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3月 「別れは、新しい始まりに」

<心に生きる3月の絵本>
『春のわかれ』
赤羽末吉:絵/槇佐知子文( 偕成社)


「別れは、新しい始まりに」
〔命をかけて貫くやさしさ〕

 昨年、このシリーズの最初に、私は、子どもと共に生きること、つまりは親は一人の人間としてどう生きるかということ、その問いの中で、子育ても考えなくてはならないと書きました。それが基本だと思うからです。言ってみれば当たり前のことですが、私たちはつい目先のことに囚われて、その大前提を忘れがちです。

 今月は、先ず本の紹介から入ってみたいと思います。このドラマティックな物語が現代の私たちにも何とも見事に通用すること、そこで語られているテーマは少しも古びていないばかりか、人間にとっての永遠の課題だと思います。この若君のやさしさ、その精神の気高さ、それを貫く勇気と強さ。それらは私たちが、どこか遠くへ忘れてきたもののように思われてなりません。

心に生きる今月の子どもの本・I
『春のわかれ』赤羽末吉:絵/槇佐知子文( 偕成社)

 今回が、このシリーズ最後となりますので、この1年を振り返り、取り上げた日本の絵本が少ないことも考えて、選びました。しかも季節は春。これもまた一つの終わり、別れということで、この1冊になりました。

 この物語絵本は今昔物語をもとに、赤羽さんの依頼を受けて古典に造詣の深い槇佐知子さんが再話したそうです。まさに、おとなにも子どもにも読んでほしい物語です。

 物語の流れに散りばめられた、見開きも含め12枚の絵は、日本画家としての赤羽さんが精根込めて描いた実に美しいものです。そのまま襖絵や屏風絵になりそうな背景だけであったり、庭や室内の調度の一部であったり。そうかと思うと、心の中に荒れ狂う怒りを表す炎だったり、人物が描かれても顔が朱に塗られていたり、と、なんとも斬新で大胆なものばかりです。絵を見ているだけでも飽くことがありません。

赤羽末吉さんは、『スーホの白い馬』(福音館書店)などの傑作絵本で知られていますが、実はこの『春のわかれ』で1980年度国際アンデルセン賞画家賞を受賞しています。画家賞では日本人として初めてで、ちなみに作家賞として初めての受賞が、童謡「ぞうさん」の作詞者まど・みちおさんです( 『まど・みちお全詩集』理論社/ に対して) 。

 さて、物語は「今は昔、村上帝の御代のことでございます。」という一文で静かに始まります。ある左大臣の美しい姫君が帝の女御となる婚礼が近づきます。左大臣家では、心を尽くしてお輿入れのしたくをし、婚礼道具を整えます。なかでも、家宝として代々伝わる由緒ある一品が、美しい漆塗りに蒔絵を施した硯でした。こればかりはめったに人目に触れさせぬほど大事にしてきたものです。これを娘の入内の調度の一つに加えることは、親の愛の深さの証でもあり、また誇りでした。

 この硯をお輿入れの日まで、立派な御厨子の棚にしまい、ひとりの若者にそのあたりを特に注意して清めておくようにと命じます。若者は書の心得もあり、しだいに、ひと目でもいいから硯を見てみたいと思うようになります。
 いよいよお輿入れの日、屋敷をあげて準備におおわらわとなり、御厨子の近くには若者しかいなくなります。今を逃せば一生、自分など目にすることはないと思うと、若者は堪えきれず、鍵を開けて硯を手にとってしまいます。

 うっとりと見とれていた若者でしたが、その時ふいに廊下で人の足音がします。

 驚いて、あわてて硯をしまおうとした若者は、思わず硯を落とし、運悪く、真っ二つに割ってしまいます。若者は「驚きのあまり茫然とし、神仏がのりうつったようにふるえ、目はくらみ、胸は鳴りさわぎました。」

