研究や実地において日記をつけることは 豊富な情報をもたらす |
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ナンシー・ウエンバーガー博士 金色の鍵のついた小さなノート――これはおそらくもっとも日記を連想させるものだろう。しかし、このイメージは、文学的研究、歴史的研究、医学や行動形態学において日記が広範囲で使われていることは想起させない。 日記の使用は、戦争、損失、虐待や他の痛みを伴う出来事を扱う際、特に下剤のように老廃物を取り除くプロセスとしての長い歴史を持っている。反省や分析は、日記を書いているときや、過去の日記を振り返って読みなおすときに行われる。日記は、過去の出来事や経験を復元するために使われる。これは、しばしば自然に行われる行動である。 自己報告の利点と欠点研究に使われる日記の形態は、特定の質問、行動の照合表、時間表によって行動の詳細を記述するようにできている。日記によって、行動は、問題なく、毎日もしくは1週間単位で追跡しうる。このように、研究者が昼と夜の間の出来事、例えば母乳に関するデータを集める必要があるならば、毎日の日記によって追跡し得る。 日記は、直接的な実験者による観察より実用的であるかもしれない。そして、アンケートに答える方式より潜在的に詳細なデータを多く得られるかもしれない。例えば、学齢期の子どもについての最近の研究において、日記は、子どもが放課後に何をするかを調べるのに使われた。さらに、親との面接を含む他の方法によって、日記の記録を検証し明瞭化した。 研究プロジェクトにおいて日記をつける人は、対象となる行動の専門家と見なされ、観察技術を使って前向きに対応する。この妥当性は、利点であり、研究に参加する負担を軽減する。日記をつける参加者は、研究課題にうまく取り組める可能性が高い。 マイナス点として、日記を使うことには、自己申告の落とし穴が存在する。参加者のバイアスによって、社会的に望ましい行動が過度に報告されがちである。例えば、子どもの喘息治療薬への固着は、時折過大に評価された。一方、発作のように、直接参加者のコントロールがきかないような場合は、比較的信頼できるデータが得られるかもしれない。 間に誰かがはいる最近の研究は、日記データが、アンケートや面接より完全な情報を提供し得るということが分かった。この研究は、1日の行動を日記で追跡した場合と、面接で調べた場合を比較したものである。 研究者によって調査された多くの行動は、直接子どもと共に働く者に評価される必要がある。臨床医は、子どもの行動を更に理解するために、行動の範囲、行動の前後関係を追跡することを望むかもしれない。例えば、栄養学者や小児科医は、子どもの典型的な食物摂取、エネルギー消費を記録することを望むかもしれない。付随する活動と同様に、エネルギー使用の時間や場所は、日記が書かれる限り記録される。 家族のかかり付けの医師は、異なるタイプの日記を使うかもしれない。負の行動形態に悩む家族を治療する医師にとって、日記は、ストレスや家族の交流をうまく追跡し得る。母親の苦痛や親と子どもの交流を、連続して集めた研究が行われた。これは、親の行動の前後関係や結果、例えば怒りなどを、医師やセラピストが見るのに役立つ方法になり得る。 一般の行動や問題におけるパターンを明らかにするのに加えて、日記は、治療経過の記録としても有用である。また、忍耐を促進するのを助け、時間がかかる治療についてのフィードバックを行うために使われ得る。 ナンシー・ウエンバーガー博士は、ブライアント大学心理学助教授。 |