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小林登文庫


「子ども学」事始め
掲載:1998/07/03

臨床教育学@−いじめ

 「いじめ」の問題は、臨床教育学の大きなテーマのひとつである。今回は、まずそれをとり上げることにしたい。

 「いじめ」は昔からあった。個人的な話になるが、筆者がターゲットにされていて泣く姿をみて、いじめている子を飛び出してしかろうと思ったという話を、母親から聞いたことがある。1930年代、東京杉並のはずれは、善福寺川の流れる水も澄み、武蔵野の雑木林の春は、萌え黄いっぱい、秋の紅葉のくれないもあざやかで、自然は豊かであった。のんびりした、そこの小学校での話である。

 今そのことを思い出すことはない。最近年一回の小学校のクラス会で当時の友に会うようになったが、そこでは何のしこりも出てこない。しかし、現在の「いじめ」は、過激であり陰湿であって、自殺の原因にもなる点が大きく異なるのである。一体何がそうさせているのであろうか。

 「いじめ」が子どもたちの生活にいつもあったとしても、特に目立ち始めたのは、戦後の荒廃の中から遮二無二働きつづけて、わが国の社会が、物質的にやっと豊かな生活をエンジョイし始めたころであった。最も初めは校内暴力で、学校が荒れた1970年代につづいて、それが収まるとともに、「いじめ」が増加し始めたのである。

 「いじめ」が自殺にまで発展したのは1984年、その後年々増加し、1986年の東京での「葬式ごっこ」、1993年山形の「マット事件」、1994年愛知の「大河内君事件」と悲惨な事件が相次いだ。

 現在、「いじめ」は年間6万件ほど発生し、小学校・中学校がそれぞれ約45%を占め、残りの10%たらずが高校でおこっている。

 「いじめ」は、わが国に特有な教育問題であると考えられていた。それは、過激な受験競争や管理教育のプレッシャー、島国根性による異質性に対する不寛容や不耐性、キリスト教精神に欠け弱者に対する思いやりがないこと、そして人権意識が未成熟なため、などなど理由がその説明であった。

 しかし、よく調べてみると北欧三国、とくにノルウェー、そしてイギリスでも、1970年代から多発していたのである。イギリスにしろ、ノルウェーにしろ、豊かな国であることには間違いない。豊かさによる人間の「さが」とでも言えるのだろうか。

 「いじめ」を英語で”bully”という。そもそもは愛人(男も女も)という意味の英語であったが、「用心棒」「ポンビキ」「ひも」などの意味になり、ついで「いばりちらす人」「あばれ者」などの意味に使われ、前世紀末か今世紀に入って「いじめ」をさすようになったようである。現在のように教育問題としての「いじめ」は最近で、英語圏でもまさに新しい出来事なのである。

 「いじめ」は昔からあったというが、昔のは、社会的偏見や差別による異質性なものの排除が多かったのではなかろうか。筆者自身も、当時の小学生仲間からみれば異質な存在であったことは間違いない。その杉並コミュニティーは、農業をやっている家、商家、そして交通網の発達とともに、長屋や集合住宅ができはじめて急速に増加した勤め人の家などから成り立っていた。

 私の父は絵描き、杉並の豊かな自然を求めて、筆者が小学校に入るまえに移り住んだのである。芸術家の子は、まさに異質な家庭文化の子であった。だから「いじめ」のターゲットになったものと思う。

 また、不良グループの子どもが、そのまわりにいるグループに入らない子どもを「いじめ」のターゲットにするというタイプも、昔からあった。いわゆる非行のひとつで、暴行や恐喝である。

 もちろん、グループ内でのリンチ的な「いじめ」もみられる。非行グループのボスが、中間層の子どもの中から実行者をえらび、それに申しつけて、グループの特定の子どもを「いじめ」のターゲットにする。このタイプも昔からあったものであるが、最近みられる「いじめ」の中にもこのタイプがあり、深刻な事例が出てきているのである。

 しかし、従来あまりみられなかった新しいタイプの「いじめ」も出て、それが大きな問題になっているのである。この点を次回に考えてみたい。

全私学新聞 平成10年5月3・13日合併号掲載分に加筆、修正した




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