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小林登文庫


新・こどもは未来である
掲載:1999/06/18

<わが子をだくこと、母親になること−2>

顔を向きあわせて

 一寸前までおこなわれていた、いわゆる近代的な分娩型式は、陣痛がはじまると麻酔がかけられ、わが子がいつ生まれたかも知らず、産ぶ声もきかず、気がついたころには、わが子は新生児室で眠っているというぐあいだったのです。
 よしんば局所麻酔で分娩しても、産ぶ声をあげたわが子は、看護婦さんにだかれ、母親に短時間の顔みせをすますと、あっという間に、新生児室につれていかれてしまう場合も少なくありません。これでは、局所麻酔ですから頭のはっきりした母親でも、母親になったという、実感がもてなかったのではないでしょうか。
 しかし最近は、前の15で申したような理由から、可能な限り早い時期に母と子のふれ合いの機会をつくるようにしています。
 人間も、自然にしたらどうなるでしょうか。生まれたばかりのはだかの子どもを、産んだばかりの母親のわきにそっとおいたとき、母親のしめす反応は興味ぶかいものがあります。まず指先でわが子の手・足をさわり、数分のうちにわが子の体を手のひらでさわるものなのです。そして多くの母親は、わが子と顔をむきあわせて、目をあけていれば、それをみつめる行動をとるのです。さらに、わが子をだきかかえて、分娩後数分というのに、乳首をふくませようとさえするのです。もっとも、生まれたばかりの赤ちゃんは、乳首をなめることしかできないのですが。この母親の行動パターンは殆ど同じだったというのです。
 しかしそこでは、母親になったという実感が大きくもりあがり、母と子の人間関係をつくりあげようとするムードが湧きでるのです。分娩直後という、肉体的にも大きな事業をなしとげたその直後に、母親はそれを身をもって感じる意義は大きいのです。
 恥かしいことですが、古い医療システムの中で学んだわたくしは、インターンとして産科研修した時それを目にしたことはありません。上のはなしは、アメリカの小児科医が、20年以上も前に、生まれたばかりのわが子にたいする母親の行動を、ビデオにとり、分析した結果なのです。

ホルモンのあらしの中で母親になる

 こういった母親のお産のときの行動は、比較的きまったパターンであります。しかしその裏には、多くの因子が複雑にからみあっているにちがいありません。
 とうぜんのことながら、母親の出産時の行動というものは、それを見たり聞いたりして、おそらく学んだものではないでしよう。むしろ、人類が進化の過程で獲得した、行動のパターンであって、あるモーメントがかかりさえずれば、自然にひきだされるものと考えられるのです。極言すれば、生まれたばかりのわが子が、リリーザー(引き出し役)になっていると考えられるのです。
 重要なのは、母親の心の状態なのです。多くの母親は妊娠中、とくにその後期には、生まれてくるであろうわが子への期待、母親になることへのよろこび、文学的な表現を使うならば、美しい感情の世界に陶酔することがあるといわれています。それは男性では、おそらく感じることのできない世界なのです。勿論、こうなるには、自らが希望し、多くの人々に祝福される妊娠でなければなりません。
 その時期には、母親の体の中は多くのホルモンの分泌が高まり、ホルモンのあらしのようになっているのです。ホルモンの中ではエストラディオール(注1)あるいはプロラクチンが、母親の育児へのムードづくりに重要な役をはたしているのではないかと考えられています。このようなホルモンは”マザー・ラブ”ホルモン(注2)(母親の愛情ホルモン)として、体の中を大きな波となって流れているのです。そしてそれが、母親の脳の神経細胞に作用すると考えられているのです。
 生まれたこどもが、未来にむけて生きていくためには、その出発点で、母親の愛、しかも育児という行動をもった愛が必要なのです。そのために、自然はあらゆることをしているのです。



(注1)エストラディオール
卵巣から出るもっとも強力なホルモンで女性化作用がつよい。
(注2)マザー・ラブホルモン
女性の精神機能に影響して、母性行動・育児行動を起す作用があると考えられているホルモンで、人間では不明の点が多いが、エストラディオール、あるいはプロラクチンが考えられている。


このシリーズは「こどもは未来である」(小林登著・メディサイエンス社1981年発行)の原稿を加筆、修正したものです。





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