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はじめに 
 −「異文化」と「クロスカルチャー」の微妙な差異−
異文化ジャーナリスト  あわやのぶこ

 世の中には、「文化」と名のつくものがあらゆるところに存在する。我々が「異文化」という言葉を使うとき、そこには無意識的に「我々のものではない」「理解が困難な」文化という固定観念が働いている。しかしながら、対照的な文化やまったく異なると思われている文化の間にも多くの共通点や類似点があることを、あわや氏は強調する。「互いに同じものと異なるもの。それらの両方を含めて文化と文化をクロスするのが異文化の元の言葉『クロスカルチャー』だと考えたい。この号を『異文化』ではなく、原語そのままに『クロスカルチャー』としたゆえんである」。

 そして、そもそも我々自身、子どもの頃から現在に至るまでの間に学校、友人関係、職場といった未知の文化の中に入り、適応し、さまざまな異文化をクロスしてきた存在であると氏は言う。「言うならば、人は異文化を『食って』生きているのだ。楽しくおいしく食べることもあれば、消化不良におちいって大変なときもある。食べ方も千差万別である。おいしそうに思えたのに吐き出してしまうことも、思ったよりも楽しめて、いやはや食域が広がってしまったということさえあるだろう」。

 そんなさまざまな異文化の中で、今回は日本文化と外国文化をクロスする子どもたちに視野を置いている。彼らの存在を語る際に、氏はまず現実の多様な状況を認めていくことの必要性を述べる。実際、帰国生、国際結婚の子どもたち、外国人という分類さえもが、すでに定型化はできない状況になっている。既存の枠組に子どもたちをあてはめて理解するのではなく、生まれた場所、生育歴、その子どものもつ考えや価値観の総体としての「個人のストーリー」に目を向けていくべきだ、と。「もし、異文化研究や異文化の視点が、単に物事をうまく定型化するのみにとどまっていれば、それはむしろ『クロスカルチャー』とはまったく反対の方向に行ってしまう。私たちに今重要なのは、この定型化こそを崩し、それぞれの子どもたちを認識し、見ていくことにほかならない。そこでこそ、私たちは初めて文化と文化をクロスすることができるのである」。


クロスカルチャーの現状と課題 
東京学芸大学海外子女教育センター教授  佐藤郡衛

 在日外国人の増加、民族・出身国の多様化、そして海外帰国生の増加に伴い、日本の学校の多民族化・多文化化も進んできている。しかし多くの日本の学校では、日本の文化基準で子どもを日本社会へ同化させようとする「単一文化視点」か、「○○人はこうだ」という文化の枠をあらかじめ固定し、その枠の中で子どもを理解しようとする「比較文化的視点」にとどまっていると佐藤氏は指摘する。とくに日本の学校には「帰国生だから英語が得意」「外国人の子どもは学習意欲がない」といった特有の先入観があると氏は言う。「教師は理念的な帰国生(クロスカルチャーを生きる子ども)像をあらかじめ設定し、その枠組のもとで現実の子どもとの関係性を作り上げる例が多い。また、現実の子どもの行動の文脈から切り離された『特性』(異文化性)を過度に強調し、その『特性』を伸長することが課題とされ、一人ひとりの個性豊かで多様な生活背景は背後に退くことになってしまう」。

 氏が第3の視点として提示するのは、あらかじめ一定の枠を設定せずに相互作用を通して個人の生活背景、心的状況や内面を理解しようとする「異文化間的視点」である。「教師は子どもと日常的に接するなかで、まず一般の子どもとは違うという素朴な疑問から始まり、違うことの背景や原因を追求する。その過程で教師自身の理解の枠組が問われるようになり、それを子どもとの直接的な関わりのなかで再構成していく。その結果として今までと違った新しい関係性が構築され、教師のもつ『理念的な生徒像』も相対化されていくことになる」。

