トップページ サイトマップ お問い合わせ
研究室 図書館 会議室 イベント情報 リンク集 運営事務局

 トップ 事務局 所長メッセージ これまでのメッセージ一覧


これまでのメッセージ一覧
小林登CRN所長が最近の子どもをめぐる話題や
研究動向などにふれたメッセージを掲載します。


長沙への旅−子ども学交流を求めて (2007/12/21)

 この度、CRNが中心となり、次世代育成研究所、Parenting事業本部、Benesse本社のご支援により、「東アジア子ども学交流プログラム」を立ち上げた。代表は上海華東師範大学の朱家雄教授と私で、育児・保育、更に幼児教育をテーマに、交流を行う事となった。まずは日本と中国との交流から始める事にして、上海華東師範大学で11月12日に開幕式を行い、続いて長沙で13〜15日の三日間に亘り、講演と見学、更には交流会と、学前教育について大変意義深い成果を上げる事が出来た。

 最近、成田空港ではなく、羽田空港と上海郊外の虹橋空港を行き来する飛行機があるので、上海までが身近になった。飛行機に乗っている時間も2時間余りである。上海から長沙までも1時間ちょっと、旅としてはそれ程重いものではなかった。

 長沙での交流は長沙師範専科学校で行われたが、それは毛沢東の幼少時の師である徐特立先生が作った“College”で、学前教育では中国で名の通った学校であった。しかし、現実は学前教育学科ばかりでなく、音楽・舞踊などの芸術学科、アニメ学科、そして玩具学科まであり、短大を超えた大学と言うべき学校であった。事実、工学系、語学系の専門学校と一緒になって、総合大学になる計画もあるようである。校舎も、長沙のダウンタウンを5〜6kmも離れて、広大な敷地を持ち、新しく建てられたばかりであった。

 開会式は、500人は収容出来る大講堂で、湖南省政府の教育関係高官の出席のもとに行われた。私は、そこで特別講演「子ども達にとって生きる喜びは、いつでもどこでも大切なもの、情動の<子ども学>」を行った。続いて、日本から3演題の発表が2日間にわたり行われ、中国側からも2演題が発表され、活発な意見の交換が行われた。

 滞在中の熱烈歓迎は素晴らしいもので、当惑する程であった。昼と夕はフルコースの中国料理、日本側の参加者は体重増加に悩まされたに違いない。第1日目の夕に開かれた歓迎交流会は、学校あげての会で、立見の人もいる程の満席のホールで、音楽・合唱・舞踊・バレエなどが芸術学科の教官・生徒達によって2時間程行われた。独唱では「北国の春」がクラシック調に歌われ、楽しかった。我々も返礼として壇上に上がり、「ぞうさん」などの童謡を、持参したCDを流しながら歌った。熱烈な拍手を頂いた事は勿論である。中国を訪問する機会は1970年代から20回以上はあったが、これほどまでに心のこもった歓迎は初めてであった。あたたかい歓迎に感動するとともに、日中の壁も低くなったという実感を持った。

 湖南省の中心、長沙は人口600万程の内陸の都市で、新技術産業開発区として、重工業を含めて新しい産業の盛んな所である。人口600万の都市というと横浜市の1.5倍以上、大阪市の2倍以上、福岡市の4倍以上になる。中国国内には、この規模の都市は50以上もあるそうである。道路も良く、街も美しかったが、公害の影響なのか、朝から霞がかった様にミスティで、遠くの高いビルがはっきり見えない時もあった。また、夕食の後、夜のダウンタウンのメインストリートを歩いてみたが、人込みは新宿並み、ネオンの明るさも新宿に劣らないと思った。驚いた事に、銀髪に染めた女の子が、Vサインをして我々に微笑みかけていた。豊かさの陰が既に始まっているのかもしれない。

 しかし、長沙のある湖南省は、中国3000年の歴史の原点の様な所で、春秋戦国時代の楚の国から始まり、古いものもゴロゴロしている。一番印象付けられたのが、976年に建てられた岳麓山のふもとにある岳麓書院で、世界最古の大学のひとつ。それが戦中は日本兵に、戦後は紅衛兵に一部破壊されたそうであるが、今は立派に修復されて残されている。現在の湖南大学も、ここから始まったという。また、数千年前の古墳も沢山残っており、その発掘されたひとつからは、2000年以上も前の文化財と共に、心筋梗塞で亡くなったと考えられる50余歳の女性のミイラが出土し、博物館に展示されていた。中国の歴史の長さを今更ながら思い知った。

 日本文化の先達である中国文化が、急速に進行する先進化、近代化の中で、伝統の基盤だけは失わない様にしてもらいたいと思った。その為にも、「子ども学」の交流を進め、お互いに勉強し、中国の次世代育成を確かなものにするお手伝いをしていきたい。




子育て支援の新たな大きな動き (2007/11/22)

 現在の社会を見ると、連日、犯罪から事故まで色々な事件が起こり、わが国の社会にガタが来ている様に見える。子どもの問題を見ても、家庭から学校にまで虐待・自殺・殺人・いじめ・不登校・非行などの行動問題が起こり、社会のそれを反映している様に見える。現在の社会を立て直すには、まず子育てから始める必要がある事は、どなたも賛成されよう。

 読売新聞社は、6年程前、子育て支援で大きな運動を始めた。大阪本社が中心となり、育児・保育・教育の各分野の専門家、子育ての専門家や子育て経験の豊かな著名人、保育の実践家など30余人で、2001年秋に「よみうり子育て応援団」を立ち上げ、多い時は月1回近く、全国各地で合計32回「相談トーク」を行っている。私も、その第1回(2001年11月23日)から数回関係しているので、その事業の意義を大変高く評価している。

 それが、このたび更に大きく発展した。大阪本社が今年発刊55周年を迎えるにあたって、「よみうり子育て応援団大賞」を創設する事となった。日本全国で子育て支援を行っている大小のグループに賞金を出すと共に、子育て応援団のメンバーの方々を派遣して直接応援をするという、新しい事業を今年度から始めたのである。

 その審査に関係して最も驚いた事は、500近くの団体が応募した事であり、その支援の在り方の多様性、また団体の規模や組織の「かたち」の多様性であった。考えてみれば、それぞれの地域そのものが多様であり、人間の営みとしての子育ての在り方も多様で、当然と言えば当然の事である。

 この10月27日、西宮市の授賞式で大賞を受賞した団体は、大阪市東住吉区のNPO法人「ハートフレンド」であった。2001年に女性15人が「消防署の跡地を子ども達がいつでも遊びに来られる居場所にしたい」と始めた活動で、子どもの基礎学力向上を目指す「てらこや」、0−3歳児とその親の交流を目指す「ハート広場」など、色々な活動を展開している。

 奨励賞は、奈良県香芝市の子育てサポートグループ「Doula Club(ドゥーラ・クラブ)」と、青森県弘前市の保育サポートサークル「パピークラブ」に与えられた。「ドゥーラ・クラブ」は、文化人類学者マーガレット・ミードのお弟子さんのダナ・ラファエル女史が提唱した「Doula(ドゥーラ)」の名を冠した、2001年に始まった子育てサポートであり、「パピークラブ」は、1999年に始まった「母親が育児と仕事、社会参加を両立出来る支援」を目指した子育てサポートである。

 付言すると、「ドゥーラ」という考えを私は1970年代後半に知り、その後、ラファエル女史と何回もお話しする機会があったので、「ドゥーラ・クラブ」の受賞は嬉しかった。女性が生命のバトンタッチをする時には、必ずそれを助ける女性がいる。先進社会ではその昔、伝統文化の社会では現在でも、そうした女性が存在する。それをギリシャでは「ドゥーラ」と呼んでいるのである。残念ながら、先進社会ではそれを失い、妊娠・分娩・育児に色々な問題が起こっていると、ラファエル女史は指摘している。香芝市の「ドゥーラ・クラブ」は子育てサポートが中心であるが、「ドゥーラ」とは、そもそもは妊娠・分娩の時の優しいエモーショナル・サポートを柱として、それに続く子育ても支援する女性である。「ドゥーラ・クラブ」も、是非支援を妊婦さんに広げてもらいたい。そうすれば、奈良県で起こったタライ回し事件のような事も防げると思うのである。

 また、賞金はないが、山形県河北町のNPO法人「河北子育てアドバイザーセンター」、岐阜県多治見市のNPO法人「Mama’s Café(ママズ・カフェ)」、鳥取市の「日本<おやじの会>連絡会」、横浜市のNPO法人「こども応援ネットワーク」、大阪府貝塚市の「貝塚子育てネットワークの会」に特別賞が与えられた。あまりにも沢山の応募があり、子育て支援を立派に行っている団体が多かったので、選考委員が特別に設けた賞である。記念品は、立派な時計であった。

 今回、受賞団体で男性に関係するものは「日本<おやじの会>連絡会」だけであった。この団体は教員が中心で、全国各地の教育現場で問題となっている暴力やいじめ、不登校、引きこもりなどの解決を目指す日本全国にある828の父親グループと連絡を取り、年1回の「全国おやじサミット」を開催している。来年2月には広島で、第5回目が開催される。

 考えてみれば、現在の子育ての支援の柱は、行政によって行われる、ある意味トップダウン的で画一的なものであって、あまり実効が上がらず、事態は改善していないように見える。それこそが問題なのではなかろうか。むしろ、国や地方自治体が子育てに使う予算があるならば、地域に住んでいる人、特に女性が英知を絞って考え出した、自然発生的に出来たボトムアップ的な支援組織を経済的にもサポートした方が、より良く機能するのではないかとさえ思った。読売新聞社の試みは、正に先駆的であり、子育て支援の在り方に、更には子育て問題を柱とする子ども問題の解決に、新しい道を開く事になろう。

 この読売新聞社の運動が火付け役になって、日本全国の子育て支援、子ども問題解決に新しい展開が見られる事を望むものである。




第4回子ども学会議(日本子ども学会学術集会)の御成功をお祝いします (2007/10/26)

 日本子ども学会が学術集会として年1回行う「子ども学会議」の第4回目が、慶應義塾大学文学部教授の安藤寿康先生によって、この9月15、16日に慶應義塾大学三田キャンパスで開催された。テーマは『子ども・進化・脳科学〜生命の科学と「子ども学」〜』であった。

 その内容は、従来以上に濃く素晴らしいものであった。長谷川眞理子教授(総合研究大学院大学)の「進化から見たヒトの子どものユニークさ」という基調講演から始まって、3つのシンポジウム(その内のひとつは「座談会」と呼んでいるが)が行われ、小野裕嗣氏(NPOキッズデザイン協議会事務局長)の “child-caring design” についての講演、続いて交流会が行われ、第1日目が終わった。

 2日目は、わが国の脳科学研究のリーダーである小泉英明先生(日立製作所役員待遇フェロー)の「脳科学から見た子どもの教育」という基調講演から始まって、シンポジウム、そして高橋孝雄教授(慶応義塾大学医学部小児科)の「遺伝と環境によって育まれる子どもの脳」、大会推進委員長である安藤先生の「ふたごが明かす脳と行動の形成過程」と、忽那敬三氏(明治大学博物館学芸員)の「先史時代の “子ども” 」の3つの講演が行われた。最後に、来年の学会テーマである「いじめ」に関する懸賞論文の授賞式を行って、第4回子ども学会議は終了した。

 また、慶應義塾大学人文グローバルCOEプログラム「論理と感性の先端的教育研究拠点形成」に安藤先生が関係していた為、先生のご尽力で34ものポスターセッションの発表も行われた。その数も、これまでの最多であった。

 ダーウィンは、自分の子どもの成長・発達を観察し、その記録をいくつか残している。そんな事を子ども学会運営委員会で話しているうちに、ダーウィンは「進化論」ばかりでなく「子ども学」の祖でもあろうという事になり、今回の子ども学会議のメインテーマが決まった経緯がある。従って、長谷川眞理子先生の基調講演とそれに続く「ダーウィン先生を囲んで」という座談会という名のシンポジウムが、本会議のハイライトであり、勿論、囲まれたダーウィン先生は長谷川先生であった。

 子ども学の祖としてのダーウィンと言えば、私の知っている話は次の通りである。ダーウィンは、息子さんが生まれた時、家族に直接語りかけない様に指示して育てたが、普通の赤ちゃんの様に話し始めたという(おそらく喃語)。そこで、ダーウィンは、話す能力も進化の過程で獲得したプログラムであると考えたという。

 長谷川先生の話は、子どもの特徴を他の霊長類の子どもと比較して、人間の成長・加齢・寿命の立場からその違いを捉える内容で、大変興味深かった。大きな脳を持ち、自然環境を犠牲にしてまでも文化・文明を創り出して生活する人間は、子どもの時期が長く、3世代までがその成長と発達に関係しているのである。

 続いて行われたダーウィン先生を囲んだ座談会では、進化と発達を司る進化要因と遺伝要因の関係が子どもの成長・発達にどう関係するかが、長谷川先生と共に榊原洋一教授(お茶の水女子大学)、安藤先生、そして佐倉統教授(東京大学大学院情報学環)によって話し合われた。そのやりとりは、大変興味あるものであった。

 この2日間のシンポジウムには、その他に上述の座談会を追うものとして「進化の中の子ども」(司会:佐倉教授)、そして、音楽・音響あるいは絵画・美術と子ども達との関係を教育学的に捉える「子どもと世界の異なる出会い」(司会:真壁宏幹教授、慶応義塾大学文学部)、また、自閉症、夜更かし、性差などの問題を考える「危機と共に生きる子どものための科学」(司会:山本惇一教授、慶應義塾大学文学部)があった。それぞれ内容はいずれ発表されるので、ここでは省略する。

 また、初日に行われた “child-caring design” の講演は、六本木ヒルズの子どもの事故以来、大きな社会的なテーマである。キッズデザイン協議会は、子どもの使う道具・機器などが子どもにとって問題がないかを調べたり、良いものは顕彰するという目的でメーカーが作った組織である。今後は、日本子ども学会も協調していく所存である。

 ユニークな講演としては「先史時代の子ども」があった。忽那学芸員が、石器時代には「子ども」のものがあまり出土していないが、縄文時代に入ると急増するので、その時代に子どもの社会的位置付けが始まったと考えられると述べた。この様に、人文科学、特に考古学のテーマが取り上げられたのも初めてで、興味深いものがあった。

 今回の学術集会は、安藤先生のオリジナルなアイデアで大変内容豊かなものであったが、他の学会と重なって参加できない方が多かったのは残念であった。しかし、「子ども学」らしさが存分に発揮された学会だったと言えよう。学会の成功を祝い、代表として更なる発展を期待するものである。




医療の人間化−妊婦さんタライ回し事件で考える (2007/9/28)

 最近、妊婦さんに問題が起こっても、入院する病院が見つからず、救急車に乗せられたままタライ回しにされ、大切なお腹の赤ちゃんの命を救う事が出来なかったという事件が起こり、テレビや新聞を賑わしている。考えてみれば、病室が無いというのならば、どんなかたちであれ、その命を助ける為には廊下にでも、一時的に入院させたら良かったのではないかと思う。

 それが、豊かな社会、科学技術優位の先進社会ではなかなか出来ないという現実がある。病院というものは、機器や設備が良くなり、提供出来る医療が高度になればなる程、専門の医師ばかりでなく専門の看護師、更に色々な専門職種の人が必要になる。しかも、医師を含めて医療関係者も人間である以上「休み」が必要であり、労働条件も整えなければならない。人も要るし、物も要るのが、西洋医学の医療の宿命と言える。更に、わが国では、医療関係者の労働組合の問題さえもあると言う。

 その上、医療制度や医療システムにも、色々な制約がある。かかりつけの医師からの連絡でなければ受け付けられないというのが、上述の事例で問題になっていたと言う。そんなものは、もう少し緩めるべきではなかろうか。事故の時は、紹介もへったくれもないではないか。

 世界の人口の中で、西洋医療の恩恵を受けているのはわずか10%にもならないと言われている。残りの大部分の人々は、いわゆる伝統医療を受けているのである。勿論、その人達にとっても、アクセスとなると問題は出てくることはあろう。それは、発展途上国の現実を見れば明らかな事である。

 しかし、先進国の代表と言えるアメリカでは、西洋医療を代替するもの、あるいは補完するものとして、有効性の確かな漢方の様な伝統医療を組み合わせてみたらどうだろうかと、10年以上前から考える様になっている。そうすれば、医療も優しく身近になり、経済的負担も軽くなるというメリットもあるからだという。即ち、漢方、鍼灸、マッサージ、オステオパシー、アロマテラピーなどが、代替医療、補完医療に位置付けられて利用されているのである。

 大病院の産科、あるいは医師による産院なりレディースクリニックなりを代替する、または補完する医療は何かというと、助産師さんによる産科医療になろう。勿論、タライ回しされた妊婦さんの医療問題が、助産師さんの対応可能なものであったか否かは、私には判断出来ない。しかし、もしそうだとするとやり方はあったのではなかろうか。助産師医療も産科医療の中に位置付けて、医療のシステムが拡大整備されていたならば、と思う。その昔、少なくとも第二次世界大戦前のわが国の産科医療は、助産師さん、いわゆる「お産婆さん」によって維持されていた。小学校、中学校の頃、お産の家に、黒いカバンを持って颯爽と入っていくお産婆さんの姿を今も思い出す。

 西洋医学の理念は、科学の宿命として、分析論、要素還元論の立場で、自他分離して可能な限り患者の病気を客観的に診て、病気の成り立ちを明らかにし、薬を作り治療法を開発してきた歴史が作り上げたものである。その為、病気を持ち「悩み」、「苦しみ」、「痛んでいる」人間としての側面を、西洋医療は一義的に対応していない、という批判に晒されてきた。それに対して、大学紛争に続き1970年代から、心を大切にして患者さんに優しい医療を体系付ける必要があるという考えが出て来て、「医療の人間化」という大きな流れとなった。しかし、西洋医療の中で患者さんの心を大切にするとなると、これもなかなか大変なのである。患者に直接タッチする医師・看護師の心構え、コミュニケーション技術、立居振る舞い、マナーなどから始まって、病院の建物や医療技術、医療機器まで、それなりの工夫が必要になるからである。そして、医療システムの人間化となると、更に問題は多い。

 考えてみれば、患者さんの体験、意見をまず聞くという事が、「医療の人間化」の全ての出発点である事はどなたも理解されよう。冒頭の様な妊婦さんタライ回し事件は、昔からあったという。そうだとしたら、何故そういった事例を集約して分析することをしなかったのかと思う。そうすれば、制度なりシステムを変えて、今回の事件は防げたのではなかろうか。

 この8月25日、26日、熊本で第17回日本外来小児科学会が開かれた。開業したり、病院や診療所の外来診療の中で、子ども達の病気と汗を流して闘っている小児科医の学会である。その中で「病気の子ども達の“家族の会”と医療関係者の連携」というシンポジウムが開かれた。話し合いの対象となった病気は、乳幼児突然死症候群(SIDS)、細菌性髄膜炎、インフルエンザ脳症の限られた3疾患であったが、お子さんを亡くされた母親達、障害が残ったお子さんのお世話をしている母親達と、直接的・間接的に関係している小児科医達との話し合いは、極めて教訓的であった。

 この様な話し合いの場は、母親同士の心の助け合いばかりでなく、実際的な助け合い、更には医師にとっての体験的知識の獲得に良い機会になるばかりでなく、国を動かす大きな力にもなり得るのである。この方々の力で、インフルエンザ脳症の原因となるインフルエンザ菌の感染を予防する「Hibワクチン」が、わが国でも近く利用出来るようになる。アメリカを含めて多くの先進国では、赤ちゃんに対するHibワクチンの投与は、とうの昔に日常的になっていたのである。

 患者やその家族との話し合いこそが、患者に優しく良い医療の提供が目的である「医療の人間化」の原点となる事を、私達は忘れてはならない。




「科学する心」を育てるには (2007/8/31)

 7月21日(土)午後、ソニー本社ビルの大会議場で、ソニー教育財団主催の「幼児期に育つ科学する心〜すこやかで豊かな脳と心を育てる7つの視点」というシンポジウムが開かれ、お招き頂いた。

 コーディネーターは秋田喜代美先生(教育学・保育学、東京大学大学院教授)で、パネリストは青木清先生(DNA研究、人間総合科学大学大学院教授)、大竹節子先生(幼稚園教育、品川区二葉すこやか園園長)、神長美津子先生(子ども学、東京成徳大学准教授)、小泉英明先生(脳科学、日立製作所フェロー)、山田敏之先生(応用物理学、ソニー学園理事、元ソニー中央研究所所長)であった。参加者は500人程で、幼児教育の関係者が主であった様である。

 7つの視点とは、子ども達の(1)感動し、想像する心(2)自然に親しみ、驚き感動する心(3)動植物に親しみ、命を大切にする心(4)ひと・もの・こととのかかわりを大切にして、思いやる心(5)遊び、学び、共に生きる喜びを味わう心(6)好奇心や考える心(7)表現し、やり遂げる心、を育てる事である。

 「科学する心」というテーマは、この財団に関係していた時からの課題だったので、私なりに関心は持っていた。コーディネーターの秋田先生の、体を通して科学し、表現する意欲を幼児期に育てたい、というイントロダクションからシンポジウムは始まった。続いて小泉先生が、P・キュリーの「自然を垣間見てより深く知る喜び」、畑の虫害予防に虫の為の畑を作った子どもの話、先生が考えられた「シャボン玉の科学」の話をされた。いずれの話も内容が濃く、示唆に富むものであった。特に、「虫の為の畑」に関係し、インド哲学の「慈悲喜捨」を引用され、慈は「思いやり」、悲は「痛みの共有」、喜は「喜びの共有」、捨は「固執しない」の意であって、科学する心を育てるのは優しさや共感の心を育てるのと同じである事を、脳進化の立場から新しい脳と旧い脳のインタラクションで説明された。

 山田先生は、三重の水郷に育ち、父上が高校の理科の先生で、昆虫や植物の採集に親しむ生物系の子どもだったが、高校に入ってから電気に関心を持ち、大学も工学系に進まれたという。その上で、小さい時に自然に親しみ感動する事の重要性を説かれた。意外な事に、お子さん達は全員文系だそうで、自分自身理系が全ての人生だったので、家庭では文学とか芸術を求められたからであろうと説明された。

 青木先生は、乳幼児期は感受期であるとの話をされ、インプリンティングと感覚の統合の関係を強調された。また、神長先生は、幼児教育では子どもが主体的に物を作ったり、こわしたりする体験が重要であると述べられた。

 大竹先生は、品川区の幼保一元化を進める時、豊かな時代において子ども達が空間・時間・仲間を共有出来る場としての保育園を作る為、家庭環境に準ずる状態、自然に飛び込める状態に配慮した事を強調された。正に、保育園のチャイルドケアリング・デザインである。

 引き続き行われた質疑応答の中では、軽度発達障害のお子さんを持つお母さんからと、おそらく大学の先生からと思われる「メタ認知」の質問が印象に残った。前者は、高機能発達障害のお子さんであると考えられ、上手に教育すれば立派な科学者になれると小泉先生が答えられた。「メタ認知」は、子どもはゆるやかな体験の繰り返しの中で、自分で自分をモニターしながら学び方を学ぶ、という秋田先生のお答えで会を終わった。

