●HOME●
●図書館へ戻る●
●一覧表へ戻る●



小林登文庫


新・こどもは未来である
掲載:1999/08/27

<においも母と子のきずなを強くする−1>

 母親が哺乳の時間になって、わが子を胸にだき、乳首をふくませようとすると、赤ちゃんは目がさめず、目があいていないにもかかわらず、首を乳ぶさのほうにむけるものなのです。
 赤ちゃんのもつ嗅覚が、母親の乳ぶさや肌の「におい」、母乳の「におい」をかぎわけて、生存に必要な食べものの所在の方向を、みつけるからです。

香水を愛用する意図

 系統発生学的にみると、ヒトの嗅覚は進化とともに、弱くなっています。犬や猫にくらべると、嗅覚をつかさどる脳の部分の大きさは、視覚や聴覚のそれにくらべると、はるかに小さいのです。それは、情報(インフォメーション)を受ける立場からみると、嗅覚のにくらべて視覚や聴覚の情報のほうが、生存にとって重要であり、必要な情報をみつけるのに効率をよくするため、それをつかさどる脳の部分はヒトでは大きいからなのです。
 しかし、身体機能がよく発達し、文化をもつ生態圏(注1)を生活の場とする人間にとっても、空間的にちかい、あるいはより本質的な人間関係においては、退化しつつある嗅覚も重要な役をはたしていることは、想像にかたくありません。母と子の関係は、人間が生きているあいだにもつ、多様な人間関係の原形(プロトタイプ)であり、「より本質的な人間関係」でもあります。
 妻と夫、男と女という人類生存に関係する人間関係も「より本質的な人間関係」の中にふくまれましょう。女性が香水を愛用する意図(?)の中に、「におい」を芸術にまで高め、男性の嗅覚を刺激して、男女の人間関係の強化に役立たせようとしていると考えるのは、少しゆきすぎでしょうか。じじつ、香水の有効成分の中には、性的刺激に関係する化学物質が少なくないと言われています。

生後2日目から5日目への進歩

 はなしを赤ちゃんにもどしますが、生まれたばかりの赤ちゃんでも、アギ(注2)やアニス(注3)のにおいにたいして、ことなった反応をしめします。悪臭の代表としてのアギのにおいと、香料の代表としてのアニスのにおいは、新生児でも識別できることをしめしています。
 しかしアギやアニスでは、母と子のきずなの形式における、「におい」と嗅覚の意義を明らかにすることはできません。母親の乳あてを使った実験は、その意義を教えます。
 生まれたばかりの赤ちゃんの顔の近くに、乳あてをもっていくと、まったく使用していない乳あてのほうよりも、母親が乳ぶさに実際にあてていた乳あての方向に、首を向ける時間は有為に長いものです。しかし生後2日目では、おなじ方法で調べてみても、自分の母親の使用した乳あてと、他人のものとは区別することができません。すなわち生後2日目では、生来の嗅覚はあっても、自分の母親のにおいを、他人のそれと識別することができるほど、発達していないことをしめしています。
 しかし、生後5日、6日ともなれば、赤ちゃんは自分の母親の使用した乳あてを、他人のそれと区別して、首をそちらにむけ、乳を吸おうとする態度をとるものです。生後5日ともなれば、嗅覚は十分に発達していることをしめします。



(注1)生態圏
生物が環境との関係で生活している状態を生態、生物の群集が一緒に生活している場を生態圏という。生物が生存することによって影響をあたえる環境、あるいは生物の生存に影響をあたえる環境をさす。
(注2)アギ
セリ科の薬用植物でその茎からとった抽出液は抗けいれん剤として用いられるが、悪臭が強い。
(注3)アニス
大薗香、モクレン科の植物で、その果実から抽出した油は石鹸・歯磨に用いる。


このシリーズは「こどもは未来である」(小林登著・メディサイエンス社1981年発行)の原稿を加筆、修正したものです。






Copyright (c) 1996-, Child Research Net, All rights reserved