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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第3章「赤ちゃんのすばらしい能力-そのプログラムは体の成長、心の発達の原点−8」


柔らかな心のプログラムをよくするには

 ところが、心のプログラムになると、もっと柔らかいものではないかと考えられます。
 心のプログラムは、脳の神経細胞(ニューロン)を組合わせたネットワーク・システムを働かせると考えられていますが、なにかをやるときは、数百万個の神経細胞が組みあわされたシステムによって行なわれるといわれています。
 より人間らしい能力を発揮するには、前頭葉が働いていることがわかっていますし、そのほか側頭葉とか頭頂葉とか、あるいは視床下部といった、それぞれ働きに違いのある脳神経細胞が組合わさって、それぞれの精神・心理機能が対応してネットワーク・システムができ、そのそれぞれのプログラムにスイッチが入れば嬉しいと感じたり、悲しいと感じたり、考えたり信じたり、憶えたりするわけです。そういうプログラムと、たとえば前述の報酬システムなどが組合わされると、「意欲」が生まれるというしくみと考えられるです。
 このように、脳神経細胞には、無数といっていいくらいのニューロンのシステムと心のプログラムの組みあわせが考えられ、しかも、その組合わせは、われわれの想像以上に融通無礙に変わっていくものではないかと考えられています。個人個人の違いや、育児や保育、そして教育のあり方で子どもの変わっていくすがたをみると、とくに小児期では心のプログラムは非常に柔らかいものだといっていいでしょう。すなわち、それだけ環境の影響をうけやすいからだともいえるのです。
 心のプログラムも遺伝子によって基本的なプログラムが出来ると考えてよいと思います。われわれがみている気質というものは、そういった基本的な心のプログラムの組合わせと考えられるのです。しかし、育児や保育によってつくられる性格というものは、気質のような基本的のプログラムの組合わせを変えたものといえます。
 たとえば、知能というものを例にとってみると、頭のいい家系というのは読者のまわりにも、また歴史の上にもいくらもありますが、すべての子孫が頭がいいかといえば、必ずしもそうとはいえません。ごくふつうの知能をもつ子どももいるものです。逆に、両親の知能がふつうかそれ以下であっても、非常にすぐれた知能をもつ子どもに育つケースもあります。
 それは、遺伝子の組みあわせが入れ替ったりすることのほかに、環境と遺伝子の相互作用で、脳のプログラムの組み合わせが変わっていく可能性も示しているのです。だからこそ、人間は人間らしい力をもてるのではないかと考えられます。
 利根川博士が免疫の研究でノーベル賞をもらいましたが、その研究の内容は脳のプログラムが非常に柔らかく、環境の影響をうけやすいとする考え方を、側面から支える有力な材料です。
 利根川博士のその研究はもちろん脳とは直接関係ありませんでしたが、免疫に関係する遺伝子に関する研究だけに、そう考えられるのです。免疫の脳の機能と関係しているからです。さて問題の内容をごく大筋だけ述べると、体のなかにばい菌(抗原)が入りこむと、免疫に関係のある細胞が分裂・増殖してそれと特異的に結合する抗体が体の中に現れます。その抗体をつくるのも遺伝子の働きですが、計算してみると、体内にある遺伝子の数だけでは、つぎからつぎへと体のなかに入ってくる無数の抗原のパターンに対応しきれないはずなのです。それなのになぜつぎつぎに対抗する抗体ができるのか・・という疑問の解明が、研究のテーマだったのです。
 利根川博士はその疑問・矛盾を、遺伝子そのものが、抗原によって刺激され、分裂・増殖する免疫細胞のなかで遺伝子の組みあわせが縦横無尽に変化するから、つぎつぎに抗体をつくることができるのだということを実証して解決したのです。
 環境の変化に応じて(つまりこの場合は病原菌=抗原の侵入)、免疫に関係する細胞が増殖・分化するあいだに、遺伝子そのものが入れ替えられ、いろいろな抗原に反応する抗体をつくっているのではないかと仮定したところに、発想の転換があったのです。
 そういう思いもかけないような遺伝子の働きというものを考えると、脳に関係する心のプログラムというものが、非常に柔らかい構造になっている背景もおぼろげながら納得できるのではないかと思います。脳の場合は遺伝子の入れかえではなくて、心のプログラムの基本単位が、小さい子どものときの育児・保育や教育などによって、入れ替えられたり、組み合わされたりしているのかも知れません。
 そういった考え方は、いわゆる脳の可塑性にもつながります。子どものときの脳は、粘土の塊のようなもので、圧力を加えれば型が変わるように、刺激によって神経細胞のネットワーク・システムが変わるのです。すなわち、神経細胞は突起を出して、パートナーの神経細胞と接着して、シナップス(連絡)を形成して、システムを作るのです。乳幼児期は、とくにシナップス形成が活発で、環境の影響をうけやすいと考えられています。生まれてから、特定の刺激をうけないと、その刺激を感ずる神経細胞のネットワーク・システムができないことも知られています。
 赤ちゃんは「育つ」というプログラムももっています。それが心と体のプログラムとの両方に非常に深い関係があって、物質的なものばかりでなく、人間的な環境そのものもそれを働かせていると考えなければなりません。
 とりわけ、柔らかいシステム、環境によって大きく影響をうける心のプログラムを、健康で正常な状態でスムーズに働かせるために、私たちはなにをしなければならないか、なにをしてはいけないのかをよく考えてみる必要があるのです。もちろん、前に申し上げたように優しさが大切なことは、言うまでもありません。
 そういう考え方を育児や保育、そして教育の基本にすえることがもっとも大切なことではないかと、日頃私は思っています。最近、私は「いじめ」や「暴力」も考えようによっては、同じように説明できるのではないかと思うようになりました。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。



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掲載:2002/09/13