 シンポジウムを終わって、私にも考える点が出てきた。子どもがひとり立ちして生活するには、人のふりを見てその人の心を理解する「共感の心」を育てる為の「心の理論」が必要である様に、「科学する心」を育てる為には「物の理論」が必要で、子どもは両者の基本的なプログラムを持っていると考えられる。それを働かせて「心の理論」を4〜5歳までに作る様に、「物の理論」も作らなければならない。そして「心の理論」と「物の理論」の形成の基盤は共通している様に思うのである。それは、乳幼児に形成される「基本的信頼」 “Basic Trust” であろう。「人生は平和である、周りの人は信頼出来る存在である」という「基本的信頼」の信ずる心がなければ、「共感の心」は育たないのと同様に、「1+1=2」、「太陽は東から昇る」などの「基本的原則」を信ずる心がなければ、算数は成り立たないし、生活も出来なくなる。そこには、何か共通の基盤があるのである。

 小泉先生の「新しい脳」と「旧い脳」のお話も重要で、脳進化から見ると、「新しい脳」は、理性・知性の心のプログラムを持った新しい皮質が「旧い脳」をカバーして出来ている。「旧い脳」は、本能・情動の心のプログラムを持った大脳辺縁系が、体のプログラム中心の「生存脳」と言える間脳・脳幹をカバーして出来たものである。即ち、体のプログラムを上手く働かせる為に「生存脳」から旧い「本能・情動脳」、そして新しい「理性・知性脳」に、我々の脳は進化したのである。

 従って、大脳辺縁系の心のプログラムを上手く働かせる事は、「生存脳」の体のプログラムの働きを良くするばかりでなく、「新しい脳」の知性・理性の心のプログラムも良く働かせる事が出来るのである。子ども達を学ぶ喜び一杯、遊ぶ喜び一杯、そして生きる喜び一杯にする事は、大脳辺縁系を活性化する事であり、子どもの心と体のプログラムをフル回転させ、「共感の心」ばかりでなく「科学する心」を育てるのにも良いと言える。特に、自然とのふれあいや知的玩具による遊びは、それを強化する役を果たすであろう。

 この会では触れられなかった問題として、言葉を使い、文章を作り、理解する事も重要と思っている。赤ちゃんの時は言葉のリズム・ピッチ・抑揚などの「感性の情報」でコミュニケーションしているが、言葉が喋れる様になって初めて、「理性の情報」でもコミュニケーション出来る様になると言える。それは、「モノ」や「コト」に言葉という記号を貼り付けられる様になって初めて、子どもは理論的に考えられる様になると考えられるからである。従って、幼児期に絵本から始まる本の読み聞かせ、そして色々な本を自ら読む、特に、動物や植物だけでなく自動車・電車などの本を読む事によっても「科学する心」を育てる事を強化出来ると思うのである。更に、感動に満ちた野外や実験などの体験も、それなりに大きな意義のある事は言を俟たない。

 大人になった時の仕事が何であれ、乳幼児期に「物の理論」で「科学する心」を育てるのは、「心の理論」で「共感の心」を育てるのと同じ様に大切な事なのである。




コミュニケーションの中の体の動き、エントレインメント (2007/7/27)

 この6月23日(土)夜、NHK番組「解体新ショー」に岡山県立大学教授の渡辺富夫さんが出演し、「コミュニケーション」における「うなずき」の意義について話され、話題になった。今月の所長メッセージはこれに関係して、「コミュニケーションと体の動き」、特にエントレインメントについて述べてみる事にする。渡辺さんとは、今から30年近く前の赤ちゃん研究から色々と深い御縁があるからである。

 私達人間は、家庭や社会を作り、集団として生活しているが、それにはお互いのコミュニケーションが重要な事は言を俟たない。幸い我々は、長い進化の歴史の結果、言語という素晴らしいコミュニケーションの手段を持っているのは御存知の通りである。しかし、それだけでは無い事も、一寸考えれば良く解る。「わかった、わかった」と手を振ったり、うなずいたりしている行動は、その代表であろう。そもそも、コミュニケーションの進化の始まりは、手足や体の動きだったかもしれないのである。

 人間のコミュニケーションの手段は、話し言葉などの「音声」、身振り手振りなどの「行動」、そして文字・図形などの「記号」の三つに大きく分けられる。即ち、コミュニケーションの手段を広く「言語」 “language” と呼ぶならば、「音声言語」 “speaking language” 、「行動言語」 “behavioral language” 、「記号言語」 “symbol language”という事になる。もし、コミュニケーションを話し言葉中心に考えるならば、「音声言語コミュニケーション」 “verbal communication”と、行動や文字・符号など、音声言語以外の方法によるコミュニケーションを広くまとめた「非音声言語コミュニケーション」 “non-verbal communication”とに分けられる。

 大変興味深い事であるが、最近、手話などの様な手の動きを上手く使うと、赤ちゃんもそれを理解する事が明らかになった。いわゆるベビーサインである。また、もう20年前になると思うが、手話自体にも文法の様な規則があるという研究も報告されている。先月末大宮で開催された、日本赤ちゃん学会での赤ちゃんのコミュニケーションに関するシンポジウムでも、障害児教育の先生が手話の研究を発表した。手話などの行動言語でも、脳の中にある言語中枢(話し言葉のプログラム)を使っているのかもしれない。

 コミュニケーションが伝えているものを広く情報としてまとめるならば、議論の余地はあると思うが「理性の情報」 “logical information” と「感性の情報」 “sensitive information” とに分けるのが良いと、私は考えている。「理性の情報」とは、「1+1=2」とか、「AはBである」という様な論理的な情報である。それに対し「感性の情報」とは、「優しさ」とか「恐ろしさ」という様な情緒・情動を起こす情報である。従って「理性の情報」は、言語で表す事が出来る情報であり、(1,0)の二進法で処理出来る情報、つまりコンピューターで処理出来る情報なのである。「感性の情報」は、心で感じるしかない情報と言える。

 脳は、情報を処理する臓器と考えられるので、「理性の情報」、「感性の情報」との関係を考えてみたい。我々の脳の原型は、脊椎動物になって、魚類・爬虫類の脳の様な体のプログラム中心の「生存脳」から始まったと考えられている。原始哺乳動物になって、集団生活を始め、生存競争を闘いたくましく生きる為に、「生存脳」の働きを良くする目的で本能や情動の心のプログラムを持った大脳辺縁系が「生存脳」をカバーして、「本能・情動脳」に進化したと言える。更に、高等哺乳動物に進化して、自然環境に適応し、親子関係や仲間関係を保ち社会生活を営んでいく為に、理性・知性の心のプログラムを持った新皮質が「本能・情動脳」をカバーし、それが持つ心と体のプログラムをコントロールする事が出来る「知性・理性脳」が出来上がったと考えられる。我々ヒトの脳はその最も進化したもので、上手く良く生き、文化・文明までも築ける様になったのである。「感性の情報」は、脳の三層構造の中の大脳辺縁系の心のプログラムを働かせるものであり、「理性の情報」は、新皮質の心のプログラムを働かせるものと私は考えている。脳は、より良く体のプログラムを働かせる為、長い時間をかけて心のプログラムを進化させたと言えよう。

 こう申し上げても「感性の情報」と「理性の情報」との関係はなかなかご理解頂けないかもしれないが、言葉が発達していない赤ちゃん、特に生まれたばかりの赤ちゃんとお母さんとのコミュニケーションを考えてみれば良く解るであろう。お母さんがわが子を可愛いと思いながら、言葉をかける場面を想像して頂きたい。例えば「○ちゃん、いい子ね」と母親がわが子に語りかけたとする。赤ちゃんは言葉がわからないので「○ちゃん」も「いい子」も理解出来るとは考えられない。しかし、こんな場合、母親の語りかける音声言語のリズム、ピッチ、抑揚、メロディなどは、ご主人(赤ちゃんの父親)や成人に語りかけているのとは違って、優しさ一杯である。母親は、語りかける内容(コンテンツ)の意味である「理性の情報」を、リズム・ピッチなど「感性の情報」にのせて赤ちゃんに伝えている。赤ちゃんは、「感性の情報」については生まれながらに理解出来るに違いない。大脳辺縁系の方が新皮質より先に進化しているからである。しかし、その内容である「理性の情報」は、1歳を過ぎ言葉が解って初めて理解出来ると言える。むしろ「感性の情報」と「理性の情報」を併せて繰り返し与える事によって、赤ちゃんは言葉を学んでいる(憶えていく)と考えられる。

 コミュニケーションが伝える情報の話になってしまったが、コミュニケーションの中には体の動きもある、という事は申し上げた通りであり、全ての心のプログラムは体のプログラムをコントロールする為に進化したと考えられる事からも、ご理解出来るかと思う。「手を振る」、「うなずく」、「身振り・手振り」などなど。更には演劇、舞踏など芸術の中での体の動きも、考えてみれば「感性の情報」豊かである事は何方も経験していると思う。「感性の情報」によるコミュニケーションは、正に心を伝える事であると言えよう。

 コミュニケーションの中の体の動きの意義を考えるのにも、母と子の関係から考え始めるのが良い。個人的な話になるが、1970年代後半から、私は赤ちゃんの行動研究に関心を持った。それは、赤ちゃんの何気ない手の動きをよく調べてみると、お母さん(大人)の語りかけに引き込まれて同調している、というアメリカの研究者による論文を読んで驚き、もう少し高度な技術でそれを示そうと考えたからである。ここで言う高度な技術とは、コンピューターによる画像処理という方法で、当時の東大工学部の石井威望教授グループとの共同研究で使ったものである。その時の大学院学生が、渡辺さんだったのである。

 それは見事に成功して、お母さんが「いい子ね、○ちゃん」とわが子に繰返しているうちに、赤ちゃんの手の動きのリズムがお母さんの声のリズムに次第に引き込まれて同調する事を、極めて科学的に証明したのである。このリズムがお互いに引き込まれて同調する事を、「エントレインメント」 “entrainment” と呼ぶ。

 生物学的存在としてのヒトの体のリズムと声のリズムが引き込まれて同調するという事は、考えてみれば大変興味深い。東京の人がジェット機に乗ってニューヨークに行くと、時差に苦しむ事は御存知の通りである。それは、東京の朝昼晩のリズムにのっていた体のリズムが、時差でニューヨークの朝昼晩のリズムに合わないからである。従って、ニューヨークの朝昼晩のリズムに、東京の朝昼晩に合っていた体のリズムが引き込まれて同調すれば、時差の症状は消える。それと同じ事がコミュニケーションでも起こっているのであって、エントレインメントは、色々な意味で生存にとって重要なメカニズムなのである。

 先に述べた成果を、渡辺さんと現場で一緒に研究していた東大小児科の加藤明君が早速英文でまとめ、研究者全員でアメリカの雑誌に投稿したものは、一度で受理され、高く評価された。また、渡辺さんは引き続き研究を続け、手の動きばかりでなく、「うなずき」や「まばたき」、「表情」、更には呼吸や心拍の「リズムの変動」の間でもエントレインメントがある事を発見している。コミュニケーションでは息が合うのも重要である事は、科学的にも言えるのである。

 更に、渡辺さんはコミュニケーションの効率を上げる色々な方法を考案し、E‐COSMIC(心が通う身体的コミュニケーションシステム “Embodied Communication System for Mind” )を作った。ロボットなどを使って、うなずき行動などによりエントレインメントを起こさせる様な「場(雰囲気)」を作り出す技術である。コミュニケーションにおける体の動きと音声言語のエントレインメントは、コミュニケーションの効率を良くすると同時に、心の交流も良くするのである。例えば、消費税をどうするか、という話し合いの場において、E‐COSMICを使ってエントレインメントの成立しやすい場を作り、そうでない場で話し合った場合と比較すると、成立しやすい場では合理的に高い税率になる事を、渡辺さんは先に述べた番組でも示した。

 我々が自然に行っているコミュニケーションの中に、奥深い生命の仕組みがある事に感銘を受ける。そして、コミュニケーションを良くするには、それが行われている「場」も重要な役を果たしているのである。




霊長類学から人間を学ぶ−京大霊長類研究所40周年記念講演会に参加して (2007/6/29)

 京都大学の霊長類研究所が創立以来40周年となり、また、わが国の霊長類学が始まって60周年になる。今年は色々な意味で霊長類学者にとっておめでたい年であり、記念行事として京都大学と東京大学で講演会が開かれた。

 6月3日の日曜日、今では珍しい木造の東京大学弥生講堂で開かれた記念講演会「人間と人間性の進化的起源」に出席することが出来た。落ち着いた雰囲気の中で、京都大学霊長類研究所 所長の松沢哲郎先生(講演内容:チンパンジーの子育て)、京都大学理学研究科動物学専攻人類進化論講座の山極寿一先生(:ゴリラなどの社会性)、東京大学総合研究博物館の諏訪元先生(:化石人類の人間性)、アメリカ・エモリー大学のF・ドゥバール(Frans de Waal)先生(:「共感」の進化)、ドイツ・マックスプランク進化人類学研究所S・ペーボ(Svante Pääbo)先生(霊長類と人間のゲノム比較)の5人の世界的研究者が講演された。ドゥバール先生とペーボ先生は、今年のTIME誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれている。

 専門外の私が敢えてまとめてみるならば、化石から見ることばかりでなく、遺伝子のレベルから見ることによって、チンパンジー・ボノボ・ゴリラ等の霊長類と人間の共通祖先から700万年かけて歩んできた進化の道筋の研究の中、人間を特徴付ける人間性とは何かという事が、色々な面で明らかになったという事である。その裏にあるのは、この地球上で心の問題も含めて人間だけが「特別の存在」ではないという事であり、霊長類から人間性の悪しき面(正すべき面)を学ぶ事も出来るのではないかとさえ、私には思える。それは、先月の所長メッセージでも触れた事でもある。

 ドゥバール先生の話は、私にとっては特に印象的なものであった。人間に特有な能力のひとつと言われている、高度の精神機能である「共感」、「感情移入」(“empathy”)の心のプログラムさえも、ボノボやチンパンジーが十分持っており、その起源は進化の中でも古く、象の様な哺乳動物は勿論の事、その原型は鳥にも見られるという研究成果をまとめて話された。私流に言うならば、この様な高度の精神機能のプログラムは、進化の過程の中で獲得した色々な心の基本的なプログラムを組み合わせたものと考えられよう。更に、「模倣」の様な行動を起こさせる心のプログラムも、それに関係しているというのである。新生児の模倣行動も、その意味から考え直す必要があると思った。

 また、人間のもうひとつの特徴として重要である言語に関連して、ペーボ先生による、人間の言葉に関係する遺伝子を入れたマウスの鳴き声を調べた研究の報告には驚いた。マウスの鳴き声に起こった変化を直ちに言語発声に結び付けて良いか悪いか、私には判断する力はない。しかし、その様な方法を使ってさえも、言語進化のメカニズムの研究を追求している事には感銘を受けた。チンパンジーと人間の遺伝子の違いが1.2%という話は、昔のものになってしまったのである。

 そもそも私個人が霊長類学に関心を持ったのは、小児科医として「子育て」に関心を持っていたからである。1962〜1964年とイギリスに留学していた頃、グドール(Jane Goodall)先生がアフリカでチンパンジーの餌付けに成功して、National Geographic誌に発表した子育ての観察記録を読んだのが始まりであった。また、今回の記念講演会での、松沢先生のアイとアユムのご研究は、「子育て」を超えて教育につながるものとして大変勉強になった。そこには、人間の子ども達のより良い教育を考えるヒントがある。

 もう大分前になるが、1979年の国際児童年に、ある生命保険会社の財団から比較的大きな研究費を頂き、私は学際的なチームを組んで「子育て」の研究を行った。2年間の研究の終了を記念し国際シンポジウムを開く事になった時、松沢先生の恩師である伊谷先生にお願いして、グドール先生をその会にお招きした。そのシンポジウムの成果は、創元社から「親と子の絆」として1984年に出版され、子育ての研究者にとってそれなりの役を果たしたと思う。

 付け加えるならば、爾来、グドール先生は毎年の様に来日され、先生をサポートする組織 “The Jane Goodall Institute Japan” も、伊谷先生の御令息のおかげで出来た。6月3日の記念講演会に出席してみて、私自身の霊長類学者との長い交流も思い出したのである。




「日本子守唄フォーラム2007 in 壱岐」に参加して (2007/6/1)

 NPO法人日本子守唄協会が主催する日本子守唄フォーラムが、壱岐の島(壱岐市)でこの5月19日(土)、20日(日)に開かれた。19日は玄界灘の海岸にある弁天崎公園で子守唄等の音楽会が、20日には郷ノ浦にある壱岐文化ホールでフォーラムと共に音楽会も行なわれた。島外、県外から数百人が参加し、1000人のホールもほぼ満席に近かったので、このフォーラムは成功したと言えよう。

 日本子守唄協会は西舘好子さんが設立されたNPOであるが、私も子守唄運動は世直しのひとつの方法として重要と考え、役員の一人としてお手伝いしている。この種の行事は、協会としては金沢等いくつかの地方都市で開いてきたが、今回は壱岐の島という場所もあって、長崎県ばかりでなく近隣の県も応援しており、その成功が強く望まれていた。私もシンポジウムに招かれて参加した。ä

 幸い五月晴れに恵まれて、少々寒いという感じではあったが、海からの薫風が気持ち良い2日間であった。19日は明るい日差しのもと、公園の緑の芝生の上や椅子に座っている親子、また仲間同士の子ども達の前で、くれない太鼓から始まり、日本の子守唄ばかりでなくフィリピン・台湾・韓国の子守唄や、コーラス・合唱等の演奏が続いた。最後に伝統的な壱岐神楽で第1部を終わった。夜は、それぞれのグループ毎の交流会が開かれた。

 20日の第2部は立派なホールで、午前中は「よみがえれ!子守唄」のシンポジウムが、市川森一(脚本家)、小林美智子(小児科医)、山折哲雄(思想家・哲学者)、そして私が加わって、西舘さんの司会で行なわれた。一寸恐ろしい文学的な北原白秋の童謡から話が始まったが、「子育て歌」としての「子守唄」に討論が集約され、子守唄を取り戻す事こそが、今の世直しにとって重要である事に意見がまとまった。

 私は、子守唄の歌詞の内容と音楽的要素であるメロディー・リズム・ピッチ・抑揚等は分けて考えるべきであり、また、子守唄の効果なり意義を考える時には、母親とは勿論の事、言葉のわからない乳幼児とわかる学童とでは別に考えるべきという事を申し上げた。子守唄は、母親にとっては、特に自分で唄うと、子育ての疲れを取り心の安らぎを与え、子育て意欲を高める効果があり、赤ちゃんにとっては、歌によって異なるが、「喜ばせる力」(遊ばせ唄)や眠らせる力(眠らせ唄)がある事は、研究調査でも明らかにされているのである。午後の音楽会も、独唱、ギターの独演などが中心で楽しく、ホール全体を沸かせた。

 豊かな我が国の社会では、子どもの虐待の増加で代表される様に、色々な問題が起こっている事は周知の通りである。それを解決する為には、家庭のレベル、そして社会のレベルでも、人間関係を豊かにして強め、優しいものにする必要があると思うのである。それには、子守唄を流行らせる事が大きな手段のひとつになると、私は考えている。我が国で歌い継がれているそれぞれの地域の子守唄を蘇らせ、何処に行っても子守唄が流れている様な社会にしなければならない。そして同時に、ジャズ調なりマンボ調なり、今の時代に合った新しい子守唄が出てきても良いと思うのである。

 壱岐というと東京に住む人は遠い島に思えるが、福岡から水中翼船でわずか1時間程である。壱岐の島はそれこそ神話時代から知られ、朝鮮との交流の中継地でもあり、我が国の最前線として防人のいた島であったという。11世紀から13世紀には、南蛮人やモンゴル人の侵入により、折々戦いの場にもなったのである。16世紀には平戸松浦藩の島となり、漁業ばかりでなく、捕鯨そして肉用の牛の飼育も始まったという。壱岐の歴史は古いのである。

 壱岐市になって人口は3万数千人というが、自然の豊かな平たい島で、きれいな海の港にある町と低い山に散在する森に囲まれた農家の集落とは、自動車の行き来する道路でつながれ、島全体がネットワーク化されている。しかし、日本の原風景もまだ充分に残っているのである。朝、鶯の鳴き声で目を覚まし、私の一日が始まった。また、夜は交流会の後、ホタルの生息地に案内され、電灯の全く無い暗闇の中に、点滅するホタルの光と空の星の輝きを見て、子どもの頃の杉並にあった善福寺川のそれを思い出した。

 「日本子守唄フォーラム2007 in 壱岐」の成功を考えると、今こそNPOが日本各地でそれぞれの特徴を生かして、子どもの遊びから学びまで、子守唄ばかりでなく玩具や絵本も利用し、親ばかりでなく向こう三軒両隣まで巻き込んだ運動を展開する時にある。それが現在の子ども問題解決の為、優しさを取り戻す世直しの力になるに違いないと、帰りの水中翼船の中で思った。




女性も男性も一緒に考えて、女性中心型社会にしよう (2007/4/27)

 少子高齢化が急速に進む中でも、我が国は国民ひとりひとりが努力を積み重ねて豊かな社会を築き上げてきた。もうこれ以上の豊かさはいらないのではないかと思える程である。それは、生活廃棄物の山を見ただけでも理解出来よう。食糧から始まって、衣料、テレビ・冷蔵庫等の電気製品、そして自動車まで、今や捨てる場所さえ無くなりつつある。正に「モッタイナイ」である。

 これは、科学・技術の進歩によるものである事は明らかであろう。食糧について言えば栽培・養殖技術や遺伝子工学などの進歩のお蔭であり、衣類で言えば有機化学など、電気製品で言えば電気工学などの進歩のお蔭なのである。こういった科学・技術の基盤にあるものは、デカルトの「我思う、故に我在り」の自他分離の考え方であり、それに基づく客観的に「モノ」を考える哲学から始まった要素還元論である。しかし、それが人間の心の在り方にも影響し、行き過ぎた個人主義になり、豊かな社会ではより豊かさを求める事で、拝金主義と言える考え方も助長し、色々な問題を起こしていると言える。

 特に、豊かさはある意味で、他人との関係を考えなくても生活出来る社会も作り、それが個人主義的な考え方と相まって、人間関係を希薄なものにしてしまった。しかも、豊かさを求めるのに必要な労働力を作り出す為、人口が集中した都市にはその傾向が強い。平たい言葉で言えば、思いやりのない社会、冷たい社会になってしまったのである。電車の中で、老人や妊婦さんが立っていても席を譲らない若者などはその代表である。子どもの頃、わが家で天ぷらを揚げれば、「おすそわけ」と言って隣の家に持っていった事を懐かしく思い出す。

 更に、それは人間行動の在り方にも大きく影響している様に見える。社会に見られる殺人・暴力等の犯罪問題の多発、学校における子どものいじめ・暴力等の教育問題の多発、親が我が子を虐待する児童虐待も、それを示しているのではなかろうか。このままいけば、ガタが来た我が国の社会は崩壊し、国は滅びると憂う人さえいるのである。

 それでは、我が国の社会を立て直し、国そのものを活力あるものにするには、どうしたら良いだろうか。私の個人的な考えであるが、現在盛んに言われている子育て支援強化とか、男女平等参画型社会とかを乗り越えて、女性中心型社会にする事ではないかと思う。現在の男性中心・男性主導の社会ではなく、思い切って、女性中心・女性主導の社会にするのである。そうすれば、社会全体に優しさが一杯になり、人間関係も良くなり、平和になるのではなかろうか。当然の事ながら、子育て問題も少子化問題も解決しよう。

