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コロラド便り−行動遺伝学研究所留学記−

安藤寿康
コロラド大学ボウルダー校行動遺伝学研究所訪問教授
慶應義塾大学教授

I - i. はじめに
ii. 行動遺伝学とはなにか
iii. 遺伝子という生物学的概念と社会学的概念
II - i. ハロウィーンと子どもの成長
ii. 子供を守るということ
iii. 児童虐待への意識の高さ
iv. 子どものしつけ
v. 子ども病院とケンペ子どもセンター
III - i. 「文化のちがい」をめぐって
ii. 心地よいアメリカ文化の敷居の低さ
iii. ブロス先生と小児法学(pediatric law)
iv. 子どもを救うという使命のために
v. 普遍性としての「地」と個別性としての「図」の関係から


I - i はじめに

 今年は「日本子ども学会」発足の年で、発起人の一人としてお役に立たねばならなかったはずなのですが、幸か不幸か、大学から1年間の研究休暇を与えられ、いまアメリカはコロラド州、ボウルダーBoulderにある行動遺伝学研究所Institute for Behavioral Genetics(IBG)に留学しております。そのため発起人会などの仕事をすべてさぼることになったわけですが、そのかわり、ということで「コロラド便り」を寄稿させていただくことになりました。

 コロラドというと、きっと小林登先生くらいの世代の方々には、「コロラドの月」という懐メロが思い出されるのかもしれませんが、今の人には、有森祐子さんや高橋尚子さんらマラソン選手たちが、高地トレーニングをする地として有名でしょう。この町より東側は地平線まで続く平地のため、その高さが全く感じられませんが、町の標高は1600メートルもあり、西にはロッキーの美しい山々が迫っています。そのため空気が薄く、心肺機能の強化に適しているわけです。町はコロラド大学ボウルダー校を中心としたきれいな大学街で、治安もよく生活もしやすいので、アメリカ人の住みたい町の一位に選ばれたこともあるそうです。(写真)
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I - ii 行動遺伝学とはなにか

 私の滞在している行動遺伝学研究所は、世界で初めて「行動遺伝学」の名を冠して設立された研究所で、設立の年は1967年です。この1967年という年には、いろいろな意味があります。

 人間を含む動物の行動を遺伝学的な視点から研究しようというのが行動遺伝学で、その歴史は19世紀の終わりにイギリスで活躍したフランシス・ゴールトン(Francis Galton)にさかのぼります。彼は進化論で有名なチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin)の祖母違いのいとこにあたり、ダーウィンの影響も強く受けて、人間の能力や性格が遺伝することを科学的に実証しようとしました。残念ながら当時はメンデルの遺伝の法則も世に知られておらず、人間の遺伝研究に不可欠な双生児の生物学的な特徴についても知られていませんでしたので、彼の用いた方法は今の視点で見れば科学的に不正確なものでした。しかしその後、20世紀に入って、双生児や養子を用いた、科学的にもしっかりした人間の遺伝研究が数多くなされるようになり、知能や精神病理など、人間の心理的な形質にも遺伝の影響が見られることが徐々にわかってきました。そしてそうした研究の積み重ねによって、一つの学問体系として「行動遺伝学」というものをうち立てる時機が熟したのが、ちょうど1960年代の終わりだったのです。実際、この年の3年後、1970年に、行動遺伝学会が設立されました。

 ところが行動遺伝学の確立は、同時に受難の始まりでもありました。行動遺伝学研究所設立の2年後、1969年に、知能の行動遺伝的研究をまとめたアーサー・ジェンセンの論文が、黒人と白人の知能指数の差に遺伝的な影響があると示唆したため、行動遺伝学は人種差別の学問として、世間から糾弾を受けることになったからです。このジェンセンの論文の中で、知能の人種差を説明するのに引用されたのが、行動遺伝学研究所の設立に尽力し、長い間その所長を務めたジョン・ディフリース(John C. DeFries) 博士のコメントでした。

 いま私は、このディフリース博士の研究室のちょうど隣に研究室をいただいて、研究をしています。博士はとても親切で心配りのきく穏やかな紳士で、よく私の部屋をたずねてくれては、世間話や、時には食事に誘ってくださったりもします。秋になってロッキーのポプラが色づき始めたときには、近くにお持ちの山荘までドライヴに誘ってもいただき、たいへんお世話になっている先生です。(写真) その授業は明快で一点の曇りもなく、彼と盟友であり数年前になくなったフルカー(David W. Fulker)博士の二人で築き上げたDF極値分析という統計手法の説明の時は、それを二人で着想したときのこぼれ話なども交えて、私がそれまでよく理解できなかった疑問点がすっきり解消されました。

