テレビを見ることは、肥満につながる |
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米国での最近の研究によると、運動不足による健康への悪影響(例えば肥満)をくい止めるためには、子どもに運動させるための介入戦略が必要である、という結果が示された。
研究者は、米国の子どもにおける活発さ、テレビを見る習慣、及び体重との関係を研究した。それは、 個々への面接及び診察を含んだ、全国を横断する調査であった。 研究は1988年から1994年に行われ、8歳から16歳の子ども4063人が対象とされた。メキシコ系米国人、及び非ヒスパニックの黒人は、それらのグループにおいて信頼できる推計を生み出すために、多めに見本をとられた。 子どもたちは、毎週の活動のエピソード、1日あたりテレビを見ている時間を調査されるとともに、身体の特徴及び体重が測られた。 子どもたちの80パーセントは、毎週3つ以上の活動エピソードを報告した。但し、非ヒスパニックの黒人とメキシコ系米国人の少女の間では、その数値はそれより少なかった (それぞれ69パーセント、及び73パーセント)。週ごとの活動エピソードの数が2つ以下の子どもは、全体では20パーセントであるが、男女差があり、少女は26パーセントであるのに対し、少年では17パーセントであった。 総合的にみると、米国の子どもの26パーセントは、テレビを1日当たり4時間以上見ており、67パーセントが、少なくとも2時間以上テレビを見ていた。テレビを1日当たり4時間以上見ていた子どもの比率が最も高いのは、非ヒスパニックの黒人であった(42パーセント)。 テレビを見る時間が1日2時間未満の子どもより、4時間以上見る子どもの方が、当然体重が重かった。 「米国の子どもの多くはテレビの見すぎで、そして、活発さが不十分である」、「活発さの度合いは、非ヒスパニックの黒人とメキシコ系米国人の少女の間で最も低い」と、研究者らは結論を出している。 |
Andersen RE, Crespo CJ, Bartlett SJ, et al.: Relationship of physical activity and television watching with body weight and level of fatness among children. Journal of the American Medical Association 1998; 279: 938-942. For reprints, contact Ross E. Andersen, Ph.D., Johns Hopkins School of Medicine, 333 Cassell Drive, Suite 1640, Baltimore, Maryland 21124. |
よい親であるためには、時間をつくることが必要 |
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ドゥワイト・ヒース博士 多くの親は、子どもがますます冷淡になっていくのには挫折感を覚えさせられると言う。子どもたちは、親に対して距離を置き、親のコントロールの効かないところで、テレビや友人から影響を受けている。親が、親として当然の役割である支援や指導をしようとしても、無力感をもってしまうということは、残念であるばかりでなく、恐ろしいことである。 そんな状況の中でも、この複雑で困難な役割を果たすということが、いかに難しいかは皆が知っている。最初のステップは、頭の中では理解していても十分な時間がないときには難しいことだが、親としての時間をつくることである。時間的には決して短かくなってはいないが、仕事が増えているので、時間が足りないと感じてしまうのである。 家計をやりくりするために2つの仕事をもつ人々、または両親とも働いている家庭は、特別な問題を持っている。片親の場合は、相対立する要求に苦しむ。しかし、時間をつくることが本当に大切であると考えるならば、1日当たり30分、または週当たり半日の時間をとっておくことができるはずだ。そのことは、安いが貴重な投資であると考えるべきだ。 仲間の圧力が、どうしてそこまで若者に影響を与えるのか不思議に思うこともある。それは単に、他に代替するものがないからという場合が多い。 かつて家族とは、夕食をともにし、ニュースについて論じ、その日に起こったことについて話したものだった。小さいコミュニティにおいては、そのような交換は、非公式の社会構造や権利義務を理解するのにしばしば役立った。講義や説教をせずに、毎日の生活でいかにものごとが行われているかを例証するのに役立った。それは、言語で表現された論理や理屈では説明しきれないものである。若者が国内問題や国際問題を見据えることは、遠くのできごとであるように思われる作用や文脈を理解するのに役立つ。これも言葉では説明しにくいものだ。仕事について話すことも非常に役立つ。仕事と家庭との断絶についての不可思議をなくし、なぜ所望品の購入が延期されなければならないかが説明できる。食物について話すことは、栄養学から農業まで、生態学から労働関係まで、また地理から経済学までに役立つ範囲が及ぶ 。 これらのことが、ノルマン・ロックウエルの絵からでたロマンチックなノスタルジアのように聞こえるならば、これまでの歴史において、社会の一員であることを学ぶ方法がどうであったかを考えてみるべきだ。人間は、大まかに言えば本能的である。なぜなら、われわれは、先天的には多くを与えられておらず、長い期間の成熟期が、大きな疑問への既製の解答、及び一般的問題の解答を教え込むことに費やされているからである。社会科学者は、「社会化」や「文化変容」といった呼び方を好む。どちらの場合も、基準、価値、姿勢が世代間で受け継がれていく、長く大規模なプロセスを示している。 それはまさに教育である−しかしそれは、教室でのみで行われると、しばしば考えられている(しかし、家庭での教育も含まれるべきである)。 私は、難解で理論的なことを子どもと話しているわけではない。ただ普通の話をしているだけだ。もしその会話がなかったら、子どもは誰に情報源を求めたらよいのであろうか? 親は、論じられなければならない話題、または、既製のテーマのリストを無理に持たされるかのように感じる必要がない。共に時間を過ごせば、子どもは親を驚かせ、大喜びさせる。話を聞き、そして答える−正直な、そして、かみ合った方法において−ことは、年齢にかかわらず、他の人に与え得る最も良い報酬となる。 |
Dwight B. Heath は、ブラウン大学人類学部名誉教授、及び、 The Brown University Child Adolescent Behavior Letter の編集者である。 |