 人は生まれながらにして権利を持つという、マグナカルタから始まる800年に渡る人権の歴史の流れの中で、やっと男女平等という考えが出来、男女共同参画型社会という発想も出たと言える。しかし、私は進化論的、あるいは人類学的な考え方で、女性中心型社会と言いたいのである。男女平等よりもう少し押して、その位にしなければ、男女平等、共同参画にもなれないと思うからである。

 人類は、チンパンジーとの共通祖先と500〜600万年前に分かれて、猿人、原人そして現代人へと進化した。人類と分かれて類人猿に進化の道をとった共通祖先は、200万年程前に、現在のチンパンジーとその一種である小型のボノボとに分かれたという。霊長類学者は、現在のチンパンジーとボノボを比較してみると、ひとつの大きな違いがある事に気付いた。

 現在のチンパンジーは、攻撃的でケンカ早く、冷酷で権謀術数に長けているという。オスを中心に社会を築き、その長を争う権力闘争は、極めて残忍なのである。ジェーン・グドール (J. Goodall) さんがその事実を初めて学会で報告すると、それを信じる者はいなかったと伺った。一方、ボノボは、平等で平和なメス中心の社会を築く、思いやりの心を持った優しいサルであるという。勿論、それだけでなく、オス・メス間の行動に色々興味深い違いもある。

 人間は、ボノボやチンパンジーと共通の祖先から進化したので、ボノボの優しい平和的な面と、チンパンジーの攻撃的で冷酷な面を併せ持っていると考えられる。だからこそ、「人間らしい」親切で思いやりのある行動と同時に、血腥い大量殺戮をしたり、権謀術数を巡らせて権力争いをしたりする行動とを併せ持っているのである。イラクの現状を伝えるテレビ・ニュースを見れば、どなたもそれを理解出来よう。チンパンジーやボノボと人間とでは、98%もDNAを共有している程近い間柄である事からも、そう考えられるのではなかろうか。

 もっとも、人間・チンパンジー・ボノボを見れば、その姿からすぐ違いがわかる様に、この様な考え方や行動の違いは、数百万年という年月をかけて、生活環境と遺伝子のやりとりの中で育ってきたものである。そういった長い歴史の中で出来上がった現在の人類社会の在り方を、男性中心から女性中心に変えるには、当然の事ながらそれなりの工夫が必要であろう。しかし、チンパンジー的な面とボノボ的な面とを併せ持った人間の歴史を見れば当然と言えるかもしれないが、現在は男性中心であっても、その昔女性中心型の社会のかたちをとっていた時代もあり、また、伝統文化の社会の中では、現在でも女性中心型社会は存在するのである。

 我が国において、女性が中心だったと言えるのは、8世紀の元明天皇に始まる奈良時代である。8代の天皇のうち4代が女性天皇で、元明、元正、孝謙、そして重祚した称徳天皇であった。710年に平城京に遷都してから、784年に長岡京に遷都するまでの約70余年間である。その後、中国から導入された法律制度により、我が国古来の律令制が変って、女性中心の社会は終わったという。

 神話で天照大神が女性として国の基盤を作ったと言われている様に、我が国の社会は本来、ジェンダー差が緩やかで、女性の社会的評価が高かったのかもしれない。奈良時代は、皇位継承、政権争奪等の激しい時代であったが、遣唐使は諸説あるが7回も派遣され、古事記・日本書紀・万葉集等が体系付けられ、いわゆる天平の美術も大きく花開いた。外交・学問・芸術の盛んな時代でもあったのである。それも、女性天皇による女性の輝いた社会であったから、というのは考え過ぎであろうか。しかし、孝謙天皇の母であり、聖武天皇の皇后であった光明皇后が仏教の普及の為に写経事業を行なったり、弱者や病者の救済の為、福祉事業を行なったりしたのは、社会に女性の優しい心、心を大切にしようという心があった事を示すものと思う。

 我が国の文化の流れに、この様に女性を中心にした時代があった事を考えてみると、何か女性に対する民族特有の「思い」がある様に思う。勿論、我が国を女性中心型社会にするには、多くの問題があろう。しかし、思い切って発想を転換し、男性も女性も一緒になって英知を絞って、我が国の持っている科学・技術も駆使すれば、充分に出来るものと私は考えている。皆さん、一緒に考えてみませんか。

 (参考:Frans de Waal, “Our Inner Ape”,「あなたのなかのサル」、藤井留美訳 早川書房、2005)





「赤ちゃんポスト」にもっと優しい名前を (2007/3/30)

 「赤ちゃんポスト」が今、話題を呼んでいる。熊本のある病院が、ドイツの「赤ちゃんポスト」(ベビー・ハッチとも呼ばれている)を真似して、捨て子の命を救おうとしたのが事の始まりである。ヨーロッパでは、ドイツばかりでなくハンガリー、オーストリア、チェコ、ベルギー、イタリアなどでも同じ様なものが出来ているそうである。熊本県の当局者も厚生労働大臣も否定的ではない考えを述べているので、我が国でも広がるかもしれない。しかし、我が国ばかりでなく世界の子育て事情も、豊かな社会ではここまで来てしまったのかと誠に残念な思いがする。

 1989年に、子どもの権利条約が800年の人権の歴史の中でやっと国連において批准された。この「子どもの権利」という立場から見れば、「捨て子」も、身体的虐待(“battered child syndrome”)、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト等と同じ様な「子ども虐待」“child maltreatment”に位置付けられるべきものである。従って、「赤ちゃんポスト」も、「子どもの権利」の立場からよく考えなければならない。ひとたび生を受けて生まれて来た子どもは、例えどんな事情があっても「育つ権利」、「育てられる権利」を持っているからである。

 しかし、それぞれの社会文化の中で、「捨て子」の歴史は古い。ヨーロッパでも我が国でも同じである。ポルトガルの宣教師であり医師だったアルメイダが我が国に来た豊臣時代の中頃(1550年代)、大分の川原には累々と赤ちゃんの遺体があったという。その中の相当数は、生まれて間もない赤ちゃんの捨て子だったに違いない。それで、アルメイダは大分に病院や孤児院を建てたのである。

 個人的にも、小児科医として東大病院で診療をしていた1970年代には、コインロッカー事件という「捨て子」が多発し、社会問題になった事を思い出す。戦後20年程経った頃、我が国も豊かになり、駅にコインロッカーという便利なものが出来た。それまでは、荷物は「一時預かり」にお金を払って預けていたものが、人を介する事無く、百円玉なりを何枚か入れれば、金属の箱の中で安全に、取りに行くまで預けられるようになったのである。そこに、育てられない、あるいは育てたくない赤ちゃんを捨てたのである。恐らく、なかには何日間か生きていた赤ちゃんも、弱々しいが泣いた赤ちゃんもいたに違いない。この様に「捨て子」は、時代と共に行政の在り方や宗教観、社会思想によって変ってきたのである。

 勿論、捨てる母親の多くの心は乱れ、深刻だったと考えられる。貧しいが故に生活が出来ないと、申し訳なく思いながら、きれいな産衣と一緒にお寺やお金持ちの家の入口に、人目を気遣いながら捨てた母親も少なくなかったものと思う。それに反して、路上とかコインロッカーに捨てるとなると、何か許せないものを感じる。

 「捨て子」は英語で “foundling” というが、それは「見つけ出された可愛い子」という意味である。日本語の「捨てる」という母親側からではなく、見つけて拾う側の言葉になっている。ヨーロッパでは教会によく捨てられていたというので、それも何か「捨て子」に対するキリスト教の優しい心が関係していたのかも知れない。

 1960年代に私が3年間程留学したロンドンの小児病院(The Hospital for Sick Children, Great Ormond Street)もそうであるが、ヨーロッパの古い小児病院の多くは「捨て子」の施設から出発している。従って、ドイツで病院に「赤ちゃんポスト」を置こうとした発想も、小児病院と「捨て子」との関係から来ているかもしれない。

 キリスト教の文化の中でさえ捨て子が問題なのであるから、我が国においてコインロッカー事件が起こっても不思議は無かったのかもしれない。最近の「捨て子」問題は、世界的である。しかし、「赤ちゃんポスト」となると、何か赤ちゃんが物扱いになっていて、虚しい。赤ちゃんの命を救う為、産院や病院にもしそれを作るとするならば、何かもっと「優しい名前」をつけたいものである。熊本では「こうのとりのゆりかご」という名前が挙がっているそうであるが、皆さんも、ぜひ優しい名前を考えて欲しいものである。





21世紀こそ子どもの世紀にしよう、
CRN設立10周年記念国際シンポジウムを終わって
 (2007/3/2)

 CRN設立の10周年を記念して、国際シンポジウム「『子ども学』から見た少子化社会」が、2月3日、国連大学ウ・タント国際会議場で開かれた。会場はほぼ満席の盛会であった。CRNは、「子ども学」を柱にして、子どもに関心のある研究者、実践者をインターネットで繋ぐという目的で設立され、昨年4月で設立10年になった。この間、我が国以外の子どもに関係する研究者を招いた行事は、CRNにとって今回で4回目となった。テーマとしては、東アジア共通の問題「少子化社会」をとり上げ、中国の学者2名、韓国の学者2名、我が国からは3名が参加し、シンポジウムを行った。

 まずは、ノーベル文学賞受賞の大江健三郎先生に「子ども−『人間の未来』のモデル」というタイトルで特別講演を、中国のエンジニアであり脳科学者である、元文部副大臣のYu Wei教授に「『中国の脳科学と教育』−子どもの認知発達に関する研究」というタイトルで基調講演をうかがった。この2つの講演は午前に、パネルディスカッションが午後に行われた。

 今回のメッセージは、午後のパネルディスカッションについての感想を述べる事にする。この記念行事全体については、後日報告書が出される予定である。

 現在、日本、中国、韓国の東アジア三国で少子化が進んでいる。勿論、中国は例外で、国の「ひとりっ子」政策による「少子化」である。一方、韓国と日本は、先進化が進展し社会が豊かになると共に自然に起こって来た少子化で、韓国の方が、我が国より急速に進んでいる。

 中国は別として、韓国と我が国では、何年か前の様に、子どもの数が多くなる事はまず無いのではなかろうか。少なくとも我が国では、その様な事はほぼ起こり得ないとも言える。従って、今考えなければならない事は、現在の社会経済や生産力を維持する為に、何とか少しでも少子化を改善する努力もさる事ながら、子どもの数に合った社会をチャイルドケアリング・デザインする事であり、その方が現実的により重要であると思われる。

 ここで言うチャイルドケアリング・デザインとは、子どもに優しい社会、子どもの事を深く考えた社会、子どもの目から見て良い社会をデザインするという事である。それは、当然の事ながら、子どもが心も体も元気に育つ社会、また “joie de vivre”「生きる喜び」一杯に、子どもが生活出来る社会を意味する。子どもの権利が認められている現在では当然の事と言えよう。

 それには、「子ども学」 “Child Science” をまず体系付けなければならない。即ち「生物学的存在として生まれ、社会的存在として育つ」子どもを捉えるには、小児科学・脳科学等の自然科学と、育児学・保育学・教育学等の人文科学を統合した文理融合科学としての「子ども学」を体系付け、それを子どもに関心を持つ人々全てが共有する事から始めなければならない。

 社会のチャイルドケアリング・デザインは、国際的にみても重要である。それはある意味で、「20世紀を子どもの世紀に」と、1900年冒頭に述べたエレン・ケイの理想が実現出来なかった事は明らかであるからである。我々の世紀の在り方に子どもを柱とする事は、社会のチャイルドケアリング・デザインを進める事になり、それぞれの国の平和の基盤を築き、世界の平和に繋げる事が出来ると思うのである。今、世界の現実を見ると、それこそが全ての出発点と言える。私は、そんな考えからこの記念のシンポジウムの開会の挨拶で「21世紀こそ子どもの世紀に」とも述べた。

 この10年間、CRNはベネッセコーポレーションの絶大な御支援のお蔭で、日本語版、英語版、そして中国語版と大きく発展する事が出来た。そして、アクセス数も、月100万とは言えないが、それなりに増加し、そういった方々の御支援があったからこそ、この10年の記念の会が持てたと言える。この機会に、CRNを御支援下さった全ての皆様方に深謝申し上げたい。





JaSPCANとは (2007/2/2)

 JaSPCANという言葉を見て、「それ何?」と思われる方もあろう。Japanese Society for Prevention of Child Abuse and Neglect、「日本子ども虐待防止学会」の略称である。「国際子ども虐待防止学会」をISPCANと呼ぶので、それに倣ったのである。

 そもそもこの学会は、現在のJaSPCANの役員である小林美智子博士や斎藤学博士の要請で、私が中心になって1996年4月に研究会として発足した。10年後に学会となり、現在も現役ばりばりで頑張っておられる大阪府立母子保健総合医療センターの小林美智子博士にバトンタッチして、会長をお返ししたのである。

 「子ども虐待」の事例を私自身が人生で初めて見たのは、アメリカでインターンをしている時、当直していた夜の救急室であった。1954年の11月の事である。母親がベッドから落ちたと訴えている赤ちゃんには、新旧の骨折が共存している “battered child syndrome” であった。何故、こんな酷い事が、戦勝国の豊かなアメリカで、しかもキリスト教の国で、と考えさせられた。貧困の社会の虐待とは異質なものであった。

 1960年代に入り、アメリカの小児科医Kempeによって、この様な事例が小児医療の中でひとつの病気に位置付けられ、それが拡大されて現在の「子ども虐待」 “child abuse(maltreatment)” になったのである。即ち身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト等の病型をまとめた概念である。考えてみれば、その原因は不明としか言いようがないが、何か人間の本性のようなものが関係している様に思われる。

 脳の進化の流れを見ると、食欲とか性欲とかの本能のプログラムと共に、「怒り」とか「不安」などの感情のプログラムは、生存競争に勝つ為、また「愛」とか「優しさ」は、子孫を作り、集団生活を営む為に、生命のプログラムを強く良く働かせる目的で進化してきた心のプログラムと考えられ、大脳辺縁系という旧い脳に存在する。更に進化が進んで、理性や知性のプログラムが新皮質に出来て、本能やこれらの感情のプログラムもコントロールされる様になり、我々は人間として現在の文化・文明の豊かな生活を営んでいると言える。我が子を虐待する親は、理性や知性のプログラムで感情のプログラムをコントロール出来なくなって、虐待を起こしてしまうのである。適応行動のプログラムを不適応のものにしてしまう、心のプログラムの狂いが原因と言えよう。

 「子ども虐待」の解決には、私達の言う「子ども学」 “Child Science” が必要であると考えている。それを反映してか、現在JaSPCANは、医療、福祉、教育、心理、法律、法曹、警察など多分野に関係する人々が会員になっている、学際的、また環学的な文理融合科学の学会と言えよう。「子ども虐待」こそ、 “child issues” の頂点となる問題であって、私達の言う「子ども学」以外のやり方では解決されないと考えている。

 幸いその会員数は、この10年で5倍になり、約2,000人であるが、保健医療分野が最も多く約30%を占め、中でも医師が最も多く、その半分以上を占めている。福祉分野がそれに続いて約20%を超え、教育関係が20%足らず、心理、法曹分野と続く。都道府県別に見ると、東京と大阪が多く、それぞれ約15%を占める。それは、JaSPCAN設立の中心になった民間団体が東京と大阪で始まったからである。東京は精神科医の斎藤学博士、大阪は小児科医の小林美智子博士がまとめ役であった。

 児童虐待問題を何とかしなければならないという運動は、医療関係者から始まっている場合が少なくない。アメリカの歴史を見ると小児科医Kempeであるが、日本では精神科医が中心で、1970年代に入って池田由子博士、斎藤学博士が始めた。勿論、我が国の小児科医もそれに続いて、「愛情剥奪症候群」、即ちネグレクトの病型を報告し、その動きに参加した。

 JaSPCANは、東京で第1回の学術集会が始まって、順不同であるが大阪、横浜、和歌山、宇都宮、名古屋、神戸、東京、京都、福岡、札幌と日本の各都市で開催され、昨年の12月は仙台であった。仙台には、NPOとしての「子ども虐待」に対応する組織が出来たが、問題解決に対して期待する効果が上がっていないという危惧があった。JaSPCANの学術集会を開く事によりそれを確かなものにしようというのが、JaSPCANの役員の考えだったのである。今年は、三重県の津で開かれる。何とか、我が国の社会から、「子ども虐待」を根絶したいものである。




校舎のチャイルドケアリング・デザイン〜昌平童夢館を見て (2006/12/22)

 11月初めのある日、千代田区の教育委員会主催の幼・小・中学校の先生方に対する研修会で、「子どもの育ちの基盤にあるもの−成長・発達と脳科学」というテーマでお話しする機会があった。準備のお話合いをしたのが主催校の昌平小学校の先生だったので、会場の小学校に行ってみると驚いた。校庭に校舎という、いわゆる学校の情景は無いのである。

 場所は、商店街と住宅の混在した地域に建つ6階建てのビルである。迎えに出ていた先生に伺うと、地階が温水プール、1階は幼稚園と図書館、2,3,4階が小学校で、2階に玄関があり、教室の他に職員室、多目的ホール、家庭科室、和室、コンピューター教室、音楽室、図工室、理科室、保健室、体育館(講堂)などがそれぞれの階に分けられて存在していた。5階には児童館(音楽AV室・集会室・遊戯室)、そして6階の屋上には開閉ドーム式の校庭がある、昌平童夢館と呼ばれるハイカラな複合施設であった。温水プール、児童館、屋上の校庭等は地域に公開して利用されているのである。

 もう20年以上も前になるが、中曽根内閣の臨時教育審議会に委員として参加している時、既に少子化社会の学校の在り方について審議していた。その中で、「複合校舎」とか、更に他の施設と組み合わせて「複合施設」を造る様になるだろうという話題が出ていた事を思い出した。それが、もう10年程も前に現実のものになって、目の前に建っていた事に驚くと共に、政治のレベルでは、先見性を持って教育問題も検討されていた事実を知った。

 さて、「複合施設」と関連して考えてみると、私達が提唱している「子ども学」 “Child Science” では、三つの柱があると考えている。1)子どもの権利条約後の子ども観はどうあるべきかを考える子どもの哲学・倫理学的な捉え方、 2)家庭・学校・社会で起こっている「いじめ」・「不登校」から始まって「暴力」「殺人」までの多様な心や行動の問題 “child issues” の要因解明と解決法、そして 3)子どもの事を多角的に考える、子どもの目線で考える、子どもに優しいモノやコトのチャイルドケアリング・デザイン “child-caring design” である。ここで言うモノとは、建物(校舎)、都市、公園等ハードなものであり、コトとは制度、法律、教育方法等のソフトなもの、情報的なものである。

 この様な複合型の校舎や施設は、果たしてチャイルドケアリング・デザインとして見ると、少子化社会における教育行政上の経済的メリットの他に、子ども達の教育にとって、直接どういう点が有用であろうか考えてみた。幼稚園、小学校が一緒にある事は、その地域の子ども達が、中学に入るまで同じ学校にいく事が出来るという点で、少子化社会の中で子ども関係の縦の柱になると思われる。同時に学校も幼・小と先生同士の縦の関係が強くなる事もあろう。また、地域に開かれているので、コミュニティの支えが得やすい事もあると考えられる。しかし、私達の世代には、学校というと、どうしても自然なり町なりの背景の中での独立した校舎・校庭の姿がいつも目に浮かぶ。

 昭和二桁になる前に私は小学校に入学した。家の裏から善福寺川のほとりにある雑木林の小路を通り、舗装されたバス通りに出て坂を下り、川を渡って坂を上ると、畑の向こうに建っていた校舎と校庭がパッと目の前に開けた。その情景は、今も目に浮かぶ。そして、バス通りから右に回って校庭の反対側、校舎の裏(表?)に校門があった。校門を入ると左側に御真影が厳然とあり、右側には、記憶が正しければ、二宮尊徳の像があった。

 いわゆる御真影とは、神社の様な形をした昭和天皇のお写真の収められていた大きな木製の箱の様なものである。二宮尊徳は、勤労感謝、苦学力行、更に親孝行のシンボル的な人の像である事は、ご存知の通りである。現在と全く違った時代であるので、象徴としての天皇の写真や、人生の目標とすべきロール・モデルの像が、子ども達に何かを教える為のものとしてあったのである。

 それらは、生まれながらにして子ども達の脳の中にある信じる心のプログラム、真似る心のプログラムを働かすものであると考えられる。1+1=2 を信じなければ算数は学べない様に、人は人間として生きて行く為に色々な物の理論や心の理論を信じなければならないのである。真似る心のプログラムの存在は、生まれたばかりの赤ちゃんの「物真似」行動から明らかであるが、良い意味でも悪い意味でも、教育の基盤を形成するものである。身近に、子ども達自身の人生にとっても、未来の社会にとっても、特に学校にそのロール・モデルがある事は、極めて重要であるという事は、皆さんどなたも賛成されよう。逆に、現在の子ども達の行動の問題は、テレビ・ビデオ等のメディアでの悪い映像をロール・モデルにして真似る結果であると考えている学者さえも少なくないのである。脳の真似る心のプログラムが今、悪い情報に汚染されていると考えられるのである。

 勿論、昌平童夢館に子ども達にとってロール・モデルになる人の何かが飾ってあったかも知れない。細かく見ていないので不明である。また、私とて、飾っても悪くはないが、天皇のお写真とか、二宮尊徳の像とかを現在の校門に飾れと言うのでもない。学校は、知育・体育・食育だけの場ではない、徳育の場でもある事は確かで、その徳育がこの中で一番難しいであろう。知育・体育・食育によって、それぞれ関係する心と体のプログラムにスイッチを入れるのと同じ様に、子ども達の持って生まれた「信じる」とか「真似る」とかの心のプログラムに、何でスイッチを入れるかが徳育の出発点であると言える。従って、学校という場も、ロール・モデルを含めて、魂(たましい)を入れる様なチャイルドケアリング・デザインが必要なのではなかろうか。




乳幼児の発達と生体リズム〜上海の乳幼児発達シンポジウムに出席して (2006/11/24)