 そのディフリース博士に、こちらに来てまもなくの頃、ずっと気になっていたジェンセンの論文の中でのコメントについて直接たずねてみました。
「あの問題の部分に、先生のコメントが引用されているのがずっと気になっていたのですが」
 すると、少し顔をしかめながらこう話されました。
「確かに彼からあのとき、集団内の遺伝率と集団間の遺伝率の関係について質問を受け、説明をした。そのとき、そこには直接の関係はないということを述べたはずだ。しかし彼はそう受け取らず、逆に集団内にある程度の遺伝率があれば、集団間の差にも遺伝規定性があり得るという文脈に私のコメントを当てはめてしまったのだ」

 行動遺伝学が主として研究しているのは、博士のいう「集団内の遺伝率」、つまり例えば白人の中で、あるいは日本人の中で、ある形質の個人差に遺伝的な差がどの程度の割合で反映されているかという問題です。しかしもし仮に白人の集団の中で知能の個人差の80%が遺伝によって説明できたとしても、白人と黒人という全く異なる集団の間の知能の差も遺伝によって説明できるとは限りません。ひょっとしたらその差は社会環境によるものかも知れません。ディフリース博士はキャビネットから一つ古い論文の抜き刷りを取り出して「だからそのあとで、私の言いたいことをちゃんと述べるために、こんな論文を書いたんだ」と私に渡してくれました。
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I - iii 遺伝子という生物学的概念と社会的概念

 人種差別の学問として糾弾を受けることになった行動遺伝学も、その後行動遺伝学者たち自身による慎重かつ量的にも質的にも充実した研究の数々の積み重ねによって、今では基本的に多くの人々からその成果が認められ、人間存在の本質を考えるときに避けることのできない知見を与えるものとして重要視されるようになってきました。しかしながら行動遺伝学者の中には、ノーベル賞を受賞したり、輝かしい理論をぶち挙げて一躍時の人になるような、華やかな研究者はいないように思われます。私の知る行動遺伝学者はほとんどすべて、ディフリース博士のように地味で誠実な研究者ばかりです。

 それはおそらく、この学問が何か全く新しい科学的法則や理論の発見に寄与しているからではなく、ただ単純に、人間の心理や行動も、これまでに見いだされた遺伝の法則に同じように従っているということを、当たり前に証明しているからにすぎないからだと思います。しかし「心は遺伝の法則を超える」と信じたい多くの人々にこのことを科学的に説得力のあるやり方で証明することが難しく、さらに難しいのはその知見のもつ社会的・政治的・哲学的意義を的確に読み解き、適切な遺伝観を描くことのできるような研究をしてゆくことなのです。

 ひょっとしたら、ジェンセンが述べた黒人と白人に知能指数の遺伝差があるという知見は正しいのかも知れません。しかしアメリカ社会に、自由と平等といいながら職種にも収入にも住む地域にも子どもの受ける教育にも厳然とした人種差がある現状で、ただ「正しいのだから言ってしまえばいい」だけではすまされない多くの問題があります。

 特に遺伝に関する科学的知見を人間社会に直接当てはめようとするとき、そこには思索し検討されねばならない数々の問題が横たわっています。なにしろ遺伝の法則が発見されてからたかだか100年あまり、DNAの分子構造が解明されてからわずか50年、そしてヒトゲノムが読み解かれて1年たっていないのです。いわば突然の闖入者に対して、私たちは科学的研究と哲学的思索の両面を通して、徐々に慎重な折り合いをつけて行かねばなりません。遺伝子という生物学の概念が、人種や知能といった社会的概念と出会ったときの摩擦をなめらかにするには、その接点におけるお互いの気の長いやりとりが必要でしょう。もし行動遺伝学に新しさがあるとすれば、そうした「異文化の出会い」のまっただ中で、どちらかの「文化」に引き戻ってしまうのではなく、その接点にとどまり、両者のブリッジを架けようともがき続けることが新しいことなのではないかという気がします。

 今私は、人間のパーソナリティが遺伝的にはどのような構造から成り立っているのかを、日本で集めた双生児のデータを用いて解析しています。それについて今回お話しするゆとりはありませんが、これもいわば「遺伝子はどのように私たち自身を作っているのか」という、遺伝観の読み解き作業という哲学的な問題への実証的アプローチと私は考えています。そして「子ども学」の中に行動遺伝学の知見を投げ込んでみるということも、私にとっては、現代社会のなかでこの学問がどのような意味を持ちうるのかを肌で感じながら考えるための必要不可欠の作業と位置づけています。