 こうした関係性の再構築や「理念的な生徒像」の相対化は、同時に現在の日本の教育や学校を問い直すチャンスでもあると氏は言う。「クロスカルチャーを教育に位置づけていくことで、日本の学校がこれまで当然のこととして受け止めてきた教育のシステム、例えば学校の組織、教育内容・方法、そして評価基準などの問い直しが迫られる。クロスカルチャーで生きる子どもの増加は大きな教育課題になっているが、単に対処療法的な対応にとどめることなく、日本の教育全体の自己変革へとつなげていく必要があろう」。


キコクシジョをめぐる「私情」
帰国子女ジャーナリスト  古家 淳

 古家氏がこだわり続けるのは「ワタクシゴト」のスタンスである。「日本語に『ワタクシゴトで恐縮ですが』というセリフがある。だが僕には、まずなんでワタクシゴトだと恐縮しなければならないのかが分からない。いいじゃないか、人間にとって自分がどのような暮らしをしていて、何を感じ、何を考えているかということほど、大事なことはないじゃないかと思うのである」。氏自身、小学校4年生から中学卒業までをメキシコで過ごした「帰国子女」である。現在、帰国子女同士をつなぐミニコミ雑誌『私情つうしん』を主宰する氏にとって、「ワタクシ」とは最も小さく最も大切な文化の単位なのである。

 『私情つうしん』には、日本に住む帰国子女だけでなく、親や「サポーター」と呼ばれる人びと、インターネットを用いて海外の子どもや親も参加している。誌面ではさまざまな帰国子女の姿が紹介されたり、「帰国子女」という言葉についてのイメージなどが自由に語られている。そうした話題はいつしか「自分は何か」という議論に発展していく。そこから見出した「キコクシジョ」のアイデンティティについて、氏はこう述べる。「『キコクシジョ』が越境する人びとの全体の中で位置づけられる言葉になり得たとするならば、僕たちのよりどころは日本文化にもどこか外国の文化にもなく、むしろ複数の『いいとこ取り』(悪いとこ取り)をした僕たち一人ひとりの独自の文化にしかあり得ない。地縁的な空間軸に沿ってではなく、それぞれユニークな過去の経験を踏まえ未来に続く歴史的な時間軸に沿って自らのアイデンティティを構築していくしかないのである」。

 氏の言う「キコクシジョ」という言葉は、もはや外国から帰ってきた者だけを指すだけにとどまらない。氏の言う「キコクシジョ」とは、主流とされている文化・価値の外にいる者、あるいはその「境界線」にいて異文化をもち続ける人びと−在日外国人や留学生、障害者、不登校児など−とつながる際のキーワードなのである。「『日本人』にはなれないが日本人でもある私。『外国人』にはなれないが外国人でもある私。そのすべてをひっくるめた、ユニークな存在である私。そこを基準にするとき、私は私として語り始めることができる。その『私』に、『私情つうしん』はまったく新しい意味で『キコクシジョ』という名を与える。あなたが『私』を語り始めるとき、あなたはもうすでに『キコクシジョ』になっている」。


子どもたちの適応力 −「ふたりの転校生」の場合−
TVプロデューサー  西山仁紫

 1993年秋、日本とアメリカを行き来することになった二人の少女を追ったドキュメンタリー番組「ふたりの転校生」(フジテレビ)が放送された。ニューヨーク在勤の西山氏はこの番組のプロデューサーであり、取材を通して子どもたちの適応のプロセスをみつめてきた。番組に登場するのは、日本からアメリカに移り生活することになった「サヤミ」と、親の海外勤務が終わりアメリカから日本に帰国することになった「サチ」という、対称的な境遇の少女たち。ともに小学4年生、活発で成績も優秀だ。氏は「この二人の目をフィルターにして、日本や日本人の抱えるさまざまな問題を浮き彫りにすると同時に、初等教育や周りの環境がいかに子どもの人格形成に影響を与えるかを考えたかった」と述懐する。

