●HOME●
●図書館へ戻る●
●一覧へ戻る●

岐路に立つ日本の教育(15)
シンガポール教育
「成功」の秘密

 6月号でシンガポールの教育システムについて説明した。それは、小学校段階から選別と振り分けが始まる徹底した能力主義的システムである。それは、数学と理科の国際比較調査(教育到達度調査)でシンガポールが1位になった理由の一つであろう。しかも日本や韓国で起こっているような深刻な校内暴力もいじめもない。子どもたちは素直で礼儀正しく、学業にも積極的である。何が、その素直さや積極性を育み、維持しているのであろうか。それを「成功」というなら、その「成功」の秘密はどこにあるのだろうか。

 シンガポールは若い国である。1965年に独立し、急速に経済成長を遂げてきた国である。その若さと活力に「成功」の秘密があるといえるのかもしれない。しかしそれだけであろうか。韓国が経済成長を遂げ始めたのも同じ時期であったが、20数年後の90年前後から、校内暴力やいじめが問題視され始めた。日本でも高度経済成長が始まってから20数年後の70年代後半から校内暴力やいじめが頻発するようになり、落ちこぼれや三無主義(無気力、無関心、無責任)が指摘されるようになった。経済発展と教育問題のサイクルが少しずれているだけで、シンガポールも近いうちに日本や韓国と同じような問題を抱えるようになるのだろうか。どうなるかは定かではないが、少なくとも現時点で違いがあることは確かである。その違いの基盤として、少なくとも次の3点を指摘することができる。

 第1に、シンガポールの教育システムは能力主義的選抜や学力別編成を特徴としているが、その基準は数学と語学を中心にした主要教科だけであり、かつ、実績主義が基本になっている。日本のように全教科による選抜でもなければ、多様な側面を評価して選抜するというのでもない。大学進学の主要ルートであるジュニア・カレッジでは、半年の予備入学期間があり、その間の成績によって進路変更(転学)する生徒も少なくない。

 第2に、シンガポールは人口三百数十万人、資源もなく、飲み水まで輸入している小国であるが、それだけに国の命運は教育にかかっているという認識が政策に反映している。例えば中等教育はカリキュラム・進路・学力によってジュニア・カレッジ(25%)、ポリテクニク(40%)、職業技術学校(25%)、アプレンティスシップ(10%)に分かれているが、後者の二つを充実したものにするために、多大の資源と配慮が振り向けられている。前二者の施設や教育も充実しているが、後者の二つを充実させることが極めて重要だという認識が、その施設や教育プログラムに表れている。

 第3に、システムは能力主義的であるが、学校現場では一人ひとりの子どもが尊重され、個性と責任と秩序を重んじて弾力的に運営されている。例えば表現系の教科では、バイオリンやピアノの特別レッスンを受ける子どももいる。コンピュータ教育予算を、一斉学習用の教室を増やすのに使うのではなく、校長の裁量で、全教室に数台のコンピュータを設置し、日常的に教師も生徒も使えるようにするという学校もある。ボランティアが昼休みに読書指導をしている学校もある。毎朝の朝礼の際、始まるまでの10数分間、ほとんどすべての子どもが座ってカバンから本を取り出して読んでいるという学校もある。読書が大切だということで、そうした指導が行われているのだが、そういう場合に整列指導をする日本の学校との違いに驚いたものである。

 ほかにもさまざまな違いがある。シンガポールには徴兵制があり、男子は18歳から2年半の兵役に従事しなければならない。終身雇用という観念がなく、雇用市場は流動的で実力主義が基本になっている。教育立国・技術立国・金融立国としてしか存続できないという認識と平等主義が国家政策の特徴になっている。こうした環境もシンガポール教育の「成功」の重要な背景であるに違いない。その「成功」がいつまで続くかは定かでない。しかし、少なくとも現在の「成功」の背後には、それなりの努力と配慮がある。すべての子ども一人ひとりを尊重し、生かすという信念と構えが政策を貫き、個々の学校の基調になっている。それは、非常に示唆に富んだ国家的実験であり、教育実践であるように思われる。


ふじた・ひでのり 1944年生まれ。住友銀行、名古屋大学助手・助教授、
東京大学助教授を経て現職に。専門は、教育社会学。
主な著書は、「子ども・学校・社会」(東京大学出版会)ほか。

株式会社 ベネッセコーポレーション ベネッセ教育研究所発刊
月刊/進研ニュース[中学版] 第231号 1998年(平成10年)7月1日 掲載



Copyright (c) 1996-, Child Research Net, All right reserved