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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第1章「胎児はなんでも知っている-5」

胎児はこんなことまでできる心をもっている

 生まれてすぐに歩き出す他の動物にくらべてヒトが早すぎる出産をせざるをえないのは、大脳が大きく発達しすぎて、それ以上長く胎内にとどまると、頭が産道をとおらなくなるからだとされているのです。しかし、その大脳ゆえに胎児は音楽や俳句のような高級なリズムも「理解」できるのです。意識はなくても、胎児にも基本的な心のセットアップはあるといえるのではないでしょうか。それは、プログラムと言えると思うのです。
 たとえば妊娠わずか14週の胎児が、母親の子宮内にできた筋腫のでっぱりにひっかかった頭を苦心惨憺してはずしてしまう光景が、偶然にもビデオに撮られたことがあります。私が班長をしていた母子相互作用研究班の故・夏山英一先生が撮影したもので、NHK教育テレビなどでも放送されましたから、ご覧になった人もいらっしゃるでしょう。
 手足を動かし、つっぱりながら首を横にまわしてスッとはずしたのですが、14週の胎児でも、ある意味で、反射運動を組み合わせて、ある目的にむけて行動をとることができる仕組みをもっていることを示しています。これをどういうふうに考えたらよいのでしょうか。
 メダカだって藻や水草、あるいは岩のあいだにはさまったら、一所懸命にでようとするじゃないか、だからメダカに心があるといえるのか、と反論する人もいるかもしれません。私はむしろ高度に発達した人間は、胎児のころから、そういう心のプログラムをもっている、つっぱったり、引いたりする反射運動を組合わせる力、あるいは少なくともそうした心の原型をもっていると考えたほうがよいと思うわけです。それは、学ぶとか考えるとかいう高度の精神機能のプログラムの原型のように私にはみえるのです。前に申し上げた「個体発生は系統発生をくりかえす」と考えれば、ネアンデルタール人やクロマニヨン人の心を示すいとなみの話からも、心の芽生えとみてもよいのではないでしょうか。
 胎児にも心があるという研究に関係して、西ドイツのパウル・ビック博士は、強い不安に襲われると、全身に「熱感」が走るという男性患者のケースについて報告しています。ビック博士はこの患者を催眠にかけてその記憶をたどりました。患者は胎生7カ月までのことについては、自然にごくふつうに話していたのですが、それより前のことについては強い不安を示し、口を開きませんでした。
 そして、体に熱感が走ったのです。ビック博士はその原因をさぐるため、母親に問いただしたところ、やっと真相がわかりました。母親は、妊娠7カ月目に入ったとき熱い湯に入って胎児を流産させようと試みたことがあるというわけだったのです。7カ月の胎児が自分の体験を憶えていた可能性を否定できないと博士は考えているのです。胎児の記憶というのは本当に不思議な世界でもあり、今後の研究が期待されます。

遺伝子情報につぎつぎスイッチが入る

 これまでにいろいろと申し上げた、胎児でもなかなかわれわれがやるような立派な行動をするということは、遺伝子でつくられた体というシステムが、遺伝子でつくられたプログラムで働くことを示しています。そしてそのプログラムを組み合わせて、より複雑な行動をとることも出来るようになるのです。
 たとえば、前に述べました、羊水に強い甘味を加えると吸飲活動が活発になるという事実は、はからずも甘味に対する好みが生まれつきのものであるということを証明しています。前にも書きましたように、私たちのエネルギー源はブドウ糖なのですから、生きるためにはそれも当然かもしれません。甘味がわからなければ糖分を口からとることが出来ません。
 当然、ひとことで片づけると味気ない気もしますが、このことをさらにつっこんで考えてみると、どうでしょうか。胎児が羊水の空間のなかで行なっていること、つまり羊水をのむ、甘味を非常に好む、歩行や呼吸の練習をしている――といったひとつひとつの行動は、誰に教えられることもなく行なっていることです。たとえ反射的であっても、胎児はそれを意識しないで行なっています。
 なぜでしょうか?
 それは人間が長い進化の過程で獲得した遺伝子の情報にもとづいて、体のいろいろなシステムが徐々につくられ、同じようにそれを働かせる遺伝子でつくられた基本的なプログラムも、すでに胎児の体内にセットされているからだといえるのです。プログラムというものは、体や臓器を機能させるコードの組みあわせで、それ自体が遺伝子でつくられると考えるべきものなのです。そのプログラムを試運転さえも胎児はしているのです。
 すでに触れましたように、心臓(の原基)は、妊娠4〜5週目で動きはじめます。胎児が生きていくうえで必要な心臓のプログラムは、比較的早い時期に、体のなかにある何ものかによってスイッチがオンになるしくみになっているのです。胎盤をとおして母親からもらった栄養や酸素を、胎児の体のすみずみまで送りこむのに、それが必要なのです。
 そもそも、精子と卵子が受精、結合して受精卵となり、それが細胞分裂をくりかえしながら神経組織や臓器をつくっていくというシナリオ自体、受精卵のなかにある遺伝子による発育のプログラムに、つぎつぎにスイッチが入れられてきた結果だと考えられます。それにくらべると、甘味を感じたり、吸う行動をはじめたりするプログラムのスイッチがオンになるのは、ずっとあとからの話です。しかし、あとからの話とはいっても、このいかにも人間らしいふるまいをスタートさせる時期は、まだ子宮のなかにいるときなのです。
 こう考えてくると、私たちはこれまでおなかのなかの赤ちゃんというものを、余りにも軽く考えてきたのではないでしょうか。まだなにも知らない、まだなにもわからない、母親の一部くらいにしか思ってこなかったのではないでしょうか。
 胎児のすぐれた能力、べつの表現をすれば、人間として育っていくシナリオのスイッチが、つぎつぎにオンされていく状況を知ったならば、その考えがいかに浅いものであるか、思い知らされることでしょう。ぜひ、妊娠中のお母さんは、それを考えながら、日々の生活を送っていただきたいと思うのです。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。


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掲載:2001/11/22