トップページ サイトマップ お問い合わせ
研究室 図書館 会議室 イベント情報 リンク集 運営事務局


小林登文庫


育つ育てるふれあいの子育て
エピローグ「子どもは21世紀の未来をひらく−1」


それほど理想的な母親でなくてもよい

 私は「子育てには定石がない」と思います。それぞれが夫妻関係や家庭のあり方の中で、やれるようにやればよいと思っています。しかし、この本を読んで、赤ちゃんを生み育てることのすばらしさ、母親が赤ちゃんにとってどれほど大切な人であるか、赤ちゃんにとって母親のはたす役割がどれほど偉大であるか、とくに胎児時代から生後1年前後までの赤ちゃんに対して母親がもつ大きすぎるくらいの責任、といったものを感じとっていただければほんとうに嬉しいと思います。そして、父親の積極的育児参加による母親への協力がいかに大切か、ご理解いただければ幸いです。
 もう15年程前になりますが、私は女流作家のKさんと対談する機会がありました。
 いわゆる「とんでる女性」のパイオニアのような方で、みなさんもよくご存じの方です。Kさんは3人のお子さんをおもちですが、おもしろいことに、私がこの本で強調した理想的な母親像とはある意味では正反対の方です。第一、子どもの子どもらしいところが嫌いだとはっきりおっしゃる方でした。
 そして「子ども嫌いで母親になってもなんとかつとまるものだ」といわれ、その理由を「やっぱり自分のガキだから我慢できるというところなんでしょうか。忍耐を知りますね、母親になると」と申されました。ことばは乱暴ですが、サラッとおっしゃられました。でも、どこかにわが子を可愛いと思う心を、私は感じることが出来ました。Kさんは子どもが嫌いだという自分の気持ちを率直に認めたうえで、わが子に対する愛情の基盤にのって、母親としてあるべき責任感、倫理、道徳で自分を支えながら、なんとか子育てのプログラムを働かせて子どもを育てられたのでした。そして、女として生きる姿を子どもたちに強く示したのです。
 Kさんほどではなくても、たとえば「子どもは2人までと思っていたのに3人目が生まれてしまった」とか、「経済的に苦しいからあと2年は生むまいと思っていたのに妊娠してしまった」というような状況に立たされている方も多いと思います。そういうときは「縁があって、この子ができた」と思ってみたらどうでしょうか。あるいは「神様が下さった」と思われても良いでしょう。
 はじめは嫌いでも、育てているうちにかわいくなります。一度でもニコッと笑ってくれると、もうどうしようもないくらいかわいくなるものです。そういう気持ちになるのも、母親にそうなる心のプログラムがそなわっているからなのです。
 私はこの本のなかで、エントレインメント、つまり赤ちゃんはことばがわからなくても、話しかけたら必ず手や顔の動きに同調して反応するし、ことばのリズムに引きずりこまれるように手の動きをあわせる能力をもっていることも紹介しました。さらに、それが話すというプログラムを熟成させ、やがてコミュニケーションのプログラムがスイッチ・オンされるための大切なステップであることも強調してきました。そんな、素晴らしい力もあることを忘れないでいただきたい。子ども達は育つ力を持って生まれるのです。そして、赤ちゃんの心をよみとる力をもって、母乳哺育、オンブ、抱っこ、添い寝など、スキンシップ豊かな子育てをすればよいのです。ともに、そういうかたちでの母子相互作用の積み重ねが、母親の母性愛をつよめ子どもの心を読みとる力を強めるのが、育児の基盤となることもお話しました。育てる力を作り上げるのです。