 コロラドの自然の中にいると、時間がゆっくりと流れてゆきます。近くには恐竜の足跡も残っていますし、変化に富むさまざまな地形は、何百万年という地球の歴史にいやでも気づかされます。人間の遺伝的資源はそのような時間的規模で形成されてきたものであり、その意味を読み解くにも長い時間が必要なのだと思います。
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II - i ハロウィーンと子どもの成長

 ボウルダーはハロウィーンの晩から一気に冬に突入しました。それまでの晴天続きと満天の星だった天候が、明け方の雪と厚い雲に変わりました。街中の木々が樹氷と化し、木の実や道に落ちている石までが氷に包まれます。夜になるとそれらがライトの光を反射し、それは美しいものでした。

 ご存じの通り、ハロウィーンは欧米ではもともと、秋の収穫祝いと悪魔払いのためのお祭りでしたが、いまでは子供たちがそれぞれ衣装を着飾り、近所中をまわってお菓子をもらう楽しいお祭りとなっています。(写真)

 ボウルダーでも、スーパーには一カ月前くらいから子どもが来たときに配るお菓子のパックが無数に山積みにされ、Jack-o'-lantern (巨大なカボチャ、これを顔型にくりぬく)やWitch(魔女)、幽霊のコスチュームが並びます。街をドライヴすると、家々の玄関にはさまざまな表情のカボチャランタンやクモの巣を模した網がかかっていたりして、そのデコレーションを見て回るだけでも楽しいものです。

 最近では、これが子どもだけのお祭りではなく、大人も巻き込んでの大騒ぎとなっています。昼間から、この日ばかりはと奇妙な仮装をした大人が道路やモール(大きな商店街)のあちこちに出没します。その日の夜に訪れたダウンタウンの寿司レストランでは、従業員一同がそれぞれ奇抜な衣装を競って、客の目を楽しませていました。それが面白くてつい長居してしまい、夜の肝心の時間に家にいなかったために、近所の子どもたちの訪問を受けることができなかったのは大失敗でした。おかげで買い込んだお菓子の袋が大量に余ってしまいました。

 こうした街を挙げての、大人まで巻き込んだアメリカのハロウィーンをかいま見て、このような経験は子どもの成長にとって、実はとても大きな意味があるのではないかと考えさせられました。子どもたちは、この日だけは見ず知らずの大人の人に“Trick or treat?”(お菓子をくれないといたずらするぞ)といいながらアプローチするという役を与えられます。子どもにとってそういう見ず知らずの大人は、はじめは脅威の対象かもしれません。ところがどこでも大好きなお菓子をくれます。それは一面儀礼的かもしれませんが、しかしこうした経験が、自分たちがコミュニティーの中の主役になること、そして「あ、僕たち/私たちはこの社会に受け入れられているんだな」ということを知る原体験になることでしょう。

 また「恐怖」という、一見ネガティヴな感情を自ら作り出し、それを楽しむということの教育的意味もあると思います。日本でもお化け屋敷や肝試しなどがそれに似ていますが、ハロウィーンほどの盛大さはありません。恐怖や不安、悲しみというネガティヴな感情も、愛や喜び、安心感と同じように大事な人間の感情であり、そこから逃げることなく、そのような感情の存在を知り、それに直面してマネージメントができるようになることが、本当の意味での心の豊かさにとって必要なものだと思います(しばらく前に、日本の音楽の教科書から、日本特有の短調の子守歌を、それが悲しい感情を呼び起こすので削除するという議論を聞いたことがありますが、これはちょっと軽率すぎるのではないかと思います)。

 いまのハロウィーンが、そのような事まで考えられて行われているかどうかはわかりませんが、おそらくそのような機能が潜在的に潜んでいると思われます。
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II - ii 子どもを守るということ

 アメリカの子どもをめぐって気づいたもうひとつの点は、「子どもは社会で守らねばならない」という通念が日常に根を下ろしているということです。

 アメリカでは「STOP」の道路標識は、日本以上に大きな力を持っています。少なくともこのボウルダーでは、道ばたにこの赤い八角形のサインがあれば、脇から車が来なくとも、人の気配がなくとも、どの車も必ず一時停止します。またスクールバス(日本でもしばしば見かけるあのまっ黄色のバスです)の車体の左側面には、あのストップサインがついていて、バス停で子どもをおろすときには、それが対向車や後続車にわかるようにとび出ます。

 こちらで受けた自動車免許の筆記試験にも出た問題ですが、このとき(a)後続車だけは止まらなければならないが、対向車は子どもに注意して徐行すればよい、(b)対向車も後続車も、いつでも止まれる速度で徐行すればよい、(c)対向車も後続車も止まらなければならない。さあどれが正解でしょう? 正解は(c)、つまり後続車も対向車線の車も止まって子どもたちの安全を確保しなければなりません。

