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8月 子どもが心の傷をどう乗り越えるか

<心に生きる8月の絵本>
『満月をまって』
メアリー・リン・レイ作/掛川恭子訳/
バーバラ・クーニー絵(あすなろ書房/1999年)


子どもが心の傷をどう乗り越えるか

 フランスの詩人、アルチュール・ランボーの詩『地獄の一季節』のなかに、「無疵な心がどこにある」というフレーズがあります。まさに人間、子どももおとなも例外はないと思われますが、ことに子どもの心の傷は痛ましいものです。それがいわれのない偏見や差別からくる攻撃による場合は、ほんとうに許せないし、やりきれない思いがします。

 子どもの本にも、そのようなテーマで書かれた作品は少なからずあります。ルーマー・ゴッテンの『ディダコイ』(評論社、猪熊葉子訳)などは、人種差別に苦しむ少女を描いた物語の一つです。最も大切な問題は、そのような不当な攻撃をなくすことと同時に、いかにして、子どもがその傷を癒し、乗り越えて自己を確立していくことができるかということでしょう。その手助けを、誰が、どのようにしてやれるかです。

 子ども時代にいじめがもとで自殺をはかった少女が、クラスで「死に損ない」と罵られて非行に走り、家庭内暴力を振るい、ますます追い詰められて行ったが、叔父さんの一言がきっかけで、猛烈に勉強して弁護士となるというお話です。いまでは、そうしたやり場のない心をもつ少年少女たちの相談にのっているそうです。その自伝も出版されました。
 救いは、彼女の両親がこよなくわが子を愛して、信じて、耐えていたことです。

 自分とは異なるものをも互いに認め、共生していくことこそが、人類の未来を築く唯一の道だと、免疫学者の多田富雄先生も主張されています。人間の免疫システムは単に自己とは異なるものを排除するのではなく、一度それを自己のなかに取り込んで、まずは共生できるか否かを判断するように創られている。その事実に気づけば、人種問題も宗教問題も解決するはずだと語っておられます。(『免疫の意味論』、『生命の意味論』)
 他にも、教育の現場からの声や提言など数多く出版されています。いろんな人がそれぞれの立場から、互いの知恵と愛を注いで子どもたちを守り、育くもうとしているのです。

 子どもの問題が現代社会のおとなや、自然環境と極めて密接に関係していることを、改めて説き示してくれた一冊の絵本があります。作者はこの難しいテーマを、ことばだけのお題目で唱えるのではなく、子どもという存在を見つめて、心の底、体の中から感じ取り、実感したように生きることをうながしています。現代文明にどっぷり漬かった私たちは、大地に根ざした生活者こそ、強く逞しく、美しく生きていると気づかされます。


心に生きる8月の絵本
『満月をまって』メアリー・リン・レイ作/掛川恭子訳/バーバラ・クーニー絵(あすなろ書房/1999年)

 これまで何度かご紹介した絵本作家バーバラ・クーニーは昨年(2000年)、83歳の生涯を閉じました。したがって、恐らく(いまのところ)彼女の最後の絵本になるかと思われるのがこの一冊です。数々の優れた絵本を生みだして、その絵の美しさだけでなく、人生や現代文明に対する、静かな、しかし、しっかりとしたメッセージを持ち、その主張にふさわしい実生活も送ってきたといわれるクーニー。このまれなるアーティストの仕事が、いったいどこへたどり着いたのか。そんな胸騒ぎのようなものを覚えながら、本屋の書棚から、この絵本を取りだしました。

 まず、グリーンとグレイの色彩を基調にした表紙の絵を見て、これまでのクーニーの絵よりも渋い、燻銀のような美しさに心ひかれました。舞台は百年ほど前のニューヨーク州ハドソンと近くの山間の村。原題は“BASKET MOON”という不思議なタイトルです。ページをめくるにつれて、タイトルの意味も、日本語訳の見事さも判ってきます。

 「もうすぐ満月になる。とうさんがつくるかごみたいに、まんまるい満月に。満月になったら、とうさんはハドソンにいく。こんどこそ、ぼくもつれていってもらえるかもしれない。」

 父さんは、造ったバスケットを売りに、満月の日が来るたびにハドソンの町に出かけます。帰りが遅くなっても、お月さまが道を照らしてくれるからです。
 最初のページには、見開きいっぱいに、表紙の絵になっているその全体画が描かれています。山奥の家から、細い道を下る父さんの肩には、たくさんバスケットをかけた天秤棒のような長い棒がかつがれています。小さな家の暖かそうな明かりの中には、戸口に立って見送る母さんと少年のシルエットが見えます。

 少年の期待に反して、父さんはなかなかいっしょにハドソンの町に連れていってはくれません。でも少年は、そのあいだにも、父さんの仲間のビッグ・ジョーやクーンズさんたちが、森でどんなふうにして木を切り倒し、その木からバスケットを編むための木のリボンを造っていくのか、しっかりと見ていきます。8歳になると、山にはどんな花が咲き、バスケットを造るのには一番よいトネリコの木がどこに生えているかも知っています。