 足音の主は姫君の弟である若君でした。姉に似て美しく、その上やさしく、聡明な13歳の少年でした。

 若君は死人のように青ざめておののいている若者に訳を尋ねます。全てを聞いた若君は落ちている硯を拾うと御厨子に収めて、若者に言います。

「〜もし、人から責められたら『私がいくらおとめしても聞かず、若君がこの硯を取り出してごらんになり、あやまって落として割ったのです』というのだよ。」

 若君は、自分がしたことにした方がお咎めは少ないだろうからと、若者をさとします。

 茫然自失の若者を哀れに思ったからでした。

 このような若君を育んできたのは、母であり乳母であり、若君を愛した周囲の人々すべてに他ならないでしょう。

〔過ちを犯す人間の弱さ〕

大臣に問い詰められた若者は、悩み迷いながらも、結局、若君に言われたように答えてしまいます。大臣は怒り、嘆き悲しみ、落胆のあまり、わが子を許すどころか乳母をお供に若君を屋敷から追い出してしまいます。若君は驚き悲しみながらも、決して真実を話さず、若者をかばい通します。しかし、心労のあまり、やがて病に伏せるようになります。

 乳母は母君のもとへ知らせるのですが、大臣は罪を許してもらうための口実だとして、請け合ってくれないばかりか、母君に見舞うことも許しません。とうとう半年ほどが経ちます。若君は危篤状態となり、思い余った乳母の最後の手紙にやっと、大臣はわが子の病状はそれほど悪かったのかと知り、あわてて駆けつけます。が、時すでに遅く、意識も薄れている重態でした。

 言葉もなく後悔に泣き苦しむ大臣に抱かれて、「さぞ無情な親だとお思いだろう」と嘆く大臣に、若君は「何で親を、そのようにおうらみしましょう」と苦しい息のなかで答えて、澄みきったお声で「なみあむだぶつ」を唱えると、亡くなってしまいます。
 桜が咲いても悲しみでうつろになってしまった御殿に、若君の死からしばらくしたある日、墨染めの喪服を着た男がやってきます。

 それは姿を眩ましていたあの若者が、若君の死を聞きつけて、真実を告白しに現れたのです。泣き伏して全てを話し、死を覚悟して詫びを申します。すると……。
 怒り狂って若者を切り殺そうと刀を持った大臣は、男の骨と皮ばかりにやつれた細いうなじを見て思います。
 (子の無実を信じられなかった私に、はたして親の資格があろうか。命をかけてあの子が救った者を私が殺しては、私はあの子に対し、二重三重の罪を犯したことになる)

「あの子はただの人間ではなかったのだ。おおかた、仏さまの生まれかわりであろう。」
 そう悟った父親の悲しみは消えるものではありませんが、許された若者は出家して、自らの罪を背負いつつ、生涯、若君の菩提を弔い、供養しながら、ひたすら仏道を修行し、後に尊い僧になったと、物語は結ばれています。

〔子どもを信じ通す難しさ〕

 親の業とでも言いましょうか、子どもをこよなく愛しながら、いいえ愛すればこそかもしれませんが、何かことが起きた時に、自分の思いに囚われてしまうあまり、真実を見極めて子を信じきることが困難になるのは、だれしもが人生のどこかで出合うことではないでしょうか。
 われらが遠い祖先は、すでにそのことを熟知していたとみえ、このような物語を残してくれました。

 しかしまた、このような悲劇を、ひとはそれぞれのやり方で、時間をかけて乗り越えるものだということも、同時に教えてくれているように思います(たまたま、ここでは仏教という宗教ですが、それは一つの道です)。いにしえから、そのような生の営みをくり返してきているのが人間なのだとも言えましょう。

 それにしても、わが子の真の姿を見失っていたことを知った大臣が、怒りにかられて若者を殺そうと刀をとったその瞬間に、若者の苦しみに気づき、わが子の心の美しさ、精神の気高さを知り、自ら悟る場面は実に感動的です。そのことによって、大臣の犯した罪は取り返しはつかないとはいえ、許されるというか、救われるのだと思われます。

 まさに、様々な過ちを繰り返すのが人間でしょう。それをどう受け止めて犯した過ちを修正し、償っていくかがとても大切なことなのだと思います。それは勇気も根気もいることです。やさしさを貫くには、強さも必要です。
 ひとりの人間は弱いものですが、その弱さを支え合い、補い助け合っていくことで、道は開けていくように思います。それが、人間のすばらしさだと私は信じたいのです。

 地球のあちこちで、また、悲しいことに私の身近でも、尊い若い命が失われることがしばしばあります。何もできない私ですが、少しでもできることがあれば見つけ、また教えられて、微々たる歩みを続けたいと思っています。
 そして、ほんとうに心から、ひとつでも多くの命が、豊かに、安らかにその生を全うできますようにと祈るばかりです。
 いま、この春の日の別れが、どうか、みなさまの新しい始まりになりますように。

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