 また朝の登校時間には、大きな交差点で警官がそのストップサインを手に持って子どもの安全を確保しています。あれは道路標識ですから法的拘束力があり、日本の緑のおばさんの持つ手旗以上の権威があるのです。そういったものに自分たちの安全は守られているという意識を子どもたちがどこまで自覚しているかはわかりませんが、これは大変印象的です。
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II - iii 児童虐待への意識の高さ

 アメリカでは児童虐待に対する社会の目が厳しいということは話には聞いていましたが、それを実感する出来事がありました。

 ある休日の午後、居間でパソコンで仕事をしていたところ、突然ベランダに人影が現れ、激しく窓ガラスをノックしてきました。何事か、とあわてて出てみると、険しい顔をした20歳前後の若い男性が「こちらから子どもの泣き声が聞こえるが、おまえのうちではないか。大丈夫か」とたずねてきました。実は一カ月くらい前から、隣のユニットに小さい男の子を2人もつ若い夫婦が越してきており、その子供たちが遊びながら発する叫び声だったのですが、私は事情を知っていたので気にも止めておらず、そのときもその声すら気づいていなかったのでした。それで「ああ、それはたぶんお隣だと思うよ」と答えると、その男性はすぐに隣のベランダに行き、同じように「子どもは大丈夫なのか」としばし問答し、大丈夫だとわかるとやっと戻っていきました。近所に住む男性のようでした。こんな若い人でも近所の子どものことを気にかけて、万が一のことを考えてちゃんと行動を起こすということに感銘を受けました。

 アメリカを旅行した方なら、アメリカ人の対人関係の気さくさに、驚きと感銘をもつでしょう。見知らぬ人どうしでも目と目が合えば、にっこりほほえみながら必ずHi!と声を掛け合い、バスや電車で席が一緒になると他人同士なのにすぐに会話が始まります。これはアメリカが銃も合法的に所持できるほど潜在的に危険をはらみ、だから必要以上に「自分は安全な人間だ」ということをアピールしなければならないからだという解釈を聞いたことがありますが、私はそうは思いません。潜在的にそのような機能があることは否定しませんが、日常レベルのこうした対人関係の敷居の低さは、基本的な生活習慣としてアメリカ人の体に身に付いているように思います。また、私たち日本人も、この社会の中に半年もいれば、目が合えばほとんど条件反射的に笑顔を作ることを学習できます(さすがに会話能力の苦手さのため、バスで隣の人と気さくに話をするまでにはなかなかいきませんが)。

 もちろんこうした行動パターンはあくまでも表面的なもので、逆に本当の意味で深くて濃いつきあいというものがなかなか育ちにくいという人もいます。しかし少なくとも対人間の第一段階での敷居の低さ、距離の近さは、先に挙げた児童虐待の防止のような問題に少なからず寄与しているのではないかという気がします。
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II - iv 子どものしつけ

 対人関係という点でもう一つ印象的なのは、子どものしつけです。どこの国でも、子どもたちは大声を上げて走り回ります。スーパーの中でもそうです。ただ私が驚いたのは、近くのスーパーでそうやって友だちとじゃれ合って走ってきた小学校高学年くらいの子どもが、私とぶつかりそうになると、しっかりと"I am sorry."と謝ったきてくれたことでした。私たち夫婦には子どもがおりませんが、こちらで知り合った日本人夫婦でお子さんを幼稚園に通わせている方にうかがうと、一般的にアメリカの子どもの時のしつけは厳しく、それも「だめっ」と頭ごなしにしかるのではなく、この場合にはなぜそういうことをしてはいけないのかということを、論理的に説き伏せるようなやり方をするそうです。

 隣の芝生は青く見えると言います。こうした私の経験したことがどこまでアメリカ文化全体に一般化できるかどうかわかりません。またスーパーに並ぶ不健康そうなジャンクフードの数々と、それらが無駄に浪費されていく様、また(このボウルダーではそれがあまり顕著ではありませんが)明らかな階層差が子どもの世界にもしっかり浸透してしまっていることなどは、やはりアメリカ文化の病んだ側面かも知れません。ただそうした側面も含め、アメリカとの子ども事情の比較は、私たち日本人の文化を振りかえるよいきっかけになります。
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II - v 子ども病院とケンペ子どもセンター

 もうひとつ興味深い光景は、子ども病院の充実です。渡米前に、小林登先生から「コロラドに留学するなら、ぜひ"ケンペ子どもセンター"Kempe Children's Centerを訪れていらっしゃい」と勧められ、Dever市内にあるこのセンターを探してたずねてみました。

