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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
プロローグ「愛と心のプログラム−1」

2万年前――母と子はどうだったか

 いきなり唐突な話ですが、最近になってわが国の遠い昔のことが、いろいろと明らかになって来ました。鹿児島で見つかった1万年以上も前の上野原遺跡、青森で見つかった5千年前の三内丸山遺跡、佐賀で見つかった4千年前の吉野ヶ里遺跡、私たちの祖先が狩猟・採取の縄文文化、稲作農耕の弥生文化をつくりながら、どのように生き抜いてきたかを私たちに教えています。時代は2万年近くにさかのぼることになりますが。2万年前――そのころのお母さんたちは、いったいどんな子育てをやっていたのでしょうか。考えてみても、それはなんとも楽しい想像だとは思いませんか?
 母親たちは、当時も今と同じように、左側の胸に赤ちゃんを抱いておっぱいを与え、赤ちゃんの目をみつめながら、ほほえみかけたり、あやしたりするスタイルをとっていたに違いないのです。そして、勿論のことまわりの大人達、特に女性達はその子育てを助けていたものと思います。
 その赤ちゃんも、今と同じように生まれてから1年近くは歩くことはもちろん、立つことも充分かなわなかったでしょう。しかしお母さんは赤ちゃんがわかろうとわかるまいと、身のまわりの世話をしながら、自然に話しかけ、抱っこしたに違いありません。そして、赤ちゃんは育ち、笑ったりするようになり、言葉を覚えていったのではないでしょうか。
 今から2万年前といいますと、人類学のうえではすでに「新人」の時期に入っています。つまり、この地球上に最初に現れた450万年前の猿人、そして原人、さらにネアンデルタール人などの旧人類よりは一段と進化し、現代人とほとんど変わらない段階に達していたのです。もっとも最近のDNA鑑定で旧人と新人は関係ない、新人も旧人と同じように原人から進化したとされています。
 そういうところから考えてみると、たしかな証拠があるわけではありませんが、赤ちゃんに対する母親の子育てのやり方は現代人と新人では基本的に大きな違いはなかったのではないかと思われます。
 考えてみれば、450万年前に、アフリカに現れた猿人たちだって、原則的にわれわれとほとんど違わない子育てのやり方だったに、違いありません。
 それはチンパンジーの子育て行動をみればわかります。なぜならば、1千万年近くも前にチンパンジーやゴリラと分かれて猿人に進化したと考えられることばかりでなく、チンパンジーとわれわれ現代人とでは、遺伝子のレベルで見ても、数%しか違わない事実も、それを確かなものにしているからです。私の20年来の友人、ジェーン・グドールさん(イギリスの女性霊長類学者)の研究によって明らかにされた、チンパンジーの子育てのやり方を見れば、われわれと多くの共通点があるのです。
 更に、猿人から進化した原人の生活から考えても言えるのではないでしょうか。旧人は、少なくとも埋葬といういとなみを行う心をもっていたことは確かですから、子育ても本質的にわれわれと同じであったように考えられます。
 したがって、われわれの子育ての本質は、数100万年の人間進化の歴史の中で、不易なものとして存在することを、まず皆さんは考えていただきたいと思うのです。
 人類の進化とひとくちにいってもいささか茫洋としすぎていますが、その中心的役割を果たしたのは遺伝子です。その中に、進化の過程で蓄えられた情報が存在するのです。
 人間は細胞の寄り集まったものといえるのですが、じつは細胞は、核とよばれる核酸分子の集合体を中心としてつくられている生命の基本単位です。そして、その核酸こそ生命の基本であり、いわゆる遺伝子が存在しているところです。
 生命は約35億年前にまず核酸の基本的な構造が生まれ、つづいて核酸を中心として膜がそれをつつみ込んで単細胞が形成され、細胞がいくつか集まって多細胞動物へと進化してきたと考えられます。なぜそうなったのかといえば、核のなかに含まれる遺伝子の量と組みあわせがじょじょに変わってきたからだと考えられるのです。
 なぜ変わったかについては、今のところ定説はありません。いくつかの核酸が結びついたり、核酸の一部が変化したり、新しいものができたりして、周囲の環境に適応するものが選択されて、生き残ったからだともいえるし、おおざっぱに自然の摂理、超自然的な力、神の力によるといってもよいでしょう。

