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9月 愛するわが子を守るために

<心に生きる9月の絵本>
『とうさん おはなしして』
アーノルド・ローベル作/三木 卓訳(文化出版局/1973年)


「待合室の絵本」
「待合室の絵本」に教えられたこと

 9月8日、9日の両日、山口県宇部市で、外来小児科学会がありました。そのワークショップで「待合室の絵本」という分科会が開かれ、招かれて出席いたしました。
 小児科の待合室に絵本の本棚を置き、病気の子どもたちとその親たちが、診察を待つまでの限られた時間でも、いっしょに絵本を楽しめたら、という試みが始められています。

 このすばらしい着想にエールを送りたくて、何かのお役に立てればと出かけたのでしたが、多くのことを教えられました。
 何よりも、病気の子どもたちに絵本を読み聞かせたり、互いに読み合ったりしている人たちの話には、現場で実践している確かな歩みの足取りが伺われて、心が熱くなりました。

 また、地方の都市や町で子どもの本の専門店を開き、読書相談にも人生相談にものっておられるような方たち。そして昨今、成り手が少ないといわれる小児科医になり、情熱と理想を抱いて仕事に取り組む医師や看護婦、医療スタッフのみなさん。それぞれに体験に基づく貴重なお話が語られました。あるいは自治体と手を携えて、保健所の健康診断に合わせて赤ちゃんの時から絵本を手渡そうという「ブックスタート支援センター」の試みも、とても感性豊かで細やかな配慮に満ちた活動でした。

 なかでも、子どもの本の専門店を開く女性のお話は、感動的でした。
 その方は子どものとき、膿肺症という病気で、肺に溜まる膿を注射器で吸い取らねばならなかったそうです。やはり病気で寝ていたお父さんが、いつも本を読んでくれて、それがうれしくて楽しくて、痛くて辛い病気の記憶より「幸せの記憶」が残っているというのです。気がつけば、いつか自分も子どもの本のお店を開いていたということです。

 出席者のなかからも、絵本というと、どうも女、子どものこと、という認識がいまだ強いが、もっと父親や男性の参加を期待したい、という声がありました。
 やはり子どもの本の専門店を開く男性は、子どもの本の楽しさ、理屈抜きの面白さも大切だという発言をされました。子どもがステキな本を選んでいるのに、付き添っているおとなが、それを否定する場面を多く見てきたということでした。

〔死に向き合っている子どもが感じ取る本の喜び〕

 確かに、おとなは自分たちの価値観のみで本を選ぼうとするし、それを子どもに与えようとするけれど、死に向き合っている子どもが、意外に、おとながつまらないと判断するような本から喜びや力、楽しみを見いだしているという指摘もありました。
 つまり、子どもが自分で選ぶ本も大事にしてやらねばいけないということでしょう。

 同時に、子どもよりは多少人生経験の豊かなおとなとしては、こんな本もあるよ、という情報やヒントは差し出す必要があると思います。テレビなどの影響も決して悪いわけではありませんが、それだけになると、どうしても乏しく、豊かさ、深さに欠けることになりかねません。いろいろ知って、その中から、自分に合ったもの、好きなものが選べればよりすばらしいと思われます。

 「待合室の絵本」の運動でも、すでに絵本を選んで置くだけでは不十分なので、読み聞かせたり、読書相談にのったりしているという医院もあるようです。頼もしい限りです。
 いずれにせよ、絵本でも本でも、子どもに手渡そうとするおとなが、自分が好きな本、すばらしいと思う本を選んで手渡すことが基本だと思います。そのとき、いっしょに楽しみながら、読んでやったりできれば、おとな自身の本の喜びとともに幸せの思いも、愛も合わせて手渡すことになります。

 「大嫌いな注射を打つ、恐い先生が、ある日、すてきな絵本を読んでくれたら、病気の子どもは、どんなに驚き、そして、うれしくなることでしょう」
 こんな発言も、とても心に残りました。うれしいだけじゃなく、きっと、病気と戦う勇気もわいてくるでしょうし、病院が楽しい場所に思えることでしょう。

 そんなふうに、子どもといっしょに本を楽しむことのできる場所が、日本のあちこちにできたら、ずいぶん、住みよい国になるのでは、などとつい考えたりしながら帰ってきました。