 ここはアメリカでも有数の子どものケアに関する研究と介入プログラムを行っているセンターで、デンバーの小児科医だったヘンリー・ケンペ博士Dr.Henry Kempeが設立したものです。このセンターについては、次回詳しくご報告しますが、デンバーのダウンタウンから数ブロック離れたところに、とても大きな子ども病院Children's Hospitalに併設される形で建っています。初めてこのセンターを訪れたとき、まずその病院で場所をたずねたのですが、中に入ってその案内を見たとき、その病院が完全な総合病院として充実していることに驚きました。日本にもこのような病院はありますが、デンバーのそれは、アメリカでも有数の規模を誇るのだそうです。

 その充実した医療活動に寄与しているのが、ケンペ子どもセンターです。このセンターは、問題行動をもつ子どもや親からの十分な養育を受けられない子ども、障害を持つ子どもなどをサポートするさまざまなプログラムを開発し施行しています。11月の末、幸いにもセンターのスタッフの方たちが集うパーティーに顔を出させていただくことができました。そしてそこに勤務している指導員の若い女性の方々(写真)、そして幸いにもケンペ博士の未亡人(写真)ともお話しする機会を持つことができました。

 指導員の方たちが行っているプログラムについては、次回のご報告で触れさせていただきますが、奥様からうかがった設立の時の話では、デンバー大学医学部の小児科教授であったケンペ博士が、設立当初から、小児科、精神科、心理学者など、幅広い領域の数多くの専門家たちによって多角的に子どもをケアする体制の確立を目指していたことを知りました。これは小児科学、脳科学、遺伝学、進化学、心理学、社会学、教育学、文化人類学などさまざまな学問領域、さらには母親や子ども自身の視点など、さまざまな角度から子どもの成長に関わる問題にアプローチしようという、現在設立されようとしている日本子ども学会のありかたに通ずるものがあると思います。
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III - i 「文化のちがい」をめぐって

 異国の文化に接したとき、当然のことながらまず気になるのは「なぜこんなにちがうのか」ということでしょう。アメリカで生活している日本人同士で会話すると、

 「アメリカ人は、よくこんな甘ったるいケーキを平気で食ってられるな」とか「あののびきったソーメンみたいなスパゲッティはなんとかならんのか」と、まずは食べ物のちがいに話題は盛り上がり、

 「だいたい若い共働きの女性は、日本人とちがって全く料理何かしないのよ」、「大きなスーパーで大きなカートいっぱいに食料を買い込む神経がわかんないわ」、「ちょっと長い列ができても誰も文句言わずにおとなしく並んで待っているわよね」、「子育てやしつけは日本人より厳しいみたい」と、生活様式や行動パターンのちがいを面白がり、

 「街の歴史博物館に行ってもおじいさんかせいぜいひいおじいさんの時代のものが並んでいるだけ、歴史がないんだな」、「自分たちがインディアンやヒロシマ・ナガサキに対してしたことには目をつぶる、欺瞞だよ」、「結局アメリカ人は、自分たちが最高で、世界中がアメリカみたいになればいいんだって、本当に信じてるんだよね、きっと」、「何かっていうとすぐアメリカ万歳だろ、ばかじゃないか」とアメリカ文化批判に行き着きます。

 またこちらで研究生活をすれば、当然のことながら研究条件のちがいに関心が向かいます。その圧倒的多くは、アメリカの研究者はなんて恵まれているんだろう、という羨望です。それに比べてわれわれは金なし、人なし、時間なし(それに設備もなし)の三重苦、四重苦を背負わされ、これで対等に国際舞台で張り合うなんてどだい無理と悲観的になり、それは翻ってわが国の文科省の教育・科学政策批判、官僚制批判に向かい、最終的には「結局日本というのはどこかゆがんだ文化二流の国なんだよね」と自虐的日本文化批判に行き着きます。

 こうした「文化のちがい」はパーティートークとしては面白いですし、しばしばとても刺激的で示唆に富みますし、ときには創造力の源泉にもなりうるので、アメリカについてとくに初めのうちは(そしてもちろん今でも)こうした「ちがい」探しに自然と気持ちが向かっていたように思います。しかし一年近くアメリカに生活して、そうした表向きコントラストがはっきりした「ちがい」というのが、実はそれ以上に広大な「同じ」ものに支えられているのではないかと思い至るようになりました。文化や国民性の「ちがい」というのは、非常に多くの共通性を「地」とした「図」のようなものなのではないか。
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III - ii 心地よいアメリカ文化の敷居の低さ

