<赤ちゃんも「考える人」−2>
両親が視界から消えると遊びをやめる
もちろん、おとなでもこの心臓の反応現象がみられることは御存知のとおりです。すなわち、おとなでは、興味のある絵をみたり、あるいはいろいろ考えたりすることによって、心搏数が増減する現象がみられ、それを利用して精神機能を分析することができます。 たとえば、われわれおとながある言葉をおもいだそうとしたり、文章の内容を考えたり、数字の計算をしたりすると、明らかに心搏数が増加するのもそのよい例です。 ウソ発見器を犯罪者の発見に利用するのは、この現象の実際的な応用なのです。もちろん測定するパラメーターは心搏数だけではなく、汗と関係して、皮膚の湿度も考えるようです。 したがって、赤ちゃんにみられる心搏数の変動は、おとなにみられるこの現象と同じように、心の状態を分析するのに利用することができるのです。 心搏数の変動を用いて調べると、生後8カ月から2歳ちかい乳幼児が遊んでいるとき、母親が視界からいなくなったり、まったくの他人があらわれたりするときに、あきらかにこの反応をしめすという報告があります。他人を注意する反応も、6カ月の赤ちゃんでもみられ、月齢とともに強くなることがはっきりしています。 私達は、サーモグラフィーという皮膚の温度分布をみる機械で、母親と一緒にいる赤ちゃんは、母親がいなくなると顔の皮膚の温度が下がることを見つけました。この反応は、おそくとも生後2カ月位までにはみられるようになります。母子分離を不安と感ずることを、赤ちゃんは生後2カ月になれば出来るのです。逆に、もうアタッチメントが出来ているとも言えます。 両親が視界から消える、あるいは他人が視界から消えるということにたいする心搏変動の反応をみると、とうぜんのことですが、生後数カ月では、両親が視界から消えることにたいして強い反応をしめす報告もあります。 1歳以上の幼児、とくに生後12カ月から15カ月の幼児で強い心搏変動の反応がみられます。両親がいなくなって、他人だけになったときにしめす反応も、生後12カ月から15カ月の幼児で強く、もっともはげしく泣き、遊びをやめることが多かったと報告されています。
赤ちゃんは仮説をたてる
生後1年ぐらいになると、赤ちゃんは仮説をたてることができるようになるのだと理解されています。母親が視界から消えるというばあいには、母親はどこへいったのだろうか、もどってくるのだろうか、そしてそこにいる他人はなにをしているのであろうか、というような仮説でありましょう。そして、それにたいする答えももっていないばあいには、恐ろしくなり、赤ちゃんは心搏の変動を示すだけでなく、遊びをやめて泣きだすのでしょう。つねにそばにいるはずの母親が消えることが、赤ちゃんにとっては不安なのです。 こうしてみると、人間は1歳になるまでに、目、耳、口、皮膚などの感覚器をかいしてえた情報と、新しい情報とのちがいを認識し、それにもとづいて仮説をたて、それを考えて提示された問題を解決しようとしているといえましょう。そして、えられる情報はつねにふれあいの多い母親が中心となっているものなのです。赤ちゃんは1歳になるともう「考える人」になっているのです。 赤ちゃんは、1歳半くらいまでには、物が近づいてくると防ごうとし、親しい人ならよろこび、見知らぬ人なら不安がります。動く物を感ずることが出来るのです。また、eye-to-eye contactによって母と子は心を通じあうのです。そして、やがて母親が顔をうごかす方向をみるようになり、要求だけでなく注意を引くために指さしが可能になります。4歳頃になれば、他人のやることをみて、その心をよむようになるものです。すなわち、まわりの出来事を理論化出来るようになるといえましょう。 人間の高尚な精神心理機能は、体を動かすという運動機能や、痛い、冷たいというような感覚機能と平行してともに発達しているのです。そして赤ちゃんが感覚をかいして情報をうけとめ、それに反応して体を動かすとしても、それはけっして単純なものではなく、もっとも信頼出来る母親を中心として、赤ちゃんなりに事態を分析して、行動をおこしていると考えられるのです。 すなわち、赤ちゃんはすべてのできごとを、母親との関係の中で仮説をたてることからはじめて、それに対応するいろいろな理論をたてていくようになるのです。 とうぜん、年齢とともに母親から人間関係はつぎつぎに拡大され、さらに環境と相互作用でも出てくるので、赤ちゃんの心は体の成長とともに複雑な機能を果せるようになっていくのです。それが、文化をもつ人間社会に生きていく術の基本となるのです。
このシリーズは「こどもは未来である」(小林登著・メディサイエンス社1981年発行)の原稿を加筆、修正したものです。 |
|