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Vol. 14, No. 4, April 1998
1. 思春期の女の子の問題
2. 拒否に対する羞恥反応は原始的・身体的な反応を引き起こす

思春期の女の子の問題

 米国最大の産婦人科医師団体の会長は、思春期の女の子の精神的肉体的ストレスは増す一方であると警告している。ここで取り上げる2つの問題は、十代の子どものある文化的、行動的な傾向が、「私には起こらないだろう」という思いこみとあいまって、この世代の健康に重大な問題を生じようとしている、とローラ・クレイン博士(米国大学産婦人科婦人問題分科会(ACOG*) 会長)は言っている。クレイン博士が提起している2つの大きな問題とは、早期性経験(66%の女の子が高校3年生までに性経験をもつ)と社会の痩せることへの信仰である。これらの問題は、子どもの自我を脆弱なものとし、また喫煙などの健康上のリスクの高い行動へと影響している。ACOGは、十代の女の子に13歳から15歳の頃には、産婦人科医で医師から、健康上のリスクの高い行動についての話を聞くよう勧めている。

(*) The American College of Obstericians and Gynecologists



拒否に対する羞恥反応は
原始的・身体的な反応を引き起こす

ハルバート・トーマス

 我々は、他者−殊に大切な人から拒否されると、当惑したり怒ったりする。これは人間社会の一側面であり、生きていく上では避けて通ることのできない問題でもある。しかし、この説明だけでは、別の側面−拒否された時に起こる原始的・身体的な反応について見落としてしまう。本論では、この原始的・身体的反応を「羞恥反応(shame reponse)」と呼びたいと思う。

 この羞恥反応が激しく起こった場合、とても大きな苦痛を感じ、かつ大きな心的外傷を受けることになる。この心的外傷によるエネルギーが外に向かえば暴力となるが、そうでなければ内側−すなわち自己に向かうことになる。

 この「拒否」という言葉は行動科学で用いられるものであるが、日常の会話の中でも同じように使われている。しかし、拒否に対する羞恥反応という現象は、その人の「主観」から「客観」への変容と理解することもできる。すなわち、他者を拒否することは、その他者を客観化するということなのである。

 拒否の激しさは、以下に挙げるいくつかの要因によって決定される。

  • 拒否した他者の重要性
  • 拒否の場面に立ち会っていた人の重要性
  • 拒否された人の(拒否に対する)傷つきやすさ
  • 拒否の対象は、自己の一部なのか、すべてなのか
  • 拒否の唐突さ
  • 拒否とそれによる羞恥反応との相関関係

身体的反応

 拒否によって経験する羞恥反応は、原始的身体的なものである。激しければ激しいほど、苦痛を感じる。その痛みは胸の苦しさから、時に胸が破裂するように感じたりする。これは、単なる一例であり、体のどこにでも起こりうる。

 羞恥反応の激しさは、その後の行動を決定する。ある人は怒って、その怒りを外に向かわせる。そのような場合、その怒りは他者への暴力として現れる。もし、その怒りが内面に向けられた場合は、自己嫌悪の悪循環になり、さらなる拒否を避けるべく孤立し引っ込み思案になりがちである。この激しい羞恥反応による心的外傷は、心的外傷後ストレス性障害(PTSD)の現象とほぼ似ている。

 羞恥反応による痛みは、脳のある部分に集中していることが明らかになっている。それは、おそらく帯状の脳回転がその周辺であろうと思われる。この部分は、「感情の高まり」をつかさどっていると思われる。要するに、ちょっとした拒否が、過去の痛々しい拒否の経験とあいまってエネルギーを発散させることになると考えられる。若者が、些細にみえる拒否に対して激しい怒りをみせることも、この現象によるものであろう。

昔の対処方法

 歴史的には、社会において、拒否経験から個人を守る様々な方法が工夫されていた。古代ギリシャでは、オリンパス山に住む神様が、人々の心を守ると信じられていた。個人的な過ちを、より高位の権威のせいにすることで、人々は一時的に社会的羞恥を避けることができた。

 100年前の日本では、厳格な社会的規範によって、社会的に許容される行動が明確になっていたので、他人に拒否されることを回避できた。ただし、その社会的に許容された行動に反した場合は、その人は厳しい状況に置かれた。

 米国では、拒否を避けられるような社会的契約は、ほとんどなかった。その結果、激しい羞恥反応を経験している人たちは、非常に多い。このような人たち−特に子どもは、癒しを必要としているにもかかわらず、それが叶わない状態であることが多い。大切な人に拒否されたことによって、自分自身をも拒否してしまうためかも知れない。また、セラピストの無理解によるものかも知れない。というのは、セラピスト自身も拒否による羞恥反応の経験があり、もう一度拒否を受けないようにしたいと思っているからだ。

痛みから逃れるために

 拒否による痛みを癒すことは、たいへん難しいため、激しい拒否を経験した人は、今後の拒否を避けたいという願望に支配されてしまう。こういう辛い経験を何度もしている人たちを守るためには、私たちも絶えず他人を受け入れる姿勢でいることを心がけるべきである。我々の社会で拒否することがどれほど行われているかを理解し、そしてその拒否によって、人はどれだけ傷つくかを理解しないと、この状況を改善することはできないであろう。

 子どもたちは、大切な人たちに囲まれて暮らしている。大人が子どもに対して拒否を経験させるのであり、だからこそ、先生や親や地域社会の大人が、子どもを受け入れて拒否しない姿勢で語りかければ、その子を辛い経験から守ることができる。このように、階層的な社会においては、権威をもつ者(大人)こそが、子どもの痛みを癒す力を発揮できるのである。

 拒否に一番弱くて、身体的苦痛を感じるのは子どもだということを忘れてはならない。。一回経験したら、この痛みは消えることはない。ささやかな拒否で子どもが怒るのは、単に扱いにくいからとはいえないであろう。いや、むしろその子は耐えられないほどの拒否を経験し、極限まで行っているのかも知れない。

 こう考えると、チャールズ・ディケンズの『偉大なる遺産』に出てくるピップの経験を、よりよく理解できるかも知れない。「彼女は、パンと肉とビールを持って戻ってきた。その1杯のビールを石の上に乗せ、私がまるでみっともない犬であるかのように、私を見ないでパンと肉をくれた。私はとても恥をかき、傷つき、怒り、惨めになり、涙があふれ出した。涙を見たとたんにその女の子は、自分がその涙の原因であることをと喜んだ。彼女が帰ったあと、私は、顔を埋める場所を探し、泣きながら壁を蹴り、髪の毛をひねり上げた。私はとても辛く、言葉にできないような強い反発を覚えた。」

Herbert E. Thomas is medical director for the forensic programming of The Center for Addiction Services at St. Francis Medical Center, Pittsburgh.




The Brown University Child and Adolescent Behavior Letter, April 1998
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Source; The Brown University, Adolescenet Behavior Letter.
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