 前回、日本とは異なるアメリカの子ども事情について身近に経験したことをいろいろと書かせていただきました。その中で、隣の家の子どもの泣き声にすぐ駆けつけてきた近所の若者の話を紹介し、それをアメリカ人の対人関係の敷居の低さと形容しました。このような敷居の低さ、人にアプローチする気軽さは、少なくとも私のように1年という短期滞在者にとっては快適で、これは住み慣れているはずの日本より快適なくらいです。この中にいると、自分自身の対人関係の敷居も低くなり、たとえば日本では面倒で全く行ったことのなかったホーム・パーティーも、こちらに来てから何度も開きました。食べ物も別に凝る必要はなく、いざとなればポットラックでみんなに簡単な手作り料理の持ち寄りをお願いし、使い捨ての紙皿にプラスティックのスプーン・フォークを使えば(確かに資源の無駄ではありますが)主婦の手を煩わせることもあまりありません。

 また私は趣味でピアノを少しばかり弾くのですが、たまたま音楽学部の図書館から借りだしたピアノの楽譜をもったまま国際センターに相談に行ったら、カウンセラーがその楽譜を見て、「あなたピアノ弾くの? だったら今度うちのセンターのホリディパーティーで弾いて」と気安く、こちらの腕前を確かめようともせず頼んできたので、日本では絶対人前で弾か(け)ない恥ずかしがり屋の私も、ここならかまわなかろうと、これまた気安く引き受けて、国際派ピアニストとしてのデビュー(!?)を飾り、それなりに喜ばれたようでした。
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III - iii ブロス先生と小児法学(pediatric law)

 このように日本人の私たちの行動様式まで一時的に変容させてしまうようなアメリカ文化の対人関係の敷居の低さというのは、日本人のそれと根本的にちがうのでしょうか。決してそうではなさそうだ、と考えさせられる話を、前回の最後にご紹介したケンプ子どもセンターKempe Children's Center*1写真, ホームページはこちら)でインタビューさせていただいたドナルド・ブロス博士Dr. Donald C. Brossからうかがいました。

 もともと前回ご紹介したセンターのパーティーで知り合ったある女性スタッフの関わるプログラムを見学させていただくつもりで、ちょうど私の所にたずねてきてくれていた山梨大学の発達心理学者の酒井厚先生といっしょにセンターを訪れたのですが、あいにくその方が出勤されておらず、代わりにセンターの説明をお願いできる方をと受付に頼んだところ、応対をしてくださったのがブロス博士でした(写真)。ここでも「敷居」はとても低く、すぐに「よかったら、お茶でも飲みながら話をしよう」とすぐにキッチンにわれわれを案内してくれ、「コーヒーにするかい、それとも紅茶? 好きなカップを使ってくれていいよ」と初対面とは思えない気さくさで応対してくださり、マグカップを手に図書室で2時間近くお話をうかがいました。

 ケンプ子どもセンターの主要な仕事は、虐待/ネグレクト(養育放棄)児童の救出とその発育支援です。センターの前身は1962年に児童虐待の事実を世に被殴打児症候群(battered child syndrome)として知らしめた小児科医として日本でも知られるヘンリー・ケンプ博士Dr. C. Henry Kempeが1972年に設立した国立児童虐待ネグレクト予防処遇センター(The National Center for the Prevention and Treatment of Child Abuse and Neglect)でした。このセンターは昨年(2002年)7月、第14回国際児童虐待防止協会(ISPCAN:The International Society for the Prevention of Child Abuse and Neglect)の国際大会*2を主催しました。

 ブロス博士の話で、まず第一に興味深かったのは、彼の専門が小児法学pediatric lawだということです。「そういう概念があることに驚きました」と素直に伝えると「そりゃそうだろう、私が作ったのだから」。あとでインターネットでブロス博士の業績を調べてみて、彼がコロラド大学医学部小児科の家族法の教授で児童の法律の専門家としてたいへん著名な方で、その活動に対して数々の賞も授与されており、センターでは教育・法律相談部の部長であることを知りました。アメリカでは虐待やネグレクトが疑われる児童に対して、早期に介入することを可能にする法的整備が整っているということが知られています。わが国ではようやく2000年11月から「児童虐待防止法」の施行により、児童虐待を発見しやすい保育士、教師、医師などが、疑わしいケースを通報する義務をもつことが明示されましたが、アメリカでは30年以上も前からそうした取り組みをしています。*3

 「疑わしきは通報」をモットーとするアメリカの児童虐待関連の法律のもとで、時には本来引き離すべきでない親子関係を引き裂いてしまうという誤った結果をもたらすケースもあると聞きますが、それはどんな制度にもしばしばみられる官僚的な運用の弊害でしょう。ブロス博士の話を聞くと、法はそれを使う人間の見識によって人を生かしも殺しもするのだと言うことがわかります。