 この10月13日(金)、14日(土)で人口計画生育委員会が主催する上海貿易センタービルの展示会場の育児用品フェアと、それに隣接するホテルで開かれた育児に関係する国際シンポジウムに出席する機会があった。シンポジウムでは、日本からは私、アメリカからは音楽教育の専門家による乳幼児の音楽教育について、ドイツからは小児科医によるドイツの母子保健システムの発表が行われた。勿論、中国からも小児神経、発達心理の専門家、人口統計学者などの発表が行われた。
 人口計画生育委員会は、長年に渡り「一人っ子政策」を展開し、その中で乳幼児の健全なる「体の成長」と「心の発達」を展開することを目的としている中国政府の団体である。現時点では、都市部ではほぼ「一人っ子政策」の目的を達成したというが、これからは農村部の政策展開にエネルギーが注がれることになるという。
 私は、「生体リズムと乳幼児の成長・発達」について講演を依頼された。人間は進化の過程で「生物時計」を持って生まれ、朝昼晩の日照リズムにそれを合わせ、約24時間の「サーカディアンリズム(概日リズム)」をつくり、体の機能を働かせて生活している。胎児期に既に生物時計を働かせ始めていると考えられるが、日照リズムに合わせてサーカディアンリズムをつくるのは生後のことである。そのリズムを合わせるには時間がかかる。したがって、睡眠リズムを見ていると、はじめ寝てばかりいる赤ちゃんが、次第に夜の眠りが長くなって、一応大人のリズムにほぼ近くなるのには生後1年以上はかかり、大人型の昼寝もなくなり睡眠が夜だけになるのは、4、5歳からと言われている。
 赤ちゃんは、お腹がすいたり、おしめが濡れたり、お腹が痛くなったりすると泣くのは当然であるが、原因がわからずに激しく泣く(号泣)こともあることは、子育てを経験した人ならば誰でも御存知のはず。「夜泣き」「疝痛」と我が国では言うが、英語では “fussing cry”、 “inconsolable cry”、 “colic” などと呼んでいる。時期的に見ると、生後5-6週にピークがあり、1年経たないうちに消えていくものである。本来自然のものなので、ただ抱っこして、優しくなだめるしかない。しかし、子育てにイライラしたりしている母親にとっては、それが虐待につながることが少なくない。
 最近、カナダの小児科医はそれを “purple cry” 「紫の号泣」と呼んで、自然のものだから母親達に心配しないように教育している。 “purple” の “p” は “peak”「ピーク」の “p” 、生後5-6週に “peak” があるからである。 “u” は “unexpected” 「不意に起こる」の “u” 、 “r” は “resist to soothing” 「なだめても泣き続ける」の “r” 、 “p” は “painful face” 「痛そうな顔」の “p” 、 “l” は “long-lasting” 「続く」の “l” 、そして最後の “e” は “evening” 「夕方」の “e”、夕方に多いからである。いわゆる「夜泣き」である。
 個人的には、発生の時期から見て、日照リズムに合わせたサーカディアンリズムによる睡眠のリズムの基本が出来ていないからであろうと考えている。すなわち「時差」 “jet-lag” のようなものではないかと思うのである。
 生後5-6週目に “fussing cry” のピークがあるという研究は、1962年ハーバード大学のBrazeltonによって発表された。Brazelton先生とは知己の間柄なので、先日、 “fussing cry” は胎児が新生児になって日照リズムにさらされ、 “jet-lag” を起こしているのではないかと手紙で尋ねたが、その直接の答えが無い。だが、アイスランドで10月に生まれた赤ちゃんは、4月生まれの赤ちゃんと比較して、穏やかで、ちゃんとしているということを書いてきた。外が暗いので、自分の時計を外の光に合わせなくてもいいのかも知れない。どなたか、御存知の方は教えて頂きたいものである。
 勿論、赤ちゃんが生きていくのに必要なのは、睡眠のサーカディアンリズムだけではない。心拍動、呼吸など色々なリズムがある。さらには、コミュニケーションにもリズムがあることは、大人同士の会話で頷いたりしていることからも明らかである。
 私が申し上げたいのは、赤ちゃんと母親(養育者)との間にもそれがあるということである。赤ちゃんの手足や体の動きは、母親の語りかける声のリズムに引き込まれて同調するのである。あたかも、我々大人が、相手の語りかけのリズムに首を振っているように。この現象を「引き込み同調現象」 “entrainment” と呼ぶが、これによって母と子は場を共有し、「心の絆」を結び、母子が共有した情報に母親が発した言語を赤ちゃんはひとつひとつ取り込んで(記憶して)、言語を発達させているのである。生体リズムは、赤ちゃんの生きていく全ての局面に関係していると言えよう。
 私のこの発表は、中国の方々に大変好評だったようである。今後とも、中国との交流を「子ども学」で深めていきたいと、今回の訪問でも思った。




父親の子育て〜熊本の次世代育成シンポジウムから (2006/10/27)

 8月27日の日曜日、熊本で福田病院とベネッセコーポレーションの共催で次世代育成公開シンポジウムが開かれ、育児休業を取った熊本の新聞社の記者が、父親の子育て体験を話し、つづいて父親の子育てが論じられた。大変勉強になった。
 子育て問題は単純に考えるべきではなく、当然のことであるが家庭や社会のいろいろなモノやコトとの関係の中で考えなければならない。すなわち、人間生態学 “Human Ecology” の立場が必要で、特に社会文化との関係が重要である。
 よく雄サルの子育ての話が出て、直接的にではないが、その立場から人間も男性の子育てが必要という考えを耳にすることがあるが、それ程単純ではない。猿学者は、雄が積極的に子育てする南米の猿は、雌が子育てすると、母乳哺育などで排卵が抑制されて、子どもを作れないからであると説明している。厳しい自然の中で、雌に子どもを増やしてもらうために、雄がせっせと子育てしているのである。
 アフリカの砂漠の厳しい生活条件の中で生活するある部族の母親は、母乳哺育を子どもが5、6歳になるまで続けるという文化人類学的な研究がある。これは、上述の猿とは逆に、避妊を目的に、子どもにとって栄養学的に意味が無くなっても、母親は母乳哺育をいつまでも行っているのである。生き物は、自ら生きていくため、また子孫を残すために、英知をもって、子育ての仕方を工夫していると言える。
 昔は男性が外でハンティングをし、女性は子育てと果実などのギャザリングで生活をしてきていた人類が、時代の流れと共に、生活を豊かにし、文化と文明をもつ社会を作り上げてきた。その結果、子育ても従来の様な単純なやり方で済まされなくなって、男性の子育てが出て来たと言える。日本でも、この10年程、アメリカでは、この20年程の話と言われている。したがって、われわれの社会のように現在の豊かな社会で、男性が子育てをするようになった、あるいはしなければならないようになった理由は沢山あるのである。
 したがって、人間が男性も子育てするようになったことは、それなりに、家庭や社会のあり方が関係しているのである。私が思いつくものを述べてみよう。ひとつは、家庭というものが、その昔二世代三世代が一緒に住んでいたものから、夫婦と子どもという孤立化した家庭になったことである。さらに、男性が仕事して家庭を支えていれば良い時代から、夫婦ともども仕事をしなければ生活出来ない時代になったこともある。その上、人間の権利の歴史800年の中で、アメリカの独立戦争、フランス革命で市民の権利、すなわち「男性の権利」になり、第二次世界大戦後1979年になってやっと女性の権利、1989年になって子どもの権利が出来たことも関係しよう。今女性は、しようと思えば、条件さえ揃えば、ある意味で男性と同じように何でも出来る時代になったのである。
 現在の男女平等社会の中で、男女の違いというのは、生物学的側面が中心で、女性の妊娠・分娩・(母乳)育児という、子どもの人生にとって極めて限られた短い期間しか問題にならないとさえ言える。服装ですら、女性の男性化が進んでいることからも言えよう。それが、男女平等、あるいは社会のあらゆる面での男女機会均等への大きな原動力になっているのである。
 したがって、妊娠・分娩・育児を支えるシステムを、家庭、社会のいろいろな局面やレベルで作り上げなければならない時に現在なっているのである。ハードなレベルでは、保育園の量的、質的強化など、子育てを支える社会施設の充実、ソフトなレベルでは、父親が積極的に育児休業のとれる制度や、向こう三軒両隣の人々との連携による子育てチーム作りまで、いろいろ考えられる。幸い多くのことは行われているようであるが、そうすることに対する考え方の問題が、まだまだ未解決と言える。すなわち、情報基盤の形成が必要と言える。
 ベネッセ次世代育成研究所の父親調査によると、育児休業制度を使った父親はわずか2.4%、使いたいけれど使えなかった父親が23%であると報告されている。社会通念として、父親が育児休業をとるということに関係する情報が、日本社会ではまだまだ浸透していないのである。したがって、情報基盤形成とは、妊娠、分娩、育児を支えるシステムに、それが自然に機能するよう「たましい」(魂)を入れることなのである。今、われわれはそれをしなければならない時にある。




長春の中国就学前健康教育研究集会に出席して
〜健康教育・食育の子ども学〜
 (2006/09/29)

 8月16日〜18日、中国東北地方の長春で、東北師範大学が主催した中国学前教育研究会 学前児童健康教育専門委員会第6回学術大会が開かれ、基調講演「子どもの健康、Child Scienceの立場から ― 就学前を中心に」を発表し、CRN主催の学前児童栄養と衛生保健分科会では、お茶の水女子大学子ども発達教育研究センターの榊原洋一教授と共に参加する機会に恵まれた。
 長春は吉林省の省都で、いろいろな意味で日本とは関係深い都市であり、仙台から飛行機で2時間足らずで行ける。仙台市とは姉妹都市でもある。時差もわずか1時間しかないので、大変楽な旅だった。
 8月16日午前、東北師範大学の講堂には300人足らず、大学教官、また幼稚園・保育園の先生方と思われる人々が集まり、開会式が行われた。それに続いて、上海師範大学教授であり、中国学前教育研究会の会長 朱家雄先生の特別講演に続いて、私が講演した。WHOの定義による通り、「健康」は単に病気のない状態だけでなく、身体的にも精神的にも、社会的にも良好な状態 well-being と考えるべきであって、それを考えるのに、一般論としては「人間科学」“Human Science”、子どもの場合には「子ども学」“Child Science”の立場となり、「子ども学」という、学際的、環学的、包括的な立場であると説明した。また、「子ども学」の柱となる「子ども生態学」の立場、「脳科学」の立場を述べた。子どもの健康は、成長・発達が指標として強い事と、可愛がられない子どもの体重問題、母性(情緒)剥奪症候群を事例によって説明した。日本における、子どもの健康をサポートするシステムとして、「子ども生態学」の立場から整理し、予防接種、育児相談、母子手帳などを紹介したが、そういったハードな面だけではなく、ソフトな面が重要であることを強調した。子どもの健康は、子どもが日々「あそぶ喜び」、「学ぶ喜び」を体験して、「生きる喜び一杯」“joie de vivre”になることが重要であることを「まとめ」として述べた。
 同日の午後は3つ程の分科会に分かれたが、われわれは、CRN主催の学前児童栄養と衛生保健の会に参加し、お茶の水女子大学子ども発達教育研究センターの榊原教授が、自らの調査をもとにして、食生活や睡眠のリズムと子ども達の行動問題の関係を話し合い、「食育」の重要性を述べた。私も子どもの「食育」が健康にとって重要なこと、3歳時点で肥満の子どもは、続いて6歳でも肥満の率が高いという、順天堂小児科のデータを紹介して述べた。3歳までは、母親や保育士の「食育」により、子ども達が母乳哺育からはじめて、食事のリズムを確立する必要があることを強調した。
 中国への訪問も、1970年代から10回を超えるが、東北地区は初めてであったので、いろいろな意味で良い思い出になった。




「メディア」社会と子どもたち (2006/08/11)

 最近、世の中では「メディア」は子どもの育ちに悪い影響があるという声を耳にすることが多くなった。それは、1999年アメリカ小児科学会から、続いて2004年日本小児科学会からも、小さい子どもには「メディア」にふれない方が良いとアピールしたことにも関係しよう。また、現代の子どもの心、行動、そして教育の問題、いじめや登校拒否から始まって、非行、虐待、犯罪、殺人などの多様な子どもの問題の多発も、そもそも「メディア」が関係すると憂慮している専門家も少なくないからであろう。しかし、それを完全に実証した研究となると、残念ながら殆どないと言える。それは、コホート研究、生まれてからの子どもの成長、特に心の発達と生活環境の全ての情報をフォローアップして分析して結果を出すしか学間的に方法が無いからである。現在、国内ばかりでなく世界各国でそれが始まったばかりなのである。

 医療少年院勤務の精神科医で、問題を起こした子どもを直接みている岡田尊司先生が、最近出版した「脳内汚染」(文芸春秋社)は、多くのことを教えている。この本を読んで、「メディア」のどこが悪いのか、自分なりに整理してみた。「メディア」とは、送り手と受け手を結ぶ媒体、すなわち新聞、雑誌、テレビ、ラジオ、映画、ビデオ、インターネット、広く取れば関係するゲームなどである。しかし、多くの人が悪いと言うのは、テレビ、ビデオ、ゲーム、インターネットなどの「新しいメディア」ということになる。1930年代の小学生の頃に、子どもの雑誌を読むと散漫になると母に言われて、私も禁止されたことがあったことを思い出した。雑誌も広い意味では「メディア」である。

 「メディア」が悪いと言っても、内容に関わらず「メディア」を通して遊んだり、学んだりすることが悪いのか、それを送っている内容、すなわち「コンテンツ」が悪いのかを区別しなければならない。前者は、どのような情報も「メディア」を通すと、自然なもの、リアルなものがバーチャルになるので悪いと考えるのであろう。後者は、「メディア」が送る「コンテンツ」、すなわち内容が悪いと、子どもの心の発達に悪いというのである。それは昔から言われてきた。その代表は、暴力や性の過激な描写、殺人、戦争などである。

 数年前になるが、日本小児科学会で、アメリカの研究者とシンポジウムが行われた時、アメリカの研究者は「コンテンツ」が問題であることを強調していた。日本の研究者は、乳幼児ではどのような内容であってもメディアは良くないとした。私が1980年代、NHK放送文化基金「テレビのある時代の赤ちゃん」の研究をしていた時は、悪い影響は殆ど無かった。最近問題になっているのは、赤ちゃんがテレビ放送の前に著しく長時間放置され、子育てがテレビ任せになっている場合に、そのような問題が出ると思われる。

 赤ちゃんが育つのには、母親の母乳、あるいはミルクの哺乳から始まる優しい生活の世話、そしてスキンシップや語りかけを介しての母子の心のふれ合いが必要であると言われている。「メディア」が「ふれあい」の時間を取ってしまうことも考えなければならない。したがって、乳幼児期の子どもにとって、あまりにも長時間「メディア」に暴露されることは、親子間の親密なふれあいによって育まれる心の発達に支障をきたす可能性は大きい。ゲームにのめり込んでいる子ども達は、共感性が乏しく、攻撃性が強く、現実逃避、活動低下、対人関係の消極性などが、国内外の研究者によって指摘されていることは、これに関係しているかも知れない。

 「メディア」の子どもの心の発達に対する影響を考える場合に、子どもが持って生まれる心と体の基本的なプログラムのひとつに「まねる」プログラムがあることも考えなければならない。1999年アメリカのコロラド州のある高校で起こった事件はそれを物語ろう。ふたりの生徒が鉄パイプ爆弾(幸い不発)と銃を持って校内に入り、芝生の上で弁当を食べていた生徒に向け、突然銃を撃ち始め、さらに校内に入り射撃し続け、46分間の阿鼻叶喚の中で、13人の生徒の命を奪い、24人を傷付けた事件である。その原因について論じ合った専門家達は、ふたりの少年が熱中したゲームにあると結論付けた。熱中したゲームのシナリオが、銃で次々で人々を血祭りに上げて、大量殺人するというものであったからである。このふたりの少年は、バーチャルな殺人ゲームを「まねる」心のプログラムを使って、リアルに実演してしまったのである。前頭葉の理性・知性の心のプログラムのコントロールが効かなかったのである。

 メディア」の陰の部分ばかり考えて来たが、これらの事例は、逆に「コンテンツ」が良いものであれば、また使い方を考えれば、子どもの心の発達に良い影響を与える可能性もあることを意味しよう。したがって、現在のような「メディア」社会では、子ども達の生活環境から、悪い情報を可能な限り取り除き、良い情報を導入する必要がある。子どもの脳を悪い情報の汚染から守らなければならないのである。そのためには、「子ども学」の立場に立って、「メディア」と子どもの心の発達の研究を進めなければならない。 ベネッセ次世代育成研究所では、小さな子ども達に対する「メディア」の使い方を検討し、「小さな子どもとメディア」としてまとめたので、是非参考にしていただきたいhttp://www.benesse-jisedaiken.co.jp/research/research_01.html




「揺さぶられっ子症候群」、その原因は虐待だけか (2006/07/14)

 京都で開かれた国際赤ちゃん学会前日の6月19日、「揺さぶられっ子症候群、乳幼児の発育を歪ませる災い」“Shaken Baby Syndrome (SBS)−A Tragic Deviation of Infant Development”というタイトルで、アップリカ育児研究会主催のプレカンファレンス・シンポジウムが開催された。わが国では、一般にSBSは余り良く知られていないが、アメリカでは「児童虐待」“Child Abuse”のひとつとして大きく取り上げられている。アメリカから4人、カナダから2人、日本から1人の研究者が発表し、大変意義のあるシンポジウムであった。

 首がまだ据わっていない乳幼児が、虐待などによって激しく揺さ振られたり、交通事故などの強い撃力で頭部が揺さ振られると、脳組織が障害されたり、血管が切れたりして、急性の意識障害や痙攣(急性脳症)、脳内の出血(硬膜外出血)、脳浮腫(脳組織の水分増加によるむくみ)、眼球の網膜出血、さらに頚部損傷などの障害を起こす。乳幼児が揺さ振られることにより、頭蓋骨と柔らかい脳組織や特殊な血管構造との関係で、このような組み合わせの症状が発現することをSBSと呼ぶのである。

 アメリカでは1950年代頃から、身体的虐待で新旧の多発骨折の共存状態を起こす、 “battered child syndrome”が問題となった。その後、親がきちんと子育てをしない「ネグレクト」、「心理的虐待」、そして「性的虐待」が増加すると共に児童虐待は多様化して来た歴史がある。さらに、SBSが加わって、今や児童虐待は“Child Maltreatment”と呼ばれるようになっている。

 確かに、泣き止まない赤ちゃんは、軽く揺すったりすると泣き止むこともあるが、SBSを起こすような場合は、親もイライラしたり、キレたりして、わが子を激しく揺さ振ってしまうので、このような悲劇が起こるのである。特に出生後から半年くらいまでは、わが国では「夜泣き」、欧米では、“colic”「コーリック、疝痛」と呼んで、はっきりとした理由もなく、赤ちゃんが激しく号泣して、なかなか泣き止まないことがある。カナダのBarr教授は、これを“PURPLE Crying”と呼んでいる。文字通りに訳せば「紫の泣き声」とされるが、“PURPLE ”のPは“Peak of Crying”(経過を見るとピークがある)のP、Uは、“unexpected”(突然)のU、Rは“resist to soothing”(なだめても止めない)のR、Pは、“pain-like face”(痛そうな顔)のP、Lは、“long lasting”(継続する)のL、Eは“evening”(夕方)のEである。これは健康な子どもに普通に見られる赤ちゃんの泣き行動で、昔から多くの小児科医によって研究されてはいたが、原因が充分に解明されたという訳ではなく、その知識の普及は充分でない。

 “PURPLE Crying”は、出生後からはじまって、生後3〜4ヶ月でその頻度(時間)がピークになり、除々に低減するものの、半年程は続くものである。面白いことに、モルモット、ラット、サルなどの動物にも出生直後のこのような泣き行動は見られ、人間に近いチンパンジーにも当然見られているそうである。

 SBSの発生頻度のカーブを見ると、その発生ピークは、“PURPLE Crying”の発生ピークの少し前の生後2〜3ヶ月にあり、“PURPLE Crying”のパターンとほとんど同じである。したがって、SBSと“PURPLE Crying”の関係は深いと考えられるのである。それと関係してカナダからは、生まれて間もない赤ちゃんなら“PURPLE Crying”は当然見られるもので、決して揺さ振ったりしないようにということを、親に積極的に教育することによって、SBSの発生頻度を激減させることに成功したという報告があった。

 なぜ“PURPLE Crying”が起こるかの原因は、前述のように不明な点が多い。しかし、多くの小児科医は、胎児期に徐々に作られている生体リズムが、出生後ある期間経てば、「概日リズム」“circadian rhythm”になって、ホルモンの分泌・血圧変動・体温などが、約1日のリズムで起こるようになると考えられている。出生後、赤ちゃんの睡眠はレムとノンレムにわかれ、覚醒している時間のリズムが作られることから、日照リズムと体内リズムが徐々に同調するようになる。

 われわれ成人でも、東京からニューヨークに飛行機で飛べば、東京の朝昼晩の日照リズムに合っていた生体リズムがニューヨークの日照リズムと合わずに時差ボケを起こし、いろいろな身体的な不調を起こす。人によるが、生体リズムと日照リズムが合って時差が消えるのに最低2〜3日はかかるのが普通である。老人ならもっとかかるし、時差ボケも強い。赤ちゃんはさらに時間がかかるのである。出生前、日照リズムのない胎内で生活していた赤ちゃんは、睡眠のリズムを含め、自らの生体リズムを日照リズムにうまく合わせるようになるまで、生後半年近くかかり、調子が悪いと“PURPLE Crying”が起こると考えられるのである。

 このシンポジウムで発表した、日本の小児科医がSBSを起こした赤ちゃんを調べてみると、虐待とは直接関係しない事例が少なくない事を発見した。すなわち、子どもをあやしたりして、強く運動させているうちにSBSが起こっているというのである。父親は、子どもを遊ばせている時、特に喜んでしまうので、つい力強く揺すったり、場合によっては空中に飛び上げさせたりすることもあって、SBSの悲劇を起こすこともあるという。この学会では発表されなかったが、ランドクルーザーなどの荒い運転で、長時間車に乗っていた赤ちゃんがSBSになった例も報告されている。しかし、アメリカの研究者によれば、子どもと一寸した遊び、例えば「高い高い」、赤ちゃんをおんぶして遊ぶ、ジョギングをする、ひざの上でピョンピョンさせるくらいでは、SBSになった事例はないと報告した。しかし、SBSは、子どもの成長・発達を損なう結果になることを忘れてはならない。重度脳障害ばかりでなく、失明、麻痺、けいれん発作、運動障害、学習障害、認知障害、行動障害などが後遺症として問題になっているのである。首の据わっていない赤ちゃんの扱いだけは、充分注意してもらいたいものである。




京都で開催される国際赤ちゃん学会の開催を祝う (2006/06/16)

 「日本赤ちゃん学会」(JSBS)は、1997年に発足した「乳児行動発展研究会」が、2001年に学会となったもので、設立5年目である。2年程前から始まった、通称国際赤ちゃん学会(International Society on Infant Studies)との交流の成果が実を結び、この6月20日から22日の3日間、京都で国際学会を共催することになった。プレカンファレンスとして19日には、児童虐待とも関係する「揺さぶられっ子症候群」、23日午後には、産経新聞と共催で毎年行っている公開シンポジウムも開催される。その詳細は学会事務局(http://www.crn.or.jp/LABO/BABY/index.html)に譲るが、1970年代から赤ちゃん研究に関心を持ち、JSBSの小西理事長と共に学会を立ち上げた者として、大変嬉しく思う。心からお祝いすると共に、この機会に、その意義を考えてみたい。

 まず、免疫学・アレルギー学に関心を持ち、アカデミックな立場を歩いて来た私が、何故「赤ちゃん学」に興味を持ったのか、個人的な話から始めよう。1960年代末に大学紛争が起こり、豊かさが確かになりつつあった当時から、何か社会にガタが見え始め、閉塞感が出始めた事を皆さん覚えておられるであろう。子どもの虐待問題から不登校、いじめなどの教育問題など、いわゆるchildren’s issuesが多様化すると共に多発するようになってきた。勿論、「育児学」・「保育学」・「教育学」・「医学」と、様々な学術体系の中で、多くの人達が関心を持ち研究しているが、解決されていない。しかも、何か的外れではないかとさえ考えられる。小児科医としては、当然「育児学」に関心を持つが、それも、科学的な基盤が無いのではないかと感じていた。

 そのような時に、親の語りかける声のリズムに、生まれたばかりの赤ちゃんでも、手足の動きを引き込まれて同調させるというコンドンの論文を読んで、学問的な関心を持ったのである。コンドンの論文は観察に基づくもので、批判もあったため、もっと定量的・科学的に証明出来ないかと考えた。幸い親しい情報工学者 石井威望教授、その門下生、関心を持ってくれた医局員と私とでチームを組むことが出来た。母親が優しく語りかけている赤ちゃんのビデオを撮って、その手の動きを画像分析したところ、リズムの同調を数値的に証明することが出来た。