 それでもまだ、父さんはいっしょに連れていってはくれません。夏には木陰で、冬には台所のストーブを囲んで、父さんたちはバスケットを編みます。それもしっかり見ていた少年は、少しずつ仕事を手伝い、かごの底を太陽の形に編みます。そんなとき、父さんたちは山の木が話してくれたお話を代わる代わるしてくれるのでした。少年も山の木の声を聞きたいと思います。けれども、いくら耳を澄ましても何にも聞こえません。

〔外の世界に踏み出す時を迎えて出会うこと〕

 少年が9歳になって、次の満月の日、ついに父さんはいっしょにハドソンの町にいくことを許します。
 お母さんはお弁当をつくってくれてふたりを送りだします。少年は町への道々の景色を母さんへの贈り物に、一生懸命にあたりを眺め、土産話をするために観察していました。
 そして、町について、金物店にはいると父さんはバスケットを売り、食料品店で母さんに頼まれたものを買います(この構成は、『にぐるまひいて』に似ています)。

 「ぼくは色の洪水から、目がはなせなかった。かんづめのラベル、きれいにならべてある果物や野菜、金色にかがやくチーズ、ピンクのソーダ水、白いたまご。」
 「ハドソンはレンガと商売のにおいがした。でも、それといっしょに、くさったようなにおいもした。川と船のにおいが。」

 バスケットの代わりに買った品々を天秤棒に下げて、また、来た道を山の家に向かって歩きだします。いくつもの通りをぬけ、並んでいる店を通りすぎ、広場にさしかかったとき、男の人が大声でどなります。
 「おんぼろかご、くそったれかご、山んなかのくされっかご!山ザルがしってるのは、それだけだ」

 少年が振り返ると、まわりの人たちが笑っています。父さんは「しらんぷりしていろ」といいます。しかし、少年の心は深く傷つきます。読者はなぜ、父さんが少年をハドソンに連れてくることをなかなか許さなかったのかを理解します。しかし、少年は、
 「いえにかえるまで、ぼくの心には、かげがつきまとってはなれなかった。カア、カア、カア。男の人たちのわらい声が、カラスになって、頭のまわりをぐるぐるとびまわっているようだった。」

〔子どもが心の傷を癒し、乗り越えるプロセス〕

 家に帰ると、ランプを灯し、パンケーキを焼いてまっていてくれた母さんが、少年の話を聞いていいます。
 「山の木は、わたしたちのことをわかっている。ハドソンの人がわかってくれなくたって、かまわないじゃない」

 けれども少年は「かまわなくないんだ」と思い、何もかもいやになってしまいます。ハドソンなんかに二度と行かないし、父さんにも行ってほしくないと思いつめます。
 そんな少年が、どのようにして、心の傷を癒し、乗り越えていったか。それが静かに、幻想的なまでに美しく語られていきます。
 それとなく慰め、諭してくれたのは、老人のビッグ・ジョーでした。

 「風からまなんだことばを、音にしてうたいあげる人がいる。詩をつくる人もいる。風はおれたちには、かごをつくることをおしえてくれたんだ」そして、
 「風はみている」ビッグ・ジョーはいった。「だれを信用できるか、ちゃんとしっているんだ」

 それを聞いた少年は自分も「風がえらんでくれた人になりたい」と思います。
 そして、山のなかで、月の光の下で、ストーブの燃える夜のしじまで、耳を澄まします。いままでは聞こえなかった、「おいで」という風の呼び声が聞こえるようになります。自然の恵みのなかでバスケットを編みながら、自分自身が自然という、巨大なバスケットの一部となっている存在なのだと気づいていきます。

 「いつまでたってもつかえるかご。ぼくのつくるかごは、そういうかごだ。風が、ぼくのなまえをよんでくれたんだ。」

〔物語に描かれた世界と現代〕

 このテキストを書いたメアリー・リン・レイは、作家で環境保護活動家で、現在はニューハンプシャー州の古い農場に住んでいます。博物館の学芸員時代に、アメリカの手工芸の研究をしていたそうで、その時の研究をもとに、このバスケットをつくる山奥の民への敬愛の情を現代文明への批判を込めて描いたのだと思われます。ちなみに、辞書によるとアメリカ考古学上の文献では、かつて米国南西部とそこに隣接するメキシコの地域に住み、かごづくりをした民の一人として「Basket Maker」という記述があるようです。

 長年、優れた絵本を創りだしてきたクーニー女史も、おそらく、いっしょになってこの物語を、その文章においても、知恵と心を振り絞って、考えたに違いないと思います。
 作家と画家の熱い思いと、見事な協力一致で完成させた作品だといえましょう。


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