 それを端的に示すケンプ博士の逸話を聞かせていただきました。彼のいる小児病院の眼科に、ある地方のお医者さんから目に異常を訴えるある子どもとその親が紹介されてきた時のことです。その子は先天性緑内障という難病で、すぐに手術をしなければ失明するというので、デンバー病院の眼科医はただちに手術を行うことを決めました。ところが手術の当日にも関わらず、患者の家族がいっこうに姿を表しません。医師が電話で親と連絡を取ってみると、こういう話でした。その夫婦には以前もう一人の子どもがいたが、病院で手術を受けて死なせてしまったという経験があり、今度もそうなるのではないかとおそれて手術は絶対に受けさせないと頑ななのだそうです。その医師は、その事情をケンプ博士に相談してきました。ケンプ博士は法的措置についてのサポートを得るべくブロス博士の部屋でその眼科医と電話でこういう話されたのだそうです。

 「その子どもの主治医がそれ以上、親に介入したくない気持ちは分かるし、その土地の保護団体がこれ以上の介入を躊躇する事情もわかる。みんなを敵に回したくはないからね。しかしコロラドの法律は、児童虐待が行われると疑われる状況を目にしたら、誰でもそれを調べてもらうことを裁判所に要請することができる。われわれは正しいことをしなければならない。私たちのすべきことは子どもを救うことだ。すぐに法的措置をとって、その子に手術が受けられるようにさせなさい。」

 こうしてただちに3度にわたる弁護士との面接が行われ、親も納得して手術が実施されて、子どもは失明の危機を逃れることができました。

 この話は、見方によっては乱暴と映るかも知れません。日本では子どもは親のものとされますので、この場合、ちょっと説得してダメだとわかれば医師は引き下がり、親の意向の方が尊重されてしまうでしょう。これはアメリカの田舎でも事情は同じで、それでその子の主治医は躊躇していたのです。このときそのまま手術をあきらめ、そしてその結果、子どもが失明したとしても、主治医がとがめられることはないでしょう。しかしアメリカの法制度のもとで、ケンプ博士はその法律を利用して、強行に家庭に介入、結果的に子どもを救い出しました。
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III - vi 子どもを救うという使命のために

 「親には心の葛藤はないのでしょうか」とブロス博士にたずねて見ました。

 「もちろん誰にせよ他人が自分の家庭に法的介入などしてくれば、親にはそれは大きな葛藤が生ずる。親は自分が一番子どものことを考え、子どもにとってよかれと思って行動しているからね。それに虐待する親は往々にして、自分自身が親から同じように虐待されてきたので、それを問題と思いにくいのだ。だから虐待はなかなかなくならない。ケンプ博士はこう思っていたんだ。民主主義のもとでは子どもは無条件で親の所有物なのではなく、親が他の誰よりもちゃんと子どものことをケアできる存在だという理由で、子どもを自分のもとに置くことができる。だから、親にそれができないときには、そしてその時にのみ、民主社会が、子どもに代わって介入しなければならない、とね。」

 このとき、ああ、親の気持ちというのはアメリカでも日本でも同じなのだな、と思いました。アメリカでも、基本的に家庭のこと、とくに子どもを守るのは原則として親であって、子どものことに他人が介入することには強い抵抗があることは日本と変わらないのです。アメリカでの「子どもは社会の財産」という考えは、こういう自然の心情の「地」の上に、子どもの幸せに生きる権利を場合によっては社会が代弁して主張する必要があるときの手続きを作る上で考え出された「図」なのでしょう。

 この話でもう一つ印象的なのは、ケンプ博士にしてもブロス博士にしても、こうした児童虐待に立ち向かう人たちのもつ筋金入りのプロフェッショナリズムです。子どもを代弁して子どもを救うのが自分たちの使命という彼らのプロフェッショナリズムには、ほとんど感動ということばを用いていいほどの感銘を持ちました。もし日本との決定的な差があるとしたら、このように自尊心をもって自らのプロフェッショナリズムに徹して職務に当たる人たちを育て上げる文化が、今の日本には悲しいほど欠落しているという点ではないでしょうか。かれらは子どもの実態を把握するために、大規模で綿密な信頼できる調査を多額の費用を費やして実施し、表面的な肩書きや組織にこだわらず適切な人材を見つけだして、子どもを救うために必要な介入プログラムを常に作りだし続けようとしています。

 このことを象徴的に示すブロス博士が教えてくれたもう一つの興味深い話があります。今このセンターでもっとも活躍しているである予防保護プログラム部の部長であるゲイル・ライアンGail Ryanさん(写真) は、もとはコックさんだったのだそうです。それは、虐待など問題を抱える家庭は、子どもの食事事情にも問題があることが多いからで、ケンプ子どもセンターでは、家族でしばらくの間センターで生活をしてもらい、さまざまなサポートや処遇を受けられるプログラムも開発しています。食べ物は、子どもにとって単なる栄養物ではなく、場合によっては虐待の武器にすらなるという視点で、ゲイルさんは数々のすぐれた研究論文を書いているそうです。虐待を犯す親の心理の揺れ動きのサイクルを表現したこんなポスターを考えたのも彼女です。
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III - v 普遍性としての「地」と個別性としての「図」の関係から