 いつでしたか、小林登先生が「子どもの病気は、子どもの心の病や疵のことを無視しては治療できない。だからこそ、医師だけではなくみんなで子どものことを考えなければならない」と語られていたことも、しみじみ思い出されました。そして、そのような考え方でこどもの医療に取り組んでいる医師たちがこんなにも多いことを、うれしくも、誇らしく感じたのです。


心に生きる9月の絵本
『とうさん おはなしして』アーノルド・ローベル作/三木 卓訳(文化出版局/1973年

 昨年1年間このCRNに連載した「子どもの心と本の世界」でも取り上げたことのある『ふくろうくん』と同じ作者、訳者のシリーズの一冊です。実はこの本は、絵本というべきか、幼年のおはなしの本とでもいうべきか、迷うところです。というのもローベルの作品は絵も自分で描いていますが、いわゆる挿絵というより、絵と文が渾然一体となったようなところが特徴だからです。

 いずれにせよ確かなことは、わが家のふたりの子どもたちの幼い日のお気に入りの1冊だったこと。特にこの『とうさん おはなしして』は、本との出会いの最初の一歩の頃、くり返し、ベッドのなかで読んだものです。子どもたちは、なんだかクスクス笑いをこらえて、楽しい気分のうちに、眠りについたように思います。

 本を読む喜びにはいろいろな感情がありますが、「とくかく楽しい、なんだか面白い」という感じも、とても大切な要素です。それも、お父さんといっしょであれば格別な味がありましょう。日本人にはユーモアのセンスが乏しいとかよくいわれますが、私などもあまり自信がありません。確かに、上質で品のよい、しかも深い味わいのユーモア精神にあふれた作品や優れて象徴的なナンセンステールなどは少ないようです。

 原題は“Mouse Tales by Arnold Lobel”ですが、邦訳名は、

 「とうさん、ぼくたち もう みんな ベッドにはいったよ。」
ねずみの おとこのこたちが いいました。
 「おねがい。おはなしを 一つ してよ。」

 という始まりによって、見事な日本語に生まれ変わったわけです。
 とうさんねずみは、お話が終わったらすぐ、おねんねするって約束するなら、といって一人に一つずつ、全部で七つのお話をしてくれます。「ねがいごとの いど」「くもとこども」「のっぽくん ちびくん」「ねずみと かぜ」「だいりょこう」「ズボンつり」「おふろ」の7話です。

〔ユーモアはいのちの躍動の呼び水になる〕

 第一話の「ねがいごとの いど」では、ねずみの女の子が、願い事をかなえる井戸を見つけ、おかねを投げ込んでお願いをすると、「いたいよ!」という声が井戸から返ってきます。びっくりした女の子は心配しながら、次の日もその次の日も、おかねを投げてはお願いします。
 でもやっぱり、井戸は「それが いたいんだよ!」というのです。べそかきながら、考え込んだ女の子は、家に帰ってじぶんのベッドから枕を持ってくると、まず、井戸の中へ枕を投げ込んでから、おかねを投げ込み、お願いをした。すると、

 「ああ。こんどは ずっと いい かんじだよ!」
 いどが いった。
 「よしっと。」その こは いった。
 「これで おねがい できるわよ。」

 はたして、その日から女の子はたくさんの願い事をして、
「それでね、どの ねがいも みんな ききとどけて もらえたって」
めでたし、めでたし、というわけです。

 そして、7話のお話が終わると、
「まだ ねむって いない こは いるかな?」と、父さんねずみがたずねました。
 返事はありません。七ひきのちびねずみたちは、いびきをかいています。

 「おやすみ おまえたち」
 とうさんがいいました。
 「ぐっすり ねむるんだよ。あさに なったら また あおうね。」

 そういえば、マリー・ホール・エッツの名作『もりのなか』でも(前述のCRN連載「子どもの心と本の世界」5月号参照)、最後に、男の子を森まで迎えに来てくれたのは、他でもないお父さんでした。
 最近、お父さんといっしょに暮らせない子どもたちも増えているようですが、その場合、必ずしも父親ではなくても、おじいさんでも、おじさんでも、いいのだと思うのです。
 とにかく子どもには、母親の他に誰か、なかに男性の楽しくって、暖かいまなざしもまた必要なのでしょう。それは、子育てに奮戦しているお母さんたちにとっても、心の癒しや励ましになるのだと思われます。なんといっても、いちばん避けたいのは、お母さんが孤立してしまうことではないでしょうか。


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