 これが始まりで、赤ちゃん研究に入ったが、小児科領域の研究者からは、余り反応がなかったが、70年代・80年代の欧米では、ボルビーの影響を受けて、赤ちゃん研究が花盛りであった。オランダのプレヒテル教授のもとで学んだ、小西行郎教授が、ある日「日本乳児行動発達研究会を作ろう」と私の前に現れたのが1996年、第1回の研究会が開かれたのは1997年なので、もう10年前になる。それが5年前の2001年に、日本赤ちゃん学会(JSBS)に発展したのである。

 ISISは、10年程前にブラウン大学のLewis P. Lipsitt教授によって設立されたものである。JSBSは“Infant Studies”を、「赤ちゃん学会」という名前にしたが、それは、学際的に多くの専門家に集まっていただきたいと思ったからである。乳児学では、何か医学との関係が強いように響くが、「赤ちゃん学」という名前には、その裏にある学術体系が何であるのか分かりにくい。そのお陰で、医学や心理学関係などの研究者ばかりでなく、ロボット工学、情報工学、さらには霊長類学の研究者も加わったため、ISISより学際的になったと言えよう。

 2年程前の新・赤ちゃん学会国際シンポジウムで来日された、ISISカンポス現会長も、JSBSのあり方に驚かれると共に、高く評価されたようである。それが基となり、ISISとJSBSとの交流が始まり、この度の京都の学会に開花したのである。京都で開催される学会は、JSBSの発展に大きく寄与することは間違いなく、日本の研究者の国際的発展にとっても大きな機会になるに違いない。学会のプログラムを見ると、展開如何によっては、世界の赤ちゃん研究の新しい転機になるかも知れない。学会の開催が待たれる。




アメリカ陸軍座間キャンプにサムス軍医准将の名前を冠したヘルスセンターが誕生 (2006/05/19)

4月14日、第二次世界大戦後にマッカーサー元帥の指揮のもと日本を占領統治した連合国軍総司令部(GHQ)の公衆衛生福祉局長であったサムス准将(Crawford F. Sams)の業績を称えて、アメリカ陸軍の座間キャンプのヘルスセンター(外来診療所)に「サムス准将米陸軍ヘルスクリニック」とその名を冠した施設がオープンした記念式典に参加する機会があった。

 サムス准将は終戦直後の1945年8月30日に来日したので、恐らくマッカーサー元師と一緒に飛行機で厚木基地に来られたのであろう。サムス准将は1951年に帰国するまでの6年間の滞在中に、マッカーサーの占領政策を実行するため、伝染病の予防対策、学校給食の開始、保健所制度の拡充などの施策を実施した。在日中、アメリカ陸軍のため、特に朝鮮戦争の時には戦っているアメリカ兵士の多くの命を救ったが、GHQの民間政治にも関係し、特に公衆衛生・福祉部門を担当して、日本政府の厚生省と連携しながら、多くの日本人の命も救ったのである。現在わが国が、子どもから大人まで、高い水準の健康を維持できるようになったのは、サムス准将が医学教育・医療・歯科医療・公衆衛生・疾病対策・薬事行政などの健康に関係するあらゆる分野に広く貢献したからである。

 サムス准将が活躍した時代は、私にとっては、戦後の旧制高等学校で勉強し、医学部に入って2年程までの間であった。したがって、医学知識がもう少しあれば、彼の業績をもっと深く理解出来たかも知れない。まず思い出すことは、GHQの指令で、町中の人々にDDT(殺虫剤)を吹き付ける活動が行われたことである。すなわち、発疹チブスを予防するため、それを媒介するシラミを除去したのである。当時は、住むところも食もなく、東京のあちらこちらにあった闇市はゴミゴミしていて、町は発展途上国の下町のような感じであった。上水道・下水道もなく、勿論入浴することも出来ず、井戸水で生活する不潔な状態で、伝染病・下痢・呼吸器感染症・ポリオなどが多発し、子ども達の多くが死亡していったのである。そのような対策のひとつとして、DDT噴霧が行われたのである。子ども達の頭髪がDDTで白くなっている写真を今も思い出す。

 栄養状態が悪ければ感染を起こしやすい。日本政府が、子どもの命を救えないならGHQがやりましょうと、学校給食の質の向上にも貢献したのがサムス准将であった。現在の良い給食制度は、サムス准将と文部省の話し合いの結果と言われている。当時はアメリカから持ち込んだ「小麦粉」のパンや「脱脂粉乳」が加えられ、エネルギー源・蛋白源として子ども達の健康の向上に大きく寄与したのである。

 わが国の保健所は、戦前イギリスの制度を模して作られたものであるが、サムス准将は、公衆衛生機能、衛生教育機能などを強化し、新しいタイプの保健所にすることにも力を尽くした。それが基盤となって進展し、現在のようになったのである。

 サムス准将は、原始爆弾の被害の調査にも関係したようであった。日本政府は戦後、東大の都築正男教授が中心となって、いろいろな立場の医者が調査を行いまとめた。勿論、その結果はアメリカにとっても重要で、調査団が来日し、ABCC研究所まで広島に来たのである。どれだけダメージを与えられたか効果を知りたいという立場と、人々の健康被害についても知りたいという人道的な立場からもあったに違いない。サムス准将は、人道的な立場を重視したようであるが、GHQ内の上の立場の者が、その公表を阻止したと言われている。サンフランシスコ条約後に、その報告書はやっと見られることになり、また、英訳もされたのである。

 サムス准将は、戦勝国としての利害はさることながら、医師としての人道的な立場を尊重したGHQの軍医総監だったと言えよう。ある意味で、日本人にとって、特に、当時の子ども達にとって、戦後彼が日本にいたことは、幸いだったのではなかろうか。




イギリスの“Child Studies”とノルウェイの“Child Research”
「子ども学」“Child Science”こそがその理念基盤
 (2006/04/14)

 この20年ほどイギリスの小児科学会の名誉会員として、学会関係の活動に関する資料を毎月戴いている。この数年、“Child Studies”という言葉が目に付くようになった。イギリスのKing’s Collegeでは、“Child Studies”でMasters Degreeが与えられると言う。このKing’s CollegeのChild Studies Programでは、幅広い多様な小児期の問題“childhood issues”を、現在の政策や社会対応などの中で、医学、看護・助産学、法学、社会科学、心理学、公共政策科学などの学術体系の立場で理解し、特別な問題についてはそれぞれの異なった学問や教育体系の中で育てられた専門職が持っている将来の見通しや考え方をお互いに理解し共有することを目的としている。“multi disciplinary and holistic approach”と呼ばれるものである。これこそ私達の考えている「子ども学」“Child Science”が基盤理念になっていると思うのである。

 1992年にノルウェイのベルゲンで開かれた“children at risk”「危機にある子ども達」というテーマの国際会議に招かれて、社会文化も含めた“Child Ecology”「子ども生態学」というタイトルで特別講演を行った。その際にNorwegian Center of Child Researchという存在を知った。“Research”は研究・調査の意であるが、その基盤理念が「子ども学」であると思った。

 イギリスの“Child Studies”も、ノルウェイの“Child Research”も、その基盤には、私の考える“Child Science”が共通理念としてあると思う。日本語にする時は、全て「子ども学」にするようにしている。5年程前まで、「子ども学」を講義していた神戸の甲南女子大学に、「国際子ども学センター」をつくったが、英名は“International Center for Child Studies”にした。中国語での「子ども学」の呼び名は「孩子学」などいろいろ考えた結果、「児童科学」に落ち着いた。もっと「くだけた」ものにしたかったが、それぞれの文化によって語感が異なるので、仕方がなかったように思う。アメリカの子ども問題の研究者の間では、“Child Science”という名称は、“acceptable”のようであった。「国際乳児行動発達学会」は、今年京都で「国際赤ちゃん学会」として開催される。「赤ちゃん学」、「子ども学」という言葉は特定の学問の匂いもなく、皆が平等に参加出来ると思うのである

 “Child Science”、“Child Research”、そして “Child Studies”の発想は、CRNをご覧になられている方々ならすぐに理解されよう。現在の子ども問題は、従来の学問体系では解決出来ないと考え、関係する学問を学際的あるいは環学的に統合・包括しようというのである。関係する学問を医療関係から考えてみるならば、小児科学、小児保健学からはじまって、その他の関連する学問では、発達心理学、小児行動学、小児社会学などといろいろ出てくる。子どもに関係する学問(科学)なら、自然科学であろうと人文科学であろうと、皆一緒に合わせて考えればよいのである。私達が初めて書いた「子ども学」の本も、心理学・文化人類学・教育学・小児保健学・小児科学を柱にした。

 「子ども学」は集(多)学的、学際的、環学的な文理融合科学と言える。「子ども学」という発想を、なぜ私が持ったかというと、1971年文部省の命により、世界の医学教育の視察をしたことに始まる。そこで学んだことは、従来の基礎医学が、解剖学・生理学・生化学などの専門分科学術体系ではなく、それを人間という視点、患者あるいは病気という視点でまとめられて、「人間生物学」「人間科学」として教えられていることであった。要素還元主義を取り込み乗越えて、統合的・包括的に教えられるのである。それを見て、正に目が開かれる思いであった。「子ども学」は、子どもの「人間科学」と言える。

 こういった新しい科学の流れを、その後もいろいろな機会に学び、子ども問題の解決にも、それが必要と考えた。小児医療の現場を見れば、感染症や栄養障害などの生物学的な病気(bio-morbidities)より、肥満や不登校など、多様な要因が関係する心身の複合病態による病気(co- morbidities)の方が、現代では深刻なのである。小児科学も、その問題解決に必要なものが、“Child Studies”であり“Child Research”であり、その基盤理念として“Child Science”であると思うのである。

 “Child Science”が、われわれによって取り上げられ、「日本子ども学会」“Japanese Society of Child Science”が数年前より走り始めていることは、極めて意義高いものと考え、今後の展開に期待していきたい。




「食育」のチャイルドケアリング・デザインを皆で考えよう (2006/03/03)

 現在の日本の食生活は豊かであるにも関わらず、子ども達の食生活が大きく乱れている。私の子ども時代、昭和一桁の頃の食生活は貧しいものであって、何時も空腹という感じでしかなかったが、食べるものは全て「おふくろの味」で、楽しいものであった。

 現在、デパートの地下食品売り場に並んでいるような、有名レストランや料亭の料理などは、当時は全く想像も出来なかった。家庭外で料理されて、購入できる食品といえば、肉屋さんの「トンカツ」「コロッケ」くらいで、それも「ハレ」の機会だけあった。思い出すのは、小学生の時の運動会の「かけっこ」で、初めて三等賞をとった時、お祝いの夕食に「トンカツ」と「上コロッケ」(挽肉の多い)を買って来ることになり、肉屋さんの店頭で腹を空かせながら出来上がるのを待っていた時の、油で揚げる匂いである。

 「おふくろの味」と言えば、まず「じゃが芋のバター炒め」が思い浮かぶ。「じゃが芋」が好きだったからであると思うが、母親がよく作ってくれた。当時、バターは贅沢な物のひとつで、母親が栄養を考えて、油に少し加えたものであったと思うが、風味は格別なものになった。弁当というと「鮭」が思い出される。母親は、弁当箱にご飯を山盛りにし、その上に焼いた鮭の一切れを乗せ、蓋でギューっと閉める。やがて昼が来て、蓋を開けた時プーンと漂う鮭のあの匂い、そして塩味と鮭の味が滲み込んだご飯の味が懐かしい。特に冬には、教室にストーブが入り、その周りに生徒各人の弁当が置かれ、昼には暖かくなっていた。暖かい弁当は、味も匂いも、また格別であった。

 今になって「食育」という立場から考えてみると、そのような貧しい食生活の中でも、常に母親の姿があったことは、それなりに大きな意義を持っていたのではなかろうか。また、家庭の食事と言えば、小さなちゃぶ台を家族一同が囲んで座り、一緒に食事をするのが一般的であった。「孤食」はなかった。食事の始めには、必ずお米や野菜を作ったお百姓さんに、また、料理された生き物の命に感謝する気持ちを「いただきます」と言って表すように教えられた。私の父は熱心な仏教徒だったので、食事の前には仏壇に必ず手を合わせていた姿も思い出す。そこには宗教教育もあったのである。当時の「食育」は家庭で、親によって行われていたのである。

 子ども達の食の乱れを直そうという先進的な運動によって、昨年6月に「食育基本法」が成立した。多くの人々がそれによって子ども達の食生活や食習慣の立て直しを始めている。しかし、どのようにするのが良いかとなると、答えはなかなか難しいのではなかろうか。「食育」を昔の価値観で考える事が無理なことは、どなたでも理解されよう。「子ども学」“Child Science”の発想で、「食育」を「チャイルドケアリング・デザイン」しなければならないのである。子どもの「食」に関心を持つ、研究者・実践者が一堂に会して話し合い、学際的・環学的・包括的な立場から問題を分析し、より良い道を探って、子ども達の立場を考えたデザインをしなければならないと思うのである。

 一体全体、「食」をめぐる子ども達の現在の問題は何であろうか。小児科医としては、望ましくない食習慣による肥満の問題がまず気になる。それによる糖尿病の若年化、また予備軍の増加である。さらに、思春期の女子に多い、拒食症による痩せも気になる。また、欠食や偏食、そのような状態を起こす家庭環境は、非行や暴力につながる可能性も否定出来ない。さらに、虐待による、食欲の失調、過食や拒食の問題も考えなければならない。子ども達が居場所を失った事により、ひとりで食べる孤食も大きな問題である。そのような子ども達の多くは、現在、食べる喜びをなくし、生きる喜びも失ってしまっているのである。

 「食育」には、「分かっちゃいるけどやめられない」あるいは「出来ません」的な部分が大きいのである。子ども自身が自ら決め、納得して自分で良いことをやり抜けるよう大人が教えなければならない。「食育」の場で教えた良い行動を、どのようにして維持するか、継続させるかが重要で、その支援法も研究しなければならないのである。

 幼稚園・保育園、そして学校での給食、さらには子ども達自身による料理の果たす「食育」の役割は大きい。工夫すれば多彩な教育が可能なのではなかろうか。それこそ、食事の味を教えることから始まって、食文化まで子ども達に教えることが出来ると思うのである。中学校では、適切な食事量を知るために、糖尿病の食事のエネルギー計算のやり方を教える、さらには物理学・化学・生物学・数学などとも組み合わせて「食育」をするなどが出来ると思うのである。食育の授業は、「総合的な学習」のプロトタイプのひとつと言える。

 現在の親達は、食事や食事作りの知識を持っていない人が半分以上になっていると言う。親に教えて、子どもの食生活を改善する方法を取ろうとしても、おおむね不可能であろう。そういった意味で、給食や料理の役割は大きく、もっと進めるべき方法であると思う。給食の時、調理実習の時、何を教えたら良いか、そのカリキュラムを作ることが「食育」のチャイルドケアリング・デザインの柱であろう。その全ては、味覚・嗅覚・食欲から始まって咀嚼まで、食べるという人間的な営みは、どのようなメカニズムによるかを、まず基盤として始めなければならないと思うのである。




少子化社会の「子ども学」、より良い次世代育成のあり方を求めて (2006/02/03)

 「少子化」がわが国で問題になって久しい。2002年度の合計特殊出生率が1.32になった1.32ショック以来である。ついに昨年から人口減少社会に突入したことにより、日本の社会基盤は崩れ、国の未来が危ぶまれると言う。ご存知のように、この問題は、多くの人たちによって論じられているが、それを「子ども学」“Child Science”の立場から捉えて、論じようとする人は殆どいないと思う。ここで言う「子ども学」の立場とは、簡単に言えば、学際的さらに環学的に子どもを中心に考える科学を統合し包括した体系である。この機会に、より良い次世代育成の在り方を求めるために、「少子化社会」を「子ども学」の立場から考えてみたい。

 「少子化社会」を「子ども学」の立場から考えるとは、「少子化」を直接あるいは間接に論じている人々の依って立つ学問的な基盤を縦横に並べてつなげ、環のようにして、科学の新しいパラダイムを創出して、この問題を従来にない視点から捉えようということである。それは、とりもなおさず、子どもの人間科学“Human Science”の立場から考えることである。子どもは「生物的存在」として生まれ、「社会的存在」として育つ以上、また、「少子化」社会にも「生物的側面」と「社会的側面」の二つがある以上、少なくとも医学・生物学を中心とする自然科学と、社会科学・文化人類学などの人文科学を統合し包括しなければ「子ども学」は成り立たない。さらに、いろいろな立場の人たちが「日本子ども学会」のような話し合いの場をもてば、必ずや新しいパラダイムが、自己組織化され創出されものと思われる。

 「少子化」は、次世代を育てるべき人々が結婚せず、子どもを生まなくなったことが原因であることは明らかである。結婚し、子どもを生むという人間の営みは、人間の「生物的側面」であり、結婚生活を営み、子どもを育てるということには「社会的側面」が深く関係する。この「生物的側面」には、人類進化の中で得られた人間の脳の中にあるプログラムと関係すると考えられ、それは生活の場からの情報で働くものである。情報には「理性の情報」(logical information)と「感性の情報」(sensitive information)があるが、「生物的側面」には、後者の影響が強いことも明らかである。政府が、単に保育施設や児童手当のようなものを充実させても、「少子化」に歯止めがかからないのは、優しさで代表されるポジティブな感性の情報が、現在の社会で希薄になってしまっていることが原因のように思われる。「少子化」問題は、子どもの虐待をはじめ、育児・保育・教育の問題で関係者が共通の基盤を有し、次世代育成を考えていく必要があると思われる。

 「少子化」は、人間生態的な現象であり、豊かな社会で起こることは、他の先進国、さらには急速に先進化する国に見られることからも言えよう。このような社会は、情報が過多になり、生活が繁忙を極め、人間関係が希薄になるため、人間の「生物的側面」を構成する脳のプログラムが円滑に作動しないのではなかろうか。したがって、全ての出発点は、優しい社会を取り戻すことにある。

 「少子化」の要因を探り、その対策を立てるには、「子ども学」が重要なことは明らかであり、それをもとに、次世代育成のため、ペアレンティング(親業)をはじめ、育児・保育・教育のより良いあり方を求めることにも、当然のことながら「子ども学」が重要なのである。ベネッセコーポレーションの中に、この度「ベネッセ次世代育成研究所」が設立されたが、上述の立場から、CRNがこの10年間求めて来た「子ども学」を柱として、その中心に据えたい。




「コホート研究」は、今「子ども学」でも大きく発展している (2005/12/09)

 子どものコホート研究が現在、世界的に問題になり、あちらこちらで大きく広がっている。「コホート」“Cohort”とはそもそもローマの歩兵隊のことで、歩兵軍団の10分の1の、300人から600人の兵士の集まりである。疫学研究では、共通した特性を持った集団のことを指している。したがって、コホート研究とは、ある地域なり集団から研究目的にあった特性を持つ適当な数の人を集め、それをある期間に渡り、ひとりひとりに、何が、どの様に影響するかを調査する研究である。

 1980年後半、アメリカでは、保育園などによる子育てが活発になり、子育ての在り方の問題が大きくなった。わが国も同じである。事の重要性を考えたアメリカ政府は、アメリカのNIH内のNICHD(小児保健人間発達研究所)に研究費を出し、1990年代初めから全米10程のセンターで、医師、保健士、心理学者、教育学者などの専門家が、生まれたばかりの子どもひとりひとりの成長・発達を追う調査研究を行っている。いわゆる「早期保育研究」である。

 私がこの研究を知ったのは、CRNで行った国際会議でお招きしたブラウン大学のLipsitt先生のお話からであった。その後、機会があって2000年にNICHDのコホート研究の中心であるSarah Friedman先生をお招きし、お話をお願いした。(参照:21世紀の子育てを考える 働く母親を支援するチャイルド・ケア〜米国NICHDの研究から学ぶ〜

 NICHDのコホート研究はわが国でも、子育てや子ども問題に関心を持つ者にとって強いインパクトを与えた。「3歳までは母親が育てなければならない」「0歳児保育は子どもの人格形成に悪いのか」「キレる子どもは、幼い時のテレビの過剰視聴が原因」などなど、専門家も親も、子どもに関わる人なら誰でも気になることであるが、純粋に学問的に言えば、当時の答えは無かったのである。それらは、コホート研究によって出さなければならない答えなのである。

 NICHDのコホート研究に続いて、NHK放送文化研究所で「子どもに良い放送」プロジェクトという、ほぼ同じ大きさのコホート研究がわが国で始まった。テレビやメディアを見すぎると、子どもの「心の発達」に悪いという考えに対する答えを出すと同時に、子どもに良い放送とは何かということに対する答えも教えてくれるものでもある。

 これに遅れること3年、文部科学省は、子どもの「体の成長」と「心の発達」にとって、どのような社会因子が関係するのかを、脳科学の基盤に立って行うコホート研究が始まり、現在パイロットスタディの段階に入っているところである。アメリカに遅れること10年以上であった。現在、日本小児科神経学会、日本赤ちゃん学会の多くの会員や関係者がこのプロジェクトに関係している。

 この11月27日、28日に、日本赤ちゃん学会と産経新聞が共催して、「子育てを科学する」というタイトルで、第4回日本赤ちゃん学会・国際シンポジウムを東京で開催し、最新のコホート研究の動向が報告された。

 それに続いて、11月29日は、独立行政法人 科学技術振興機構が、第1回目の国際シンポジウム“The First International Symposium on Cohort Studies based on Brain Science”を国連大学で開催した。日本のコホート研究に関係する研究者の発表と共に、NICHDのSarah Friedman先生、ハーバード大学教育学部Kart Fischer教授が発表され、大盛会であった。

 何と言っても、NICHDのSarah Friedman先生の研究成果は関心を引いた。0歳児保育でも、幼児・学童期までの追跡では、特に問題は無いというのである。ただし、母子関係がきちんとしている、母親がわが子を可愛いと思い、子どもも母親に愛着があり、保育士や保育施設の質が良いこと、保育時間が余り長くないこと、保育士が頻繁に代わらないことなどが条件であると理解された。

 ハーバード大学のKart Fischer教授の講演では、子どもの「心の成長」「体の発達」は、決してひとつの単純な線で進むものでなく、それぞれの能力の発達を見ると、上ったり下がったりと、折線になって進んで行くことを話された。それは、脳の神経が伸びて、次の神経細胞に繋がり、枝分かれしたり、繋ぎ目のシナプスが無くなったりして、脳は神経細胞のネットワークを組み変えながら大きくなり、機能も複雑化するということを見れば、なるほどと言える考えである。

 日本赤ちゃん学会の国際シンポジウムでは、Fischer教授の他にスコットランドから来日したダンディ大学のPeter Wiliatts先生が、胎児・乳幼児には、長鎖不飽和脂肪酸(LCPs)を与えると、認知力や記憶力の発達が良くなるというデータを発表された。その昔、子どもの頃に肝油を飲まされたことを記憶しているが、肝油の中の有効成分がそれなのである。

 この11月に開かれた会議は、当然のことながら、いろいろな意味で「子ども学」と深く関係があり、「子ども学」を展開しつつあるわれわれに示唆するところ、極めて大であった。注目すべきは、子どものコホート研究は、わが国ばかりでなく、ヨーロッパの国々などでも行われ、全世界的なものである点である。NICHDは、毎年子どものコホートスタディの国際会議を開催している。




上海にも「子ども学」を広めよう (2005/11/11)