 現実には、今までと違う環境に飛び込んだ二人はそれぞれに困惑し、悩みを抱えることになる。英語がまったく分からない状態でアメリカの学校に通い始めたサヤミは、一年たっても授業の内容が理解できない。好きな科目は英語が分からなくてもできる体育と、日本より進度が遅いためなんとか理解できる算数。「嫌いな科目は意外なことに音楽。周りのみんなが楽しそうに歌ったり踊ったりするのでよけいに疎外感を感じるらしい」。一方、「死ぬまでアメリカで暮らしたかった」と帰国を嫌がっていたサチは、日本の学校でうまく日本語が話せない。授業が難しくてついていけない。普段通りに振る舞っても「あの子はちょっと違う」と排除されるか、「アメリカからの帰国生」というレッテルを貼られてしまう。果たして二人は楽しい学校生活を送っていけるのだろうか?

 当事者ならではの思いや葛藤を追った足かけ3年もの長期取材は、作り手である氏自身にとっても日米の教育観・子ども観の相違をクロスする営みだったという。数年の年月を経て二人はそれぞれの文化に適応していくわけだが、そのプロセスには当然個人差があり、それは彼女たちが一日一日を頑張って生きてきた積み重ねであることを氏は強調する。「子どもたちは潜在的に高い適応能力をもっている。たとえ、子どもたちが悩み苦しんでいたとしても、誰かがそっと背中を押して自信をもたせてあげたら、それをきっかけに環境に適応していくことと思う。単に異文化に適応するというのではなく、もっと大切な何かをつかむために適応していくように周囲の大人は助けてあげることが大切ではないだろうか」。


異文化の中の子育て
 −山形での意識調査から−
多文化間ソーシャルワーカー  秋武邦佳

 山形県の「国際化」は、80年代後半に「行政主導の後継者対策」による国際結婚として始まった。県内の約3700人の外国人のうち3分の1が日本人男性と結婚し、古い家制度の「嫁」として暮らす外国人女性であるという。彼女たちからの相談を受けたり医療・育児についての情報提供などを行うエスニック・ソーシャルワーカーの秋武氏は、「山形県の『異文化』は外国出身の女性たちとその子どもによってもたらされつつある。他方で、彼女たちに期待されているのは異国の文化をもたらすことではなく、日本人の後継者を残すことである」と言う。

 氏が行った県内の日本人・外国人女性の子育てや家族についての意識調査によれば、外国出身者の母親は日本出身者よりも多世代同居率が高く、家業の手伝いやパートを含む有職率も高い。その結果、子どもは祖父母に育てられることが多くなる。その状況では、場合によっては日本人家庭に生まれた子どもよりも「日本的風習」で育てられるケースも多くあると氏は指摘する。氏は彼女たちの思いについて、「自分の子どもが日本人の家族に育てられている現状に満足しているわけではなく、自分の意見が育児に反映されないもどかしさも感じている。もっともこれは、自国の文化との違いによるストレスに加えて、日本人女性が敬遠した『家』のしがらみからくるストレスも同時に引き受ける結果になっているのかもしれない」と分析する。

 氏の調査結果は、都市部で見られるクロスカルチャーとは異なる様相を我々に伝えてくれる。「山形の外国出身者は一見、日本の生活に順応しているように見えるが、本人の理解や判断を待たずに日本の方法やその家の習慣に従わせることは、内面に問題を抱え込ませることになっている」と氏は指摘する。とくに育児にあたっては、どの文化に基づいて子どもを育てるのかは母親にとっては切実な問題であり、外見的に受容した日本文化と内面にもつ本国文化との間に、何らかの折り合いをつけていかざるを得ないと氏は言う。「どう折り合いをつけていくかは当事者によって違うだろう。『異文化』の受容は『外国出身者』だけが行う必要はなく、夫や舅・姑の方が、例えば『中国人的』になってもよいのである。そして最終的に双方が配慮しなくてはならないのは、相手の文化の形式を尊重し、その裏にある民族の誇りを感じ取る努力をしながらも、相手の文化に関わる精神領域には踏み込まないことなのではないかと思う」。

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