 制度を創り出しそれを動かすのは、その制度それ自体なのではなく、結局はそこに直接関わる生身の人間の心や思いでしょう。わが子を思う親の心、危機に陥っている子どもを救い出したいという人の思い、これらに基本的に文化差などないはずです。これは人間に共通の「地」の部分です。ただ、その思いや心をどのような形で行動に顕在化させるかについての人々のちょっとした意識のちがいが、「図」としての制度や文化の大きな違いを作り出しているのではないでしょうか。

 そもそも人間は非常に多くの遺伝子を互いに共有しています。それどころか、DNAの塩基配列だけ見ればチンパンジーとだって99%近くを共有していると言われます。男女の差は一見大きいですが、それも性染色体がXX(女性)かXY(男性)かという、人間を作る全46本の染色対中のたった1本の違いでしかありません。もちろん血液型のように一人一人違ったタイプの遺伝子をもつということはあります。こうした一人一人の遺伝子のちがいが血液型や病気へのかかりやすさだけでなく、人間のパーソナリティや能力のちがいにも関係していることを示しているのが、私の研究している行動遺伝学ですが、同時に進化心理学では人間の心の働きがどれだけ遺伝によって普遍性を共有しているのかが精力的に研究されています。ここにも普遍性としての「地」と個別性としての「図」の関係が見られます。

 私がアメリカ滞在中に最も興味を持って行った研究は、人間のパーソナリティを作り出す普遍的な遺伝的構造の抽出と、そこから一人一人の個性がどのように生み出されるかについてのモデル作りでした。いわば「地」と「図」をつなぐモデル作りです。日本人双生児のパーソナリティデータを統計的に解析してみると、異なる遺伝子群から作り出されていると考えられる3つの異なる働きが浮かび上がります。それは伝統的に世界中の多くのパーソナリティ心理学者たちが唱えてきた3つの次元(外向性・不安・精神病質、あるいは行動活性・行動抑制・対人関係など)とほぼ対応します。そして人間のパーソナリティを記述する他のさまざまな性質の大部分は、この3つの遺伝的次元の組み合わせと、その人独自の環境からの影響で説明できそうなのです。

 このような普遍的と思われる遺伝的に独立の3つの次元があるとすれば、それはきっと進化を通じて獲得されてきたもので、そこから生まれる人間のパーソナリティの個人差もきっと進化的な意味があるのではないかと考え、それを進化心理学の大御所であるトゥービー博士Dr. John Toobyとコスミデス博士Dr. Leda Cosmedesの前でお話しさせていただきました。(写真*4

 パーソナリティの遺伝的個人差は、進化的にはノイズのようなものと考える二人とは、必ずしも意見の一致は見られませんでしたが、人間パーソナリティの共通性と個性の橋渡しを考えるとき、遺伝子と進化の視点からの研究が重要であるという認識は共有できました。その意味での「敷居」は低く、またこのような大御所の大先生が私の話に熱心に耳を傾けて、対等に議論してくれるという暖かい雰囲気に、強い感銘を受けました。

 私の留学もひと月を切り、このような素晴らしい経験や人々との出会いをもう少し味わいたい、できれば日本に帰りたくないという気持ちに後ろ髪を引かれながら、敷居のちょっとばかり高い日本文化への再適応の準備をしつつある今日この頃です。

 本稿執筆に当たっては、ケンプ子ども研究所のドナルド・ブロス博士に、当日のインタビューだけでなく、その後のメールでの内容確認で再度にわたり労を執っていただきました。この場を借りて博士にお礼を申し上げます。




*1 II ではKempeを「ケンペ」と表記しましたが、今回発音をちゃんと確認したところ「キンプ」に近い「ケンプ」という音だそうです。
*2 こちらで大阪大学の中村安秀先生がその報告をなさっています。
*3 児童虐待に対する日米の取り組みの違いについて、大阪大学の西澤哲先生のコメントがこちらに紹介されています。
*4 この機会はこの二人のいるサンタバーバラにちょうど同じころ留学していた東京大学の平石界先生が作ってくださったものです。写真の一番奥がトゥービー博士、右前が平石先生、左前の女性がコスミデス博士、その後ろが私(安藤)です。


「コロラド便り−行動遺伝学研究所留学記−」は2003年10月31日、11月28日、2004年1月16日と、3回にわたりCRN・TOPICSに掲載された内容を編集・転載したものです。


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