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小林登文庫


「子ども学」事始め
掲載:1997/07/18

母と子のチークダンス
 −母親の声に合わせ〜手や体の動きを同調させ交流−

 人間関係を結び、人間が家庭や社会で生活をしていくのに、情報のやりとり、コミュニケーションは必須である。人間は、いろいろな手段を駆使して直接的に、あるいは通信機器を介して間接的にそれを行っている。
 
コミュニケーションの手段については、5でふれたが、ここで少し整理してみたい。大きくは、生物学的なコミュニケーションの手段と社会・文化的なそれとに分けられよう。前者の代表は、笑う、泣くなどの表情であり、後者のそれは、文字・符号、儀式などである。話し言葉とか動作(例えば握手・おじぎなど)は、前者と後者の組み合わせと考えられる。

 さらに、コミュニケーションの手段を、ひろく「言語」として整理するならば、(1)音声言語(話し言葉)、(2)行動言語(表情、動作、儀式など)、(3)シンボル言語(文字・符号・図形など)の3つに分けられる。また、音声言語や行動言語では、コミュニケーションの「場」の果たす役割は大きい。それは、声のリズム・ピッチ・抑揚、さらには服装などがつくるものである。

 赤ちゃんは、音声言語は勿論のこと、シンボル言語も使うことは出来ません。したがってなん語が出るまで(生後おそくて6ヶ月)、泣くとか笑うとかの行動言語を介してしか、コミュニケーション出来ない。しかし、豊かな母と子の絆で結ばれた母子間では想像以上にコミュニケーションも豊かであるように見えます。そこには、どんな仕組みがあるのであろうか。

 もう25年前になるが、アメリカから、母子間では、母親のわが子に語りかける音声のリズムに、赤ちゃんの手の動きが同調する現象が見られるという論文が出ました。

 それを読んだ時、筆者は驚くと共に、生まれながらにして、赤ちゃんは、このようなコミュニケーションの力をもっている事実を知らなかったことを、小児科医として、恥ずかしく思ったくらいです。同時に、その報告を、より説得力のある方法で追試したいと考えたのである。東大在職中だったので、工学部の研究者とチームを作り、約1年程でそれを証明することができたのである。

 母親に、生まれて1日目のわが子に、いろいろと語りかけさせ、それを上からビデオにとって、そのフレームをコンピュータで碁盤目に切って、手を二次元化してモザイクにした。そして、手の動きによって、消えたり現れたりした升目の数の総和の時間的変化を追って波にした。そして、手の動きの波と母親の声の波との間に、どのような関係があるかをコンピュータで計算したのである。

 その結果は、アメリカの報告の通りで、母親(成人)の声の波に、赤ちゃんの手の動きが、母親の語りかけのそれぞれのフレーズの始まりから、少しおくれて引き込まれるように同調し、そのピークが出たのである。われわれの報告は、報告された現象をコンピュータ処理による高度な方法で、定量的に追試証明したものとして、世界的な評価を受けた。

 この現象をエントレインメントと呼び、難しい言葉で言えば、非線型リズムの同調現象で、生物のいろいろな現象の中に見られるものである。その代表は、時差ボケの消失である。すなわち、旅行先の日照リズムに、出発地の生体リズムが、数日かかって同調するエントレインメントによって消えるものである。

 このコミュニケーションに見られるエントレインメントは、母親以外の成人、われわれの場合は小児科医や看護婦さんと赤ちゃんとの間にも見られたのである。さらに、新生児は、自分の泣き声にも同調して手を動かし、泣きつづけているうちに、泣き声のリズムに合わせて、手を動かす傾向も見られたのである。

 赤ちゃんの脳の中には、音声と行動(体動)のリズムを同調させる内在的な仕組みがあり、それこそが、コミュニケーションの基礎的なプログラムではないかと考えられるのである。

 赤ちゃんは、生まれた時点から、このプログラムを駆使して、母親の優しい語りかけの音声のリズムに手や体の動きを同調させることにより、あたかもチークダンスをしているように母子はリズムに乗るのである。それによって、母と子の間に心の絆が出来ると共に、コミュニケーションの場をつくり、情報を共有するようになり、母親の発した言葉を模倣・学習・記憶して言語発達するのである。

 生物学のコミュニケーションの手段は、音声と行動のリズムの同調によって社会文化的なそれを取り込んでいるといえる。

全私学新聞 97年4月23日号 掲載分に加筆、修正した




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