遺伝子のシナリオどおりに赤ちゃんになる

 核酸からはじまった生命の進化の方向はまことに多種多様です。植物になったり、動物になったり、動物も昆虫になったものもあり、鳥や魚になったものもあるというぐあいです。もちろん、途中まではお互いにいっしょだったのです。
 人類はそのなかの脊椎動物のうち、母乳で育てられる哺乳類の仲間として進化してきた動物です(ちなみに人間の分類は「脊椎動物門・哺乳動物綱・霊長類目・ヒト科」なのです)。35億年前から現在までに、この進化によって、どれほどの数の遺伝子の組みあわせができたか、とても計算しきれません。その組み合わせの中から霊長類(猿)が進化し、猿から分かれたわれわれの遠い祖先は歩きはじめ、言葉を使いはじめて、大脳、さらに前頭葉が発達して「ヒト(らしい動物)」に進化して、その後の450万年のあいだに、われわれのような人間に進化したのです。
 だからこそ、われわれは体の細胞のなかに、多様な遺伝子の複雑な組みあわせをもち、進化の過程で獲得した情報をもっているのです。それに対応して、1個の受精卵は、父親、母親の新しく組合わされた遺伝子によって決まったシナリオのもとに、胎児、新生児、子ども、そして大人に育っていくとともに、私たちは生きていくための、たくさんの体の働きをするシステムをつくっているのです。例えば考えるための脳のシステム、呼吸するための肺気管のシステムというようにです。
 現在、人の細胞1個のなかには4万くらいの遺伝子があると計算されています。しかし、最近の分子生物学や遺伝子工学の進歩で明らかにされつつありますが、構造や機能のはっきりしている遺伝子は4千程で、その他の大部分は、人間の生命活動とは直接関係がない、あるいは働きがよくわからないのです。しかし、きわめて多数の遺伝子が体のシステムばかりでなく、それを働かせるプログラムも同時につくり、誕生から死にいたるまでの人間の生存に必要な心や体の多彩な機能を発揮していると考えられます。
 システムとかプログラムとかいっても、なかなかわかりにくいかもしれませんが、自然を情報論的にみるひとつの立場からの考えです。システムとはある目的をはたすいろいろなものの組合わせです。ここでは人間の体を、生きる
ことを目的とした細胞を組合わせた組織、組織を組合わせた臓器、臓器を組合わせたシステムとみるのです。そして、プログラムとは、それを働かせて生理機能を発揮させるコード(暗号のようなもの)を組合わせたもの、とくにそこでは神経の働きは大きな役を果たします。ある意味で人間をコンピュータになぞらえる考え方で、お読みになっているうちに理解されるでしょう。
 プログラムには、生きていくのに必要な生理機能を発揮する体のプログラムと、考えたりおどろいたりするのに必要な心理、精神機能を発揮する脳の中に存在する心のプログラムとがあります。
 私たちの体のそれぞれの細胞のなかには、受精したときにつくられた父親(精子)と母親(卵子)からもらった遺伝子の組合わせのすべてが存在しています。それは受精卵が細胞分裂して全く同じ細胞2個をつくり、この分裂をくりかえして数をふやしながら、もっている遺伝子のなかでかぎられた数だけの遺伝子だけを働かせ、また不必要な遺伝子の働きをおさえることによって、細胞を分化させて、いろいろな機能や型をもたせたのです。そのいろいろの機能をもった細胞のそれぞれを組合わせで、手足や目や鼻、口などはもちろん、脳や肝臓・腎臓などの内臓など、体のすべてのシステムをつくり、生きていくのに必要な機能が発揮出来るようにプログラムもつくり上げているのです。それが遺伝子に書かれたシナリオなのです。そのシナリオによって、誰の力もかりずに、自分で作っているのです(自己組織化)。空恐しいほどの神秘の世界というのは、こういうことをいうのではないでしょうか。
 子どもの体を作る遺伝子の半分は父親からのものであり、別の半分は母親のものであるということは、父親にとっても、母親にとっても、半分は他人であることを意味します。それは、子育ての実践で大切なことです。何か子どもの悪い点が気になったら親はそれぞれ自分の遺伝子によるものと思い、良い点があったら父親は母親の、母親は父親の遺伝子によると思えば、夫婦なかよく子育てが出来ると思うのです。この他人性は年齢とともに強くなりますから、思春期頃から子どもの立場を尊重するのは、子育てにとても重要なことです。
 遺伝子のシナリオどおりに1個の受精卵(その大きさの直径は約10分の1ミリ、重さは測定が困難なほど軽い)が分裂・増殖し、そして分化して、細胞にそれぞれの型と機能をもたせ赤ちゃんの体をつくるのです。生まれたときの赤ちゃんの体重は3キロほど、そして、赤ちゃんの体は約60兆の細胞をもつ50キロ程の大人の体に成長していくのです。
 こう考えてくると、赤ちゃんの誕生とは、この地球上に人間があらわれてからの長い歴史のなかの、この遺伝子の伝達のひとこまになっているといえるのです。しかも、まったく新しい遺伝子の組合わせを作って伝えているのです。勿論、一卵性双生児は別ですが。赤ちゃんをこれから生み育てようという方は、そういう悠久の人間の歴史に思いをはせ、自分が演じつつある役割をしっかりとみすえていただきたいと思うのです。

このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。


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掲載:2001/03/30