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岐路に立つ日本の教育(10)
イギリスの学校で
起こっていること

 12,458人−これは、1994、5年度にイングランド(イギリスの東部地域)の初等・中等学校から永久追放された子どもの数、日本流にいえば退学させられた子どもの数である。うち16%は小学生、84%が中等学校生(5年制)である。中等学校生のうち、54%は1〜3年生(日本の中学生に相当)、残りの45%は4、5年生(日本の高校1、2年生に相当)である。

 この情報に接した時、筆者は驚きと同時についに来るところまで来たか、と思った。というのもイギリスでは1970年代後半以降、生徒の退学・不登校(truaucy)、校内暴力・対教師暴力、いじめなどが問題化していたからであり、もう一方で、80年代以降、学校教育の質の改善を目指したラディカルな改革が進められていたからである。

 この永久追放生徒数は、1990、1年度には2,910人であったが、93、4年度には急増し11,000人を越え、94、5年度には冒頭の数になった。なぜこのようなことになったのだろうか。

 イギリスでは1980年代以降、学校の再生と学力水準の向上を目指してラディカルな改革が進められてきた。ナショナル・カリキュラムを導入し、7歳、11歳、14歳、17歳のすべての生徒を対象に共通テストを実施し、その結果を学校別に公表することになった。そのため、マスコミは一斉に「リーグ・テーブル」と呼ばれる学校ランキング表を報道するようになり、親はそれを見て子どもの学校を選べることになった。各学校は、生徒数の増減が人気のバロメーターとなり、配分される予算の額も生徒数によって決まるから、学校の安全と秩序を維持し、学力水準を引き上げ、学校の評判を高めるために、種々の努力をすることになり、その一環として問題児を追放するという方法が採られることになった。

 しかし、各学校がそうした努力をするのは、競争原理のせいだけではない。もう一つの重要な背景は、1993年に、教育省による新しい学校査察システムが導入されたことにある。

 1992年、教育の質と達成水準の向上を目的に、教育基準局(オフステッド=OFSTED)が設置され、学校の定期的査察を監督・実施することになった。査察自体はそれまでも地方教育当局によって行われていたが、時期的にも地域的にもまちまちで、共通の評価基準もなく一貫性に欠けていた。ところが新しい査察システムの下では、4年ごとにすべての学校が共通の評価基準に基づいて査察されることになった。教育サービスの水準、生徒の達成水準、生徒の精神的・道徳的・文化的な発達水準、学校予算の効率的執行、学校経営の方針などが点検・評価されることになった。

 このような査察が1993年より開始され、93、4年度にはイングランドで約1,000校が査察を受けた。査察結果は公表され、前述の共通テストの結果などと一緒にデータベース化されることになった。永久追放された生徒数が93、4年度に急増した背景には、こうした新しい学校査察システムの導入があった。各学校・校長は、査察で良い評価が得られるようにさまざまな工夫と努力をするようになった。そうした工夫や努力の実効性を高めるためにも、問題児を追放するという戦略が採用されることになった。

 これは1990年代のイギリスの学校で起こっていることの一面であるが、これまで日本で紹介されてきたイギリスの教育事情との落差に驚かれる読者も多いに違いない。個々の学校を見れば、そこにはのびのびとした子どもの姿がある。しかし、それは外国の研究者が日本の学校を見て抱く好印象と質的には大差ない。日本のマスコミや有職者は、日本については問題点をクローズアップし、外国については好ましい側面だけを紹介する傾向があるが、教育制度改革がそうした偏った印象に基づいて進められる時、教育制度は歪んだものになりかねない。教育制度は、主に教育の機会、教育実践の機会を整えるものであって、その機会をどのように充実したものにするかは、個々の学校や教師の創意・工夫によるものだということを忘れるべきではない。


ふじた・ひでのり 1944年生まれ。住友銀行、名古屋大学助手・助教授、
東京大学助教授を経て現職に。専門は、教育社会学。
主な著書は、「子ども・学校・社会」(東京大学出版会)ほか。

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第226号 1998年(平成10年)2月1日 掲載



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