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新シリーズ/
学校コミュニティの
創造へ向けて(1)

「総合的な学習の時間」は
「“正解”の見えない
ストーリー」創り

 「教育改革」のビッグウエーブが幾重にも連なって押し寄せています。矢継ぎ早に公表される諸審議会の改革提言を読むにつけ、「いったい最終的にわれわれをどこへ導こうとしているのだろう?」とだれかに尋ねてみたくなるほどです。

 学校の先生方にとって関心の的といえば新教育課程、わけても「総合的な学習の時間」でしょう。昨年の初めごろから、書店の「教育書コーナー」には「総合的学習」をタイトルに掲げた書籍や雑誌類が所狭しと並んでいます。ところがこれらも内容は千差万別で、「いったいどれを読めばいいのだろう?」と頭を抱えたくなってしまいます。

 中学校の先生からは、「小学校については情報過多と言ってもよいほどなのに、中学校についての情報は十分でない」という声も聞こえてきます。確かに書店に並ぶ「総合的学習」に関連した書籍や雑誌の多くは、小学校に偏っている印象をぬぐえません。昨年秋から今年の初めにかけて各地で開催された校内研究の公開発表会も、小学校による発表が目立つのに比べて、中学校はまだこれからという感じでした。

 研究発表会をいくつか参観してまず圧倒されるのは、参観者の数の多さです。その範囲も全国規模に及んでいます。最新の実践情報を見聞して持ち帰り、自分の学校でそれを取り入れようという意気込みが、各参観者の表情からひしひしと伝わってきます。

 ところで、「見せる」ことを意識しすぎた「イベント」的な公開発表には少々がっかりさせられますが、それ以上に印象的なのは、授業者の先生方のようすが学校によって大きく異なるという点です。先生自身がいかにも楽しそうに生き生きとして輝いて見える学校と、そうでない学校とのコントラストは、思いのほか鮮やかに映るのです。

 とかく「にぎやか」になりがちな「総合的な学習の時間」は、どの授業も参観者に「活気」を印象づけます。ところが授業者のなかには、活発な子どもたちの動きに十分な目配りをせず、まるで「流れ作業」のように時間を見計らっているだけというようすが垣間見えることもあります。そうかと思えば、一人ひとりの子どもたちの状況を的確にとらえ、子ども同士のかかわりを促進したり、ときにはその活動のなかに自分自身も加わって、喜々として子どもとともに学びを楽しんでいらっしゃる先生の姿もあります。

 そんな両者の違いは、「この学習活動を通して子どもにこんな力をつけてほしい」という先生自身の願いを映し出しているようです。それがはっきりしていて、しかも先生同士で共有されている場合、授業後の討議では一人ひとりの子どもの顔や普段の姿を念頭に置いた議論が展開され、参観者も思わずそこへ引き込まれていきます。子どもたちとの相互交渉のなかで「新しい授業」を創り出していくという「“正解”の見えないストーリー」を、先生方自身が楽しんでいる。そんなすがすがしい雰囲気が会場を穏やかに包み込みます。

 「教科の系統性」という「正解」に依拠して授業をとらえてきた中学校では、「総合的学習」は「やっかいなもの」か、そうでなければ「適当にあしらう程度のもの」と受けとめられがちです。でも、この際、「子ども」から出発して授業を創造していくという、教師としてごく自然な「楽しみ」をそこに見いだしてみたいものです。そして何よりも、子どもと一緒になって新しい授業を創造している先生自身が「楽しい」と思えるような学校であってほしい。学校を訪れる研究者の一人としても、保護者の一人としても、そう願わずにはいられません。

【はまだ・ひろふみ】1961年山口県生まれ。東京学芸大学助教授を経て98年9月より現職。専攻は学校経営学・教師教育論。学校が「自律性」を確立するために学校内部組織はどうあるべきかについて、日米比較の視点をもって研究。著書に『中学校教育の新しい展開第5巻 生徒に開かれた学校をめざす教育活動』(第一法規出版)、『諸外国の教育改革と教育経営』(玉川大学出版部)、『「大学における教員養成」原則の歴史的研究』(学文社)などがある(いずれも共著)。



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株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第263号 2001年(平成13年)4月1日 掲載



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