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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
プロローグ「愛と心のプログラム−2」

人間としての特徴は「心」であり「文化」「文明」をもつことである

 ところが、赤ちゃんの誕生と体の成長や機能の発達を、遺伝子とか、細胞のレベルでみてみると、人間と他の生物、とくに他の哺乳動物とは本質的に違いはないのではないかと思われるでしょう。冷やかないい方ですが、じっさい、そのとおりなのです。
 医学や生物学の研究や実験に、小さいものでは、ゾーリムシ、ウニの卵など、そして動物では、猫、犬、モルモット、ネズミなどを使えるのはそのためです。特に、呼吸・循環など体の生理機能の研究には小さな動物でも充分なのです。しかし、決定的な違いがひとつあります。人間を人間として特徴づけるものは、人間のもつ「心」であり、その心によってつくられる「文化」なのです。そして、それを「かたち」あるものにしたのが「文明」なのです。
 しかし、心といい、文化・文明といい、それがここで問題にしている遺伝子とか、体のシステムやそれを動かすプログラムになにか関係があるのでしょうか。「大あり」だとするのが私の立場です。そう思うからこそ、私はその立場に立って、赤ちゃんの育て方、生まれる前の胎児からの子育てについて深い関心をもっているのです。
 では、心とはいったいなんなのでしょう。その答えは決して簡単にはだせませんが、心は体の一部である大脳のひとつの働きで、知・情・意の3つの面をもっています。もっと具体的にいえば、大脳のなかにある知・情・意の神経細胞のネットワークが上述の心のプログラムによって活動しているとき、心の状態が発現するといえるでしょう。
 ちょっと考えただけでも、心の発現している状態で、知に関係しては、「考える」「憶える」「学ぶ」「まねる」「信ずる」「創造する」、情に関係しては、「喜ぶ」「悲しむ」「おそれる」、意に関係しては「したい」などがあります。また、「見る」「聞く」「さわる」などの5つの感覚機能、あるいは「話す」、さらには表情とか行動などのコミュニケーンョンの機能も心に関係します。
 そして、この心のさまざまな状態や機能に対応する脳の構造単位として神経細胞のネットワーク・システムがあり、それを働かせるプログラムがあると考えられます。1個の受精卵が数十兆の細胞をもつ「ヒト」になるのは、生命体が35億年かけて獲得した遺伝子のシナリオのなせるわざです。それと同じように、精神・心理機能システムとしての脳の神経細胞のネットワーク・システムや心のプログラムも、数百万年の時間をかけた人類進化の過程で脳の発達と共に獲得したものと考えてよいでしょう。

心のプログラムは人類共通にもっている

 人類には、いろいろな民族がいて、それぞれが異なった文化や文明を持ち、考え方に違いがあります。しかし考えてみればそれは共通点も多いのです。
 死者を悼むときや親しい人と別れるとき、民族や文化の違いをこえて人間は同じ悲しみを感じるでしょう。それは、脳のなかにある心の「悲しみ」のプログラムが中心となって脳の神経細胞のシステムが活動している状態なのです。また、チャイコフスキーのシンフォニー『悲愴』をきいているとき、背景となる文化や民族間の違いによって、心におこる情緒は多少異なるものであっても、ロシア人でも日本人でもほとんど同じの、あるいは共通の感情があるに違いないと思うのです。
 「話す」プログラムも人類が共通にもっているコミュニケーションのプログラムのひとつです。日本語で育てられるか英語で育てられるかによって覚えることばは違ってきますが、人種・民族のいかんを問わず、子どもは誰でも育てられる環境のことばを話すことができるようになることからも、それが言えます。ことばは文化なのです。
 こう考えてみると、すべてとはいわないまでも、相当な部分の脳のシステムと心のプログラムが人類共通のものと考えても、まったく不思議ではありません。それは、人間進化の長い歴史を考えれば明らかです。
 人類は、4〜5百万年前アフリカで現れて、百万年程前に中近東に移動し、北のヨーロッパに東のアジアにと向ったのです。この移動を決めたとき、人間らしい心の芽生えがすでにあったかも知れません。しかし、人間が人間らしい心をもったことを形跡に残しているのは旧人類、とくにネアンデルタール人そして化石新人クロマニヨン人の時代からといわれています。旧人のネアンデルタール人は今から10万〜3万5千年も前、この地球上の四十数カ所に住んでいたわれわれの遠い祖先と考えられています。発掘された当時の遺跡のなかには、体に障害のあった者とともに生活した、病める者を助けた、さらに、土葬した死者のうえに石を積み重ね、マンモスの肉をそなえ、そして火をたいて祈った――などといった人間らしい営みの形跡が残されています。さらには、花をまいた、薬草の一種とも考えられていますが、その花粉さえ残っているのです。ネアンデルタール人のあとに現れたと考えられるクロマニヨン人は洞窟絵画や象牙や土製の小さな女人像を残しているのです。もちろん、こういった形跡を残す以前から、人間は人間らしい心を少しずつ獲得してきたに違いありません。
 しかし、世界の各地で生活している人々が、種族は違っても同じヒトとして同じような心と体のプログラムをもちながら、違った思想や宗教、異なった文化や文明を現在もっているのは何故でしょうか。私にはそれは、アフリカに現れた人類が、中近東・ヨーロッパ・アジアと地球上に広がっていく過程の中で、住みついた場所の自然との関係の中で、さらにはそれに続いて形成された文化・文明の影響によって進化も多少なりとも変わったためと考えられるのです。
 精子と卵子が受精し、それが発育してヒトになること、胎児、新生児、小児、そして大人になる過程を個体発生といいます。これに対して、原始の海に核酸ができ、単細胞が生まれ、多細胞動物、脊椎動物になり、哺乳動物をへて、長い進化の過程によってヒトにいたるまでを系統発生といいます。ドイツの動物学者で進化論の立場をとる思想家でもあるへッケルは「個体発生は系統発生をくりかえす」と主張しました。
 そうであるとすれば、大人になりきらない赤ちゃんはもちろん、赤ちゃんになりきらない胎児であっても、ある時期から人間らしい心の芽生えをすでにもちはじめると考えるのは行きすぎでしょうか。少なくとも、ネアンデルタール人ぐらいの心を。
 そしてその原始的な(根源的というべき)心は、体が(より具体的には大脳が)進化してヒトに近づくにつれてより完成されてきたのです。子どもから大人への心の発達は、人の心の進化の歴史をたどっているのです。

このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。



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掲載:2001/04/27