 10月22日に成田を飛び立ち、翌23日に中国の上海で開催された、中国上海福利会 宋慶齢基金主催の「多文化社会の中で育つ子ども達の幼児教育」というテーマの国際シンポジウムに出席して、24日に帰国するというトンボ帰りの旅をした。飛行時間は、行きは2時間半、帰りが2時間一寸、時差1時間という遠くて近い中国の都市なので、この様な旅も何とか可能である。その上、上海は緯度から見れば鹿児島の一寸南、したがって気候も東京とほぼ同じである。ただ、私が滞在した時は東京より少し涼しく、秋が深いことを感じた。

 さて、シンポジウムでは中国各地より選ばれた幼時教育に従事している先生方約300人が集まり、日頃の研究成果を発表し、カナダ、オーストラリアからなどもゲストスピーカーが、教育的な講演をなされた。私にも是非ということで、〈“Joie de Vivre” is Essential for Children, Anywhere and Anytime. Child Science of Emotion〉「子どもにとって生きる喜びは、いつでもどこでも大切なもの」というタイトルでお話させていただいた。

 子どもの体が成長し心が発達するには、日々の生活の中で子どもが「生きる喜び」、「学ぶ喜び」そして「あそぶ喜び」をいつでもどこでも持つことが必須である。小児科医が、診療現場で診る「情緒(母性)剥虐症候群」などの事例を見ればそれは明らかである。ヨーロッパでは、中世の時代から「孤児院の子どもは、どんなに栄養が良くても育たない」、「赤毛のアンは皆に可愛がられるので良く育つ」と言われてきた。われわれは、その昔から子どもが育つには「生きる喜び一杯」になることが必要であることを、どの様な社会でも知っていたのである。

 しかし、それはどの様なメカニズムなのかと言うと不明な点が多い。最近は血中の成長ホルモンを測ることができる。すくすく育っている子ども達は睡眠中に、成長ホルモンが血中にピューピューと分泌される一方、愛されない、可愛がられない子ども達ではその分泌低下が見られることが証明されている。「生きる喜び一杯」になれず、生体リズムが狂うことが原因とされている。しかし、何故リズムが狂うかは脳科学的には充分説明されていない。

 子どもの心と体の関係を説明するのには、人間の脳は「生命脳」、「本能・情動脳」そして「知性・理性」から成るという脳の三位一体学説が良いと考えている。人間の脳の原型は脊椎動物になってから出来たと言われる。脊椎動物で最も原始的な爬虫類や魚の脳は、呼吸・循環・運動などの限られたプログラムだけを持った「生命脳」と呼べるものである。

 進化が進み、原始的な哺乳動物になると、「生命脳」の働きを強めるために、本能とか情動の心のプログラムを持った皮質(脳表面の薄い膜)が「生命脳」をカバーして、「本能・情動脳」になったのである。食欲・性欲のような本能のプログラムは、生きるため、子孫を残すのに大きな役を果たし、怒りや恐れ、喜びや愛などの情動のプログラムは、生命競争の中で、自らの生命を守ったり、仲間との親しい関係を作ったりするために必要だったのであろう。この様な脳は、「本能・情動脳」と呼ぶことができ、たくましく生きる力を作り出す脳なのである。

 さらに進化して高等哺乳動物になると、「本能・情動脳」や「生命脳」を上手く働かせ、生活環境の自然と上手く適応し、仲間との親しい関係ばかりでなく、他の種の動物といろいろな関係を保って生きるため、理性や知性のプログラムを持った新しい皮質が、「本能・情動脳」をカバーした。これは、「理性・知性脳」と呼べるかもしれない。さらに大脳皮質全般、特に前頭葉のそれがより良く発達したものが、われわれ、人間の脳という事になる。

 したがって、われわれの脳は「生命脳」、「本能・情動脳」、「知性・理性脳」という3つの脳から成る三層構造をしているといえる。その中央にある「本能・情動脳」が、生命のプログラムをコントロールしたり、理性・知性のプログラムを働かせたりして、「生きる喜び」のような情動をつかさどっていることは、脳進化から見れば当然と言えよう。

 しかし、こういった「生きる喜び」のプログラムを働かせ、心を育てるには、育児・保育・教育の社会技術としてのいろいろなやり方が必要である。より良い技術を考えるには、脳科学だけでなく、心理学・教育学・小児科学など、学際的に考えなければならない。それを考えるのが「子ども学」であることは、CRNをご覧になっている皆さんもお分かりであろう。

 多文化社会では、子ども達は日々の生活の中で、程度はいろいろでも、言語や習慣の問題で、苦しみ悩むことが多いことには違いない。したがって、幼児教育も子どもを考えるチャイルドケアリング・デザインが必要なのである。中国の方々にとっては、このように教育を理論的に考える必要もあると思われた様である。

 昨年訪問した北京でお会いした先生方、また今年の「日本子ども学会学術集会」に出席された中国の先生方の「子ども学」に対する反応は良かったので、上海でもこの考えを広げるため、今後とも運動を展開しようと思いながら帰国の途に着いた。




「多文化社会と子ども達」
〜日本子ども学会第2回学術集会は新しい展開を示した〜
 (2005/10/14)

 日本子ども学会の第2回学術集会は、「第2回日本子ども学会議」として、この9月3日、4日に、東京大学医学部鉄門記念講堂で開催された。参加者は会員も含めて300人を超え、会議のプログラム内容も素晴らしく、現代の国際化が進む社会を考えるのに意義があったと思われる。

 第1日目は、東京学芸大学 佐藤郡衛教授の基調講演「多文化に生きる子ども達」に続き、 特別講演として東京大学 酒井邦喜教授が、「第二言語習得と子どもの脳」、東京女子医科大学 岩田誠教授が、「言葉を失う脳」などの講演をされ、外国語を学ぶとき、脳はどのように働いているのかを知るのに有用な講演が多くあった。第2日目は、「在日外国人の子どもの現状と支援」をテーマに、シンポジウムが行われ、日本で生活している在日外国人の子ども達の保健や教育に関係する問題が論じられた。

 多くの興味深い講演があった為、それぞれの発表について論ずることは困難であるが、現在、多文化が進展しているわが国の社会には、多くの問題があることは明らかである。特に日本人でない日本で育った子ども達をどの様に扱うかの問題は、少子高齢化が進むわが国の問題と深く関係していることも考えなければならない。

 この問題を考えるに当たり、「子どもの権利」を基盤にすることは、この会議でもしばしば論じられたが、極めて重要である。第二次世界大戦では、多くの女性や子ども達が不幸にして戦争に直接巻き込まれ、命さえも失うことになった。この様な体験こそが、第二次世界大戦後、国連が「女性の権利」、続いて「子どもの権利」の条約を作り上げる強い動機になったという。そして、「女性の権利」は1979年、「子どもの権利」は1989年に条約として、国連で成立したのである。

 多文化社会には、いつも「差別」という問題が関係することは明らかであり、それを乗越えない限り21世紀の「共生」を目指すわれわれの未来は有り得ない。それには、子ども達に人権の在り方を教え、勿論われわれ大人もそれを学ばなければならないことは明らかである。





「子ども学」とわたし (2005/09/09)

 「子ども学」という発想を私が持ったのは古い。小嶋謙四郎先生、宮沢康人先生、原ひろ子先生と一緒に『新しい子ども学』、T.「育つ」、U.「育てる」、V.「子どもとは」の三部立てで、1979年海鳴社から出版したことは、ある意味で公的な第一歩と言えよう。

 “新しい”とつけたのは、すでに「子ども学」という考えがあったという意見があったからである。もっとも、イギリスの小児科医Jolly教授の“Children’s Growth and Development”を、「ジョリー博士の子ども学」として、1980年に三笠書房から私が出版していたこともあったので、「子ども学」という発想は1970年後半には、私の脳の中ではすでに動き始めていたと言えよう。

 考えてみれば東大小児科の教授になって1年後の1971年、文部省の命により、世界の医学教育を視察した時、世界各地でいろいろな出来事を見て、時代が動いていると感じ、パラダイムの転換が必要であると実感したことが、そもそものはじまりであった。それこそ、自他分離から共生・共創へ、縦割りから横割にと、要素還元論から総合統合論への転換である。

 1992年ノルウェーのベルゲンで、政府主催の“Children at Risk”という国際会議が開かれ、“Child Ecology”というタイトルで、私の考えを発表する機会があった。その時、“Norwegian Center for Child Research”という統合的な研究をする国立の子ども問題の研究所があった。それは、「国立子ども学研究所」と呼ぶのにふさわしいものであった。

 このベルゲンの国際会議でのやり取りによって、私の心の中の「子ども学」はより確かなものになり、1996年に国立小児病院を退官した後、「子ども学」という考えを普及し、実践もしたいと考え始めた。そして、「子ども学」を英語で“Child Science”と呼ぶことにした。いわゆる“Human Science”の子ども版とも位置付けたのである。さらに、当時12年に及び勤めた国際小児科学会(IPA)を辞めて間もなかったので、国連大学にそのような研究所をつくりたいと考え、青山に出来たばかりの建物で、学長にお会いしてお願いもしたが、基金がなければ駄目だと言うことになり、消えてしまった。

 国立小児病院がナショナルセンター化(現在:国立成育医療センター)される前だったので、その準備のために退官が延び、「子ども学」の実践をはじめたのは1996年になってのことであった。甲南女子大学で、「子ども学」の講義をはじめ、国際子ども学センターをつくり、現在は、その名誉所長の称号をいただいている。

 もっとも、1993年くらいから季刊「子ども学」が福武書店から出版され、1996年の退官後には、皆さんがご覧になっているチャイルド・リサーチ・ネットというインターネット上のサイバー子ども学研究所を設立させていただいた。子どもに関係している世界の研究者・実践者をインターネットでつなごうという考えに対して、当時の福武書店(現ベネッセコーポレーション)の支援を受けて作ったものである。現在、日本語版ばかりでなく、英語版、中国版がオープンし、それぞれのアクセス数は月に70万、10万、1万ほどである。

 チャイルド・リサーチ・ネットでは2002年に「子ども学勉強会」を発足させたが、そのような中で「日本子ども学会」を設立する決意を固めた。2005年は、第2回の学術集会「子ども学会議」を「多文化社会と子ども達」というテーマで開催した。

 「子ども学」は、学際的・環学的・統合的に子どもを捉える人間科学の体系のひとつで文理融合科学である。子ども観・子どもの権利などの論理的・哲学的な捉え方の研究はもちろんのこと、子どもに関わるハードばかりでなくソフトを、子どものことを考えてデザインをする“Child caring design”の研究がある。例えば、ハードとして、校舎・都市・教材など、ソフトとして、教育カリキュラム・少子化対策・少年法などがあげられよう。さらに、第3の柱として、子ども問題の要因分析、問題解決の確立などの研究が大きなテーマになろう。

 「子ども学」は、人間に関わる科学の流れの中でどう育ったものであることはご理解いただけたと思う。将来いつか親になる人ならば誰でも、特に女性は一般の高等教育の教養課程として勉強していただきたいし、さらに育児・保育・教育に関する専門職を目指す学生にとっても重要な基礎教科と考えられる。子どもに関係するハードをデザインする工学系の人も、是非「子ども学」を学んでいただきたい。六本木の回転ドアの出来事も、製作者に「子ども学」の基礎知識があったならば予防出来たと思う。

 私の調べた範囲内ではあるが、私が直接関係した、神戸の甲南女子大学に国際子ども学センターが設立された1992年以降、2005年4月までに、「子ども学」という名称を付けた学科などが12件に及び、来年度春に開設するところもあるという。私が考えている以上に「子ども学」という考えが普及したことは大変喜ばしい。時代の流れとでも言えよう。皆さんと共に、子ども達の幸せの基盤作りをしましょう。

参考
「子ども学」を冠する学部・学科を持つ大学、短期大学





子守歌を唄いながら楽しく子育てをしよう (2005/08/05)

 子守歌は、洋の東西を問わず、世界のどの地域にも存在します。特に現在でも聴かれる伝統的な子守り歌は、母親からわが子達へ歌い継がれ、世代から世代へも継がれて来ました。それは、子守歌には母親の心をつかむ、そして赤ちゃんの心も育てる何かの力があるからこそ、伝承され続けているのです。わが国で歌い継がれている江戸の子守歌、中国地方の子守歌などはその代表です。また、子守奉公の女性が歌った、五木の子守歌のような、子守勤めのつらさなどを唄った子守歌もあることはご存知の通りです。

 勿論、現在わが子を育てる時に唄う歌には、いわゆる子守り歌だけではなく、子どもが好きな童謡、さらには音楽好きなお母さんだと、自分が好きないろいろな歌、例えば外国の子守歌や賛美歌、また、自作の歌まであるようです。

 10年以上も前ですが、NHKが開催した「子守歌大会」の会場のザワザワしたノイズを録音して分析した事があります。アナウンサーなどの人達が話をしている時にはノイズが強く、話している声もあまり聞こえない程でしたが、子守歌が始まった途端、サーっと会場が静かになりました。子守歌は大人ばかりでなく、子どもの脳を揺さぶり意識を高め、耳を傾けさせる不思議な力を持っているのです。

 アンケートで調べても、子守歌を唄うと子どもが喜ぶ、よく眠る、じっと聴いているなど、赤ちゃんのいろいろな反応について、お母さん達も気が付いていますし、お母さん自身も、気分が和らぐ、子育てのイライラが消える、子育てへの意欲が強まる、子どもが可愛くなる等の意見がありました。子守歌には、子どもを育てる力ばかりでなく、お母さんの子育ての力を強める力があるのです。

 最近、嬉しいことに、西舘好子さんが「日本子守唄協会」を組織されましたので、私もお仲間に入ってお手伝いすることになりました。それは、最近のお母さん達が子守歌を唄わなくなり、子どもの虐待など、子育てが上手く行かない事例まで出て来たからです。そのような不幸な事例を少しでも減らして、街角に子守歌の流れる優しい社会にしたいと考えたからです。勿論、「日本子守唄協会」では、日本の伝統的な子守歌を集めて、調査・研究することばかりでなく、新しい子守歌を作ることも計画しています。

 最近、なぜ子守歌がお母さん達の間で唄われなくなったのでしょうか。私には、それが豊かな社会の陰の部分の様に見えます。情報の過多、多忙な日常生活、薄くなった人間関係、暖かさ、優しさ、そして潤いのない社会、極限すれば、人と仲良くしなくても食べて行ける程豊かな社会になったのです。それは、全てが第二次世界大戦後の科学・技術の進歩のお陰で、社会全体が物質的に豊かになり過ぎたからではないでしょうか。そして、それによる物質万能主義、拝金主義、行き過ぎた個人主義と、人々の心はすさんで来ているのです。社会に見られる犯罪や学校での教育問題の多発、そして少子化の問題さえもその辺りに原因があるように見えるのです。

 したがって、子守歌を蘇らせれば、お母さんは安らかな気持ちで子育て出来るようになり、子どもの心が健やかに育ち、また、その子ども達が大人になれば問題解決に向けて一歩前進することが出来るようになると思うのです。少子化社会の解決も、政府は児童手当や保育園の整備などで努力していますが、社会全体の暖かさ、優しさが戻らない限り、いくらお金を掛けても効果は上がらないように思えるのです。

 お母さんばかりでなく皆で子守歌を唄い、お母さんが安らかな気持ちで子育てを楽しめるよう支援しましょう。また、親と一緒に子どもの心も豊かに育てましょう。同時に、街角に子守歌を流し、社会全体を優しく暖かいものにし、道で子ども達に優しく語り掛ける大人達の姿や、電車の中で若い人が老人や妊婦さんに席を譲る姿が目に付くような町にしたいものです。

(参考)
NPO法人 日本子守唄協会 代表 西舘好子
TEL 03-3861-9417 MAIL info@komoriuta.jp




みどりさんのレクチャー・コンサート (2005/07/08)

 天才ヴァイオリニスト五嶋みどりさんの演奏を聴かれたことがある方ならば、高いレベルでの音楽の解釈は勿論のこと、誰でも、あの澄んだ艶のある音色、厳しさの中にある優しさを感じて、強い感銘を受けたに違いない。

 みどりさんは現在ニューヨークに在住され、ヴァイオリンの演奏家として世界の檜舞台で活躍されるかたわら、子ども達に対するレクチャー・コンサートを開くという活動をされている。元気に学校で学んでいる子ども達は勿論のこと、病気で入院治療中の子ども達、心や体に障害があり、養護学校などで学んでいる子ども達、さらには親元を離れて寮生活をしながら治療を受け、学校で勉強している子ども達にもレクチャー・コンサートをなさっている。

 個人的には今まで6回以上みどりさんの演奏会やレクチャー・コンサートに出る機会をいただいた。はじめの2回は、私が運営委員長をしている日本白血病研究基金のファンドライジングのために開いた東京と広島の演奏会であった。お陰様で基金を大きく発展させることが出来、白血病研究の発展に役立っている。その後、みどりさんがレクチャー・コンサートを始めるようになってからは、院長をしていた国立小児病院、小児病院がナショナルセンター化して出来た国立成育医療センター、また東京医科歯科大学病院などの入院治療中の子ども達のためのコンサートにも出席する機会に恵まれた。

 そしてこの6月には、「横浜いずみ学園」でレクチャー・コンサートが開かれ出席した。ここの子ども達は、殆どは親などからの虐待による心の障害で親と一緒に生活出来ず、入園して共同生活をしながら、小学校・中学校・高等学校に通い、治療を受けているのである。みどりさんは、ヴァイオリンやピアノを演奏する時、子ども達を可能な限り近づけて、手の動きを見せながら演奏し、子ども達に優しく説明したのである。さらに、子ども達に直接ヴァイオリンやピアノに触れさせて、音を出させることまでもなさった。ピアノはさておき、みどりさんのヴァイオリンは世界的な銘器で、何億円もするというお話だったので、本当はハラハラしたが、彼女の優しい心を感じ、目がうるんだ。子ども達には、みどりさんの優しい心と、そのヴァイオリンの音色を折に触れて思い出し、厳しい人生を生きて行く力を獲得してもらいたいと祈る気分でもあった。

 音楽を理解する心のプログラムは大脳の右にあり、左にある言語を理解する心のプログラムと対称的な位置にある。何か脳進化的な意味があるのであろう。言葉は、論理の情報であり、音楽は感性の情報と言える。したがって、日常生活では、私たちはこのプログラムを使って、脳の奥にある情動や本能に関係する大脳辺縁系と連絡をとりながら、生活の場にある理性と感性の情報の空間の中で、脳全体を働かせて行動していると言える。さらに、音楽によって感性のプログラムを活性化すれば、言語と関係する理性の心のプログラムをより良くする可能性も全く否定出来ないという。したがって、みどりさんと子ども達のやり取りを見ているとき、みどりさんの素晴しい音楽に接することで、感性のプログラムが働き、理性の心のプログラムも強化され、厳しい人生を生きる力も付けられると思ったのである。

 みどりさんのレクチャー・コンサートは、NPO「ミュージック・シェアリング」という団体の事業として行われている。世界の演奏家としての多忙なスケジュールの合間に、わが国やアメリカの子ども達のためにこの事業を展開されているのである。このレクチャー・コンサートは、みどりさんを呼ばれた学校などからは、調律などピアノにかかる費用を出すだけで、あとの全ては「ミュージック・シェアリング」が持っている。それは多くの人々の善意のお金なのである。どうか皆さん方も、みどりさんをご支援下さい、子ども達のために。

特定非営利活動法人 ミュージック・シェアリング
●理事長 五嶋 みどり  ●副理事長 五嶋 節  ●ディレクター 橋本 俊男
〒101-0065 東京都千代田区西神田3-3-6 ジェイ・ケイ・ウィルトン九段3階
ご寄付は郵便局(口座番号:00160-4-568984)、またはコンビニエンスストアなどで振り込めます。尚、税控除をご希望される方は、前もって直接事務局(03-3261-1855)に申し込む必要があります。




わが国でもドゥーラ制度をつくろう (2005/06/10)

 「ドゥーラ」“doula”という言葉は日本では、まだ聞きなれないことばかもしれない。ドゥーラとは妊娠・出産・育児をする母親を精神的、心理的に助ける女性たちのことを指す。お産の知識と知恵を与え、分娩時には腰を撫でる、優しく勇気づけるなどのキメ細かいサポートを行うのが主な仕事だが、産後においても、子育ての不安や夫婦関係の相談にのるなどして深く母親と関わることもある。ドゥーラの仕事とはマザーリング・ザ・マザー(母親に対してその母親のように優しくすること)といえよう。

 私がドゥーラに関心を持ったのは、何気なく買い求めたDana Raphaelの本“Tender Gift, Breastfeeding”であった。その本で、母乳哺育で最も重要なのはマザーリング・ザ・マザーであり、エモーショナル・サポートである事を学んだが、そこにドゥーラが紹介されていたのである。

 わが国でも、その昔いたお産婆さんがドゥーラの役を果たしていたのであろうが、現在では庶民に根ざした女性同士の助け合いシステムは消えてしまった。その結果、社会の優しい心の力を弱くし、妊娠・出産・育児の様々な問題が出てきている。しかし、お隣の国、中国の上海では、近代的な医療施設でドゥーラ(中国語で「導楽」と表す)が医療サービス制度として存在している。わが国でもドゥーラのような考えを拡大し、それを医療制度として取り入れ、妊娠・出産・育児をより良いものにしなければならない。21世紀を「心」の時代、「人間」の時代にする力にもなると思うのである。

編集部注:全文はこちらよりご覧いただけます。




トルコへの旅
―偉大なる小児科医イサン・ドラマチ先生に再会して―
 (2005/05/13)

