調べ、一定の情況下での子どもの生理反応を測定します。顔の表情によって、6種類の基本感情に分けられました。私たちの実験室の陸祖宏教授は、如何にして口から落ちたものの中からMAO−A遺伝子を測定するかという研究をしております。顧忠澤教授は、東京大学で博士号を取り、藤島先生のもとで9年働きました。今は帰国して、ナノ繊維によるコルチゾンの測定を研究していますが、唾液から採取したものでも測定が出来るのです。私たちは、最大の努力を尽くして、良い教育をしていきたいと思っております。

 インテリジェント経済の社会に於いては、科学と社会の関係に根本的な変化が生まれ、科学はすでに社会文化の一部分を担っています。かつては、科学者であれば、知識をどうやって発見しようかということのみに関心を持っていたでしょう。しかし今は、科学者には、その知識を用いて社会にどう貢献するか考えることが求められています。社会に貢献することは、知識を物質に転化するだけでなく、教育に生かすことに力を注がなければなりませんが、それは具体的な製品を作るよりもっと重要なことかも知れません。

 最後に、たくさんの方々に感謝しなければなりません。私を支えて下さった多くの皆さんの素晴らしいお仕事のお蔭で、今日こうして、報告を行うことが出来ましたこと、深く感謝いたします。私の報告はまた、「中国教育部子どもの発展と学習科学重点実験室」と、「漢博教師養成センター」を代表して行ったものです。それから過去5年に渡って、私たちと一緒に<実践により学ぶ>科学教育の実験を行ってきた教師や保護者の方々、また、フランス科学アカデミーのLa main à la pâteプロジェクトに感謝致します。私たちのプロジェクトは、アメリカのGE基金会と中国香港の李嘉誠基金会の資金援助を受けて行われたものです。同じくこの場をお借りして感謝申し上げます。

 皆様、私の報告にお付き合い下さいまして、ありがとうございました。

   
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