学習障害 - 教師の視点から:普通教育への統合化 |
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アン・リップシット 「障害」、「欠如」、「不能」といった言葉を使う人たちは、そのようなレッテルをつけられる側の気持ちを考えずに使うことが多いようだ。そういった言葉は、時に人を傷つける。これらの言葉は否定的連想を伴い、誤解を生みやすい。その言葉を聞いた瞬間に、その人が、何かができない人だということに焦点が当てられる。 レッテルというのは、何かを教えるときやセラピーの方法を選ぶ時には役にたつものである。しかし同時に、ある能力がなくて、その人が劣っているという診断を受けたような誤解をされやすい。 私は特殊教育者として、違いよりも共通点の方が多い、たくさんのユニークな生徒たちと出会うことができた。しかし彼らは、なんらかの「障害」を持っていると診断されている。「たくさんの生徒」と強調したいのは、私が長年、特殊教育者として、特殊教育と普通教育のギャップを狭めようとしてきたからである。それには様々な理由があり、いろいろな方法がある。 私が教え始めた頃は、際だって特別な注意が必要な生徒は、分別されて扱われることが当たり前だった。当時、私は、こういう生徒には、普通教育の生徒とは同じ機会が与えられないことが多い、と感じていた。彼らのカリキュラムは、希薄化されていて、現実とのふれあいがなかった。学校の環境も閉鎖的で、その中にしか、見習うべき人や友人がいなかった。 私が特に懸念していたのは、このような生徒が、学力的にも、行動的にも、社会的にも、成功する事を期待されていなかったということである。1980年代初頭に、他の特殊教育者とともに、全生徒を共通の教育システム、すなわち普通教育に参加させるようなモデルをつくり始めた。 バーモント州は、「mainstreaming(普通教育への統合化)」に積極的で、すばらしい改善が見られた。私は、幸運にも、この前向きな変化を目の当たりにしてきた。生徒たちが、普通のクラスに参加し始めたとたんに、私自身も、普通のクラスの教員たちと協力し合うようになった。教員、教務、特殊教育者が、定期的に、生徒のニーズ、能力、違いについて語るようになった。 最初の段階は、とても困難な過程であった。最も難しかった点は、普通の生徒と特殊教育の生徒をともに教えることの利点について、説得することであった。 初期の段階においては、説得がうまくいったと言いたいところだが、実はそうでもなかった。学校を開放したり、協力したりすることにおいては、大人の存在はとても重要であったが、一番すばらしい先生となったのは、生徒自身であった。特殊教育を必要としている生徒たちが、地域の学校に行き始めてからは、学校にも地域社会にも大きな変化がおこった。 バーモントの学校では、当時すでに、特殊教育スタッフによる小規模のグループ教育が行われていた。これが、「Inclusion(いっさいを含み入れること)」の先駆けとなった。この時点で、やっと地域の学校でどのような生徒を「含み入れる」かを検討していたところであった。長年の経験で学んだことは、この「含み入れる」過程とは大変な困難を伴うものであって、普通教育への統合化と個人的指導のコンビネーションによる多数の解決法があるということである。この発見、経験、及び教育を通じて、私たちは人間が、もっと他の人の個性を受け入れられるように貢献してきた。 一番感激したのは、生徒たちが他人に対しての感性を伸ばすのが早かったことである。例を挙げよう。中学生のスティーブンは、多くのチックを持ち、ツーレット症候群(Tourette's syndrome) と、筆記及び数学能力障害と診断された。スティーブンは、頻繁に痙攣をおこし、とても大きい声を出したり、頭と目を激しく動かした。彼は、このような行動を特殊と認めず、ツーレット症候群ではないと言い張った。 毎年、スティーブンの先生たちと特殊教育者たちは、他のクラスメートに、ツーレット症候群の症状を説明したり、生徒の質問に答えたりして、生徒の懸念や恐怖をなくしていった。スティーブンは、このような議論には参加したくなかった。中には、からかった子どももわずかにいたが、生徒の間での問題はほとんどなかった。そのかわりに、他の生徒はみんなスティーブンの発する音を許容し、仲間の一員としてつきあい、違いには無関心になった。この過程で明らかになったのは、大人のほうが、いろいろ懸念したり、噂したり、議論をしていたことである。 話し合いをし、経験を積み、個人的に接することによって、この学校は、大きな音や珍しい動きに対し、より寛容になった。スティーブンは、子どもの一人であり、たまたまチックをもっているのであって、ツーレット症候群の生徒ではないのである。 普通教育と特殊教育のギャップを埋める一つのストラテジーは、「逆統合化」である。私は、完全に特殊教育だけのクラスを教えるのをやめて、普通教育と特殊教育の子どもたちがいるクラスの国語を教え始めた。このクラスは、特殊ではなく、このクラスにいる生徒たちがみな特別であった。学校の環境を大きく変えた要因は、特殊教育の先生と、普通教育の先生たちの共同授業である。これは、現実の世の中のように(ショッピングセンター、スーパーマーケット、図書館など)、全人類を含めた環境である。 学校や地域社会が全員を「含み入れる」ようになれば、個人個人が参加している気持ちになれる。言葉による分別化は、閉鎖的な行動につながり、そのような人たちはその場にふさわしくない、ということを暗に意味する。個性を説明するときに使う言語は、お互いのつきあい方に大きく影響する。障害や違いというのは、人間その人の単なる一部であり、その人のアイデンティティではない。障害を持つ人は、不能の人ではないのである。 (アン・リップシットは、バーモント州の特殊教育者であり、1993年にバーモント州優秀教育者賞を授与された。彼女は18年間教鞭をとっている。) |
興奮剤は行動障害に適切か |
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興奮剤は、伝統的には子どもの行動障害(conduct disorder)には不適切と言われてきた。しかし最近の研究で、84人の子どもに興奮剤(Ritalin)あるいは偽薬を5週間投与し続けた結果、興奮剤には効果があることが判明した。親、先生、医師、及び研究者が、6歳から15歳の子どもたちの行動を評価した。注意欠陥・多動障害(attention-deficit/hyperactivity disorder(ADHD))と行動障害の両方である子どもは、3分の2であった。
行動障害に特にみられる反社会的行動は、興奮剤投与によって、有意に減少した。注意欠陥・多動障害の症状が重いか否かに関わらず、興奮剤投与は行動障害に効いた。 この興奮剤は、行動障害を持つ児童や思春期の子どもに短期的な効用があり、ある種の反社会的適応にも効果的である、と研究者たちは結論づけている。 (Clinical efficacy of methylphenidate in conduct disorder with andwithout attention deficit hyperactivity disorder, R.G. Klein, Ph.D., et.al., Archives of General Psychiatry 54:1073-1080, 1997. For reprints, contact Dr. Rachel G. Klein, Ph.D., Department of Clinical Psychology, Unit 80, New York State Psychiatric Institute, 722 West 168th St., New York, NY 10032.) |