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小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
第5章「人生の出発点における優しさの体験―5」

母子相互作用だけですべてがきまるとはかぎらない

 さて、私はここまで、母子相互作用の観点から、赤ちゃん誕生直後からの抱っこやオンブ、添い寝といった豊かなスキンシップの重要性を強調してきました。抱っこはともかく、オンブや添い寝といった日本の伝統的な育児法を賞賛しすぎたきらいがあるので、読者のなかには、それを必ずやらないとほんとうの母と子のきずなはできあがらないのかといった疑いとともに、不安をもつ人もいるのではないかと思います。
 その問題について、ここで考えてみたいと思います。オンブや添い寝はスキンシップの方法のひとつであって、それをしなければよいきずなができないというものではありません。要するに、スキンシップを中心にすえた母親の積極的な働きかけが重要だ、ということです。
 また、これまでにも何度かふれてきましたし、つぎの章であらためて強調するつもりですが、母乳哺育ということについても同様です。たしかに母乳哺育は、栄養の面からも、スキンシップという面からみても、最高の母子相互作用の機会ですが、人にはさまざまな立場があり、どうしてもそれができないという場合もあります。そうしたケースでの母と子のきずなは、理想にほど遠いものになると単純に思いこむことは当然のことながら賢明ではありません。
 子育てというのは、これしかないとあまり思いつめないほうがよいのです。定石はないのです。ほとんどの母親は、子育てを気づかないうちにちゃんとしているものです。子育てのやり方は、母と子、父と子という人間関係、夫婦関係、さらには家庭という生活の場の中でそれにあわせて行うべきものです。
 早い話、生まれながらにして子どもが好きだという女性がいます。そういう人は、子どもをみるとかわいくてしかたがなく、すぐ手をだしてあやしたりします。こういう女性なら、たとえ未熟児を生んで、何週間もたってからでないと抱っこできないとしても、けっして愛情が浅くなるなどということはないでしょう。
 反対に、妊娠中は「子どもなんて結婚の『とばっちり』だ」などといっていた女性が、いざ赤ちゃんが生まれて抱っこしているうちにかわいくなって、母子相互作用でメロメロの母親になってしまうということも少なくありません。妊娠中に「子どもなんていやだなぁ」と思いつづけていると、生まれた赤ちゃんはそのことに気づいていて、母親のおっぱいを拒否するという極端な事例も紹介しましたが、生まれて抱っこしたとたんに、突然変異のように、愛のプログラムにスイッチが入って母性愛に目ざめる人も多いのです。こういうのも一種の生物学的メカニズムなのです。
 それと同時に、私たちは社会文化的なメカニズムのなかで生きているのだということにも気づいてもらいたいのです。人間は誰でもその地域や家庭に伝承されている文化のなかで生きていて、そのことが子育てのスタイルに生かされていきます。それはべつの表現でいえば、教育ということです。つまり、人間は教育によってさまざまに変わるのだということです。
 たとえば育児書を読んで子育てはどうすればよいかを学習することも、きわめて卑近な教育の例といえそうです。そのほか、親の道徳とか宗教というものも、子育てのスタイルや内容に影響を与えるでしょう。
 そういう、さまざまなメカニズムがある以上、子育て、あるいは赤ちゃんが大人になっていくプロセスというのはきわめて複雑です。母子相互作用があったかなかったかで、すべてがきまるというものではありません。要は、わが子への愛情です。

「軌道修正」ができる思春期は大きなチャンス

 わが国では長いあいだ、添い寝などとんでもない、別室でひとりで寝かせたほうがよいとか、泣こうがわめこうがきめられた時間がくるまでミルクをのませる必要はないとか、いわんやそのつど抱っこしてあやすなどというのは、子どもの自立の芽をつみとるようなものだ―かんたんにいえばそういう育児法が中心でした。
 子どもの自立という共通の目的をもちながらも、この本で強調してきた母子相互作用の育児法は、その理論とは正反対の方法です。それで、これまでの育児法にのっとって育児をしてきた人たちのなかには「しまった、間違いだったか」と、ホゾをかむ人もいるかもしれません。
 しかし、だからといってとり返しがつかないというものでもありません。オンブや添い寝をしてもらえなかった子ども、母乳で育てられなかった子どもがすべて、非行に走り、暴力をふるい、心身症をおこしたでしょうか。そんなことはありません。人間は信用できる、社会は平和であるという基本的信頼を確立しそこなってしまった? そんなこともありません。ほとんどの親子では問題がないのです。ただ、問題があったいくばくかの子どもたちが、その後の人生において、別の新しい問題にあい、その上軌道修正するチャンスを生かしきれなかっただけなのです。
 子どもは自分の力で大きく軌道修正できるのです。もちろん、それを優しく見守る人は必ず必要です。子どもは学び、考え、信じる力をもっているからそれによって、自らなおしていけるものなのです。その後の人生でとり返せるのです。乳児期にうまく行かなかったら、幼児期に取り返せばいい。幼児期に取り返せなかったら学童期に取り返せばいいのです。しかし、大きなチャンスは思春期のようです。思春期には、ホルモンがガラリと体を変調させて、急速に大人になり、脳の働きも活発になり、内面的なことも考えるようになるからです。
 そのときに、父親のはたす役割は大きいでしょうし、いい先生にあうとか、いい本にであうとか、いい音楽や芸術作品にであうとかいうことによって、もし乳幼児期・学童期に足りなかった部分があれば、そこで十分にとり返すことができると思うのです。
 親がそのことをよく承知していれば、みずから先生役をかってでることもできるのではないでしょうか。人間の脳というのは、それくらいソフトな構造をもっているのです。心のプログラムというのは、それくらい柔らかいものだと考えてほしいのです。子どもには、いつも優しいまなざしでみてくれる大人の誰かが必要なのです。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。


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掲載:2003/08/01