時代は変わっても育児法は変わらない

 この本でも強調したように、赤ちゃんのときの育児の本質は、まず母親と子どもの人間関係をどのようにしてうまくつくりあげていくかということに尽きると思います。とくに生後1年間、あるいは2年間ぐらいは、赤ちゃんはまったく母親依存の状態です。
 この点を読み違えて、全面的に依存する相手は母親でなくてもかまわない、と最初からきめてかかるのは、かなり問題が多いことは経験上否定できません。いつもそばについている女性は、やはり母親であることがまず必要なように思えます。しかし、生みの親より育ての親で、何かの事情があって、養子にいった場合でも、ちゃんと親子関係はつくれますし、子どもは育つのです。もっとも、逆に母親がわが子によって母性愛を育てられるのは、分娩後の比較的短い期間のようです。子どもにとって、2〜3年間の母子相互作用、あるいはそれに準ずる作用があれば、アタッチメント(愛着)はできますが、実験的に証明はできませんが、母親にとっては1年間以内、離乳するまでの期間が母性愛の確立には重要なようです。もちろん、その裏には、父親の積極的な育児参加は必須です。
 とはいっても、Kさんの3人のお子さんの例をとるまでもなく、そういう好ましい条件を満たすことのできない場合があります。とくに、社会の進む方向にそって、女性の生き方が変わってきた現在、母親が子どものそばに1年も2年もついていてやれないというケースがふえています。
 たとえばアメリカでは子どもを母乳で育てない習慣がすでに3世代にわたっています。母乳で育てると乳房のかたちが崩れるといった美容上の問題とか、極言すれば、ミルク会社の宣伝(最近はあまりしませんが……)に乗せられて、といった側面があるにしろ、その底にある潮流としては、女性が母親になっても職場をやめることなく仕事をつづけるということがあると思います。
 はたしてそれで、当の赤ちゃんはもちろんとして、人間の未来に決定的な悪影響を与えないのか? という深刻な疑問が投げかけられているのが現状です。もちろん、2世代や3世代くらいでは、誰もがうなずくほどの影響はでてきていません。母乳哺育にもどれとあまりやかましくいうと、「そんなこといっても、ミルクで育った子が立派にちゃんと生きていますよ。私もミルクで育ったし、私の周囲もそういう人ばかりですよ」と、ムキになって反論したくなる人も多いと思います。なにを隠しましょうか、私の子どもも、私の責任ですが、母乳では育てられずミルクに頼ったのでした。だからといって、ちょっとしたアトピーのほかには、とくに困った問題はおきていないのです。
 けれども、ミルクによる育児が数十世代(時間にして数百年から千年くらいでしょうか)もつづけば、なんらかの影響がでてくるかもしれません。文化人類学者や小児科医は、そういう人間の未来をみすえながら、答えは出ないにしても、現在おきている小さな兆候をとらえて警鐘を鳴らしている段階です。
 母乳を与えなくても、母親がそばについていなくても、確かに今では子どもは育つのです。親でも他人でも、使える母乳に近い良質なミルクができるようになったこと、小児科学が発達したこと、社会全体が豊かになって母親がわりになって育ててくれる施設もふえたことなどが、その要因としてあげられると思います。
 そういう、もろもろの状況を考えても、幼児期や学童期の子どもたちにおこっている問題を考えれば、私は、母親になったらせめて1〜2年間は、可能な限り赤ちゃんのそばについて育ててほしい、母乳を与えて育ててほしいと思うのです。父親は、母親の子育てを支援してほしいと思うのです。あえて私は、男と女がある以上、女は母親となることでとくに乳幼児期の育児にあるていど中心的役割をはたすのは、人間の生き方として自然ではないかといいたいのです。個人的にそれができる人は、ぜひ、その自然の流れに乗ってもらいたいと思うのです。


このシリーズは「育つ育てるふれあいの子育て」(小林登著・風濤社 2000年発行)の原稿を加筆、修正したものです。


Copyright (c) 1996-, Child Research Net, All rights reserved.
このホームページに掲載のイラスト・写真・音声・文章・その他の
コンテンツの無断転載を禁じます。

利用規約 プライバシーポリシー お問い合わせ
チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)は、
ベネッセ教育総合研究所の支援のもと運営されています。
 
掲載:2004/09/10