 4月上旬、約1週間トルコへの旅をした。アンカラへの旅は4、5回目になるが、前回はもう20年近く前だった上に、イスタンブール経由は初めてであった。前回までの訪問は1977年から1989年まで、会長、副会長、理事など国際小児科学会(International Pediatric Association, IPA)の役員として、アンカラで開かれたIPAの理事会や国際シンポジウムなどに出席するためであった。
 当時のIPAの理事長は、イサン・ドラマチ先生といわれるトルコの小児科医で、IPAに関係するだけでなく、現在でもWHO、UNICEFなどと深い関係にあり、国際的にも著名な方なのである。今回の訪問は、彼がセンター長を務めているアンカラにある国際子どもセンター(International Children’s Center, ICC)の運営会議に出席すること、彼の90歳の誕生日のお祝い会の席にお招きいただいたこと、そしてその際、内藤先生の代理として世界育児幸せ財団の内藤寿七郎国際育児賞をお渡しすることであった。
 ドラマチ先生は、イスタンブール大学の医学部を卒業され、戦後サンフランシスコのWHO設立総会にトルコの代表として出席され、国際的な御活動ばかりでなく、パリ、グラスゴーなどの小児病院、ついで、ハーバード大学小児病院で勉強され、1960年代末にIPAの会長、そして理事長になられた。
 理事長時代、IPAと企業、特に乳業との関係を切り、会長を先進国以外の国から選ぶなどIPAの近代化を行ない、IPAを発展させた。現在ドラマチ先生はIPA名誉会長である。尚、国際小児科学会議(International Congress of Pediatrics)は、IPAの行事のひとつとしての学術会議で、3年毎に世界各国で開かれている。東京で開催されたのは1965年であった。
 ドラマチ先生は、トルコ国内では誰もが知っている小児科医で、大統領から総理大臣の依頼を2回受けたが、いずれも断り、トルコの子ども達、世界の子ども達のために、また、トルコの高等教育の整備につとめるために、日々情熱を注がれて来た。彼は、アンカラに国立の小児病院、そしてHapecette大学をつくり、さらに4、5年前に憲法を改正して私立のBilkent大学を設立したのである。
 世界の子ども達の健康を促進することを目的とするICCは、そもそもパリのブローニュの森にあり、国際小児科学会事務所もその隣にあった。ICCは、次第に機能が低下したので、ドラマチ先生はそれをアンカラに移し、Bilkent大学の施設として活性化させ、WHO、UNCEFなどと連絡を取りながら、中近東を中心とする世界の子ども達の医療・保健・福祉・教育のために専門家の研修、さらに現地での支援を行っている。アフガニスタンの戦争が収まった直後、ドラマチ先生ご自身が現地に赴くと同時に、20人ほどの教師を招いてICCで研修もなさったそうである。
 ICCの運営会議に委員として初めて出席したが、アメリカ、フィンランドなどヨーロッパ、アメリカばかりでなく、イラン、イラク、アフガニスタン、アジェルバイジャンなどから委員が出席し、子ども達のための話し合いが行われた。私はインターネットなどの情報媒体をもう少し積極的に使用することを考えるように提言した。
 ドラマチ先生の90歳祝賀会は、Bilkent大学のコンサートホールで開催され、トルコ政府の閣僚や著名な方ばかりでなく、各国から小児科学会など子どもに関係する団体の代表らが来られ、500人程の方々が出席されていた。式典の中で内藤寿七郎国際育児賞の紹介に続いて、私から直接賞をお渡しし御祝いを申し上げ、国際小児科学会時代、先生にいろいろお世話になった御礼を申し上げると共に思い出を語った。引き続きBilkent交響楽団の演奏が行われた。その後各国代表がステージに上がり、ステージ上のドラマチ先生に御祝いの言葉、またそれぞれの国の民族衣装、物産などの御祝いの品の贈呈が数々行われた。式は、予定を遥かにオーバーし3時間も掛かった。それに続いて、ドラマチ先生の御子息である経済学者の現学長が主催する記念の宴が夜半まで続いた。
 飛行機でイスタンブール・アンカラ間は45分であるが、トルコ直行便は、成田・イスタンブール間を12.5時間も掛けて飛び、時差も6時間の遠い国である。トルコを近代化したアタチュルク大統領の時代から大変親日的な国である。その上、トルコ料理も日本人の舌に合い、その意味では近い国とも言えよう。イスタンブールは東西の接点で、東の端の日本と東の始まりでもあるトルコと、両国はもっともっと交流を深める必要があるとつくづく思った。特に子ども達の未来を考えると。




「六本木ヒルズの子どもドア事故の教訓」 (2005/04/08)

 今年の3月26日は、六本木の森ビルで小学校入学直前の男の子が大型回転ドアに挟まれて亡くなるという悲劇的な事故から丁度1年にあたる。この1年間に、この問題を真摯に捉えた2つのグループによるシンポジウムが、先月の26、27日に六本木アカデミーヒルズで開かれた。
 第1は3月26日(土)14:00〜18:00、事故直後に森ビル社長の要請によってつくられた、石井威望東京大学名誉教授を座長とする「安全委員会」が主催した「チャイルド・ケアシンポジウム『都市における子どもの安心と安全』を考える」であり、第2は3月27日(日)13:00〜18:00、畑村洋太郎東京大学名誉教授が、全く個人的に組織した、ドア事故に関心を持つ工学者、企業、事故関係者などからなる「ドアプロジェクト」と呼ばれるグループが主催した「ドアプロジェクト・シンポジウム、ドアに潜む危険と安全への提言」である。その内容は豊かで大変勉強になった。1年前の痛ましい出来事によって生まれた、多くの善意の人々の力によって、不幸な出来事の教訓をまとめることが出来たと言えよう。子どもに関心を持つわれわれにとって大変嬉こばしい機会となった。
 第1のシンポジウムについては、私も「安全委員会」の顧問という立場であったので、「チャイルドケア・デザインから見たものづくり、まちづくり」と題して、石井教授の開会のスピーチに続いて基調講演を行った。続いて、アカデミーヒルズの高橋潤二郎氏(慶応大学名誉教授)の司会による、小児科医、工学者、育児ジャーナリスト、子どもの危険回避運動家、教育学者など5人のパネリストによるパネルが行われた。
 第1のシンポジウムは、子どもの安全のためにはチャイルド・ケアの精神が重要であることが論じられた。チャイルド・ケアとは、欧米では「保育」という意味であるが、私は、「子どものことを考える、配慮する、気にかける、愛する」という根源的な意味にとるべきものと思っている。チャイルドケア・デザインも、子どもの目線に立って子どものいろいろな面を考えて、「モノ」や「コト」をデザインするという意味である。「モノ」としては、都市、建築、教材、教具など子どもの身近にある、子どもが使う大小の「モノ」である。「コト」としては、教育技術、教育・法律・行政の制度、遊技・スポーツなど子どもに関わる事柄である。総論として私は「日本子ども学会」の設立の基本理念と流れについてと、そこで取り上げている3つの柱のひとつとしてのチャイルドケア・デザインについて話をした。
 子どもの事故を考える場、“accident”と“injury”とに分けて考えなければならない。“accident”とは予防出来ない偶発的な事故であり、“injury”とは予防出来る事故による傷害である。また、広く危険といっても、チャレンジする価値のある冒険のような危険“risk”と、避けられない危険の“hazard”とに分けて考える必要がある。また、安心、安全を考える場合、安心出来るものか出来ないものか、安全であるかないかで、それぞれの程度によって4つの組み合わせを考える必要がある。1番問題なのは、安全に見えて安全でないものである。
 子どもの事故は、死亡例が1件あれば、同じ様な事故によって医療に掛かっている子どもは、重症度によって数百人から数千人、同じ様な事故で家庭内で処理されている子どもは数万人に及ぶと考えられている。わが国では1960年以降、死因の第1位は常に不慮の事故なのである。予防出来る事故をなくすことが出来れば、少子化をくい止める力にもなる。
 第2のシンポジウムでは畑村教授によって、ドアプロジェクトの成立から現在までの経過と成果が基調講演として報告され、続いて大型回転ドアからシャッター、自動車から新幹線までの列車ドアの危険性について研究者により実証実験の成果が報告された。続いて、技術者、工学者ばかりでなく小児科医、報道関係者も入った6人の専門家によるパネルディスカッションが行われた。
 問題の大型回転ドアについては、裏に全く想像も出来ないことがあるのである。ヨーロッパで回転ドアが開発されたのは、気温が低いため、外気と内気の温度差を確保しながら、人が出入り出来るようにするためであった。それが日本では高層ビルなどで、人が出入りしながら内外の圧力差を確保する目的のドアになったのである。したがって、ヨーロッパではアルミ製で、中心の柱を軸に回転するメカニズムで、回転体全体の重さは、1トン足らずであった。わが国では、文化と関係すると考えられるが、門ということでそれを立派に見せるためステンレス製にし、しかも出入り口を大きくするため、中心でなく外側から回すようにした。結果、重さは3倍にもなった。重くなれば慣性も強くなり、挟まれた時の力も強くなるのは当然である。
 機械が発達する時、新しい要求機能がいろいろと出ることにより、そのたびに次々と必要なものを付け加えることを「付加設計」と呼んでいる。そして本来の目的に対する設計から、それがある程度を越える場合には、当然安全性を考え直さなければならないのである。今回の悲劇はその点が抜けていたということになる。
 ドアプロジェクトでは、回転ドア以外にも、スウィングドア(引き戸)、スライドドア、エレベータードア、シャター、在来線新幹線、自動車のドアについて、ダミー(3歳児と6歳児の子どもの人形で頭部にセンサーを持ったもの)までを使い、いろいろと実証実験を行っているのである。工学の専門とはしていないが、その成果は今後のドアの安全性を高めるのに有用であることは間違いない。興味あることは、新幹線の列車ドアが相対的に安全であることが示されたことである。
 子どもは何時でも何処でも危機にある、“children at risk, any time and any where”。貧困な社会でも豊かな社会でも、家庭でも学校でも社会でも、問題を起こす危機にある。危機を回避するには、いろいろな立場の専門家、実践者が一同に会し、お互いに話し合って、英知を搾り出す「子ども学」“Child Science”の学際的、環学的な発想の研究が必要である。情報収集・分析する調査研究から始まって脳科学の研究まで。




「子ども学」の更なる発展とCRNの果すべき役割 (2005/03/11)

 「日本子ども学会」が設立されて今年で2年目に入る。学会は、学術集会としての「子ども学会議」と共に、チャイルドケア・デザインの問題を中心に、日頃の研究成果をみんなでゆっくり話し合う「子ども学研究会」も開くことにしている。その第1回の会が2月19日白百合女子大学で開かれた。冷雨の土曜日であったが、100名程、しかもその多くが「日本子ども学会」の会員ではない参加者であった。「子ども学」への強い期待が感じられた。
 発表演題は、午前に5題、午後は3題であったが、子ども達のより良い未来を願って熱心なディスカッションが行われた。その中で、下記が印象に残った。
 甲南女子大学在任当時にCRNと共同で行った“playshop”に関する上田信行教授(同志社女子大学)の発表は印象的であった。子ども達が“playful”になるように遊びの場をデザインして、親子が共に参加した実験的プレイショップは、考えてみると先導的な意義深いものになっている。
 宇都宮のさつき園の井上高光先生が、遊びのデザインという考えで、園長の野尻ヒデさんが工夫された「じゃれつき」遊びの実践を報告された。その効果を見るとプレイショップと同じであることが理解される。
 子どもが育つには、体を動かす遊びを通じて喜びを体験し、「生きる喜び一杯」“Joie de vivre”になる機会を持つことが必要なのである。そのメカニズムを明らかにするため、「子ども生命感動学」“Child- Bio-Emotinemics”とでも言うべき学問体系を「子ども学」の中に確立する必要がある。
 浜松医科大学の安梅勅江教授のグループは、夜間保育の問題を取り上げ、保育の質が確保されれば、夜間保育でも子どもにとって問題ないと報告した。アメリカ国立小児保健発育研究所(NICHD)の研究でも、母子間の心の絆が安定していれば0歳時保育でも問題はないことを報告したが、長時間にわたる保育に対しては疑義ありとした。しかし、考えてみれば逆境で育った人が全て問題があるわけではないので、本報告も批判に耐えるものであろう。子ども達の目線に立って、親と保育士がチームを組んでふれあい豊かに保育をするならば、全て良しということであろうか。この報告は、保育のチャイルドケア・デザインにとって、貴重な情報を提供している。
 いかなる場所でも、子ども達への優しいまなざしがなければ、子どもを巡る問題は常に起こって来たし、現在も起こっている。しかし、それを解決するには、それなりの研究が必要であることを、「子ども学研究会」は私達に再確認させた。勿論、研究といっても、脳科学のように高度なものから、身近でデータを取る調査まである。しかし、身近なデータからは、しばしば貴重な洞察が得られることを忘れてはならない。わが国における「子ども学」をさらに発展させるために、「日本子ども学会」と共にCRNにはやるべき事がたくさんある。




福崎空中広場が建った (2005/02/10)

 子ども達のための「福崎空中広場」が大阪市港区の福崎に、隈健吾さんの設計で竣工した。建物と土地は杉村倉庫(株)の善意によるもので、運営は子ども達のいろいろな活動を支援をするギャラクシー・ブライトがあたり、甲南女子大学国際子ども学研究センターが支援する。
 そもそも福崎は、豊臣秀吉の時代にできた大阪港の倉庫群があった土地で、明治以降のわが国の近代化と共に、特に戦後埋め立てが進み、岸壁が沖へ沖へと出ていったために空洞化しつつあるところである。現在では残された倉庫とか海運関係の施設しかない。
 福崎を、子どもと老人とが共に生活するバリアフリーの新しい町に変えたいと土地の人は願っている。その実現の第一歩として、まとめ役の杉村倉庫が、子どもをプロジェクトの柱に据えたいと「福崎空中広場」を建てられたのである。
 「福崎空中広場」は、鉄骨2階建ての床面積600坪で、1階に2部屋、2階に3部屋と、子ども達があそんだり学んだりする場所が作れるようになっている。いわゆる壁というものがなく、厚いビニールのようなカーテン風なもので区切られ、その組み合わせも変えられるのである。壁がない開かれた建物なので、夜になると光が通り幻想的なものに見える。
 ギャラクシー・ブライトは、難病の子ども達ばかりでなく、健康な子ども達のあそびや学びを支援しているNPO法人で、代表は私であるが、事務局長は内藤秀代さんである。
 甲南女子大学国際子ども学研究センターは、私が初代センター長として設立したもので、現在、稲垣由子教授がセンター長であるが、「子ども学」の研究と実績や国際支援を目指すもので、その主たる活動の場がこの「福崎空中広場」になる。
 「子ども学」は、子どもに関係するあらゆる学問体系の研究者が、同じ場で話し合うことを目的とし、児童観などの子どもを捉えなおす理論研究、子どもの教育や社会問題の解決、そして子どもの「モノ」や「コト」を子どもの目線に立ってデザインするチャイルドケア・デザインの研究として3つの柱を考えている。
 「福崎空中広場」は、「子ども学」の大きな柱である「あそび」とか「まなび」のチャイルドケア・デザインの研究、さらに実践の場になるであろう。




2004年を振り返って (2005/01/04)

 2004年もいよいよ終わりを迎え、ネット・フレンドの皆さんには1年間、多くのご支援をいただいた。ありがとうございました。
 この1年を振りかえると、子ども達の受難の出来事がいろいろと思い浮かぶ。その中でも、子どもが殺されるという痛ましい事件は正にショックである。親によって、また、同居する大人(養父・養母など)によって、そして学校からの帰り路から拉致されて殺されるとか、その上、友達によって殺される事件まで、誠に痛ましい。
 体を立派に成長させ、心を豊かに発達させて大人になり、社会人として次の社会を担うのが子ども達である。そのような成育の過程は、決して安定したものでなく、子ども達はいつでもどこでも危機状態にある。すなわち、“children at risk”なのである。
 子ども達のこの危機を早期に発見し、出来れば予防策を立て、不幸にして問題が発生したら、それに対する手際良い対応を行うことは、われわれ大人の責任である。それには、大人の子どもに対する優しい眼差しばかりでなく、情報を集め分析して、問題の本質を鋭く洞察する学問的な知識が常に必要なのである。
 Child Research Netは、その早期発見、予防策、対応策を可能にする為に設立された「サイバー子ども研究所」である。また、2003年に設立され、2004年9月に第1回の学術集会、『子ども学会議』を開いた「日本子ども学会」も同じ目的の学会である。これらの組織は、子ども問題の解決方法の確立を支援するために果すべき役割は大きく、その基盤となる「子ども学」の考え方は、問題解決に大きな力になる。新しい年を迎え、さらなる活躍を期したい。




8回目の北京への旅をして (2004/12/03)

 中国北京の人民大会堂で開かれた、第4回中国内藤国際育児賞の授与式に、内藤先生の代理として出席すると共に、中国の小児科学・心理学・脳科学などの専門家と私の考える「子ども学」“Child Science”についての意見交換、また、CRN中国語版サイトの設立方法などを調査をする目的で、この11月の第1週、1979年以来8回目の北京訪問を行った。
 中国内藤国際育児賞は、育児学の大先達内藤寿七郎先生とアップリカ会長の葛西健蔵氏、そして亡くなられた漫画家であり医師である手塚治虫氏と3人が作られたもので、1年おきに中国の子ども達の幸福に尽した医師・心理学者・教育者など、更に団体にも与えられる賞である。4回目の本年は、小児科医・教師・心理学者・作家など8人、そして2団体に授与された。
 今回の授賞者代表は、25年程前からの知り合いで、北京に行けば必ずお会いする、北京児童医院の院長を務められた小児科医胡亜美先生であることが北京に着いてから分かり、驚きと共に大変嬉しかった。彼女も授与式で私に会い、大変喜ばれた。日中関係がいろいろ問題になっている現在、子ども達の幸福を祈る人々を介して、この様な流れが持てることの意義は大きいものと思われる。子どもは、人種も国境も宗教も、全てのバリアを超える力を持った存在なのである。
 その後、北京市の小児病院、中国中央教育科学研究所、北京大学脳科学と認知科学研究センター、そして清華大学などを訪問し、私の考えている「子ども学」、さらには日中の子ども問題、そして、その解決法と「子ども学」との関係について話し合い、小さな講演も行った。
 中国中央教育科学研究所、北京大学、また清華大学は私にとって初めての訪問であり、それぞれ想像以上に立派な施設であった。北京大学、清華大学の秋のキャンパスは中国庭園の紅葉で美しかった。
 「子ども学」“Child Science”という考えは、話し合った中国の学者・医師にとって初めてのものであるが、子ども問題の解決にとって、このような学際的・統合的な新しい科学が必要であることについては意見に一致をみた。日中一緒になって、その様な学会を開催する必要があるという話にまで発展したことは嬉しい限りであった。
 中国のIT化は、急速に進み、インターネットの利用者は確実に増加しているようである。CRN中国語版サイトの設立には、技術的な問題があり、それをまず解決する必要があることが分かった。それさえ解決すれば、来年の2月には中国語版サイトを立ち上げられると考えられた。話し合った中国の研究者も関心を持ち、中には協力を申し出た研究者もあった。
 中国、特に北京は急速に豊かになり、西洋化、国際化も進んで、街を歩いても活気があり、デパートも豊かであった。しかし、昔はあまり見られなかったstreet childrenが目についたことが、小児科医として気になった。
 豊かな社会であれ、貧しい社会であれ、子どもはいつも危機にある存在である(child at risk)。われわれ大人達の優しい眼差しだけでは問題は解決しない。子どもの生物学的側面と社会的側面を合わせ捉える「子ども学」のような学際的・統合的な科学に支えられた、建築や都市計画、政策や制度など、子どもを取り巻くハードなもの、ソフトなもの全てに対する研究・調査が必要であることを痛感した。




脳科学と教育 (2004/11/05)

 大人は勿論のこと、子どもも、赤ちゃんであろうと幼児であろうと、脳によって生きる力を発揮しているのことはご存知の通りである。
 胎児や新生児のような全く教育を受けていない子どもでも、手足を動かし、吸い、微笑みなどが出来る事から、その様な行動の基本的なプログラムが脳にあると言える。進化の長い歴史の中で、生きるに必要な情報を取り込んだ遺伝子の力で、それが出来ると考えられるのである。子育て(育児・保育)や教育こそが、子ども達の生まれながらの基本的なプログラムを働かせながら、それを新しく組み合わせたり、それを入れ替えたりして、人生にとって必要な行動をとれるように、複雑なプログラムを作っている。この様な心と体のプログラムを働かせることによって、生きる力が出るのである。
 プログラムは、情報によってスイッチが入り、脳にあるニューロン(神経細胞)をつなげたネットワークを働かせる。例えば、話すことを司るニューロンのネットワークは、脳の左前外側にあり、その発見者の名前を取ってブローカ野と呼ぶことは有名である。また、言葉を理解するニューロンのネットワークは左中央外側にあり、同じ様にウエルニケ野と呼ぶ。これは失語症の研究で明らかになったものである。話せなくなったり、言葉が理解出来なくなった人が、不幸にして亡くなった場合、その脳を標本にして障害された部分を明らかにすることによって、プログラムの存在する部分を見つけ出したのである。
 したがって最近まで、不幸にして亡くならなければ、プログラムの存在を明らかにすることは出来なかった。多くの研究者は、それを解決するためにいろいろ方法を考えた。19世紀後半に入って、脳波によって脳の表面の電位の動きを見る方法を開発し、続いて20世紀に入って、レントゲン写真を撮って体の変化、骨の変化が中心であったものをいろいろと改良して脳の変化も捉える方法が開発されたのである。現在では、レントゲン以外の方法を用いて、代謝活性、血流、核磁気共鳴、磁界などの変化も物理的な方法を用いて捉え、プログラムの存在を明らかに出来る様になった。
 この様な方法によって、患者さんが生きていても検査し、障害ある部位を発見出来るようになった。その上、健康な人でも同意が得られれば、体に何ら障害を残すことなく検査が出来るようになり、健康な人の脳の働きを見て、プログラムの存在を明らかに出来るようになったのである。こういった方法は、脳の活動している部分を画像化して、プログラムの存在する場所を見つけ出すので、脳のイメージング、また脳機能描画法という。体に障害を与えないので、「非侵襲脳機能描画法」と呼んでいる。
 本年9月30日国連大学ウ・タント国際会議場で、文部科学省の科学技術振興機構(JST)の社会技術システム(RISTEX)主催で、第1回国際シンポジウム「脳科学と教育」が開催された。外国からは、イギリス・ロンドン大学University College Londonの副学長リチャード・フラコヴィアク教授が「脳機能描画を用いた可塑性と学習に関する研究」について、フランス科学アカデミー会員のデニス・ルビアン教授が「非侵襲脳機能描画を基調とした脳と心の科学最先端」の進歩について発表した。
 日本側からは、小泉英明JST「脳科学と教育」領域研究統括(日立製作所フェロー)以下、その分担研究者5人が参加して研究プロジェクトの成果を報告した。そのテーマは、「視聴覚障害における脳可塑性:教育における意味合い」、「第2言語習得の脳機能イメージング」、「乳児期初期における脳機能発達」、「前頭前野機能発達・改善システムの開発」などであった。「脳科学と教育」は、先進国が国際協力しているテーマであり、OECDの担当官からも現状報告があった。
 脳機能画像法の進歩は目覚しく、これらの発表された研究の中では、ポジトロン断層法(Positron Emission Tomography : PET )、機能的核磁気共鳴画像(Functional Magnetic Resonance Imaging : fMRI)、脳磁図(Magnetroen-cephalography : MEG)、光トポグラフィー(Photo-Topography)などが大活躍している。特に光トポグラフィーは、赤ちゃんにも使用出来る画期的な方法である。こういった方法の技術は、日進月歩で脳の細かい部位まで分かり、その組織構造までも画像化出来るものも出来ているのである。
 21世紀は、正に「脳の世紀」。上記のような技術で、人間の心の問題を明らかにすることが可能になりつつある。今、教育をより良い社会技術にするには、脳科学の研究成果で裏打ちしなければならない時にある。




第1回「子ども学会議」は成功した (2004/10/08)

