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小林登文庫


新・こどもは未来である
掲載:2000/06/09

<こどもとあそび−2>

あそびの原動力

こどもはなぜ「あそび」をはじめるのでしょうか。目をかがやかし、あそぶよろこびいっぱいの姿をみるとき、こどもたちをそれにかきたてる原動力がなんであるかが不思議におもわれます。
 現代の心理学者の多くは、こどもを「あそび」にかりたてるのは、探究心であり、好奇心であるとしています。こどもの精神心理機能が、発達するにつれて周囲のものにたいして関心をもつからです。
 赤ちゃんが、自分の手を動かしながらみる、ガラガラやぬいぐるみであそぶ、スプーンや指をなめる、などの行動から「あそび」ははじまって、年齢とともにボール、人形、紙、ひも、とみのまわりのものに関心をもって、「あそび」はひろがっていきます。2歳ぐらいになると、ほかのこどもとあそんではいますが、いっしょにあそばないで、いわゆる平行あそび(パラレルプレイ)をするものです。
 2歳もすぎると、おとなの世界に関心をもつようになり、相手の数もふえて「あそび」のパターンがますますひろがっていきます。そして、探究心や好奇心が強くなって、ブランコ、ジャングルジム、ぶらさがり棒や、輪などのあそびに移るのです。この自分で体を動かす「あそび」は、つぎのグループとしての「あそび」、「おにごっこ」「戦争ごっこ」などに発展するものなのです。
 猿もおなじであって、ぶらさがり棒や輪、すべり台をつくっておくと、そこでみずから体を動かすあそびが、前にのべた「おにごっこ」「戦争ごっこ」のような「ゴッコあそび」に先行しているのです。
 生活平面より高いところにのぼる、ぶらさがって空間を動く、そういった行動は、生き物のもつ、探究心や好奇心から発するもので、それに、筋肉や腱、さらに関節を動かす快感がともなっているので、そこに行動としての「あそび」が成立すると考えられるのです。

「おにごっこ」「戦争ごっこ」

「おにごっこ」「戦争ごっこ」という形式の「ゴッコあそび」はこどもの「あそび」のもっとも特長的なもので、年齢におうじていろいろな形式をとり、小さいこどもたちのあそびの中にもそれがみられます。保育園のこどもたちを、なん人かあつめてみるとき、はっきりとした「おにごっこ」なり「戦争ごっこ」という形式をとらないまでも、それに準ずる行動がみられるものです。
 こういった「あそび」はいったいなにを意味するのでしょうか。それは、小さなこどもたちが、おたがいに、個人的に直接体を接触させたり、あるいはそれをさけたりすることに意義があると考えられます。そうすることにより、おたがいは子供としての連帯感を体で感じ、社会性の発達につながるからです。
 たしかに、こどもたちは、母親や父親から愛撫をうけ、人間関係の中に信頼と安心、あるいは保障を感じとって生きているのですが、「あそび」はそれを拡大し、社会に大きくひらいていく窓口になるのです。しかし、こう言った「あそび」が消えて、メディアによるものにとって代わった現在、もう一度、昔からあった体につながる「あそび」を新しいパターンにして、とりもどす必要があるのではないでしょうか。


このシリーズは「こどもは未来である」(小林登著・メディサイエンス社1981年発行)の原稿を加筆、修正したものです。





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