 昨年11月末に設立された「日本子ども学会」Japanese Society of Child Scienceの学術集会である「子ども学会議」の第1回が、「メディア社会の子どもたち」をメインテーマに、9月4日(土)・5日(日)の2日間、早稲田大学国際会議場で、約300名程が参加して開かれた。残念ながら台風の影響を受け、天気は良くなかったが、関心を持つ研究者が相集い話し合い、私達が考えて来た目的を果すことが出来た。
 まず、「子ども学とは何か、育つ育てる」というタイトルで、学会代表者として小林が講演した。現在の科学・技術の主流である、要素還元論を取り込み乗り越えて、統合論的・学際的に子どもを捉え、子どもに関わる諸問題を解決するにはどうすれば良いかを、子どもの成長・発育と子育てのあり方を柱に自らの考えを発表した。続いて、「日本子ども学会」事務局長の木下より「日本子ども学会」の3つの柱が紹介された。
 第1の柱は、理論研究であって、子ども観など、論理学・哲学の立場から子どもをどう捉えるか。第2の柱は、チャイルド・イシューの研究であって、子どもの非行・暴力・犯罪・殺人などの原因は何か、それを解決するにはどうしたら良いか。第3の柱は、チャイルドケア・デザインの研究であって、子どもの目線に立って考える「子ども学」の立場から、子どもに関わる「モノ」とか「コト」のデザインである。例えば、学校建築・都市計画から玩具・教材まで、さらには事故防止策から法律制度・行政制度までも、どうチャイルドケア・デザインするか、である。
 特別講演「野生のゴリラと野生の子ども」と題して、京都大学大学院理学研究科の山極寿一先生が、ゴリラの生態研究の成果に基づき、人間の子どもの異同について野生の立場から発表した。生まれてから1年間、ゴリラの母親は赤ちゃんを決して手放さないが、その後の2年間の子育ては父親に渡し、性的なものも含めていろいろな遊びを繰り返し、食物の獲り方など生きる術を学び、思春期には親離れする。
 シンポジウムは、初日の午後と2日目の午前で、メディアについて2回行われた。初日は、長時間視聴による、テレビの悪影響を示す具体的なデータについて、3人の研究者が発表したが、「テレビ・メディアのみの影響であるか、否か」が論議の対象になった。2日目は、メディアの製作者・技術者3名と、メディアあるいはサイバーリテラシーの研究者によって、それぞれの考えが発表された。いずれにせよ、全て良しという訳にはいかず、子どもが、自分で「良し悪し」を判断出来る能力をつける必要もあるという意見が強かった。勿論、極端な長時間の視聴や暴力やセックスなどの過激な内容は論外ではあるという点については、ほとんどの人の意見は一致した。
 「『子どもの安全・安心対策』を根本的に再検討する」と「子どものための建築環境デザイン」のチャイルドケア・デザインのふたつの研究成果が、それぞれの研究者によって教育講演として発表された。
 研究報告として、子どもの発達と養育環境要因との関連について縦断的研究がお茶の水女子大学の菅原ますみ先生によって報告された。ポスターセッションの発表も15に上り、その内容は見方によって異なるが、発達に関するものが6、テレビ・メディアに関するものが3、脳科学が2、ロボットに関するものが2、その他が2で、発表者と参加者の間で活発な意見交換が行われた。
 「日本子ども学会」代表として、「子ども学会議」の出発は好調なものであると判断した。来年、「多文化社会の子どもたち」をメインテーマに、東京大学で開かれる「第2回子ども学会議」の成功を期待したい。




特別支援教育を考える (2004/09/03)

 教育の考え方や教育制度が、現在いろいろと変わりつつある中で、特殊教育・障害児教育も、「特別支援教育」に変わりました。従来の盲・聾児、肢体不自由児、病弱児などの限られた障害を持つ子ども達ばかりでなく、学習障害、自閉症・ADHDなどを持つ子ども達のひとりひとりのニーズに対応して、専門家ばかりでなく、とりまく大人達が一緒になって支え、のびのびと教育しようということが目標です。現状でみると、いろいろな障害を持つ子ども達の教育が、昔のままで良いとは思えません。まず、社会基盤が大きく変わりました。通信も交通も科学技術の進歩で大変便利になりました。子ども達が悩み、苦しみ、痛んでいる障害の医学的理解も大きく進歩しました。脳科学の進歩で、それはさらに進むことでしょう。「特別支援教育」のもとで、教育の質は良くなるでしょうし、また、それを望みます。
 しかし、この「特別支援教育」への大きな変化は、次のふたつの重要ポイントがあると私は考えています。
 第1は、1989年に子どもの権利が確立したことです。そもそも人間が生まれながらにして権利を持っているとの発想は、800年近く前のイギリスのマグナカルタに始まります。貴族と僧侶が国王に対して、権利を認めさせた確約書マグナカルタを書かせたことによります。しかし、その権利は貴族とか僧侶という特権階級のそれでした。
 それが市民の権利になるには、それに続いて600年もの時間がかかりました。アメリカの独立戦争と、フランス革命という血を流さなければならない戦いが必要だったのです。しかし、それも男の権利だったのです。
 発言する力の弱い女性と子どもが権利を持つには、第一次世界大戦後の国際連盟、第二次世界大戦後の国連の力、すなわち国際的な良識の力が必要だったのです。
 女性の権利も同じと思いますが、子どもの権利にも戦争が関係したと言われます。1989年の国連による「子どもの権利条約」の締結前の12年間、国際小児科学会の役員をしていましたので、戦争が関係していたことをそこで学びました。周知の通り、科学の進歩で、原始爆弾を含めて戦争のやり方を技術化することによって、非戦闘員の女性や子ども達が大きな被害を受けた事実が、その推進力になったのです。
 さらに、権利意識が高まらない限り、差別意識は消えないということも重要です。考えてみて下さい、障害児教育とか特殊教育と呼ぶより、「特別支援教育」と呼ぶ方が、そこには子どもに対する優しい眼差し、暖かさがあります。私は、その根底には子どもの権利への配慮もあったと思うのです。
 第2は、「特別支援教育」基盤には、自分と他人を分けてみる従来の自他分離の理念でなく、共に生きるという発想もあります。さらに、教える方、支援する方が共に一緒になって、子ども達の教育を支援しようとする発想があります。
 20世紀の科学技術の基盤形成はデカルトに始まります。300年近い、このカルテシアンの流れの中で生まれた要素還元論、自他分離の理念で支えられた科学の進展が、豊かな社会を築き上げる技術を作りました。しかし、逆に人間関係を稀薄にしたり、物質万能主義などなどの考え方も強くなっているのです。さらに、社会を見ても、産業廃棄物や生活廃棄物の山、自然破壊・環境破壊などもそういった思想の流れと無縁とは言えません。科学・技術を支えたカルテシアンの考え方にも、ある意味で限界があるのです。
 したがって、21世紀は、カルテシアンの流れを取り込み乗り越える、関係・共生・共創などを柱にする新しい統合的な考え方が必要なのです。それが、「特別支援教育」を進めたとも言えるのです。
 子ども達の心と体を健康に育てるために、育児・保育・教育は極めて重要な社会技術です。それを、暖かい眼差しと、たゆまざる研究に支えられた理念を持って実践しない限り、子ども達は常に危機にある(“children at risk”)のです。




「笑いの治癒力」から「生命感動学」へ (2004/07/30)

 笑うことが人を元気付けることは、皆さんも体験済みのことで、どなたも理解出来よう。しかし、最近まで病気を治す力があることは、医学者もあまり考えていなかった。
 それに火を付けたのは、すでに亡くなられたアメリカのジャーナリスト、ノーマン・カズンズ氏である。もう20年以上前の事と思うが、1970年末、招かれたロシアの旅から帰って間もなく、氏は急性リュウマチを発病した。知人が院長のニューヨークの大病院に入院、治療を受けたが、全く満足出来るサービスではなかった。検査のために1日に何回も採血され、病院の食事はまずく、苦痛の毎日だったと言う。
 氏は、隣のホテルに移り、医師に往診させ、検査もまとめてしてもらい、美味しい食事を摂り、ゲラゲラ笑えるビデオを見ながら、ビタミンCの大量投与を行った。その結果、良くなったというのである。
 その体験を氏は、「病気の解剖学」と題して、西洋医学の限界、人間的な医療、さらには伝統医学などが果す役割、笑いを含めた心の持ち方と治癒力の関係などを、アメリカの一流医学誌で論じたのである。その結果、医療の人間化、東洋医学・伝統医学などと西洋医学を組み合わす運動がアメリカで始まり、政府は従来にない大きな研究費まで出すようになった。そのような医療の新しい在り方を、代替医療・補完医療と呼んで、西洋医学が従来相手にしなかった医療も組み合わせることが一般化したのである。
 この医療の人間化の流れの中で、笑いとか優しさなどの「陽」の心の状態と治癒力の関係について、多くの研究が行われた。その結果、患者さんの免疫力が高まり、血糖や血圧の上昇を抑えるなど、いろいろなことが分かってきたのである。日本リュウマチ学会では、落語家を特別講演で呼んで、医師と患者が一緒になって笑うというような行事まで行うようになったのである。最近では、「笑い学会」まで出来そうである。
 笑いは、「情動」に関係するので、広く考えれば、大脳中心部にある「大脳辺縁系」の活動を高めるといえる。子どもの病気、例えば感染症でも、優しくケアすれば、治療効果、特に免疫力は高まり、早く良くなることは知られている。「情動」の中で、体にとって良いものを「感動」と呼ぶことが出来るので、「生命感動学」“Bio-Emotinemics”という新しい体系を考える必要があるように思う。
 子どもも大人も、笑いや優しさによって、「生きる喜び一杯」“Joie de vivre”になれば、心と体のプログラムはフル回転して、健康になり、子どもは良く育つのである。特に、子どもが良く育つには、「遊ぶ喜び一杯」「学ぶ喜び一杯」を体験させて、「生きる喜び一杯」になるよう、育児・保育・教育の在り方も、「生命感動学」の立場から、今捉え直すべき時にある。

(参考:ノーマン・カズンズ(著)「笑いと治癒力」岩波現代文庫)




「こどもメディア研究所」設立 (2004/07/02)

 石井威望先生と一緒に代表を務めて来た「こどもメディア研究会」は、その活動をはじめて10年ほどになります。本研究会は、今度早稲田大学に「こどもメディア研究所」をつくり、さらなる発展を目指すこととなり、6月19日(土)の午後、開設記念フォーラム「こども、メディア、夢、未来」が開かれました。
 「メディアの未来、こどもの未来」というタイトルのもとで、石井先生との対談が行われ、続いて研究会が過去に行った実践の事例が報告されました。本研究所の付属施設として、“Media Forest”(メディア・フォレスト、探索の森)の計画も発表されました。メディア・フォレストは、先端のメディアを使った、子ども達の遊びの場をつくり、子ども向けコンテンツの研究開発や人とメディアの良い関係などを研究する場にする計画です。
 情報化の時代、子どもを柱とするメディア問題のメディア研究所ができた意義は大きい。子どもにとって良いコンテンツから始まって、メディアに関係するハードとソフトのチャイルドケア・デザインまで、大きく進歩する事は間違いありません。
 さらには、長崎や佐世保の子どもによる子どもの殺人事件などが、メディアと関連付けて論じられる現状がありますが、その様なメディアの影の問題も明らかにする事になります。わが国では、2歳以前の子ども達が、長時間にわたりテレビやビデオを見ると、言葉が遅れる、視線が合わなくなるなどと、小児科医は警告しておりますが、コンテンツは関係ないのでしょうか、親や家庭の育児の在り方は関係ないのでしょうか、余りにも不明な点が多すぎます。
 アメリカでは、子どもとメディア問題に関係して、コンテンツや販売に法的な規制を設ける州も現れ、深刻になっています。しかし、証拠が充分でないとして、規制が解除された州もあります。また、オーストラリアやドイツでも、限られた規制をはじめています。メディアの影の問題についても、是非この研究所から答えを出していただきたいものです。
 人類は数10万年前に火を使いはじめて、エネルギーの利用法を知り、50年程前から、電気による通信をはじめて、情報の利用法を知りました。人間を遺伝子によってプログラムされた生存機械とすれば、メディアは脳のプログラムを拡大するために開発された道具なのです。現在の情報化社会では、それなくして人間は生活できないばかりか、子育てにもいろいろ問題が出るかもしれません。
 早稲田大学の「子どもメディア研究所」が大きく飛躍し、メディア・フォレストを早期に実現していただき、子ども達にとって良いメディアについて、世界に発信する施設となる事を祈りたいと思います。




子ども学のすすめ
〜第35回「子ども学」公開シンポジウム〜
 (2004/06/04)

 甲南女子大学子ども学研究センターが主催した第35回「子ども学」公開シンポジウムが5月20日に行なわれた。21世紀の科学は、人間を総合的かつ学際的に捉える考え方であり、「子ども学」「赤ちゃん学」もその流れの中から生まれた。いわゆるこれからの子ども観の確立、Children's Issuesの解決、チャイルドケアデザインなどが、大きな柱となろうということを考え、「子ども学のすすめ」と題して講演を行なった。
 わが国以外で、子ども学的発想が育っている国は少なくない。北欧の国々はその代表であり、特にノルウェーは、国立子ども学研究所とでも呼ぶべき施設を持っている。また、子どもを包括的に捉える雑誌もいくつか発刊されている。
 わが国でも「子ども学」を冠した研究施設・講座・学科などができ、各地の大学に昨年11月には「日本子ども学会」も設立され、「子ども学」が発展する基盤も徐々に形成されつつある。
 子どもに関心を持つ研究者は、是非「日本子ども学会」に参加して頂きたい。それぞれが自ら持っている学術的背景をより高いものに役立てる研究成果を、全く関係ない分野の方々から受け取って頂き、21世紀こそ「子どもの世紀」にする基盤を作り上げたいものである。

編集部注:全文はこちらよりご覧いただけます。




日本小児科学会で取り上げられたメディア問題 (2004/04/28)

 日本小児科学会が4月9日から3日間、岡山大学名誉教授の清野佳紀先生を会頭として開かれました。清野先生は、骨の病気の専門家として世界的に有名な方ですが、学会のテーマは、遺伝小児科学から社会小児科学まで広く取り上げられていました。
 特にわれわれも関心を持っているテーマである、子どもの成長・発達に対するメデイアの影響については、全部で5回の発表がありました。
 テレビ・ビデオなどの映像メディアは、現在、社会資産culture capitalとして、教育にとってもそれなりに大きな意義がありますが、確かに乳幼児のメディア漬けを危惧する点も無くはありません。しかし、学会で論じられた「自閉的になる」「発語が遅れる」という点について、シンポジウムでは説得データが充分ないという反論も出ました。
 特にアメリカのニューメキシコ大学思春期小児科学教授 V.ストラスバーガー博士の発表は、乳幼児とテレビの問題は、良い点をきちんと研究しないで、現時点で悪い点のみ強調するのに疑義がある事と、メディアの暴力的ならびに性的な内容の年長児に対する影響をもっと明らかにすべき事を強調されました。アメリカでは、テレビのつけっぱなしや、非常識に長時間見せるなどは余り問題になっていない様で、社会・文化の違いを感じました。




難病の子どもの支援 (2004/04/02)

 わが国には、難病の子どもが10万人以上います。現在の医学ではなかなか治りにくい、さらには治らない病気で、子ども達は日々の生活にも苦しんでいるのです。
 このような子ども達が楽しく生活して行くためには、同じ病気の悩みを分かち合える事は極めて重要で、親同士の助け合いが必須です。また、病気の原因解明や治療法の開発ばかりでなく、医療支援など、お医者さんとスクラムを組んで、政府と交渉したりしてより良い方向に向ける努力も出来ます。
 このような会の動きはアメリカで1960年代、わが国では1970年代に始まり1980年代に急速に大きくなって来ました。難病支援で最も大きな役を果しているのは、「難病の子ども支援全国ネットワーク」(事務局長:小林信秋 名誉会長:小林 登 http://www.nanbyonet.or.jp/)で、42の難病の親の会が参加しています。がんの子どもの会、SSPE(亜急性硬化性全脳炎)の会「青空の会」、無痛無汗症の会「トゥモロウ」などはその代表でしょう。
 国立小児病院は、ナショナルセンター化して、国立成育医療センターになりましたが、子どもの難病医療に中心的な役割を果してきました。ここの医療スタッフの多くは、難病支援に積極的に取り組んでいます。平成16年3月末に定年退職した、神経内科医長 二瓶健次先生もそのひとり、SSPE、無痛無汗症、結節性硬化症という難病の子ども支援をされました。先日開かれた定年の会は、親の会の方々が涙ながらに感謝の言葉を述べられ、感激的でした。
 最後になりますが、夏休みの合宿やキャンプ、冬休みのスキーなど、それぞれの病気に応じて行っていますが、その様な時には関係者ばかりでなく、医師や一般の方々のボランティアが必要なのです。是非、御支援下さい。




脳進化の歴史から考える子ども (2004/03/05)

 子どもの心も体も、すくすく健康に育てるには、日々「あそぶ喜び一杯」、そして学校に入れば「学ぶ喜び一杯」にもして、「生きる喜び一杯」“joie de vivre”を、折々体験させる必要がある事は、どなたでも否定されないでしょう。

 何故それが必要であるかを考えるには、脳進化の歴史を考えると良いと思うのです。脳は、脊椎動物に進化して、それまでの軟体動物の体内に散在していた神経をまとめて出来たと考えられています。ですから、はじめて出来た脳は、われわれの脳の脳幹・脊髄がそれに当り、「生きている」為だけのプログラムを持った脳なのです。呼吸とか循環とか基本的な生きるに必要な生理機能をコントロールする脳です。
 その脳を持った動物が、集団生活を始め、生存競争をしながら子孫を増やす為に、本能とか情動などを使って、「たくましく生きて行く」為の辺縁皮質が、脳幹脳をカバーして、原始的な哺乳動物の脳が出来たのです。
 さらに進化が進むと、生活環境に適応し、社会生活する「うまく生きる」と共に、文化を創造しながら「よく生きる」事が出来る様に、知・情・意のプログラムを持った新皮質が辺縁皮質をカバーして、霊長類の脳が出来ました。この新皮質、特に前頭葉が発達して、現在の人間の脳が出来たのです。
 われわれの脳にある「新皮質」と「辺縁皮質」と「脳幹」とは、お互いに相互作用しながら、脳を働かせて生活していると言えます。当然の事ながら、子どもの脳の成長、心の発達も、その相互作用に支配されています。
 「あそぶ喜び一杯」「学ぶ喜び一杯」になる時は、大脳新皮質と辺縁皮質の相互作用が、特に活性化された状態と言えます。「あそぶ喜び一杯」では運動野、「学ぶ喜び一杯」では前頭葉が深く関係していると考えられます。「ドキドキ・ワクワク」が特に強くする場合は、当然、脳幹も強く活性化しているので、これを“joie de vivre” 「生命感動」の状態と言えます。

 われわれは、この「生命感動」“joie de vivre”の機会を、子ども達がなるべく多く持てるようにするにはどうしたら良いかを考えなければなりません。
 子ども達の生活の場のデザイン、「あそび」や「学び」のやり方の工夫など、いろいろ考えられます。それにはまず「生命感動」“joie de vivre”のメカニズムを、脳科学の立場から明らかにする必要があります。私は、その学術体系を「子ども生命感動学」“Child Bio-Emotinemics”と呼び、子ども学の柱として、その体系付けを進めて行きたいと考えています。

(注:Bio=生命、ラテン語のEmotionem=感動、Emotinemics=生命感動学)




世界の子ども達の幸せを祈ってシルクロードを走る
小児科医 仁志田先生を皆で、応援しよう
 (2004/02/06)

 東京女子医科大学 母子総合医療センター長の仁志田博司先生が、国際育児幸せ財団とアップリカ育児研究会の御支援を得て、ローマのバチカンからトルコ、中国と奈良の東大寺まで約10,500kmを、わが国の子ども達だけでなく、世界の子ども達の幸せを祈ってマラソンで走る計画を立てました。
 とりあえず、2月26日に出発して、スロベニア、クロアチア、セルビア・モンテネグロ、ブルガリアを走り、5月23日にイスタンブールに到着する予定で、約2,500kmをマラソンで走破します。先生が帰国してお仕事に戻られ、次の機会を探して、再び走る御計画です。
 このプロジェクトは、「仁志田博司シルクロードランニングジャーニー2004」として、世界の子どもの幸せを祈る運動の発火点とする計画です。
 2月上旬、国際育児幸せ財団国際理事長の葛西健蔵氏と共にCRN所長の小林が、「世界の子どもの幸せを祈る会」の発起人として、仁志田先生の壮行会を開く事になりました。
 詳細はこちらでご覧になれますので、皆さんで応援して下さい。




「ハイハイ」の意味するもの (2004/01/09)

 赤ちゃんは7ヶ月位になるとハイハイを始めます。それが運動発達を示す大事な指標である事は、子育てに関係する人ならどなたでもご存知。しかし、それだけではなく、ハイハイの前と後では心の発達も大きく進む事が、12月2日東京で行なわれた日本赤ちゃん学会・国際シンポジウムで、カルフォルニア大学バークリー校心理学のJ.J.Campos先生が発表されました。すなわち、「物」を見分ける力も、情緒の発達、心の発達もグーンと進むそうなのです。
 寝転ぶしかなかった赤ちゃんが、行きたいところに移動する事が出来、その上、視覚・聴覚・触覚などによって物体に近づいて確かめる事が出来る様になるのです。その結果、心も発達するのです。
 心と体は表裏の関係にあります。ひとつの脳の中にある心と体に関係する神経細胞のネットワークは、お互いに共存しています。体のプログラムが動けば、心のそれも動き、したがって発達するのです。
 私達は、知的な心の発達に気を取られていますが、体を動かす事が、それにに関係する事を忘れてはなりません。




皆で子ども達の事を考えよう (2003/11/28)

 この11月18日、19日早朝4時からNHKラジオ(第2)、ラジオ深夜便で「命を育み、心を育てる」と題して、三宅アナウンサーと私の対談が、2日にわたって放送されました。その反響は大きく、驚くと共に感激しました。
 来年3月、大学を卒業して丁度50年になります。半世紀にわたる小児科医としての体験と実感にもとづく私の思いが、皆さんの共感を呼んだに違いありません。親戚や知人、そして何も知らない方からも、電話・FAX・Emailとお言葉をたくさん戴きました。その中の1件をご紹介したいと思います。
 「なにげなく聞いていたラジオ深夜便で、母と子の相互作用と言うところに、思わず『共感』して飛び起きています。申し遅れましたが、私は保育者です。何十年も保育の世界にいてまさしくこれに『つきる』という思いがあります。人間の子育てにとって大切なことは『優しい育児&保育』という科学的なプログラムに興味津々です。11月29日には行ってみたいと思います。−kokoronn 2003/11/19 」
 皆さん子ども達の事を心配しているのです。
 今の子ども達の姿を見ると、世の中にガタが来ているように思えます。それを取り戻し、子ども達の心と体を健やかに育てるのは、私達大人の責任です。それを果たすには、まず子どもに関心をもつ学者・研究者が一同に会して話し合う事が必要です。そのために、ラジオでもお話した様に、この29日に「日本子ども学会」を設立する事にしたのです。



ハバロフスクの旅 (2003/10/31)

 10月の中旬にハバロフスクの人々の健康を守るために汗を流している1000人程のお医者さんや関係者の勉強会、医療学会が開かれました。
 ロシア医学アカデミー・シベリア支部の招きでこの学会に参加し、総会で挨拶、小児医療部会で、「病気の子どもに生きる喜びを」と題して、病院の子ども達に遊びの場、学びの場をつくる必要性について発表致しました。がんの子ども達について、遊ばせる事はしている様ですが、学校までは考えなかったという意見がありました。
 前回の訪問の時と比較すると、ハバロフスクの町並みはきれいになり、デパートも改装・再開され、商品が並び、豊かさに向け発展する様子が印象的でした。
 ハバロフスクには、時差は2時間ありますが、新潟から飛行機で2時間足らずの、極東ロシア、シベリアの中心都市の一つです。モスクワからは8時間も掛かりますので、経済事情も良くなった事もあって、土地の人々は日本に関心を持ち、交流を進めたいと思っています。




Copyright (c) , Child Research Net, All rights reserved.
このホームページに掲載のイラスト・写真・音声・文章・その他の
コンテンツの無断転載を禁じます。

利用規約 プライバシーポリシー お問い合わせ
ベネッセコーポレーション チャイルド・リサーチ・ネット(CRN)は、
ベネッセ教育総合研究所の支援のもと運営されています。